小さな疑問

「悪かったな、こんな時間まで」


 内田君の家を出たとき、時刻は夜8時を過ぎていた。


「前の学校のこととか色々話せて、僕はなんかスッキリしたよ。家族以外で誰にも話したことなかったし」

「……そっか」

「それに、オルカのことを話せるのは、内田君しかいないしね」


 僕がそう言うと、オルカは内田君に向かってめちゃめちゃイイ顔をして、親指を立てた。


「改めて、これからよろしく!」

「あぁ……うん」


 それに応える内田君の表情はすごく微妙だった。そして、じゃあまた明日、と言って、僕は内田君の家を後にした。


 玄関のすぐ近くに置いた自転車にまたがり、家に向かって漕ぎ出す。あたりはもうすっかり暗くなっていて、道の途中にぽつりぽつりと建っている街灯と、家々の窓から見える明かり以外の光源はなかった。そして、真っ黒だった道を、自転車の小さなライトの発する光が、頼りなく照らしていた。空は晴れている。でも、今夜は新月なのか、月はなかった。


「ねぇオルカ」

「なんや」


 自転車の後ろに乗っているオルカは、家を出たときと同じように全く重さはなく、誰かが乗っている感じは全くしない。それでも、なんとなく後ろにオルカが乗っている感じはあるし、気配もある。なんだか変な感じだった。


「オルカの姿は僕以外には見えないって言ってたよね」

「せやな」

「これまで、内田君みたいに霊感の強い人に会ったことある?」

「まぁ、ごく少数やけど、おったな」

「どんな人たち?」

「ただ霊感が強かっただけの普通の人間が何人かと、エクソシストがひとりやな」

「エクソシストって?」

「悪魔退治が専門の人間や。日本で言う陰陽師やな」

「そんなの実在するんだ」

「おるで」


 それ以上の会話は続かなかった。ただ、僕と内田君とは、お互いに秘密を共有し合う関係になった。家に帰ると、ばあちゃんが心配そうな顔をしていた。


「椋ちゃんおかえり」

「ただいま」

「友達と仲直りはできたの?」


 僕はちょっと笑いそうになった。ばあちゃんには、「友達と話すことがあるから、ちょっと帰りが遅くなる」と連絡したのだけど、どうやら「ケンカした友達と仲直りをする」という風に受け取ったらしい。


「ケンカしたわけじゃないよ」


 ちょっとした勘違いが……それも、ちょっと普通じゃない勘違いがあっただけだ。


- - -


 翌日、内田君は何事もなかったかのように登校してきた。


「すみません、ちょっと体調悪くって」


 先生にはそんな感じで説明したらしい。これまで皆勤賞だった内田君の連続欠席には、先生もかなり心配していたようだが、なんとか納得してもらったとのこと。


 そして、先生以外にも、どうやら心配していたらしい人がいた。


「う~ち~だ~く~ん、心配したぞ、おまえ~」


 千田さんは内田君に会うなり、肩を思い切り揺すぶっていた。内田君の首がぐらぐら揺れる。


「ライムしても全部一言で返しやがって~」

「ごめんて。対応が悪かったのは謝るから」


 僕と大川さんはその様子を横で見ていただけだったのだが、ふと大川さんが何かに気付いたように千田さんに問いかける。


「あれ、彩花、内田君はのらりくらりとしてるから大丈夫でしょ、とか言ってなかった? 心配してたんだ?」


 大川さんのその発言に、一瞬千田さんはピタリと動きを止める。揺さぶられていた内田君の首もピタリと止まる。


「ま、まあ? 一応小学校からの腐れ縁だし? なんにも言わないのはちょっとな~、とか思って」


 早口でそれだけ言うと、千田さんは再び内田君の肩を揺さぶり始めた。心なしか、さっきよりも強めに揺さぶっているように見える。


「千田さん、ギブ、ギブ」

「う~る~さ~い」


 そろそろやめてあげないと本当に内田君の首が取れそうだったので仲裁することにした。僕の後ろでは、オルカが「若いなぁ」と、やけに年寄り染みたことを言っていた。なぜここでその発言なのか、よく分からなかった。


 そんなことがあった日の昼休み。


「まぁ、よかったね。内田君が素っ気なかったのって、ちょっと体調が悪かっただけみたいで」

「うん」


 今日は珍しく、僕は図書室に来ていた。そして、図書委員をしている大川さんと、カウンター越しにそんな話をしていた。最近学校に入ったシリーズものの小説が面白くて、それを借りに来ていた。内田君は「今日は眠い」と言って、昼食を食べたあとからずっと教室で寝ている。


 一応、大川さんには内田君が素っ気なかった理由を、「具合が悪くてあんまり話す余裕がなかった」ということにしている。これに関しては特に疑問を持たずに信じてくれているようだ。


