第172話 特別な才能

「どうすれば、シャルを救うことが出来るのか。私、さっきからずっと考えてたの」

 不意に聞こえてきたそんな言葉に、暗闇に落ちかけていたシャーロットの意識は、にわかにぐっと引き戻された。

 だが、まだ、意識がぼんやりしているせいなのか。

「自分でも分かっているとは思うけど、シャルはこのままだと殺されちゃう。反逆者、もしくは、誘拐犯として。生かしておく意味が無いんだから、当たり前よね」

 つぶやくように語り掛けてくる少女の口調が、なんだかいつもより、一段と大人びて聞こえるような気がしてならない。

「個人的に、利用価値って言葉は好きじゃないんだけど――」

 そこまで言うと、少女は一瞬考え込むようにして、それから続けた。

「あなたがこれからも生き続けていくためには、追手にも、それからお父様にも、あなたが価値ある人物だと思わせておく必要がある。私としてはそう思うの。……でも、残念だけど今のあなたには、優れた魔法を使える力も、唯一無二の力もない。そうでしょう?」

 そう言われて、シャーロットは微かに首を動かす。出来の悪い側仕えには、少女の言っている言葉の意味が分からなかった。ただ、何となく、少女が何かをしでかそうとしている。そんな悪い予感だけを、シャーロットは感じていた。

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「だからね。私が今からあなたに、特別な才能を授けてあげようと思うの」

 そう言った少女の手には、先ほど破りかけた記憶の紙が握られている。

「行動パターン、癖。私がどこで何をしていようが、その動向が、そして思考の一部始終までもが、すべてわかってしまうような、そんな奇跡のような素晴らしい力。あなたは欲しいと思わない?」

 ここまで言われて、シャーロットはようやく、少女がなぜ、自分に記憶の紙を破らせようとしていたのか。その本当の意味が明かされつつあることに気が付いた。

「これだけあればさすがに足りるでしょう? この中には、今までの十一年間、私が何を見て、何を考えてきたのかが、全て詰まっているの。そして、私が今からどこに向かおうとしているのか、ということも。あなたは十一年後、唯一私の行方を知る者として、目を覚ますのよ」

 だが、それならわざわざ記憶を見せなくても、今この場所で、どこに行く気なのか教えてくれれば済む話のような気もするのだが。

「分かってないわね、シャルは。ひと月、ふた月くらいじゃ意味ないの。あなたが私の記憶の中に閉じ込められている期間が長ければ長いほど、目覚めた時、あなたが持っている情報の価値は高くなるんだから」

 シャーロットが疑問に思っているのを感じ取ったのか、少女は静かにそう言った。

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「もちろんこれは、その間、私が誰にも見つからずに逃げ続けていればっていう前提の話なんだけど、その点に関してはちょっとした自信があるの。日々の暮らしで魔法にさんざん頼り切っている追手たちが、尋ね人をどう探すのか。その目のくらまし方を私はいろいろ知っているしね。

 最初の数日間を乗り切って、此処から遠くに離れてしまえば――。時が過ぎれば過ぎるほど、足取りや痕跡から私を見つけることは難しくなる。まあ、半年足らずじゃ、追手たちもまだ諦めていないかもしれないけれど、一年後くらいには、もう音を上げてるんじゃないかしら。少なくとも、五年も経つ頃には、まず間違いなく探すあてを失っているだろうってことぐらいは、今この場でも約束できるわ」

 そして再度、こう続ける。

「それでも、あなたにどうしても十一年間分記憶を見てもらわなきゃならないって私が思っているのは、二つの理由があってのことなの。

 一つは保険。万が一にでも貴方に危害が及ぶのを防ぎたいからそうするの。……考えても見て? 私も、自分の父親がそんなことをするとは思いたくもないんだけど、単に居場所を伝えておくだけだと、シャルが拷問にかけられちゃうかもしれないでしょ? 娘の居所を吐け、ってね。だから、わらにも……いいえ、誘拐犯にもすがりつきたくなるほど、お父様を焦らしに焦らした上で、あなたは目覚める必要があるの。

 年月にはそれだけの重みがあるから。十一年も待ってようやく現れた、問題解決に繋がる唯一の糸口を、一時の激情に駆られて、不用意に断ち切る人なんていないでしょう? 十一年間も誰かひとりを憎み続けられるとは思えないし、きっとその頃には、お父様も少しはあなたの言い分を聞いてくれるようになっているはずよ。

