内田健太という少年

 文化祭から2週間。あれから特に何事もなく、オルカに願い事を言うこともなく時間が過ぎた。そんなある日の朝のこと。


「なぁ椋介、ちょっと思うんやけど」

「なに?」

「お前、俺にあんま願い言わへん気するんやけど、それにしたってあまりにも無さすぎちゃう?」


 制服に着替えていた僕に、オルカは不満そうに言った。椅子の背もたれが前に来るように座り、上半身は左右にブラブラと揺れている。


「んー、今のところは、必ずこれが欲しいっていうのはないかな」

「無欲やなぁ。これが悟り世代っちゅうやつか?」

「どうだろうね。それに、一番肝心なことに限っては、僕自身で気付かなきゃいけないんでしょ?」


 僕自身の本当の願い。オルカがどうして僕の前に現れたのか。僕なりに考えてみたのだけど、全く答えが思い浮かばない。それっぽい言葉も思いつかないし、一応言葉にしてみても、なんだかしっくりこない。


「というよりも、これ、答えがない気がするんだよね」

「ほ?」


 オルカは小さく首を傾げる。


「僕の本当の願いっていうのは、あのとき……オルカが現れたときに、僕が何をしたかったのか……ってことなんだろうけど。前の学校からここに来て、環境が変わったから、その願い自体がなくなってる気がする。オルカが僕の前に現れた理由に至っては、さっぱり分からないよ。僕は悪魔を呼び出す黒魔術なんてやってないし。本当にただの偶然としか思えないんだ」


 答えのない問いを、延々と考え続けているような感じだ。どこまで言っても、どんなに言葉をこねくり回しても、それらしい答えは出てこない。後から後から、反論するような言葉が自分の中で生まれてしまう。


 この問題、少し袋小路に入っているような気がしていた。


「……なるほどな。つまり、明確に答えは出てへんわけや」


- - -


 残暑も落ち着き、秋らしい涼しい季節になった。10月も下旬に差し掛かろうとしている。山は相変わらず緑が優勢だけど、その中に、赤や黄色などの色づいた木々が、ブチになって点在している。


 公園では、紅葉が綺麗に色づいているらしい。じいちゃんが散歩ついでに見てきたらしいが、なかなかに風流な眺めだった、とのこと。


 今日も今日とて、僕とオルカは無言で歩いた。僕たちの間では、外では基本的に会話をしない、という暗黙の了解が成されていた。理由は単純で、オルカが見えない人からずれば、僕が何もない空間に向かってひとりで喋っている光景が出来上がってしまうためだ。


 僕は耳にイヤホンを付けて、スマートフォンで音楽を聴いていた。うちの学校は校則がユルくて、持ち物検査もないので、通学中にはスマホもいじるし音楽プレーヤーも使う。今日聴いているのは、モーツァルトの『クラリネット五重奏曲イ長調』だ。以前、『二台のピアノのためのソナタ』を偶然見つけて以来、モーツァルトの作品を見つけては聴いて、探してはまた聴いて、ということをしていた。これはその中で見つけた1曲だ。


 相変わらずクラシック音楽のことはさっぱり分からないけれど、モーツァルトの曲は、なんとなくとっつきやすい印象だ。この曲の第一楽章も、秋の朝に聴くにはちょうどいい。


 学校が近付き、周囲に制服を着た人が目立ち始める。転校したばかりのときは涼しげな服装だった生徒は、今ではすっかり秋の装いになっていた。僕はイヤホンを外してリュックに突っ込んだ。


 教室に入ると、目の合った近くにいたクラスメイトが「おはよ」と小さく挨拶してくれた。僕も笑って、「おはよう」と返す。少しずつだけど、クラスに受け入れられているような感じがするから、この朝の挨拶は嬉しい。


 隣の席の内田君はもうとっくに来ていて、やっぱりスマホをいじっていた。


「内田君おはよう」

「ん、おはよ」


 内田君は眠そうな顔でこちらを見る。


「なぁ秋山君、最近、体調悪いとかないか?」


 内田君は唐突に、そんな質問をしてきた。


「え? ないよ?」

「ん、そっかぁ……」


 内田君はどこか納得いかないような、腑に落ちないような声でそう言ったきり、スマホを仕舞うと、机に突っ伏してしまった。いつもニコニコと柔和な笑顔を浮かべている内田君にしては珍しい。


