四頁「真実に立ち向かう勇気」

 正太郎から真実を聞かされた翌日。

 エリカは、正太郎と顔を合わせたくなくて学校を休んだ。

 昨日家に帰ってきてから着替えもせず、茶色のブレザーのまま、日差しが夕刻に傾き始めた頃になってもアパートの部屋の中央に座り込んでいた。

 感情の色のない瞳に映るのは、テレビの夕方のニュース。

 話題になっているのは、上谷区主婦連続失踪事件の続報だ。


『これで上谷区の行方不明者は九人となり、警察は行方を捜索しています』


 八人目と九人目の失踪者。正太郎が言っていた通りなら、二人はワードに殺されている。

 事件は、何時まで続くのだろうか?

 ワードは何人殺せば満足して、狂気を収めてくれるだろう。

 あるいは、人類を根絶やしにするまで止まらないのか。

 全人類は大袈裟にしても。今後どれだけの人々が犠牲になるか分からない。

 何十人か、あるいは何百人か。


 それでもエリカは、関心を持たないように心掛けた。

 自分には関係ないし、関わるべきでもない。

 ワードが起こした事件なら、正太郎がどうにかするはずだし、出来なかったとしてもそれはエリカの責任ではない。


「だけど……私は……」


 気にしないよう努めている時点で、気になって仕方ない証拠だ。

 童話研究会を飛び出してから今に至るまで、正太郎から聞かされた言葉が一言一句余す事無く頭の中で響いている。

 あの場所から逃げ出してしまった事を今では後悔していた。


 そもそも何故正太郎は、エリカをしつこく勧誘しているのか。

 同じグリムハンズだから?

 身の上をあわれんでいるから?


 エリカの予想では、二つとも違う。

 では一体何なのか。いくら頭を絞ってもエリカは、正太郎ではない。本人の口から語られた言葉でない限りは、推測の域を出ないだろう。

 何もないこの部屋に居ても、何も知る事は出来ないし、誰も教えてくれない。


『子供だな。行き場をなくして生き方も見失って、足掻く事すらしなくなった、お人形みたいな子供だよ』


 人形のように口を閉ざして、一人ぼっちの寂しいお城に籠っていれば、これ以上傷付かなくてすむ。

 けれどそれでは前にも進めないし、孤独を変える事も出来ない。


 でも怖い。

 これ以上知ってしまえば、きっと辿り着いてしまう。

 エリカが全てを失った日に何が起きたのか。

 今まで考えないようにしてきた真実。


 真実は、何時だって残酷だ。

 人の都合や気持ちになんか配慮してくれない。

 無慈悲に情報を羅列するだけ。

 だったら孤独なまま閉じ籠っていればいい。


 正太郎の告げた真実もそうだった。

 エリカにとって一番有り得てほしくなかった事のオンパレード。

 彼と一緒に居たら今以上に苦しむ事になる。


 ――だけどあの人は、私と一緒に居ようとしてくれた。


 エリカが憎くて真実を伝えたのではない。救いたくて真実を語った。

 それぐらいの事、頭では理解出来ている。

 だけど怖いものから逃げて何が悪い?


 好きで臆病になっているわけじゃないのだ。

 強くなれるならなりたい。

 勇気を持てるなら持ちたい。


 ――もしも真実に立ち向かう強さを持てたら。


「あの人は、私を受け入れてくれるかな……」


 化け物としてではなく、連続殺人の容疑者でもない。

 一人の人間として、扱ってくれるだろうか?

 エリカの真実を知った上で隣に居てくれる人が存在するなら、それは何にも代えがたい幸福だ。


 だけど宝物を得るには、自分の過去と向き合わなければならない。

 今まで逃げ続けてきた過去を受け入れなければならない。

 どれほどの苦痛を伴うのか想像も出来ないし、したくもなかったが――。


 ――もう逃げ続けちゃいけないのかな?


