恋するヘタレとコーヒーと

 翌日から、僕は大川さんと極力会わないように努めた。


「いやいやちょっと待ちや」


 ……という導入から、いきなり待ったをかけたのはオルカだ。


「ちょっとおかしない?」

「なにが?」

「いや、なにがって。昨日、一緒に散歩したやん?」

「したね」

「これから積極的に結希ちゃんと関わっていこうってなる流れやん。なに思い切り避けとんねん」


 オルカは面白くなさそうに……実に、心の底から面白くなさそうにそう言った。僕に言わせれば、流れってなんやねん、て感じだ。


「ん~、なんか、上手く話せない気がする」

「なんやジブン、ただのヘタレか」


 オルカの言葉は、本当に容赦がなかった。


 僕は大川さんとあまり話さなくて済むように、細心の注意を払って生活するようになった。これまでは毎朝通学路で会ってしまっていたけれど、鉢合わせしないように別のルートを通ったり、時間をズラしたりするようになった。


 学校に着いても、できるだけ会わないよう、なんとなく避けるようになっていた。大川さんが図書当番の日には図書室には行かなくなったし、万が一図書室に大川さんがいるようなことがあれば、即座に本棚の影に隠れて、視界に入らないようにしながら、静かに、かつ自然に、図書室を出た。


 そういった数々の努力のおかげか、ここ一週間、大川さんとは会話はおろか、挨拶さえ交わしておらず、しかも目も合わせていない。僕としては完璧と言える。


「しょうもない努力やなぁ」


 一週間が経ったとき、オルカは心底つまらなそうにそう言った。


「好きな女の子と距離つくる行動に力入れてどないすんねん。フツー逆やろ、逆」

「じゃあお願いがあるんだけどいい?」

「ええで、どんとこいや」

「大川さんを見ても動揺しない、強い精神力が欲しい」

「それは無理や。『人間の心を操ること』に含まれるからな」

「肝心なところはいつもそれだよね」


 はぁ、と僕はため息をついた。自分でも分かっている。この一週間の僕の行動は、はっきり言って不毛だ。何も生み出さないし、何も起こさない。ただただ、『大川さんと会話をしない、目も合わせない』という時間が過ぎただけだ。大川さんと距離が少し出来ただけで、それ以外に何の意味もなかった。何より、変に神経質になった気さえする。


 ここ一週間は、内田君と一緒にいる時間が、今まで以上に多くなった。こういうとき、学校の中での僕のコミュニティの狭さを思い知った。なんだかんだで転校して3ヶ月の僕には、内田君と大川さんと千田さん以外の知り合いがいないのだ。クラスの中にもはっきりとグループができていて、今更そこには入れない。


 なかなかどうして、難しいもんだ。


- - -


 期末テストが近付いていた。


「今回はどう?」

「んー、普通、かな」


 内田君とそんな話をしながら、僕は教科書の基礎問題を何度も反復していた。はっきり言って退屈だし、あまり勉強している感じも出ない。しかし内田君曰く、基礎問題の解き方や、数式がほぼ自動で書けるようになれば、数学は怖いもんナシ、らしい。


「何事も反復練習だよ」


 勉強するときの内田君の口癖だった。学問に王道なし、ということなんだろう。


 中間テストのときと同じく、図書室で僕たちは勉強していた。ただし、内田君よりも少し早く来て、出入り口からあまり見えない場所を確保するようになった。きっと、大川さんも図書室には来るだろう。自分の勉強をしたり、友達に勉強を教えたりするために。そのときに顔を会わせなくても済むように、あまり目につきにくい場所にいたかった。


 期末テストは一週間かけて行われる。教科の数がほぼ倍近くなっていて、それだけでも大変なのに、なぜか揃いも揃って内容が難しい。正直、オルカにカンニングのお願いをしようかとも思ったけれど、僕の勉強に付き合ってくれる内田君のことを考えると、そんなズルはしたくなかった。


 カリカリとシャーペンを走らせる音だけが、しばらく図書室に響く。僕たちだけでなく、図書室には他にも何人もの生徒が教科書とにらめっこをしていた。


 しばらくすると、「あ、そういえばさ」と内田君が口を開いた。


「秋山君、最近大川さんと全然話さないじゃん。喧嘩でもした?」


 シャーペンを動かす手が止まる。一瞬、頭が真っ白になった。


「いや、してないよ」

「そっかぁ。でも最近、話してるとこ見ないよな。挨拶もしないし」

「そうだっけ?」

「そうだよ」


 平静を装い、シラを切る。内田君はいつもニコニコしていて穏やかそうだけど、周りをしっかりと観察しているところがある。この3ヶ月一緒にいて、内田君のそういうところを、僕はなんとなく感じ取っていたけど、無意識に、自分はそういう観察対象からは外れていると思い込んでいた。