 ……僕、何か変なんだろうか。顔色とか、表情とか。制服に汚れは……ない。内田君とは休み時間になればいつも雑談をするのに、この日は一言も話さなかった。更に、昼になって、いつもは一緒に弁当を食べるのに、内田君は授業が終わるなりさっさと教室を出ていってしまった。


 そんな状態だったものだから、一日を悶々と過ごすことになった。


「なんや珍しいこともあるもんやなぁ」


 その独り言から、オルカも同じことを思ったことが窺えた。


 放課後。内田君は授業が終わると、やっぱりそそくさと帰ってしまった。昨日までは普通に接していたはずなのに、なんだろう、これは……。すごくモヤモヤする。そんなわけで、これを近くにいる同級生に話したいと思った僕は、大川さんにこの話題を持って行くことにした。


「内田君に避けられてる?」

「うん、そんな気がするんだ」


 帰り道。大川さんと一緒に歩きながら、内田君の態度の変化について相談していた。


「ん~、具体的に何があったの?」

「まず、いつものニコニコした笑顔が全然ない」

「ふむ」

「お喋りも全然しないし」

「ほう」

「いつもは一緒に弁当を食べるのに、今日は四限目が終わるとすぐにいなくなっちゃった」

「たしかに、避けられてるっぽいねぇ」


 どうやら大川さんも同じように感じてくれたらしい。


「それにしても、笑顔が全然ない内田君って想像できないな」

「そうなの?」

「うん。一学期のとき、たまに話すこともあったけど、いつも優しそうにニコニコしてたから」

「うーん……」


 やっぱり、僕が何か内田君の気に障ることをしてしまったんだろうか。文化祭が終わってからも、何事もなく2週間過ごして、その間に何か……しかし、本当に思いつかない。僕が想像もつかないところで、嫌な思いをさせてしまった可能性もあるけれど、だとしたら何がまずかったんだろう……。


「まぁ、何か言いにくい悩みがあって、考え込んでるのかも知れないから、あんまり焦らずしばらく過ごしてみれば?」


- - -


 翌日、内田君は学校を欠席した。翌日も、またその翌日も欠席した。更に4日連続で欠席した日には、さすがに安藤先生も不審に思ったのか、内田君の席を眺めながら怪訝そうな顔をした。


「ふ~ん、内田君が4日連続で欠席たぁね……珍しいこともあるもんだねぇ」


 昼休み、僕と大川さん、そして千田さんは図書室に集まっていた。


「今ままではこんなに休んだことなかったの?」

「ないない。大事件だよ」


 僕の質問に千田さんはかぶりを振る。


「あたしと内田君は小学校からずっと一緒なんだけど、確か内田君、小学校からずっと皆勤賞だったはずだよ」

「マジで? それって普通に凄いじゃん」

「でしょ? 風邪引かないし、インフルに罹ったこともないんだって」


 更に聞いた話だと、内田君は花粉症やアレルギーをはじめ、持病らしいものはひとつも持っていないそうだ。


「朝眠そうなのは昔からだけど、それは大した問題にならないしねぇ。神様に愛されてるレベルの超健康体だよ」


 う~ん……、と僕たちは唸って口を閉じてしまった。大川さんは顎に手を当てて目線を横に、千田さんは難しそうな顔をして腕組みをし、僕は机に腕を置いて何となく天井に張り付いた蛍光灯を眺めた。


「何か、学校に来たくない理由でもあるのかなぁ」


 なんとなく、という風に千田さんは呟いた。


 学校に行きたくない理由。そんな様子あったかな。僕が避けられているように感じたのは、休み始める前日だった。それも急に、だ。その日までは何も変わったことはなかったように思う。いや、もしかしたら、内田君がポーカーフェイスの達人だから気付かなかった、というのもあり得るかもしれないけれど……。


