第十七章 幼き日の記憶
第94話 側仕え
側仕え、という職業柄仕方がない事とはいえ、女の連続出勤日数は、一昨日で百を記録していた。だけども、女にしてみれば、それはごく普通の数字であり、身体にガタがきていることも無ければ、精神的に参ってしまっているわけでもなかったのだが、どうやら主人の側が問題視したらしい。昨日、久しぶりに女には暇が与えられ、突然予定にぽっかりと穴が空いた結果、女は街に繰り出すことになった。
とは言っても、年がら年中仕事をしている身。特にやりたい事があるわけでもなく、歩き疲れて帰路に就くことになるのだろう。と、女は予想していたのだが……。
「あっ、シャーロット! 聞いたわよ。昨日はすんごい飲みっぷりだったんだってえ。そんなら私も、誘ってくれたらよかったのに」
「そうそう、この子ったら、途中まで、遠慮しときますぅ、なんて可愛げに言ってたのに、いざ飲み始めたら、人が変わったみたいに仕切りだしちゃって。昨日の飲み屋の席でのこと、もう随分な噂になってたわよ」
同じ主人の元で働いている、五つ上の先輩方に肩を叩かれ、シャーロットは赤面した。正直、昨日の夜のことは全く覚えていない。午前中は、同じく休みをとっていた職場の同期と、湖畔の辺りをブラブラ散歩して、昼時にちょっと泳いで、大通りにある洋服店で適当に暇を潰したあと、結局何も買わずに帰ったのだが……。
その後、勤務終わりの先輩達に捕まって。様々な香水の匂いが入り混じっている、薄暗い店に連れ込まれたところから記憶が無い。
樽のように大きな蜂蜜酒を、先輩方が注文していたことだけは覚えていたが、詳細を思い出そうとすると、頭が痛くなってくる。
―――――――――076―――――――――
「うーん、もしかして私、働いてないと、病気になるのかもしれないなあ」
そんな病的な思考に陥りつつも、シャーロットは自分の仕事場へと向かい、目をぐりぐりと擦りながら、赤茶色のレンガ道を進んでいた。
今、シャーロットが歩いているのは、しっとりと落ち着いた古き良き住宅街。ここを抜ければ、堅牢で巨大な城門が、その姿を現してくる。
「ご苦労様です」
見慣れた街並みを後にして、城門の警備員に向かって頭を下げると、彼・彼女らは、お返しとばかりに高らかに吠えてくれた。
ふさふさとした焦げ茶色のたてがみを見ていると、思わず撫でさすりたくなってしまうのだが、その衝動をこらえ、奥へと進む。
すると、大きな羽を携えた、色とりどりの鳥たちが、上空を飛び回っているのが目に入ってきた。彼らは、かなり忙しそうな様相で、紐で荷造られた梱包品を、シャーロットのような人々のもとに、はるか上空から放り投げている。
そのなかに、受け取りに失敗したドジっ子が居たのだろうか。行く道には、生卵を拭き取ったような黄色いシミが、そこらに幾つか点在していた。
「小包配達、配達です!」
行き交う者の喧騒に負けぬよう、大声で叫ぶ鳥たちの声を聞きながら、シャーロットは辺りをキョロキョロと見渡し、知り合いがいないのを確認すると、ピュイっと、短い口笛を吹いた。そのまま待っていると、上空で待機している鳥のうち、特に大きな一羽が、旋回しながらシャーロットの元まで降りてくる。
―――――――――077―――――――――
「ねえ、イレートス。上まで連れてってよ」
髪に風がかからないよう、脇に周りながらそうねだると、琥珀色の目をした黒毛の鳥は、やれやれと首を振った後、シャーロットの肩に優しく羽を置いて言った。
「運賃が欲しいくらいだよ。ここのところ、毎日君を乗せて飛んでいる気がする」
「ケチくさい男は嫌われるわよ。ほんの数分もかからないでしょ?」
イレートスというのは、この街に勤めている配達員だ。
配達員は毎朝、この街に住んでいる者の元へ、遠くの街から出された手紙や、物資を運んで来るという日課をこなしている。シャーロットは、二日おきくらいの頻度で何かしらの荷物を受け取っているため、配達員の中に顔なじみが多いのだが、その中でも、同郷の出身であるイレートスとは仲が良かった。というわけで、