 実際のところは、内田君がオルカを「除霊」するための作戦を考えるために、ひとりで考えていたというのが真相だった。これも、昨日の夜、内田君の家で本人から直接聞いた。


「でも、彩花が内田君のこと好きだっていうのには気付かなかったな~」

「うん?」


 千田さんは内田君が好き? え、今の話からどう繋がるのこれ。というより、かなり驚きの事実を聞いている気がするんだけど。


「ちょっと待って大川さん。千田さんって内田君のこと好きなの?」

「え? さっきのあれ見て気付かないの?」


 大川さんは信じられない、という表情で僕をまじまじと見た。綺麗な黒い瞳が、大きく見開いた目の中でキラキラしていた。


「秋山君……もしかして、かなり鈍い?」

「いや、さっきのあれ……っていうと、肩を揺さぶってたあれだよね?」

「うん、それ」

「いや、どこに内田君のことが好きっていう要素があったのか分からなくて」

「あちゃ~」

「椋介、お前、それはないわ~」


 目の前では眉間に手を当てて難しそうな顔の大川さん、すぐ隣には呆れたように手をヒラヒラさせるオルカ。なんでふたりはこんな顔をしてるんだろう。ただ、なんとなくふたりが持っている共通認識を、僕が持ち合わせていないらしいことだけは分かった。


「彩花のあれはね、照れ隠しなんだと思うよ」

「照れ隠し」

「そう。本当は普通に心配したいんだろうけど、なんとなく素直にそう言うのが恥ずかしいんだろうね」

「ツンデレってこと?」

「そうとも言うかも」


 大川さんは可笑しそうにふふっと笑った。2学期が始まったときより少し伸びた髪が、笑顔につられて揺れる。僕もなんとなく曖昧に笑った。


「そういえば秋山君、最近勉強はどう? 中間のときすごい頑張ってたよね」

「あぁ、うん、最近は何にも問題ないよ。授業にはついていけてるし、分からないところもない」


 中間テストが終わってからも、しばらく先生のところへ通ったり、質問をしに行ったりして、遅れたぶんを取り戻すために勉強していた。その甲斐あって、いまは普段の授業に関してはなんの問題もないし、不都合もない。


「よかったね、勉強ってどっかで遅れちゃうと、あとあと大変らしいから。お姉ちゃんが勉強後回しにする性格で、すごい苦労してたから」

「大川さん、お姉さんいるんだ?」

「うん。お姉ちゃんと私のふたり姉妹」

「僕も妹がいるよ。地元に残ってるけど」

「秋山君は一番上なんだね。全然そうは見えないけど」

「そうかなぁ?」


 その日は図書室が空いていて、人がほとんどいないのをいいことに、僕たちは昼休みが終わるまで、そうやって他愛もないことを話していた。


- - -


 千田さんは内田君のことが好き。そのことを内田君本人に言おうかどうか迷ったけれど、結局僕は言わないことにした。なんとなく、世の中の常識的に、「そういうもの」だと思ったからだ。


 昼休みが終わって5時限目。そんなことを考えながら、僕はノートの上の数式を淡々と解いていく。もともと理科や数学が得意なこともあって、すぐに授業が分かりやすくなったのは数学だった。


 ちらっと内田君を見ると、すでに問題は解けたのか、ぼんやりした顔で大あくびをしている。さすがは常に成績上位者だ。


 昼休みが終わったあとの、この時間の授業は、うつらうつらと船を漕いでいる人や、本格的に寝てしまっている人が多い。僕も、きっと集中力の維持できない古典などだったら、そうなっていただろうと思った。


 問題を解き終えて、首を軽く動かす。この学校に転校してしばらくは、無意識のうちに体に力が入っていたのか、すぐに肩が痛くなったり、気付けば息が止まっていたりしたけど、最近は全くそんなことがない。これも、オルカに出会えたおかげだろう。そのオルカは、僕のすぐ後ろの方で、大きないびきをかきながら寝ている。しかも宙に浮いて寝ている。


 隣の内田君が、先生の目を盗んで僕の肩をちょんちょんと叩いた。


「前から思ってたけど、ほんと自由だよな」


 声を潜めてそう言うと、親指でオルカを指した。僕は苦笑した。確かに、僕たち以外には見えないオルカは、気の向くままという言葉が似合いそうなほど自由だ。思わず何か言ってしまいたくなるのを我慢しなければならないこともある。


「まぁ、そういうもんだと思って、さ」

「ン」


 そこで会話は一区切り、ちょうど先生が問題の解説を始めた。


 それを聞きながら、僕はふと視界に入った大川さんを見た。大川さんは、窓際の一番端にいる僕の席から反対側、廊下側の前から2番目に座っている。視界の端ということで、転入初日、緊張で視野が狭くなっていた僕は、そこに夏休みに一瞬だけ出会った女の子が座っていることに気づかなかった。


 きっとあの日、オルカに「気の合う人」を望まなかったら、大川さんに会うことはなかったと思う。転校して同じクラスになったとしても、ほとんど関わることはなかったろう。思えば不思議なもので、今でこそ千田さんや内田君と共に大川さんと関わることが多いけれど、そこにはなんの必然性もない。後ろでのんびりと昼寝をする悪魔がもたらした出会いは、僕が想像していなかった形で続いている。もっと言えば、正直に言って、転入先の学校で友達ができるなど、僕はまったく考えていなかった。


 そこまでぼんやりと思い返したところで、ふとこんな疑問が頭をもたげた。


 大川さん、好きな男子っているんだろうか?

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