「そんな風には見えへんかったけどなぁ」


 僕の気持ちを代弁するようにオルカが言った。とはいえ、その言葉は僕にしか聞こえないんだけれど。


- - -


 その日、帰宅してしばらくすると、内田君からライムがきた。


『なぁ、今からちょっと会えないか?』

「大丈夫だよ」

『図書館に来て。入り口のとこにいて』

「わかった」


 時計を見る。いまは16時半くらいだ。外はまだ明るいけれど、秋めいてきて、日が落ちるのも早い。普通なら明日にしてほしいと思うところだけど、内田君のことが心配なのもあって、僕はすぐに準備をした。着慣れたジーンズとパーカーを着て、財布とスマホをポケットに突っ込むと、実家から送ってもらった自転車に乗って家を出た。


「急にどないしたんやろなぁ」

「分かんないけど、すぐ行きたい」


 オルカは荷台に乗っていて、僕たちはちょうどふたり乗りをしている格好になった。だけど、オルカが座っているはずなのに、重さを全く感じない。


「ねぇ、オルカ。重さがなくてなんか変な感じなんだけど」

「そら悪魔やから」


 答えになってねぇ。


 図書館に着くと、すでに内田君が来ていた。自転車に跨ったまま片足をペダルに、片足を地面に着けて、少し息が弾んでいる。


「ちょ、大丈夫? そんなに急いでたの?」

「あぁ、まぁ、ちょっと」


 4日ぶりに見る内田君は、心なしか少し疲れているように見えた。目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。「ちょっと」とは言っていたけど、ちょっとどころではない気がした。というか、普通に不安になってきた。


「どうしたの内田君。4日も学校休んで、呼ばれて来てみたら全然ちょっとじゃなさそうだよ」

「あぁ、まぁ、そうだね……うん、ちょっとじゃないかも」


 いつもニコニコしてる内田君が、全く笑っていなかった。少し疲れているようだけど、目は真剣そのもので、僕の顔を真っ直ぐ見ている。いや……睨んでいる、と言った方が適切かもしれない。


「実はずっと言いにくかったんだけどさ……」


 内田君は何か言おうとして口を開いた……が、口を「さ」の形にしたまま、それ以上言葉が出てこなかった。すると、次第に口は閉じてしまい、目線も落ちてしまう。


 僕は「何を?」と訊くこともできず、ただ内田君が次の言葉を探し出すのを待っていた。内田君の口はまた開いたり、への字に曲がったりしている。目線も、僕を見たり、足元を見たりと落ち着かない。そして、ついに決心したのか、再び僕の目をまっすぐに見た。


「秋山椋介。うちの神社に来い」

「え?」

「単刀直入に言う。お前、なんかよくないモノに憑かれてる。転校してきたときからずっとだ」

「よくないモノ?」


 うちの神社に来い? それってお祓いをしてくれるってことなんだろうか。っていうか、内田君の家って神社なんだ。いや、それよりも。


 なんかよくないモノ。


 それに憑かれてる。


 転校したときからずっと。


 ……うん、心当たりはひとつしかない。


「えっと、何かな? 内田君って、そういうの視える人?」

「そうだよ。信じられないかもしれんけど」


 うん、確かに信じられない。僕は幽霊などのオカルト関係は、漠然と信じていない。


 だけど、いま、このときだけは、その限りではない。


「……僕に憑いてるモノって、どんな見た目してるの?」

「え、見た目って……まぁ、パッと見は普通の人間に見えるよ。でも、なんかすごいイケメンだよ。背の高い。180センチくらいあるんじゃないかな。あと……なんでか分からないけど、関西弁喋ってる」

「あー……、そうなんだ」


 内田君は僕の質問に面食らったようだけど、素直に答えてくれた。そして、僕に憑いてるよくないモノっていうのが、確かに僕の予想通りの人物だといういうことが分かった。チラッと横目で問題の人物を見ると、内田君をしげしげと眺めながら、「あー、なるほどなー」などと感心したように呟いている。


「内田君、信じられないと思うんだけど、実はね、僕にも視えてるんだ、それ」

「は?」


 ちょっと長めの説明をしなければならないことと、それを説明する上で、あまり人に話したくない自分自身のことを話さなければならないことを考えて、僕は内心ため息をついていた。


