ヘタレが恋をした場合

 帰宅して部屋に入ると、スマートフォンにイヤホンを挿して、赤い再生マークの動画サイトにアクセスした。検索バーに「ロック」「洋楽」などの文字を打ち込んで、一番上に表示されたサムネイルをタップした。普段の僕なら絶対に選びそうもない選曲だ。


 知らないロックバンドが、イヤホンの向こうで何かを叫び始めた。曲調が速すぎて、何を喋っているのかは全く分からない。というか、どうやら洋楽だったらしい。とりあえず「男の声」というのは分かったけど、単語のひとつすら聞き取れない……正直、うるさい。聞き慣れない洋楽は、ただただ耳障りだった。吠えるボーカルと騒ぐギター、唸る低音に、打撃音にしか聞こえないドラムの乱痴気騒ぎに耐えかねて、とりあえず邦楽っぽい曲を探してみる。


 しばらく探すと、名前が日本語のアーティストを見つけた。即座にタップ。すると、流れ始めたのはしんみりとしたバラードだった。


『あな~たの~残したものが~、この~胸に~、あふ~れ~てる~』


 しかもなんか恋愛ソングっぽかった。いや、この様子だと失恋ソングかな? どっちでもいいけど今はこんなの聞きたくない。次。


 そんな感じで、音楽っぽいを動画を片っ端から選んでは次へ、選んでは次へと変えていった。音楽は普段聞かないし、こうして聞いてみてもやっぱり全く興味はわかなかった。っていうか恋愛ソング多すぎないか? そういう切ない系は求めてない。でも、騒がれるのも嫌だ。なんか、もっとこう、落ち着ける感じの曲はないのか。


【ボーカル ない 曲】


 そんな単語を検索バーに打ち込む。一番上に表示されたのは「一般人がカラオケで歌っても引かれない曲」。ボーカルのない曲っつってんだろ。


「あぁ、もう」


 イライラしながら、ボーカルがないことを知っているモーツァルトの曲を検索することにした。サムネイルの種類がガラリと変わった。なんとなくモノクロっぽいサムネイルが増えた。ついこの前聞いた曲のサムネイルの下辺には、赤い線が入っている。


 どれにしようか少しだけ迷って、一番聞き馴染みのある『2台のピアノのためのソナタ』を選んだ。軽快で愉快そうなピアノ曲が流れ始めた。

 ……うん、今度はさっきまでのような不快感やイライラは」やってこない。とりあえず大丈夫そうだ。


「ふぅー……」


 ようやく人気の少ない所に来てホッとしたときのような、息の詰まりそうな場所から解放されたときのような安堵感を覚えた。うん、やっぱり変に人の声がない方がいい。


 だけど、下手にリラックスできる状態に持って行ったのが、どうやらまずかったらしい。


 余裕のできた頭の中に、大川さんの顔が浮かんだ。


「…………うわああ~」


 僕、たまらず机に突っ伏す。やっぱりだめだ。興味のない音楽で思考停止しようにも、頭はぐるぐるして止まらなかった。今朝は珍しく寝坊気味だったので、布団が敷きっぱなしだ。机を離れて、布団にうつ伏せで倒れ込み、頭の代わりに今度は枕を抱えた。イヤホンは気付いたら外れていた。


「ううぅぅ~……」

「おもろいなぁ、椋介」


 オルカは僕を茶化すように、のん気に笑っている。


 その時、トントンと下から階段を上がってくる音がした。たぶんばあちゃんだ。スーッと襖が開いて、予想通り、ばあちゃんがそこに立っていた。


「椋ちゃん、ごはんだよ……どうしたの、眠いの?」

「いや、違うよ。ごはん食べる」


 いつも美味しいばあちゃんの料理が、なぜか今日はあまり味がしなかった。


 ご飯を食べて部屋に戻ると、勉強をしようと教科書を取り出した。今日の復習をちょっとと、少しだけ教科書を読む。僕の予習はそんな感じのゆるいものだが、さっと目を通すだけでもけっこう違う。


 しかし、勉強に向けようとする意識は、いつの間にかどんどん道を外れて、ある女の子のことへと向かっていた。


 違う、今はそれを考えたいんじゃなのに。そう思っても、やっぱり自分の言葉からは逃げられなかった。


 僕は、大川さんが好きだ。大川結希という、同じクラスの女の子が好きだ。


 綺麗な黒い髪。白い肌。線が細くも凛とした顔立ち。そして、何よりも目を引く、大きくて透き通るような黒い瞳。この3ヶ月で見た、いろんな大川さんの顔が現れては消えていく。


 転校初日、戸惑いながらも話しかけてきてくれたときの顔。


 テスト勉強を一緒にしている僕と内田君を珍しそうに見る顔。


 毎朝見る、少し眠そうな顔。


 話しているときに見せる、ふわりとした笑顔。


 千田さんの内田君に対する好意に気付かない僕を見た、驚いた顔。


 そして、好きな人がいても教えないと言って、いたずらっぽく笑った顔。


 何かに憑りつかれたように、僕の頭の中は大川さんでいっぱいになる。


「……どうしよう」

「どうしようもないやろ」


 思わず零れた言葉に、オルカは呆れたように返事をした。僕は頬杖を突きながらオルカの方へと向き直った。オルカも窓際に頬杖をつきながら、やれやれといったような表情を浮かべていた。


「好きになってしまったもんはどうしようもないわ」

「そうだけど……」

「じゃあ逆に質問やけど、椋介はどうしたいんや?」

「え?」

「せやから、結希ちゃんのこと好きなんやろ、ジブン」

「うん」

「ジブンはどないしたいねん。具体的に言うと、結希ちゃんとどないな関係でいたいねん」


 大川さんと、どんな関係でいたいか? そりゃ、クラスメイトで、友達で……いや、それは現状の関係か。大川さんとどうなりたいのか?


