三頁「ファーストページ」

 ――どういう事?


 そんな簡単な問い掛けが出来ない程、鮮烈な衝撃がエリカを襲った。

 だからだろう。正太郎は、エリカの反応を待たずに自ら語り出した。


「俺が今使ってるグリムハンズの力は、ネクストページなんだよ。ファーストページは、もっと攻撃的な能力だ」


 グリムハンズには二つの力があり、それぞれファーストページとネクストページと呼ばれている。

 正太郎のグリムハンズ茨姫リトルブライアローズは、血を媒介にイバラを作り出し、イバラの棘に触れた対象を眠らせる能力。

 エリカは、茨姫リトルブライアローズに関して、相手を眠らせるという能力についてしか知らない。


「どんな能力?」


 純粋な興味であった。

 ある種、子供っぽい無邪気な質問。

 だが、正太郎の顔色が深淵しんえんの闇に沈んでいく。

 踏み込んではいけない領域に立ち入ってしまった事をエリカに自覚させた。


「ごめん……変な事聞いて」

「気にすんな」

「でも……」

「なんつーか。お前は、言うなれば不可抗力だ。俺の場合、自業自得だった。それで俺は……」


 自身の後悔を語っているのに、過去を懐かしんでいる。

 人がこういう顔をする時、何を思うのかエリカはよく知っていた。


「大切な人だったの?」

「ああ」


 そう言って正太郎は、柔らかく破顔した。


「もう一人は、恩師だった。二人とも愛してた」


 どうして正太郎が優しくしてくれるのか、エリカは理解した。

同じだから。大切なものを自分のせいで失った気持ちが分かるから。

 自分と同じ境遇の子供エリカを放っておけなくて、助けてくれたのだ。


「エリカ、ウロボロスって知ってるか?」


 唐突な質問に、エリカは首をひねった。


「蛇だよね? 自分のしっぽを食べてるやつ」

「輪廻の象徴だ。神災級ドラゴンクラスと呼ばれる最大級のワードの名称でもある。これまでに神災級は、三度しか出現していない」

「三体だけ? 神災級って名前もやばそうだけど」

「一体目が一九三八年。二体目が一九六五年。三体目が二〇〇八年。いずれも討伐には成功したが世界は大きな犠牲を払い、揺蕩う力に還元されても、神災級の影響力は時代を混迷へと導いた」


 正太郎の挙げた年は、いずれも世界に大きな変化があった頃と一致する。

 世界大戦。東西冷戦。未曾有みぞうの金融危機。

 討伐して尚、世界を脅かす神憑かみがかった圧倒的な力は、グリムハンズやワードという超常を知っていて尚、夢物語に聞こえた。


「俺も仲間と一緒に戦った事があるんだ。神災級とな。だが、当時はワードの研究が今程進んでなかった」

「何かあったの?」


答える正太郎は言った。

堪えがたい悲壮の籠った声で。


「ワードを見つけると、どんな物語から生まれたのか、理解する事もなく殺してた。封印なんてしなかったよ。手順を踏んで倒すべきと主張する学者もいたが、封印しなかった際の具体的な影響について、当時解明されてなかった。皆、効率を重視したんだ」

「でも無理やり倒すと、ワードは力を増して……まさか神災級って!?」

「正しく討伐されなかったワードの力が累積し、一つの像を得て顕現したモノ」


 ワードとグリムハンズが生まれてから百年。

 三十年から四十年の周期で正しくない方法で倒されたワードの影響が一気に現出する。

 集積された膨大な力は、人にとって正に神災だ。

人の育む文明など、虫を払うかの如く蹂躙じゅうりんする。


「俺もやらかしてた一人って事だよ。特に率先してな」


 一つ間違いを見逃がすだけも、世界の命運を揺るがしかねない。

 だからこそ正太郎は、ワードの正しい討伐方法をエリカ達に徹底させたのだ。

 世界を守るためだけでなく、同じとがを背負させたくなかったから。


「今では、ワードがどの物語から発生したかを理解して封印するようになった。一つのワードに掛かる時間的効率は圧倒的に悪いが、相反するようにワードの発生も少なくなったんだよ」

