第15話 それ以前の問題
前日の内に話を通しておいたおかげで、副店長は、少しでも関係がありそうな本を収めた棚の箇所を、いくつかピックアップしてくれていた。
それを踏まえて、わたしが四人組に指示を出す。
「今日のところは、一般医学と呪医学の並びから始めましょう」
片っ端から調べる必要はなくなったとはいえ、元の量が量なので、指定された棚を見るだけでも時間がかかる。見るからに「本より運動!」といった顔のヤスヤを始め、それぞれの読書ペースもわからない。関連性の高そうな棚から攻めて、なるべく早い解決を目指そうという魂胆だ。……けれど。
ほどなくして、それ以前の問題が発覚した。
ヤスヤとケイちゃんは、なんと、文字が読めなかったのである。
「なんでですか? だって、言葉はわかるんでしょう?」
「わかるんですが、それも同じ言葉をしゃべってるわけじゃないらしいんです。俺がしゃべっているのは日本語のままで、それがなんでか通じてるだけで」
「ニホン語? ですか?」
きれいな共通語を使っていると思っていたのに、実はそういうわけでもなかったらしい。わたしたちの言葉も、彼らにはチキュウのニホン語として聞こえているそうだ。意味がわからない。
意味はわからないけれど、試しにメモ帳に書いてもらったニホン語の文字は、各地の出版物を扱うわたしの目にも覚えのないものだった。カンジやヒラガナ、カタカナといったそれらには膨大な数があるらしく、彼の自作文字とも思えない。どうやら本当に、彼らの言語形態は、我々とはまったく違うもののようだった。
……ということは、である。
「それって……ここで調べものをするには、致命的なのでは?」
本とは文字を読むものだ。たまに例外として動く絵柄を見るものや、本自体が内容を語り出すものもあるけれど、ほとんどのものはそうではない。文字を読むことができなければ、本なんて、ただの紙束に過ぎないのだ。
今に至るまでそのことに気付かなかったらしい異世界の兄妹は、妹はおろおろと焦り出し、兄は「気合いで読みます!」なんて言い出す無茶っぷり。
もう回れ右して帰ってもらおうかな、と思ったその矢先。
「あたくしにお任せくださいませ、ヤスヤさま」
まさかの人魚姫が、そこに名乗り出た。
「これでもあたくし、一族の姫君ですもの。共通語はもちろん、
「本当か!? すごいじゃないか、エウラリア!」
ヤスヤに褒められたエウラリアは、ふふん、と豊満な胸を反らす。そして、それに釘付けになっている
「フゴも、共通語なら問題なくわかりますでしょ。あたくしが目星をつけて本を出しますから、役に立ちそうな内容を探してちょうだい。名誉挽回ですわ」
「フゴじゃない、フベルトだ。……だが、わかった。協力しよう」
「それで――ユッテさんは? 本探し自体にも、協力していただけるのかしら?」
ふと話を向けられて、その場の視線がわたしに集まる。
ヤスヤもケイちゃんも戦力外。エウラリアが言語力の塊だとしても、フベルトとたった二人でこの本の壁に挑んでいては、いつ終わるかもわからない。終わるのかどうかも定かではない。
それはさすがに困るので、わたしは渋々、頷いた。
「……どちらにしろ、ここにいなくてはいけない身ですから。できることがあるようなら、お手伝いくらいはさせてもらいます」
さっさとすべてを終わらせて、平穏な日々を取り戻すためにも。
そうして始まったケイちゃんの治療法探しは、三つの段階に分けられた。
すなわち、エウラリアの指示で棚から本を取り出すこと、それを彼女とフベルトとわたしで読み漁ること、そしてめぼしい内容があれば、ヤスヤとケイちゃんに書記してもらうことだ。彼らの文字はわたしたちには読めないが、後でヤスヤから、口頭で全体共有してもらえばいい。それだけでも多少は役に立つ。
エウラリアにより目星をつけられた本たちは、中二階東の閲覧スペースに運ばれた。汚損や盗難を防ぐ保護魔法が許す範囲で、一人一冊ずつ、中を確かめていく。古い本には目次すらないので、流し読みとはいえ、全体をチェックするのはなかなか骨が折れる作業だ。
昼休憩をとる頃には、すでに全員、うんざりした気配を見せていた。
「とりあえず一旦、休憩にしましょう。本は片付けておきますから、お昼ご飯の後に再開ということで」