「あー、わかったよ。じゃあ、とっとと掴まって」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、機嫌は悪くなさそうなイレートスに微笑みかけると、シャーロットは尾羽の辺りを掴んで、背中に上がろうとする。だが、
「ひゃあ」
思わず口から漏れてきたのは情けない悲鳴。まだ完全に上がり切れていないというのに、イレートスは大きく羽ばたき始めていた。そのせいで、シャーロットは背中からずり落ちてしまい、なんとか足を掴んだところで踏ん張ると、文句を言う。
「ちょっと、まだ上に乗れてないから、一旦戻って!」
しかし、イレートスはぐんぐん上昇し、気付けばシャーロットは、豆粒ほどになった人々を眺めながら、手の力だけを支えにして浮かんでいた。
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この、どう考えても危機的な状況に、唾を呑み込むシャーロットに対し、
「無賃で乗る客は、こうするまでさ」と言ってくるのはイレートス。
だが、数秒もすると、シャーロットの身体は大きなあしゆびに支えられ、服をくちばしで摘ままれると、ポンと背中に乗せられていた。
「私、あなたと違って飛べないんだから、冗談になってないわよ」
冷や汗をかきながらそういうと、イレートスはカラカラと屈託なく笑う。
「他の配達は、もう済んだの?」
「ああ、君を配達すれば、仕事は終わりさ」
取り留めのない会話をしているうちに、空の旅は終わりを告げ、イレートスはいつの間にか窓の桟に着地していた。
「もしかして、仕事減ってるの?」
しばらく前までは、もっと忙しそうにしていた気がする。そう思ったシャーロットは心配そうに聞く。少し前に、南方の街で高名な学者が画期的な発明をした、という噂が流れていたことを思い出していた。
その内容とは、魔法を使って情報がやり取りできるようになるという信じられないような次世代の技術。遂に手紙が前時代的な物になり、仕事が無くなるとかで、街は一時、その話題で持ちきりだった。だが、
―――――――――079―――――――――
「ああ、そのことを心配してくれているなら、大丈夫だよ」
イレートスは気楽そうに言った。
「その発明は確かにあったようだけど、実用化されるのはまだ当分先だろうから。一度に二言三言しか伝えられない上に、食べ物や、衣類、物資全般が輸送出来ないなんてお話にもならない。それに何より、馬鹿みたいに高い」
そう言うと、イレートスは羽を折り畳んで金額を示し、シャーロットは驚愕する。
「で、結局多くの人は、旧来のやり方に落ち着いたってわけさ」
「ならいいけど」
話が終わると、二人はしばらく横に並んで、景色を眺めていた。
「じゃ、僕は今から寝るから、お仕事頑張って来いよ」
だが不意に、イレートスは高速で羽ばたくと、宙に浮かんだ。そのまま翼の力で、シャーロットから離れていく。何が起こったのかと、辺りを見渡していると、窓一枚隔てた所に、怒り顔の女性が、箒を持って立っていた。ここら一帯の掃除を担当している、これまたシャーロットの先輩だ。
「さあ、君もそろそろ行った方がいい」
イレートスがそう言ったが早いか、窓が大きな音を立てて開き、イレートスの頭目掛けて、箒が疾風の如く素早く、そして正確に放たれた。
それを、辛うじてかわして、黒い翼は帰って行く。
―――――――――080―――――――――
「朝から仲がよろしいことで」
シャーロットは、嫌味ったらしくブツブツ言う女性に向かって一礼すると、背中に刺さる視線を感じつつ、廊下を走っていった。
「こんなに手形をつけて!」
女性の怒りの声が、後を追った。
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