「悪魔さん、なんか知らないの?」


 周りにはほとんど聞こえないほどの大きさで、でもオルカや僕にはしっかりと聞き取れる程度の絶妙な加減で、内田君はオルカへと、質問の矛先を向けた。


「俺も分からへん。椋介が何も言わへんからな」


 オルカは、自分も全く分からない、自分に何も言わないとは甚だ遺憾だ、とでも言いたげな表情で僕を見る。堂々と嘘をつく上に、この面の皮の厚さ。なんと白々しい奴だ。


「あんた悪魔でしょ。秋山君の心を読むとかできないの?」

「でけへんことはないけど、それはやったらアカンねん」

「なんで?」

「そういうルールがあんねん」

「ふ~ん」


 淀みなく放たれた言葉と、堂々たる態度。それを見た内田君は、信じてはいないようだけど、オルカからも聞き出すのは無理だと判断したらしく、それ以上追及しなかった。


 とりあえず、内田君の追及は免れた。


「あ、二人ともおつかれー」


 と思っていた矢先に、更なる受難がやってきてしまった。見ると、そこには千田さんと、顔だけは知っている隣のクラスの女子がひとり、クラスメイトの女子がひとり、そして、大川さんがいた。


「なんか最近見ないなぁ、と思ってたけど、今日はふたりで勉強してんだ?」

「いや、ずっと勉強はしてたよ。秋山君が、ここの席がいいからって、ずっとここでやってただけ」

「そうなの? まぁ、あたしら図書室入ってすぐのとこでいつも勉強してたし、そりゃ気付かないか」

「あー、その、人の出入りする音がどうしても気になっちゃって」

「ふ~ん」


 苦しい言い訳だと思いながらも、僕はそうやって弁明した。チラッと大川さんを見ると、隣のクラスの女子と話していた。「そういえばあの人、2学期に転校してきた人だっけ」「そうだよ」という会話が聞こえた。


 ……大川さん、けっこう髪が伸びたな。でも、まともに顔を見なかったのはここ一週間だから、そんなに変わっているはずはないんだけど。


 ……あ、そっか。今日は髪型がいつもと違うんだ。だから、なんとなく「伸びたんだなぁ」と感じるのかもしれない。あれ、あの髪型。なんていうんだっけ。ポニーテールじゃない。後ろの髪を半分だけ結んで、長いひと房の髪が、流れた後ろ髪の上に乗っているから。


「結希、髪伸びたら絶対これ似合うって」


 少し前、千田さんがそう言って、スマホで見せてくれたあの髪型。そのとき名前も聞いたんだけど、なんていうんだっけ。あぁ、でも、千田さんのアイデアは的確だ。あの髪型、大川さんにすごく似合っている。


 そんなにジロジロ見てたわけじゃないけど、大川さんがふとこちらを見て、目が合ってしまった。すると、一週間前までのように、ふわりとした笑顔を浮かべた。心臓がドクンと大きく跳ね上がった。


「おつかれ。そういえば、なんか秋山君と話すの、久しぶりだね?」

「あ、ええと、そうかな?」

「そうだよ」


 大川さんは軽く一歩、僕に近付いた。黒いはずなのに、ガラス玉のように透き通った瞳を、本当に久しぶりに見た。


「今回はどう? 順調そう?」

「まぁ、なんとか」

「そう、お互い頑張ろうね」

「うん」


 そこまで話したところで、どちらからともなく会話は終わって、大川さんは他の三人と席へ着き、僕たちも僕たちで勉強を続けた。


 まだ、心臓は落ち着きなく脈を打っている。少し暑い。じわり、と額にむず痒さと湿ったような感じが噴き出す。無意識に左手で軽く拭った。


 そうして、その日も完全下校時間近くまで、僕たちは図書室で勉強した。


- - -


「秋山君、今日ちょっと寄り道しようや」

「え? でも勉強あるし」

「いまの秋山君なら余裕っしょ。まだテストまで一週間あるし、今の時点であれだけ問題が分かれば、あとはなんとかなるって」


 内田君のその言葉に流され、僕はまっすぐ家へ帰る道ではなく、学校の近くの川沿いの道を、内田君と二人で歩き始めた。今日は少し風が吹いていて寒い。この町の12月は、海から吹きつける風の季節だった。今日はそれほど大したことないけど、もっと強く、冷たい風が吹きつけてくる日がある。僕の知っている冬は、もっと風は静かに吹いているものだったけれど、この町の人たちにとっては、風のある冬というのが普通らしい。