 それはもちろん付き……。


「おいおい、顔真っ赤やんけ」


 その先の言葉を具体的に考えた瞬間、顔から火が出るかと思うくらい、熱くなった。僕は頭を抱えて、その場で丸くなった。


 大川さんと話したい。


 そう思ってスマホを持ってライムを立ち上げたまではいいけれど、そこでピタリと手が止まってしまった。


 なんて送ったらいい?


 いや、そもそも急にライム送って変に思われない?


 なんでもないのにライムして気持ち悪いとか思われない?


 いや、そもそも返事するのも面倒って考えてたら?


 仮に、仮にそれらが全部杞憂だったとして、どんな会話をすればいい?

 そういった考えが次々と脳内を駆け巡って、僕の手はそれ以上先に進まななくなってしまった。


 布団にごろんと横になって、なんとなくライムを開いたり、閉じたり、別に興味のないことを検索してウィキペディアを開いたりしているうちに、気付いたら30分以上も経っていた。


「何しとんねん椋介。そうしとっても結希ちゃんには何にも通じへんで。テレパシーちゃうねんから」

「うん」


 オルカが後ろからそう声を掛けてくるけど、僕はただただ生返事を返すだけ。さすがのオルカも「ダメだこりゃ」と言って、それっきり何も言わなくなってしまった。


 何か、気を紛らわせることが必要だ。何をしよう。勉強はダメだ。今日は手につきそうにない。音楽もダメだ。興味が無い。このぶんだと、きっと読書したって文字なんか読めないだろうな。


 なんとなく、体を動かしたかった。激しいものじゃなくて、とても軽い運動だ。


「オルカ、激しくない手軽な運動ってなに?」

「散歩とかええんちゃう」

「ちょっと散歩行く。一緒に歩こう」

「ええで」


 僕はダウンコートのジッパーを一番上まで閉めて、首元までしっかりと防寒する。財布とスマートフォンをポケットに突っ込んで階段を降りる。すぐに玄関に向かおうとして、居間でテレビを見ていたじいちゃんに声をかけた。


「じいちゃん、ちょっと散歩行ってくる」


 じいちゃんは僕の方を振り返り、次いで時計を見た。


「ん、あんま遅くならんようにな」

「うん」


 玄関の床は冷たくて固かった。履き慣れたニューバランスのスニーカーも冷えていて、足を入れると冷たさが染み込むようだった。


 引き戸を開けると、冷たい空気がするりと玄関に入り込む。それを押し出すように、僕は体を前へと進めた。


 もう12月。この田舎町はそれほど極寒地でも、豪雪地帯でもないが、海と山に囲まれた町だ。風のある日は、とことん寒い。でも、今夜は無風で、雲ひとつない夜空に、月がぽつねんとしている。風がない代わりに、スーッと冷える夜だった。


「行こっか」

「あいよ」


 白い息を吐きながら、僕とオルカはどこへともなく歩き始めた。オルカはいつの間にか、黒いコートに青いマフラー、ニット帽まで被っている。


「オルカ、いつの間に着替えたの?」

「そら悪魔やから。早着替えなんてお手の物や」


 相変わらず答えになっていない。


「ま、言うても別に意味ないんやけどな。俺は人間世界の天気に左右されへんから、暑さ寒さも感じひんし」

「うん、知ってた」


 夏に僕がジリジリと太陽に焼かれているときも、オルカは涼しい顔で歩いていたし、毎朝登校するときの服装も変わらない。ずっと黒いシャツと、スキニ―ジーンズのままだ。


 なんとなく、足は公園の方へと向かっていた。あそこは広い。野球のグラウンドがあり、全体がその3倍以上ある。ぐるっと中を一周して帰れば、ちょうどいい時間だろう。


 公園手前の自動販売機で缶コーヒーを買った。パイプを咥えたダンディなあいつがトレードマークだ。温かい缶を手の中で転がす。


「オルカも何か飲む?」

「いらん」

「そう」


 僕はコーヒーを少しずつ飲みながら、オルカはボーっと空を見上げながら、僕らは人気のない公園の道を歩いた。空には相変わらず、月がひとりぼっちで佇んでいる。


 僕はオルカに質問されたことをずっとぐるぐると考えていた。


 僕は大川さんとどうなりたいんだろう。


「ねぇオルカ」

「なんや」

「僕、たぶんこれ初恋だと思う」

「マジで? 高2にもなって?」

「マジで。高2で初恋」


 今までの人生で、確かに「可愛いな」「美人だな」と思う女の子は何人かいたけど、ここまで考え込んでしまうような相手はいなかった。ここまで相手のことで頭がいっぱいになったことはなかった。


「はぁ~、17年も生きとって恋したことないってのも凄いもんやなぁ。イマドキの子はそんなもんなんか?」

「さぁ、どうだろう。僕もよく分かんない」

「分かんないってことはないやろ。前に住んでたとこではどやったんや」

「ん~、友達いなかったしなぁ、僕」

「あ~……そりゃ悪いこと聞いたな」

「別にいいんだけどね。高校までは別にいじめられることとかもなかったし」


 話し相手がいるというのは、いいものだ。こうしてなんとなく会話しているだけでも、なんとなく頭が整理されていっているように感じる。僕たちはそんな他愛のない会話をしながら、夜の公園をぐるっと歩いた。

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