二頁「大切な場所」

 正太郎は、飄々ひょうひょうとした笑みを崩さなかったが、冴木に対してワードを前にした時と同じ嫌悪を内包している。


「あんた誰だぁ?」


 怪訝な表情の冴木に問われると正太郎は、慇懃無礼いんぎんぶれいな調子で言った。


「はじめまして。如月正太郎と申します。あなたは?」

「空谷警察署の冴木だ。その子とあんたの関係は?」

「この子の担任でして。ついでに、この子の所属してる同好会の顧問も兼任してます」

「同好会だぁ?」

「童話研究会って言いましてね」

「随分とファンシーじゃねぇかい。似合わんねぇ」

「案外馬鹿に出来ないもんですよ。人生哲学学ぶには、もってこいの教材でしてね」

「本を読む同好会が空谷で何してんだ?」

「あそこには童話に詳しい知人が居たもんで、そいつと会ってました」

「事件現場で?」

「そっちはおまけ。わたくし警察にも知り合いがいるもんで。許可取ってくれまして」

「管轄の俺は、何の話も聞いてねぇがな?」

「本庁の人でね。話が所轄まで行ってなかったのかな? つか管轄を言ったら、あんたも隣県の彩桜さいおう市は、管轄外だろ?」


 互いに一歩を譲らず、言葉を応酬している。

 特に正太郎の方は、段々と語気がいつもの調子に戻っていく。


「人が死んでるのに興味本位ってのも不謹慎ふきんしんだけど、好奇心には勝てなくてな。なかなか見る機会ないだろ。事件現場なんて」


 冴木は、上着の左ポケットから手帳とボールペンを取り出してペン先を舐めた。


「まぁいいや。その本庁の捜査員ってやらと、童話に詳しいとかいう奴の名前を」


 正太郎の表情から笑みが消え失せ、純粋な敵意だけが残った。


「プライバシーの侵害だ。知りたきゃ礼状でもなんでも持ってこい」

「まぁ、かてぇ事言わずに、教えてくれや」

「礼状な。行くぞエリカ」


 正太郎は、エリカの手を軽く引いて、冴木に背を向けた。


「待ちな」


 冴木の呼び留めに応じず、正太郎の足が止まる事はない。


「話してると、何かまずい事でもあんのかい?」


 このままじゃ引き下がらず、学校にまで付いてきそうだ。

 エリカがそんな予感を抱くと、正太郎は、立ち止まり、


「本庁の徳永刑事部長にでも聞くんだな」


 正太郎の出した名前に、冴木の表情が強張こわばった。

 ここに来て初めて見せる動揺である。


「じゃ」


 逃げるならこのタイミングがベストを踏んだのか、正太郎はエリカの手を先程よりも強く引いた。

 冴木は、去っていく正太郎とエリカを追う事はせず、推理に意識を裂いている。


「ありゃ嘘ついてる顔じゃねぇ。本当に刑事部長と面識がありやがる。だが収穫はあった……」


 正太郎の言葉に嘘はない。

 長年のキャリアに裏打ちされた直感が嘘と真実の区別を冴木に教えてくれる。

 だからこそ自分の推理の正当性を冴木は信じていた。


 冴木が的外れなら追求をしていたのなら、正太郎も冴木を避けたがらないだろうと。

 正太郎の敵愾心てきがいしんは、追及をかわすためにしても露骨すぎた。

 エリカが何をしたか、知っているからこそ出た防衛反応の証明でもある。


「ガキの頃は読めなかったが、今なら読める」


 罪を犯した者だけが宿す特異な黒い気。

 僅かでも良心があれば、隠しようがなく浮かび上がる色。

 エリカの目にもはっきりとそれが浮かんでいた。


「ありゃクロだぜ。沙月エリカが連続殺人事件の本星ほんぼしだ」


 冴木は、上着の内ポケットからタバコを取り出し、嬉々としながら火を点けた。







 エリカと正太郎は、クラスの教室には向かわず、童話研究会の部室に逃げ込んだ。

 ようやく安全圏に入れた事で緊張の糸が緩み、エリカは大きく深呼吸して動揺を落ち着ける。


「ありがと先生。助かったよ」

「あの刑事。知ってる奴か?」

「昔、警視庁の捜査一課に居た人。前から私の事を調べてるの」

「……灰かぶり猫のゼゾッラの事件の絡みでか?」

「うん。まぁ、あの人の勘当たってるんだけどさ。優秀だよね」


 自分が化け物であると思いながら、そうでない事を願い続けて過ごした日々。

 正太郎と出会ってグリムハンズである事を知った時、最初は絶望した。

 やはり化け物だったのだと。

 多くの人の命を散らしてしまった忌むべき存在なのだと。

 けれど自身も、身に宿す力も、どちらも怪物ではないと、童話研究会で過ごした時間が教えてくれた。

 この場所に居る時だけは、辛い記憶を思い出さずに過ごせた。

 しかし忘れてはならなかったのだ。


『エリカ!!』


 自らの想いに答えたガラスの群れが、父母の血肉を引き裂く様を。


『みんな逃げて!!』


 結晶の刃が、伯母夫婦一家の四肢を粉々にする様を。


『助けて!!』

『な、なんだよこれ!!』

『だれかぁ!!』