そう告げると、一番にフベルトが離脱する。「フードコートで会おう」なんて言いながら足早に立ち去る様子を見るに、ずいぶんと我慢をしていたらしい。なにをとは言わないが、向かう先はおそらくトイレだ。別に禁止はしていないのだから、途中でも普通に行けばいいのに。
「あたくしたちも参りましょう、ヤスヤさま」
「いや、俺はここの片付けを手伝ってから行く。すぐに終わらせるから、下で待っていてくれ」
「あら。でしたら、あたくしも手伝いますわ」
「大丈夫だ。それより、圭と一緒に、先に手洗いをすませてきてくれると助かる。もうずっとトイレに行きたそうにしていたからな」
「――っ!」
ケイちゃんは途端に真っ赤になって、ヤスヤをばしばしと叩きだす。うん、今のはちょっとデリカシーがないですね。本人はなにが悪いのかわからない顔だけど、さすがのエウラリアも庇いきれないようだ。女心を知れ。
ぷんぷんしているケイちゃんと呆れた様子のエウラリアを見送り、首を捻っているヤスヤと二人で本を片付ける。
上のほうから出してきた本が多いため、わたしが梯子によじ上り、下からヤスヤに手渡してもらう。その一冊目を差し出しながら、不意にヤスヤが口を開いた。
「……それにしてもユッテさんって、かなりあっさり、俺たちのことを信じてくれましたよね」
受け取った呪医学書を棚に差し込みつつ、わたしは気軽にそれに応じる。
「信じられないと思ってましたか?」
「いやまあ。今日は考える時間がやたらとあったから考えたんですが、自分でも、自分たちの話は怪しいところばかりだなと思ったので。うちの親なら、『冗談言ってないで勉強しろ!』と怒るところだなと」
「まあ親御さんならそうでしょうね」
わたしの場合、信じたというよりは危機管理意識が働いたというか、双子回避能力が働いたというか。それだけと言えばそれだけなのだけど。
二冊目を受け取って、棚に戻す。次は一段下がるから、梯子を少し下りてまた本を受け取る。
「正直に言うと、異世界がどうとかは、わたしにはどうでもいいんです。ケイちゃんとヤスヤくんが本当に困っていることは伝わりましたし、単に、姉たちが言い出したことの後始末だとも思っています。そういうことに、きみたちの生まれや育ちは関係ないですよ」
「……ユッテさんって、めちゃくちゃ優しい人なんですね」
「はい?」
どうしてそうなるんだ、と梯子の上から相手を見やると、向こうも意外な話をされたかのように目を瞬いている。首を傾げると向こうも首を傾げ、それから「ええと」と話し始めた。
「いくら俺たちが困っていても、いくら兄姉から頼まれても、『自分には関係ないことだ』って無視することができるじゃないですか。違う世界から来たなんて話、まず疑われるものだって俺も思ってたのに。それすらなしに手を貸してくれるなんて、やっぱり――」
自分の中で確信を得たように、ヤスヤはニカッと大きく笑う。
「それって、ユッテさんが優しいってことなんですよ」
「い、いや、そんなことは……」
梯子の下から見上げてくるヤスヤが、なぜだか独身寮の
その純粋無垢な好意の視線が居心地悪く、身じろぎをした時だった。
すぐ頭上から、幼い声がした。
「そうですよ。ユッテおねえさんは、みんなにやさしいんです」
「……うんんっ!? ヴァルくん!?」
ばっと見上げた二階廊下から、紅い目の子どもが顔を出していた。装飾的な手摺りの隙間から覗き込むように、にこにこ笑ってわたしたちを見下ろしていた。
「ぼくにもいつも、やさしくしてくれますもんね?」
「え、そうですね。え? そうですね?」
いったいなんの話をしているんだわたしは、と混乱しかけたところに、止める間もなく手摺りを乗り越えたヴァルくんが降ってくる。ぎょっと固まるわたし、とっさに「危ない!」と受け止めようとするヤスヤを横目に、ヴァルくんは猫のような危なげない着地をして、なんでもないようにニコリと笑う。
「おひるごはんですよね。ぼくもいっしょにいきますね」
「……~~~~っ!」
一拍置いて「危ないだろうが!」と叱るヤスヤの大声を、さすがのわたしも、この時ばかりは止めに入らなかった。
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