 正太郎との出会いが今までの自分を終わらせる最後の機会かもしれない。

 もしも誰かが隣に居てくれるなら、儚い望みだとしても、


 ――もう一度あの人と話をしたい。


 衝動に任せてエリカは、アパートを飛び出すと、震える両足を奮い立たせながら彩桜高校へ向かって走った。







 エリカが下校時刻を過ぎて人気のなくなった彩桜高校の童話研究会を訪れると、


「ようエリカ」


 如月正太郎が長机で古びた文庫本を読んでいた。

 誰かが待っていてくれる。

 エリカにとって、何年振りか思い出せない程、久しい経験だった。


「ずっと私を待ってたの? 昨日から」

「……悪い。さすがに一回家に帰ってる。学校に泊まったりはしてねぇ。なんかすまねぇ」

「そ、そうですよね。こっちこそ、なんかうぬぼれてすいません」

「いや、お前を待ってたのは、確かだけどな」


 待っててくれた。

 だったらもう一度だけ、誰かを信じてみたい。


「先生は、何で私を勧誘したの?」

「なんて言ってほしい?」

「先生の本心を、そのまま」

「お前が必要だ。ワードを倒すために、お前の力がな」


 正太郎は、長机に文庫本を置いて立ち上がると、エリカの頭をポンッと叩いて微笑んだ。


「沙月エリカ。俺と一緒に戦え。死ぬ気で戦え。死ぬまで戦え」


 ――いっしょに?


「俺が最後の瞬間まで隣に居てやるよ。その瞬間を看取ってやる」


 ――化け物の私と一緒に居てくれるの?


「だから楽になるな。苦しみ続けろ。足掻き続けろ。常に自分を厳しく律しろ」


 ちゃんと話した事はなかったのに、ずっと見守ってくれていたのが分かる。

 何よりも望んでいた言葉を紡いで聞かせてくれる人。


「これがお前の欲しい言葉だろ?」


 加害者でも被害者でもなく、まして化け物でもない。

 心を理解して、一人の人間として扱ってくれる。沙月エリカが一番必要としていた人。


「そう思うからこそ、お前は力の制御を学ぶ必要がある」


 誰かと一緒にありたいなんて、身勝手な願いと分かっている。

 けれど、そうしてもよい理由があるのならすがりたかったし、力を誰かの役立てる事が出来るのなら、それが自分の義務に思えた。


「私、もう一度頑張ってみる」


 身勝手な願いだからこそ、命が砕け散るまで異形との闘争に背を向けない。

 この力をぎょし、己が一部として受け入れるのが、エリカが十四人の犠牲者に対して出来る唯一の贖罪しょくざいだ。


「だから教えて。どうすればいいのか」


 力強い決意表明となればよかったが、自分で想像していたよりも、か細くて頼りない声。

 けれど正太郎の口元には、笑みがほころんでいた。


「グリムハンズを制御するには流派に倣った方法で起動する必要がある。俺の流派は、如月流って言ってな。痛みと自分の血を媒介にしてグリムハンズを発動する」

「血と痛み?」

「痛みと血という代償を払う事で威力も増すんだ。それに――」


 正太郎は、右手の人差し指の付け根を噛み切った。

 ふつふつと血の雫がしみだして床に落ちたが、数秒もすると血は止まり、噛み切られた跡が次第に塞がっていく。数分後、傷口は完治していた。


「グリムハンズに覚醒すると、自分の身体能力を数十倍か、それ以上に強化出来る」

「そんなに!? でも私、体育の成績は普通だよ?」

「お前は、覚醒が不完全だからな。その力を応用すれば小さな傷は、任意に修復出来る」

「如月流って事は、先生が考えた流派だよね。どうして血なんか媒介したの」

「強大な力を何の痛みも伴わずに使おうなんておこがましいとは思わねぇか?」

「耳が痛いな……」

「そういうつもりで言ったんじゃねぇよ。悪かった」


 正太郎は頭を下げると、一呼吸おいてから顔を上げて破顔した。


「お前が思ってる程、お前は悪くねぇよ。何も責任はない。ただ力の扱い方を知らなかっただけだ。そしてこれも普通知りようがないんだから無理もない」

「慰めは、いらない」


 反射的に返してしまう拒絶の言葉。

 言うべき言葉は違うのに、自分を分かってくれる人の存在に慣れなくて戸惑う。


「でもありがとう。嬉しい」


 気恥ずかしくて視線を逸らしながら伝えて、改めてエリカは正太郎に向き直った。


「じゃあ早速制御の特訓だよね? 何をすればいい? 腕立てとか……腹筋とか」

「んな体育会じゃねぇよ。まずは自分を見つける事」


 正太郎は、親指で背後にある本棚を指差した。


「この中にお前のグリムハンズがある」

「先生は、私のグリムハンズが具体的にどういうものかを知ってるの?」

「どうしてそう思う?」

「この中にあるって断言したから。知ってるなら教えてよ。手っ取り早いじゃん」

「自分で見つけなきゃ意味がねぇんだよ。ここは好きに使っていいぞ。俺は、ちと出かけてくる」


 正太郎は、朱色のジャケットのポケットからビー玉を一つ取り出してエリカに投げ渡してきた。


「じっくり考えな」


 そう言い残して正太郎は、部室を後にしてしまった。

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