- - -


「信じられない」

「うん、そう言うと思った」

「まぁ、普通そういう反応やろなぁ」


 場所を内田君の部屋に移して、僕はオルカのことと、これまで自分に何があったのかを話した。洗いざらい、全てだ。


 内田君自身がさっき言ったように、彼はそういうのが『視える人』だ。一言で言えば、霊感がある。内田君によると、物心ついた頃には視えるようになっていたらしい。内田君の実家は町の中心にある神社で、昔から加持祈祷、お祓いなどもやっているそうだ。家系的にも、霊感のある人が多いらしい。


「秋山君、前の学校でそんなことが……」

「うん、ちょっとね」

「じゃあ、家庭の事情っていうのは」

「そういうことにしとこう、みたいな感じかな」

「まぁ、言いにくいもんなぁ」


 内田君はそう言うと、しばらく「あー……」と言葉を探すような素振りをした。


「なんていうか、大変だったんだね」

「ん……まぁね」


 こっちに引っ越してきて、家族以外に初めていじめられていたことを話した。オルカのことに至っては初めてだ。ふと、時折、内田君の様子に違和感があったことを思い出した。


「内田君、ときどき目線が僕と合わずにちょっとズレた位置を見ていたり、オルカが何か言ったタイミングで急に黙ったりすることがあった気がしてたんだけど……もしかしてあれって」

「あー、うん。その悪魔さんのことを見てたんだよ。バレてたか」


 内田君は決まり悪そうにポリポリと頭を掻いていた。話題を変えるように視線をオルカへと向ける。


「あー、ところで、悪魔さんよ」

「オルカや」

「オルカさん。秋山君が来年には死ぬかもって話、本当なのか?」


 真剣な顔つきでオルカに質問する内田君。オルカは僕の顔を横目に見た。


「ン、せやな。まだ本当の願いを見つけてへんから、このまんまいけば、椋介は間違いなく死ぬで。来年の6月いっぱいの命や」

「6月いっぱいって……あと8ヶ月しかないじゃないか!」


 内田君が声を荒げる。しかし、オルカはどこ吹く風と言った様子だ。


「せやな。けど、それまで俺は何もせえへんし、それを知った上で俺と契約することを決めたんは椋介自身や」

「自己責任ってわけかよ……」

「せやで。その代わりに、なんぼでも願いを叶える権利があんねん。リスクにリターンはつきものや」

「でも、だからって命を取るなんて……」


 尚も食い下がる内田君に対し、オルカは突然凄むように言った。


「俺が現れんでも、椋介は死んどったで。あのとき、こいつはほんまに限界やったからな。どんだけ仲良うても、お前は外野やし、これは椋介が解決することやで」


 内田君はぐっと言葉に詰まったようで、そのまま黙り込んでしまった。居心地の悪い沈黙が流れる。


「そういや君、お祓いのための道具やら儀式場やら用意しとったようやの」


 不意にオルカは表情を緩めて、どこか取り繕ったような明るさの声でそう言った。


「……なんでそれを」

「なんとなく感じんねん。悪魔はそのへんには敏感やからな」


 敵わないな、と内田君はため息をついた。いつもニコニコしているところばかり見ていたので、ここまで感情を露わにする内田君はとても新鮮だった。


「準備するために4日もサボったのに。皆勤賞だったのになぁ」


 内田君は疲れたような、でもどこかホッとしたような、または残念そうな、そんな色々な感情を乗せて、再びため息をついた。少なくとも僕にはそう見えた。体を反らして、天井を仰ぐようにして脱力している。


 ついでに言うと、内田君がそう発言したことで、やっと彼が4日も学校を欠席した理由が分かった。僕のためだったんだ。まだ転校して3ヶ月程度の、ちょっと前までは赤の他人だった僕を心配してくれていたんだ。そして、僕のために、準備をして、秘密まで打ち明けてくれた。


 そんな人は初めてだ。


「内田君」

「なんだよ秋山君、俺ちょっといま気が抜けて……って、なに泣いてるんだよ!?」

「ううん……ありがとう……」


 袖で乱暴に拭っても、後から後から涙は出てくる。僕は内田君に頭を下げて、ただ「ありがとう」と繰り返すことしかできなかった。

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