第45話 もう、すっかり駄目じゃないか


   『本題に入る』

 ところで、一組の男女がそちらに向かっていることは、お主も知っておろう。前の手紙にも書いた通り、編入試験の受験者には、ルーツともう一人が選ばれることとなった。頼みというのはこのこと。儂が前々から、お主に相談していたことなのじゃ。

 言っとる事は分かるな、レンバル。分かっておるなら、とやかく指示する必要もなかろう。兎に角、子どもらの名前を早急に、親のリストと照らし合わせて欲しい。そして、全精力を傾けて事に当たってもらいたい。儂が言いたいのはそれだけじゃ。

   ……

 無論、儂とて、この決断を下すのは心苦しい。時期尚早だと思うたこともある。じゃが、このまま儂の下に置いておけば、そのうち必ず始末に負えんようになる。在るべきものは在るべき場所へ。然るべきものにはしかるべき措置を。そう考えると、早ければ早いほど事は良い。つまりは、時機はもう、とうに過ぎておったのじゃ。

   ……

 ルーツは困惑するじゃろう。何の真似かと、聞いてくることじゃろう。じゃが、何も話すでないぞ。必要なこと以外は、喋らず、隠し、押し通し。それでいて、二人を引き離し、全てを滞りなく推し進めるのじゃ。そして、親の所在が確認できればそれでよし。結果の如何によっては、お主にすべてを託すことになると思う。

   ……

 では、くれぐれも頼んだぞ、レンバル。お主が最後の望みなのじゃ。

 これを持って、儂の最後の願いとする。



 ルーツは愕然とした。愕然とし過ぎて、文字が飛び飛びでしか読めなかった。

 自分の身体が震えているのが分かる。手から手紙が滑り落ちていくのが見える。だが今度は、拾い上げることも出来なかった。

 親のリストと照らし合わせる。それが、どんな意味を持つか、ルーツは痛いほどよく知っていた。開けたらドカンならまだいい……。だが、これは……

 ――親のリストと照らし合わせる――

 それは、ルーツが孤児として認定されることに他ならなかった。だいたい、両親が居なくなってしまったからこそ、ルーツは村長に引き取られ、そこで月日を過ごしてきたのだ。そんな両親の居場所が、リストなんぞで確認できるはずがない。

 そして、両親の所在も判明せず、村長のもとにも置いてもらえないとなると……。そんな子供の行き先は決まっている。身無し子は、孤児院に入れられてしまうのだ。

―――――――――298―――――――――

 捨て子は通報しなければならない。そう言ったのは誰だったろう。この街の誰かが言った言葉が、ルーツの頭を駆け巡った。

「どうすればいいんだろう?」

 最初に出てきたのは、嘆きや怒りではなく戸惑いだった。

「どうして?」

 完全に信じていたわけではないにしろ、ルーツは村長のことを多少なりとも尊敬していた。人間と半獣人の関係について、村長が隠していたという衝撃の事実を聞いた時も、何かしらの理由があるのだと納得しようとしていた。

 しかし、結果はどうだ。仮に今日、道に迷わず、手紙も落とさずに、すんなりと学院に着いていたとしたら――。

「どうして?」

 村長は最初から、ルーツのことなんて、これっぽっちも大切に思っていなかったのだ。そうでなかったら、わざわざこんな手紙を書くはずがないだろう。生みの親がいない事や、始末に負えないなんて事を、他人にばらす必要もない。となると、ずっと苦々しく思われていたのか。もしくはここにきて育てるのが面倒になって来たのか。

―――――――――299―――――――――

 考えれば考えるほど、文字は涙でにじんで見えなくなった。そのまま、涙と一緒にこの手紙も記憶も無くなってしまえばいいのに。そう思った。

 村人たちが、ルーツを疎んでいたことは知っていた。機会があれば、出て行って欲しいと思っている人が居たのも知っていた。だが、村長は。村長だけは、何があってもルーツの味方でいてくれると思っていた。それなのに――。

「本当にどうすればいいんだろう」

 此処から逃げた方がいいのだろうか? それとも、七日後に迎えに来る役人の魔脚に乗って、素知らぬ顔で帰った方がいいのだろうか? 

 ルーツはよく回らない頭で、それでも現実を受け入れようとした。だが、心の方は、現実を認めようとはしてくれなかった。何かの間違いなんじゃないか。何か誤解しているだけなんじゃないだろうか。と、ルーツに何度も呼び掛けてくる。

 けれど、何度読み直したところで、変わりはない。村長の手紙は、自分を厄介払いするためだけに書かれている。ルーツには、そうとしか思えなかった。

 ――在るべきものは在るべき場所へ。

 それにこの文面からして、おそらく村長は、ルーツが村に帰る事を望んでいない。もしくは、ルーツが居るべき場所はエルト村ではない。そう考えているのだろう。

 確かに、自分たちと異なる存在は、いつだって恐れや嫌悪の対象だ。そう考えれば、村長たちの言い分は理解できないこともない。

 しかし――、村人の意向に従って村を出たところで、ルーツには行く当てが無かった。だから、帰るか、手紙の内容を受け入れて孤児になるか。そんなの、選ぶまでも無く前者だった。だがそもそも、此処から無事に帰ることが出来るのか。今のルーツには、それすらも分からない。送迎の役人が、手紙の内容を知っていて、村人たちとグルになっている可能性もまったく無いとは言えないのだ。

―――――――――300―――――――――

 今やルーツは途方に暮れていた。誰を信じていいのかもわからずに、立ち尽くすことしか出来ずに居た。そんなルーツが一番に頼ろうとしたのは、やはりユリ。気持ちよさそうに眠っているユリの優しい寝顔であった。

 ――だけど本当に、ユリに事情を打ち明けてもいいのだろうか。

 ユリを無理やり起こしかける直前で、ルーツは躊躇し、思い留まった。村長は、人が考えていることをしばしば言い当てる。何も見ていないと言い張ったところで、勘付かれてしまってはどうにもならないのだ。

 もちろん、ユリが信用できないというわけではなかった。だが、秘密を共有する仲間を増やすことは、危険の種を自ら撒くようなものだ。思えば、誰にも言わないで、という秘密の約束を何度裏切られたことだろうか。その記憶が、秘密は無闇に話すべきではないと、ルーツの心に忠告していた。

 ――結局、一人で考えるのが一番なのかもしれない。

 諦め半分、焦り半分で、夜遅くまで一人で悩んでいたルーツの頭が、遂にズキズキと痛み始めたのは、そのすぐ後のことだった。

 今日一日、ずっと歩き回って疲れていた所に、さらに心理的負担がかかっている。考えてみれば、これだけ材料があるのだから、頭が痛くなるのも無理はなかった。

 だが、今のルーツは何もかもを、悪い方へと考えてしまう。

 ――この頭痛は、更なる不幸の前触れなのかもしれない。

 そう考えてしまったのにはきっと、どんよりとした気分が関係していたのだろう。

―――――――――301―――――――――

 酷く気分が悪い。多分それは、この埃っぽい劣悪な部屋のせいだ。そうに違いない。新鮮な空気を吸うべきだ。一度吸えば、きっと落ち着く。

 そんなことを考えながら、ルーツはふらふらと、窓に向かって近づいていく。窓の外の闇に向かって、飛び込みたくなってくる――。


 気が付くと、ルーツは窓の桟に片足をかけていた。

 ひょっとすると、判断力が鈍くなっているのかもしれない。一度ぐっすりと眠って、この混沌とした頭を回復させた方がいいのかもしれない。が、ルーツは、一秒たりとも無駄に出来ないという謎の強迫観念に襲われていた。考えてもどうしようもない事を永遠と考えては、過ぎる時間のことを思い、気ばかり焦る。

「とりあえず、誰かに……いや、どこかに……どこか人がいる場所……人のいっぱいいる場所……そうだ……役所に行かないと……」

 ルーツは突然、熱に浮かされたようにそう言うと、よろよろと歩き出した。声を出したことに意味は無かった。役所を選んだのにも特に深い意味は無い。窓の外に見えていたから。もし、理由があるとしてもそんなところだろう。そもそも何故、外に出ようとしているのかも、ルーツ自身よく分かっていなかった。とにかくルーツは、何かしなければいけないという、出所の分からぬ衝動に駆られていた。

 何か行動を起こさないと全てが駄目になってしまう気がする。……何が? ――何がかは、分からないけど……これ以上、一体何が駄目になるというのだろう。もう、すっかり駄目じゃないか。いいや、駄目じゃない。今動けば、まだ間に合う。

―――――――――302―――――――――

 そんなふうに、心の中で、わけも分からぬ問答を繰り返す。

 ひょっとすると、何かを考え続けることで、じっとしていると湧き出てくる恐怖から逃れたかったのかもしれない。

 無鉄砲になっていることには気づいていた。だが、頭が麻痺してしまった今のルーツは、自分で自分の身体を制御することも出来なくなっていた。

 亡霊のように部屋の戸を開け、壁に寄りかかりながら階段を降り、途中でよろけて落下して、ホコリの絨毯に着地する。

 そして――、汚れまみれで服はヨレヨレ。ルーツは、見るも無残な、この宿に泊まるにふさわしい姿になって、夜の街へと出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る