「じゃあ神災級は……もう現れないんだよね?」


 エリカの言葉に、正太郎は答えなかった。

 視線を逸らし、感情を読まれる事を拒絶していたが、何を考えているのか見当がついた。


「世界を滅亡寸前まで追い込んだんだよ、俺は」


 再び神災級は現れる。それも近い将来に。

 エリカは不安に駆られる。

神災級が現れる事にではない。

その時、正太郎がどうするのか、だ。


「愛する女を死なせて、世界を滅ぼしかけて、それでも俺は生きてる」


 正太郎の抱く罪悪感は、どれほどの虚穴うろあなを心の中に開けているのだろう。


「エリカ。罪の意識を感じるのは、よく分かるよ」


 正太郎がエリカ達を仲間と呼ばない理由は、この罪悪感が原因だ。


「それでも生きろ。辛いかもしれねぇけど、お前にしか出来ない役目があると思って」


 自分に仲間を持つ資格はないから。

 仲間を持つと不幸にしてしまうと思い込んでいるから。


「俺もそれを手伝うよ。お前の先生なんだからな」


 その日が来た時、一人で脅威に立ち向かうため。

 だから、生徒と教師という一線を超えないように踏みとどまっている。

 だから、エリカも今以上を求めない。


「ありがと先生。楽になった」

「一応教師だからな。らしい事が出来て良かったよ」


 これからは、与えてもらうばかりではなく、貰ったものを返す時だ。

 如月正太郎を孤独にさせない。

 例え世界が滅ぶ時であってもエリカは、彼の隣で戦う事を自分に誓った。







 放課後。エリカは、日が沈んでからも童話研究会の部室に残っていた。

 薫と涼葉は既に帰宅しており、正太郎も三十分程前に部室を出てしまっている。

 明るい内に帰って冴木と鉢合わせるのが嫌だったし、薫と涼葉には一緒に帰ろうと提案されたが、自分の過去で嫌な思いをさせたくなくて、断った。


 スマホで時刻を確認すると十九時を回っている。さすがに、これ以上の長居は出来ない。

 正太郎も冴木について手を打ってくれている。信頼して自宅に帰る事を決断した。


 一人で歩く通学路は、夜の黒と合わさって一層の物寂しさを煽ってくる。

 夏の桜並木の青々とした香りが夜気やきに染み、葉のこすれる音やアスファルトを踏み付ける感覚を噛み締めて帰るのは、何週間ぶりだろう。


 エリカは、涼葉が童話研究会に入って以降、一人で下校した事はない。

 孤独を思い出さないよう、常に涼葉か薫と一緒に居た。

 一人で帰る今は、昔に戻ったようである。

 誰かに助けて欲しかったけれど、声を上げる事も出来なかった日々。


『子供だな。行き場をなくして生き方も見失って、足掻く事すらしなくなった。お人形みたいな子供だよ』


 当時は酷く腹立たしかった正太郎の言葉だが、あの頃のエリカをこれほど的確に示した台詞もない。

 だが、今のエリカには居場所がある。

生き方も教えてもらった。

もうお人形みたいな子供ではない。

 どれほど醜くとも足掻いてみせる。


「よう、エリカ!」

「先生」


 大切な人達が居るのだから。


「もう帰るのか?」


 コンビニの袋を片手に正太郎が尋ねてくる。


「どしたのそれ?」

「この間買った本が読みたくて、今日部室に泊まろうと思ってな」


 中身を覗き込んでみると、おにぎりが四つにカップ麺が二つ。

 おにぎりは、うめぼし・こんぶ・おかか・炊き込みおこわ。エリカの好物ばかりで、カップ麺の方も好みのしょうゆ味だ。

 正太郎の好きなおにぎりの具材は、鮭や焼き肉等のたんぱく質系で、カップ麺もとんこつ味が好物だ。

 エリカが学校に泊まるかもしれないと思い、買い出しに行ってくれたのだろう。


「送っていこうか?」

「ううん」


 気遣いを無駄にしたくなかった。

 何より、信頼出来る人ともう少し同じ時間を共有していたい。


「私も、もう少し学校に残る」

「そうか。じゃあこれ喰うか?」

「うん。食べる。お腹すいちゃった」


 エリカが正太郎と並んで一歩踏み出した瞬間、


「――え?」


 重力から解放された浮遊感と共に、正太郎を見下ろしていた。


「せ、先生!?」

「エリカ!?」


 正太郎が見上げると、中空にエリカと彼女を抱える大男が一人。


「冴木!?」


 冴木がここに居る事。エリカをさらった事。この二つよりも正太郎を驚愕させたのは、冴木の跳躍力だ。

 エリカを抱えた状態で、電柱の高さの倍以上、跳んでいる。

 グリムハンズである正太郎でも、垂直飛びだと、その半分程の高度が精一杯。


 仮に冴木がグリムハンズであるなら、能力次第では達成し得るかもしれない。

 しかし彼は、グリムハンズではないと断言出来る。

 グリムハンズなら、あの時のエリカに対する追及がより直接的な内容になるはずだ。

 お前は、ガラスに関連するグリムハンズだ。お前が能力を使って事件を起こしたんだ、と。

 なら冴木は、どうやって超人的な跳躍を可能にしたのか。


「いや、考えてる場合じゃねぇ」


 成すべきは、エリカの救出。理屈や理由は、後で考えればいい。

 エリカを抱えた冴木は、着地すると同時に駆け出し、巨体を闇に溶かしてしまった。

 速力も尋常の域ではない。

 正太郎も全速力で後を追うが、冴木の背中は、見えてこない。


 ――見失った?


 焦燥をさらに煽るように、スマホが鳴り出した。


「この忙しい時に!」


 画面を見ると、徳永刑事部長からの着信である。

 冴木のエリカ誘拐のタイミングで掛かってきた刑事部長からの電話は、偶然じゃない。


「もしもし!」

『如月か!? 沙月エリカは無事か?』

「どうなってるんです? 冴木は、なんで?」

『圧力をかけたが無意味だった。あれが急に事件の捜査を再開した事を疑うべきだった』

「どういう事です? 何かきっかけでも?」

『うちの小村こむらが言うにはな――』


 小村とは若い女性警官で、白雪姫の魔法の鏡のグリムハンズを持つ。

 鏡を媒介にし、ワードの気配を探る事が出来る能力だ。

 鏡に数百メートル~数キロの範囲の街の景色が航空写真のように浮かび上がり、映し出されたどこかにワードが居る事を検知出来る。

精度は低いが、希少な能力の使い手だ。


『このところ空谷警察署付近に、ワードの気配を感じたらしくてな。今日確認に行った所はっきりと見たそうだよ』

「……まさか!?」

『冴木に憑依しているワードの姿をな。小村がその場で拘束しようとしたが、とんでもない身体能力で逃げられたそうだ』


 ワードに憑依されているなら、あの異常なジャンプ力にも説明が付く。

 冴木は、ワードと一体になった事で、人の法則を超越した存在になっているのだ。

 その戦闘能力は、


「エリカ……」


 グリムハンズすら容易くほふる。

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