突然の帰省

 家に帰ると、僕は急いで帰省の準備を始めた。まず真っ先に、スマートフォンで交通機関の時刻表を調べる。幸運なことに、今夜10時半出発のK県行き夜行バスを取ることができた。乗車場所は、ここから車で一時間ちょっとの、この県では大きな駅。


 じいちゃんとばあちゃんにも連絡は伝わっていたらしく、二人とも一刻も早く戻れる夜行バスで帰った方がいいと言ってくれた。駅まではじいちゃんが送ってくれるらしい。


「わしらは歳だからな。車で行く方が危ないじゃろう。少し後で新幹線で向かうから、とにかく椋介だけでも早く帰りなさい」


 荷物自体は大したことないから、すぐに準備はできた。それが終わるとすぐに町に一軒だけのコンビニに向かい、スマートフォンで購入した夜行バスのチケットを買った。当日券ということもあって割高だったけど、構わなかった。


 コンビニから帰宅したはいいけど、出発までまだ時間があった。とはいえ落ち着けるはずもなく、僕は部屋の中で悶々としたまま、一向に進まない時計の針を恨めしく眺めていた。


「……椋介、その、なんちゅうか……突然やったな」

「……ん」


 これまで気遣わしそうに僕を見ていたオルカが、おずおずと声をかける。そこで、今まで準備に追われていた僕は、ひとつの希望を見出した。楓は轢き逃げに遭って重傷。でも、オルカなら。


「ねぇオルカ、お願いがあるんだけど」

「なんや? まぁ、大方予想はつくけどな」

「うん。楓を助けて。僕は今回、どんな代償を払ったらいい?」


 これまでの僕個人の願いと違って、人間の命に関わる願いだ。どんな代償が待っているのか予想もつかなかったけど、妹が助かるなら安いものだと思えた。


 だけど、僕の希望は呆気なく潰えた。


「……すまん、椋介。お前の気持ちは痛いほど分かんねん。分かんねんけど……その願い、俺は叶えてやれん」


 何を言われたのか理解できなかった。あえて、理解しないようにすらした。だけど、やっぱりそこまでできるほど僕の頭は鈍ってなくて、代わりに困惑と、少しの怒りが湧いてきた。


「どういうことだよ、オルカ」

「どうもこうもない。そもそも、その願いを叶えるために、お前がどんなに行動しても、俺は叶えられんのや」

「どういうことだよ!」


 大声を出してやろうと思ったけど、下の階にじいちゃんとばあちゃんがいることを無意識に気にして、それほど大きな声にはならなかった。小さな打算を自覚しつつも、今はオルカに対する怒りの方が勝っていた。


「またいつもの、お得意の後出し例外かよ。人の心は操ってないし、殺しもしてないよ。むしろ人を助けてってお願いなのに、なんでダメなんだよ」

「せや。お前が言っとることはその通りや。でもな」

「……もういい」


 僕は大きく息を吐きながら、自分でもびっくりするほど低い声で、オルカの言葉を遮った。


「もういい、分かったよ。悪魔なんかに頼んだ僕がバカだった。もう消えて。顔も見たくない」


 そう吐き捨てて、オルカに背を向けてどっかりと畳に座った。オルカがどんな表情をしているかは見えなかった。長い沈黙が下りた。オルカの気配はまだ消えていない。


「……すまん」


 長い沈黙の後で、オルカは絞り出すようにそう言ったきり、姿を見せなかった。


 K県の駅まで、夜行バスでおよそ8時間。しかし、当然リラックスできるわけもなく、オルカに対する怒りも尾を引いて、僕はどこかカッカした気持ちで席に着いた。


 乗客はそれほど多くない。みんな、眠そうな気の抜けた顔をして、のっそりと席に着く。それを見て、不意に猛烈な怒りが再燃した。僕の妹は重傷で、僕はこんなに不安でたくさんなのに、世界は驚くほどのんきなものだった。


 全く眠くなかったけれど、発車と同時に僕は目を閉じた。今は、妹のことだけが気掛かりだった。


 いつの間にか眠っていたらしい。でも、目はしっかりと冴えていた。バスはまだ走っている。


 不意に、車内に女性のアナウンスが流れた。次の駅が終点、僕の地元の駅だった。10分もすると到着した。手荷物を掴んで、停車と同時に寒い車外へと飛び出した。


 懐かしい地元の大きな駅。時刻は朝の七時前だというのに、すでに人は動いていた。ここらではまだ少ない方だけど、母さんの地元に比べたらとても多い。あと一時間もすれば、むせ返るほどの人が駅を行き交うだろう。楓が搬送された病院は、ここから少し遠い。最寄り駅を調べ、僕は券売機へと向かった。


- - -


 乗り換えなどで少し時間を食い、病院に着いた頃には朝の九時半になっていた。病院の受付はすでに開いていた。受付の人に名前を名乗ると、集中治療室への行き方を教えてもらい、早足でそこへ向かった。


 集中治療室に入ると、真っ先に目に入ったのは、ベッドの上で眠る楓だった。体のあちこちによく分からないチューブを付けられ、それが様々な機械に繋がれている。傍らには点滴の袋がぶら下がっている。何と言っても、楓自身の姿があまりに痛々しかった。体中に包帯を巻かれ、口元には呼吸器のようなものを付けて、ピクリとも動かない。僕は呼吸が止まるのを感じた。


 傍らには母さんがいた。家を離れて半年も経っていないのに、10年は老け込んだように見える。憔悴しきった目で、ベッドの上の楓をぼんやりと見ていた。僕が入ってきたことにたった今気付いたかのように、よろよろとこっちに顔を向ける。


「椋介……」

「母さん、楓はどうなの?」

「手術は無事に終わったわ。でも、頭を打っていて、しばらくは目を覚まさないかもって……」


 全身がずしりと重くなって、足がリノリウムの床に沈み込むのではないかと思った。頭がクラクラする。よろめくように楓に近付いて、近くに会った丸椅子に座り込んだ。


 楓がしばらく目を覚まさないかも知れない。そんなの信じられなかった。僕の知っている現実じゃない。でも、そう思ったところで、目の前で眠る痛ましい妹の姿はなにひとつ変わらなかった。


 長いこと僕も母さんも無言だった。無機質な機械の音だけが、空しく部屋に響いている。


「父さんは?」

「いま、警察に行っているわ」

「……そっか」


 楓は轢き逃げにあった。これは事件なんだ。警察が動くのも頷ける。でも、なんで楓なんだ。よりにもよって、僕の妹なんだ。僕は無意識に拳を握りしめた。


 オルカはまだ姿を見せない。でも、今は顔を見たくなかったし、考えたくもなった。いざというとき、いつも後出しで条件を伝える卑怯な悪魔。僕の願いは何でも叶えると嘯きながら、僕の妹を助けてくれない、役立たずの悪魔のことなんて、いまは考えたくもなかった。


 しばらくそうして、母さんと二人で楓のそばにいた。たまにぽつりぽつりと言葉を交わすけれど、それも長くは続かなくて、規則正しい機械の音以外はずっと静かな時間が続いた。


 父さんが病室に来たのは昼過ぎだった。母さんほど老け込んではいないけれど、険しくて鋭い目をしていた。楓の姿を見ると、鋭い目の光はなくなって、母さんと同じような沈んだ色になった。


「椋介、すまなかったな、迎えに行けなくて」

「いいんだよ、父さん。警察に行ってたんだってね?」

「あぁ、これはれっきとした事件だ。必ず犯人を捕まえますと、警察の人も言ってくれた」


 再び、鋭い光が父さんの目に宿る。こんなときなのに、父さんの目は戦記ものの小説に出てくる戦士みたいだな、と、僕はぼんやりと考えた。


 しばらくして、父さんに実家まで送ってもらった。住民のいない家は、静かで、寂しそうだった。


「父さんは一度、病院に戻るよ」

「うん」

「夕方には戻るからな」

「うん」


 それだけの会話を終えると、父さんは再び出ていった。車のエンジンがかかり、その音が次第に遠くなる。僕はひっそりとした家に、ぽつんと立っていた。


 体を引きずるようにして、二階にある自分の部屋へと向かった。扉を開けると、そこには半年前と変わらない部屋。母さんが毎日掃除をしてくれていたんだろう。埃ひとつ落ちていなかった。


 荷物を床に投げ出し、ベッドに座った。内田君、大川さん、千田さんに、妹が事故にあって実家に戻っていること、年末や正月はそちらにいないかもしれないことを連絡して、僕はベッドの上で横になった。


 なんだか、眠い。夜行バスで眠りはしたけど、どっちかと言うと、意識を失っているという方が近かったかもしれない。自分の体が未だに強張ったままだということに、今更ながら気付いた。


 もういいや。眠ってしまおう。どこか投げ遣りな気持ちで、僕は上着も着たまま、目を閉じた。こんな状況だというのに、僕はあっさりと眠りに落ちた。夢は見なかった。


- - -


 楓が目を覚ましたのは、それから一週間後だった。うっすらと目を開けて、家族の顔を見た。


「……お母さん」

「楓、無理して喋らなくていいわ」


 母さんは切羽詰まったようにそう言った。楓は目だけを動かして僕を見て、驚いたように目を見開く。


「……兄さん」

「ただいま。帰って来たよ。無理して話さなくていいから」


 そう言うと、楓は不意に目を潤ませて、一筋だけ涙を流した。その涙が、一体どういう感情なのか、僕は計りかねて困惑した。やがて、楓は絞り出すようにぽつりと、


「……ごめん」


と言った。


「楓が謝ることはひとつもないよ。話さなくていいから、ね?」


 僕がそう言うと。楓はゆっくりと目を閉じた。


 轢き逃げの犯人が捕まったのは、それから更に2日後。大学生で、飲酒運転をしていたらしい。当日のことは酔っていて覚えていないと、容疑を否認しているらしいが、警察の調べで、犯人と見て間違いないとのことだった。


 このことに、僕たち家族は激怒していた。特に父さんと母さんの怒りは凄まじく、この件に関してはどこまでも相手を追求し、法の下で裁かせてやると息巻いていた。


 僕の家は、かつてないほどの敵意に満ち満ちていた。家族みんなが臨戦態勢に入ってしまったかのようだった。


 少し遅れてやってきたじいちゃんとばあちゃんを始め、親戚の人たちも「絶対に犯人を許さない」と怒っているらしく、何人もの人がうちへ来たり、父さんと母さんに応援の電話をしたりしているのを聞いた。


 僕も、犯人への怒りは持っていたけど……周りの人たちの怒りが物凄すぎて、なんとなく気後れする気持ちもあった。


 そして、冬休みも残すところあと3日という日。僕は、家族を残して、じいちゃんとばあちゃんの家へと一度戻った。

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僕と悪魔と。 藤野 悠人 @Nachtigall_0216

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