 グリムハンズに飲まれていく保護施設の人々が、助けを求める悲痛な叫びも。


「だって……私がやった事だから」


 灰かぶり猫のゼゾッラの魔の手から家族を守りたいだけだった。

 しかし、こと切れる寸前の父親の命を奪った瞬間をエリカは覚えている。

 他の現場でも或いは、同様の事が起きていたかもしれない。

 罪は忘れる事を許さず、罰は何時までも追いかけてくる。

 ならいっそ抗う事を止めてしまう方が――。


「エリカ。能力の暴発の件は、お前のせいじゃない」


 ――先生は、優しいね。


「先生は、そう言ってくれるよね」


 自分のずるさに反吐が出そうになる。

 優しい言葉を言ってほしいから、自虐を口にしたようで。


「でもあの人は、そう思ってない」

「俺の言葉じゃ気休めにしかならねぇだろうが、お前のせいじゃない。だからな――」


 正太郎は一旦言葉を切り、その後は口を開く事を戸惑っていた。

 何を言えばよいか、悩んでいるのか。それとも言うべき言葉が見つからないのか。

 やがて観念したかのように、苦笑した。


「ダメだな。かっこよく慰められたらいいのに……上手い言葉が見つからねぇや」

「そんな事ないよ」


 傍に居る事を許してくれた。

 何時もワガママを受け止めてくれた。

 大好きな場所を与えてくれた。


「先生が傍に居てくれるだけで安心出来るの。涼葉さんも、薫君も、マリーも、私の事分かってくれてる」


 これ以上を望む事はないし、仮に望んだなら大罪だ。


「だから私は、すっごく幸せだよ」


 大切な場所だから守りたい。

 大切な人達だから悲しい思いをさせたくない。

 そのためならなんだって出来る。

 必要なら、あの地獄に戻る事だって。


「ここに置いてくれてありがとね。でもこれ以上は、迷惑かかっちゃうから」


 ――だから、もうここには居られない。


 そんな言葉を紡ぐ事を、


「かけていいんだよ」


 正太郎は、拒絶した。


「俺だってかけてるだろ? 戦いに巻き込んじまったし、俺の都合で色々と振り回してるし、だからお前も、お前の都合で俺を振り回していいんだよ」

「だって……」

「だってとか、でもは無しだ」


 何時でも正太郎は、エリカが一番欲しい言葉を欲しい時にくれる。

 時折正太郎が何を考えているのか、分からない事もあった。

 突き放すような態度を取られた時もある。

 だけどエリカがどうしょうもなく追いつめられると、いつも傍らに寄り添い支えてくれる。


「ありがと先生」


 素直に甘えていいのだと、教えてくれる。


「ここに居たいから、ここに居るよ」

「よっしゃ。それでいい」


 けれど、冴木の存在は無視出来ない。

 グリムハンズ使用時に生じた、ガラスの欠片という物的証拠を握られている。

 冴木の追及を封じるために、何かしらの対策を講じねばならない。


「でも、刑事さんの事はどうしよ――」

「どうしようも禁止」

「ごめん。だけどさ、攻められたら隠し通せる自信がないよ」


 冴木と出会った頃のエリカと今のエリカには、明確な違いがある。

 それは、自分のグリムハンズが原因で事件が起きた事を自覚している点だ。

 追及されれば、必ず表情や態度といった意識しても制御出来ない部分に、罪悪感が浮かんできてしまうはず。

 刑事という人種は、そうした些細な反応も見逃さないだろう。


「あの刑事がただの役人だったら追求は止むはずだ。刑事部長とは、ワード絡みの事件を通して面識がある。話の分かる人だ。圧力を掛けてくれるだろう」

「じゃあ何とかなるって事?」

「まぁ俺の見立てじゃ、あのおっさん、そういう状況こそ燃えるタイプだな」

「だね」

「仮に、お前がグリムハンズだって分かった所で事件にゃ出来ねぇさ」


 グリムハンズを裁く法はない。

 グリムハンズの存在が秘匿される限り、エリカを犯人として逮捕する事は出来ない。


 許されるのだろうか?

 罪を逃れ、罰を逃れ、裁かれず安穏あんのんと生きて行く事。


 いくら事故だと言い聞かせても、何の罪もない優しい人達をエリカのガラスが貫いたのは事実だ。

 正太郎が受け入れてくれてから、考えないようにしてきた。

 考えしまうと、何時も同じ結論に行きついてしまうから。


「やっぱり私は……」

「エリカ」


 正太郎の一声が、エリカの脳裏に過ぎりそうになった想いを吹き飛ばした。


「逮捕されて少しでも罪をつぐないたいって気持ちは、分かるよ」


 正太郎の言葉は、エリカへの励ましには聞こえなかった。

 まるで自分自身に言い聞かせるようで。


「俺も自分の能力で、大切な人達を死なせた事がある」


 正太郎の瞳の奥底から、黒くにごった後悔の念が浮かび上がった。

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