「今日はまだマシだな」

「僕はやっぱり、まだ慣れないな」

「俺は全然平気や」


 詰襟姿にマフラーを巻いただけの内田君、ジャンパーを着込んだ上にマフラーを巻いた僕、そして、いつかの散歩のときと同じような服装のオルカの三人で、なんとなく、町に一軒だけあるコンビニの方へ向かって歩く。


「っていうか悪魔さん、いつの間に着替えたの? いつも同じ服装だったと思うんだけど」

「そら悪魔やから。早着替えなんてお手の物や」

「答えになってないよね、それ」


 そのやり取りも、いつかやった僕とオルカのやり取りと同じようなものだった。


「オルカは人間の世界の暑さ寒さは感じないんだって」

「まぁ、そうだろうね。悪魔だし」

「せやで。この早着替えも、まぁ気分やな」

「いつも同じ服装なのに?」

「毎日毎日服を変えるんは面倒や」


 オルカは意外に気まぐれだった。


 弱いながらも常に風が吹いていると、顔は寒い、冷たいを通り越して、やや軽い痛みを感じ始めていた。手は当然、ずっとジャンパーのポケットの中だ。そのタイミングで、町に一軒だけあるコンビニに着くと、内田君が両開きのドアの一方を押して中に入った。僕もそれに続く。オルカは閉まっている方のドアをすり抜けて店内に入った。


 風で冷え切った顔や耳に、店内の暖房が心地よかった。ようやく暖かい場所にこれたことで、なんとなくホッとした。店内には僕らの他にも3人ほどのお客さんがいた。コンビニって、もうちょっとお客さんがいるイメージだったけど、所変われば店内の様子も変わるらしい。


 内田君はパンのコーナーへと向かった。なんとなく僕もそれに続く。


「このホイップクリームメロンパン、めっちゃ好きなんだよね」

「なんか、すごい甘そうだね」

「そりゃめっちゃ甘いよ。秋山君、甘いもの苦手?」

「いや、嫌いじゃないけど……甘すぎるのはちょっと。あんこは好きなんだけどね」

「俺は断然甘党だな。このメロンパンに、カフェオレ合わせたってイケる」


 そう言いながら、内田君はホイップクリームメロンパンを取り、紙パックのカフェオレを飲み物の陳列棚から取った。甘いメロンパンと、甘いカフェオレ……考えただけで胸焼けがしそうだった。


 僕も何かパンを買おうと思ったけど、いま食べたらたぶん晩御飯が食べられなくなると思ったので、【微糖】と印刷されたホットの缶コーヒーだけにした。


 僕らはそれぞれ会計を済ませると、またドアを押してコンビニを出た。オルカは今度も開いていない方のドアをすり抜けて出てきた。


「ここで飲み食いするにはさすがに寒いな」

「そうだね」


 僕は左ポケットに入れた缶コーヒーを、ポケットの中で転がしていた。温かい。左手だけが、じんわりと温かくなる。


「……あ、そういえば、図書館の中に、小さい休憩スペースあったな」

「あぁ、そういえば」


 図書館の一角に作られた場所で、唯一図書館内で飲食ができる場所だ。


「あそこ行くか。ここから近いし、まだ閉館まで一時間くらいあるし」


 僕たちはまた寒い中を歩いて、図書館へと向かった。左ポケットの缶コーヒーは、次第にぬるくなっていった。コンビニから歩いて10分弱。僕らは図書館の中に入った。


 入った瞬間、暖房の暖かさと心地よい木の匂いに包まれた。そういえば、12月に入ってから、一度も図書館に来ていないことを思い出した。司書さんに軽く会釈をして、僕と内田君は入口近くにある休憩スペースに入った。


 休憩スペースと言っても、背の高いパーテーションで外と区切り、布地のベンチがふたつ、L字に並べられて、紙コップ式の自販機が1台あるだけの、6畳弱のスペースだ。食べ物の持ち込みはよくないけど、大声で話したり、堂々と弁当を食べたりしなければ、司書さんも黙認してくれる。


 内田君はベンチに腰掛けた。オルカは内田君が座らなかった方のベンチに。僕は内田君の隣に座って、ポケットから缶コーヒーを取り出した。缶はかなりぬるくなってしまっていた。内田君はホイップクリームメロンパンのビニール袋を開けると、ムシャムシャと食べ始めた。2口で半分近くがなくなった。紙パックのカフェオレにストローを挿して飲む。う~ん、やっぱり胸焼けしそうな組み合わせだ。