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 そして、二つ目は……逃亡者がいつまでも一カ所にとどまっておけるはずがないって言えば分かるかしら。シャルが記憶を見ている間にも、私はあちらこちらの土地を行き先がバレないようにしながら移動し続ける。だから、最初の行き先だけが分かったところで意味ないの。そのあとどこに向かうのか、まで分かってないと、何年も経った後で私を追いかけるのは無理な話。

 だから、中途半端じゃダメってわけ。私の記憶を見ることで、私のすべてを理解してくれないと。……まあ、でも安心して。私だけにしか分からないくらいコッソリとだけど、一応手がかりも残しておいてあげるから。

 あと、心配なのは、記憶を見ている間に、あなたが殺されちゃわないかって事ぐらいだけど……それに関しては、『私の居場所は彼女だけが知っています』こんな感じで、書置きを残しておけば問題ないかしらね。身体中に文字が這いずり回っている奇妙な姿を目にすれば、誰でもひと目であなたが記憶の中に居ることは分かると思うし、少なくとも、私が見つからないうちは、大事な手がかりの一つとして、手元に取っておいてもらえるでしょうから」

 少女はそう言い終わると、シャーロットを安心させるようににっこりと笑い掛けてくる。だが、シャーロットの不安は膨らんでいく一方だった。

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 少女はまるで造作もないことのように記憶をすべて渡すと言うが、その『記憶』という言葉の中にはいったいどれほどの意味が込められているのだろう。単純に、その時々にあった出来事の思い出だけを受け渡すのならまだいいが、今までに培ってきた数多の知識や、人並みには身に付けてきたはずのいろんな常識。そして、言語や物を理解する能力すらも、記憶の中に含まれているとするならば、全ての記憶を失ってしまった時、少女は少女で……いや、知能を持った生物であり続けることが出来るのだろうか。

 思わず、普通の社会生活も営めなくなってしまった少女の姿を想像してしまい、恐怖で歯の根も合わなくなってしまう。そんなシャーロットの震える身体を、少女は優しく擦ってくれた。

「大丈夫、記憶は唯一無二の存在だから。貴方が私の記憶を見れば見るほど、私は私自身を忘れていくの。十一年分なら十一年の時間をかけて、じわりじわりと少しずつね。だから、貴方が記憶の紙を破っても、今すぐに全てを失うわけじゃない。それに、魔法とか、歴史とか。そのあたりの高度な技術にはさすがに手が回らないかもしれないけれど、常識や言葉なんかは、忘れないうちにそこらに書き溜めて、忘れる側から再び覚えていくようにするから。……そんなに怖い顔しないで。私も、意思疎通が出来ないような身体にはなりたくないから。シャルに心配されなくても、そうならないよう、自分でいろいろ心掛けておくって」

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 そう言われても、安心なんてできるはずもなかった。いつ、魔毒症の症状が出てもおかしくないような病魔に侵された身体で、十一年間も逃げ続けるなんて正気の沙汰ではないと、そう思った。だが、懸命に声をあげかけたところで、

「責任、取らせてよ」

 そんな言葉とともに、優しくギュッと抱きしめられ、シャーロットは何も言えなくなってしまう。

「シャルを踏み台にして、自分だけ日の当たる場所で楽しく過ごすなんて、私には出来ない。シャルは私のために、命を賭けてくれた。だから私も、シャルのために命を賭ける。それが普通でしょう? 

 いい? 目覚めたら、まず手始めに、私の居場所を突き止めることを自身の安全と引き換えにするのよ。『お嬢様を城まで連れ戻すから』そう言って、お父様に命を保証させるの。私はその間、死ぬ気で逃げ続けるから。追手から、全てから、身を隠して十一年、何が何でも生き抜いて見せる。それが終わったら――、ううん。どうせ私の記憶を見たら分かることなんだから、これ以上の長話は無用よね」

 そう言うと、少女は再び、シャーロットを見て、にっこり笑い掛けるようにした。

 目の前にいる女の子は、確かにシャーロットよりずっと幼いはずなのに――。その眼差しは深く、どこまでも深く、長い年月を思わせる。

 シャーロットと違い、死の恐怖に直面してもなお、少女の意思は決して揺るぐことはないのだろう。であれば、側仕えであるシャーロットにはもう、少女の意思を尊重することしか出来なかった。

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