「あ~、うまいわ、これ」

「すごいね。僕は絶対無理だ」


 僕はぬるくなって微妙な甘さになった微糖のコーヒーを、ゆっくりと口に含む。うん、やっぱりホットの缶コーヒーは買ってすぐ飲んだ方がいいな。


「なぁ秋山君さ」

「なに?」

「俺の思い違いだったら悪いんだけど、もしかして、大川さんのこと気になってたりする?」


 コーヒーが器官に入って、僕は盛大にむせた。喉に詰まったコーヒーは、何度か咳き込むうちに胃へと流れていった。少し荒くなった息を落ち着かせて内田君を見ると、何事もなかったかのようにメロンパンを頬張っていた。オルカは「あらあらまぁまぁ」と、妙に芝居がかった口調で発した。


「な、なんで……」

「あー、正解かー」


 そう言うと内田君は最後のひと口を放り込み、カフェオレでそれを飲み下した。


「悪魔さん、秋山君て、けっこう分かりやすいね」

「せやろ」

「っていうかその様子なら知ってたろ。なんで図書室で知らんぷりしたんだよ」

「俺がバラすようなことでもないしな」

「内田君、いつから気付いてたの……?」

「んー、ここ何日か。確信したのは今日」


 あぁ、やっぱり、内田君はよく見ているなぁ。


「人が急に口きかなくなるのって、だいたいケンカしたか、一方的に避けるようになるかのどっちかだからね」

「そう……」

「でも今日、大川さんはいたって普通に話してたから、ケンカじゃないなって。で、そういえば秋山君、最近大川さんをチラチラ見てたし、なんか今日は……なんていうかな、ちょっと見とれてるようにも感じたから」


 内田君はカフェオレの残りを一気に飲み干した。ズゾゾゾ、と音を立てて、紙パックがへこんだ。オルカが小さく拍手をしているのを見て、思わず小さくため息をついて、僕も冷えかけた缶コーヒーを一気に飲み干した。甘ったるい匂いが、喉を通って、今度は素直に胃に収まった。


「……内田君にふたつ、言いたいことがあります」

「どうぞ」

「ひとつ。大正解。確かに僕は大川さんが好きです。ふたつ。あなたは探偵か何かですか?」

「秋山君が分かりやすいだけだと思います」


 今度は大きく、かなり大きくため息をついた。僕は観念したように天井を仰ぐと、背もたれに全体重を預けた。


「いやぁ、内田君、見事なもんやなぁ」

「まぁ、大川さん可愛いからね、気持ちは分かるよ。ライバルも多いと思うけど」

「マジ?」

「マジ。噂だけど、3人くらいは片想いしてる男子はいたと思う。あと、1年生のときに、一個上の先輩ひとり、同級生ひとりに告られてたな。どっちもフッたらしいけどね」


 あー、大川さん、やっぱり人気あるんだなぁ。でも、なんだかんだ自分の意見はちゃんとありそうだし、勢いには流されなさそうだなぁ。自分の好きな相手は人気があるんだと分かって、なんだか嬉しいやら、焦った方がいいのやら。


「ちなみに、片想い男子たちの中には、1年のときフラれた奴も入ってるっぽい」

「はぇ~、未練がましいやっちゃなぁ。そんな男は嫌われんで」

「それな」


 オルカと内田君、なんだかんだで意見が一致することは多いなぁ。そんな考えが頭をよぎった。


「……ちなみに質問なんだけど、内田君はどうなの?」


 僕は天井を仰いだまま内田君に訊いた。


「俺? 違うよ」

「あっそー……」


 その言葉を聞いて、なんとなく安心したよ僕は。よっこいしょと大げさに姿勢を戻す。スマホで時間を確認する内田君と、両手を頭の後ろで組んでニヤニヤしているオルカがいた。僕の気持ちは、ここまでバレていたなら、もっと早く言ってしまえばよかったなぁ、という後悔と、開き直ってとことん話そう、というふたつの感情に落ち着いていた。


「ねぇ内田君」

「ん?」

「今日大川さんがしてた髪型、知ってたら教えて」

「ハーフアップ、の簡単なやつかな」


 あぁ、そういえば、千田さん言ってたな。「結希は絶対、ハーフアップが似合うよ」って。


「秋山君、あの髪型好きなの?」

「うん。あと超似合ってて可愛かった」

「確かに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます