文化祭2日目

 文化祭2日目は、体育館で色々な発表会や出し物がある。そんなわけで、朝からクラスごとの列になって、体育館へと集まっていた。体育館のステージとステージ前の床にはシートが敷かれ、床にはたくさんの椅子が扇状に、ステージにはまっすぐ横一列に並べられていた。楽譜を置くための黒い譜面台も、各椅子の前にひとつ置かれているようだ。ステージに向かって下手側には、大きな太鼓や、木琴、鉄琴と呼ばれる楽器が所狭しと並べられている。


「朝一発目は吹奏楽部の演奏なんだよ。去年もそうだった」


 内田君はそう教えてくれると大あくびをした。


「ほ~、色々あるみたいやな。人間は色々やるからおもろいなぁ」


 僕が無造作に床に広げている文化祭のしおりを、オルカは興味深そうに見ている。こうやって広げて置いているのは、もちろんオルカが見やすく、かつ僕が「誰もいない場所に向けてしおりを見せている」という不自然な状態を避けるためだ。


「俺、人間世界の芸術は好きやねん。前に画家志望の奴に憑いたことあったけど、なかなかおもろくてな。その次はピアニストやったんやけど、こいつがまたむちゃくちゃな自由人で、見てて飽きひんねん」


 人目がある所では、僕とオルカは会話ができない。そのためか、オルカは延々とひとりで僕に話しかけ続けている。当然、僕はひとつも反応を返せないのだが、彼は気にしていないらしい。


 僕と並んで座る内田君は、やっぱり眠いのか、あぐらをかいた膝に肘を置いて頬杖をつき、ボーっと僕の方を眺めている。いや、厳密に言うと、少し視線は逸れているのだけれど、なんだか僕のすぐ近くを凝視しているようにも見える。そこにいるのは、僕にしか見えない、胡散臭い関西弁を話す美青年が見えるはずだ。


「内田君、本当に眠そうだね」

「……ん、最初の吹奏楽部の演奏中、すぐ寝ちゃうんだ俺」


 全クラスが体育館に集合してしばらくすると、体育館の後ろの出入り口から、様々な楽器を持った吹奏楽部員が入って来た。黒いものやら金色のものやら、僕には楽器の名前は一切分からないけど、色々な楽器を持った人がいた。あ、いま入って来た銀色の楽器は分かる。トランペットだ。


 入ってくる部員の顔を見るともなしに見ていると、知っている顔が何人かいることに気付いた。クラスメイトだ。苗字だけ知っているクラスメイトの女子が数人と、男子が2人ほど、それぞれ楽器を持って入ってくる。しかし、彼らとは全く話したことがない。最後に顧問の先生が入ってきた。音楽の授業をしている先生だった。


 吹奏楽部の演奏には、実はあまり興味がない。というより、僕は音楽そのものに疎い。何となくテレビを見て、流行りもののJ-POP くらいなら分かる程度だ。この前、トラウマを思い出させる夢から覚めたあと、赤い再生マークがロゴの動画サイトで見つけたモーツァルトのピアノソナタは、なんとなく気に入って今でもちょくちょく聴いている。しかし、それは大いなる例外だ。


『みなさん、おはようございます。吹奏楽部です』


 司会役の部員が、マイクを持って話し始めた。手には黒い縦笛のような楽器を持っている。楽器に対する貧弱な知識が間違っていなければ、たぶんクラリネットだと思う。


 司会役の生徒が話し終え、1曲目が始まった。


- - -


 吹奏楽部の演奏が終わると、次は合唱部による合唱だった。朝から音楽ばかり聴いていると眠くなってくるもので、僕は気付けばすっかり居眠りをしていた。ちなみに、内田君は吹奏楽部が1曲目を演奏し終える前に寝ていた。


「秋山君、秋山君」


 名前を呼ばれてハッと目を覚ます。目の前に綺麗な白い手が見える。手と同じ色白の腕には、女の子ものらしい、ベルトの細い腕時計が巻かれている。あぁ、大川さんだな。なんとなくそう思いながら顔を上げると、この2ヶ月ですっかり見慣れた大きな黒い瞳があった。僕と目が合うと、大川さんはふわりと微笑んだ。その笑顔は、なんとなくほっとすると同時に、それを見ると、ほんの少しだけ心臓の位置がはっきりする。


「おはよう」

「……おはよう」

「よく寝てたね。もう昼休憩だよ」

「僕、そんなに寝てたの?」

「ぐっすりだったよ」


 隣を見ると、昨日模擬店巡りをしていて知り合った、大川さんの友達が内田君を起こしていた。確か、名前は千田さん。千田彩花さん。


「内田君、起きろ~」

「う~ん」


 千田さんは内田君の肩を掴んで、ぐるんぐるんと大きくゆっくり回していた。内田君の頭が、動きに合わせてぐらぐら回る。顔を見れば、目が覚めているのは明らかだけど、頑なに目を閉じたままうなっている。どうやら、ふたりともそれを分かった上でふざけあっているらしい。


「相変わらず仲いいねあんたたち」

「まぁ、小学校からの腐れ縁だし~」

「ん~、俺はぐらぐら回してくる凶暴女はいやだ~」

「うるさ~い、いい加減起きなさ~い」


 千田さんが内田君にチョップを落としたところで、内田君も目を開いて、おふざけは終わった。


 なんとなく、昼はそのまま4人で食べることになった。みんな弁当を持って、体育館の脇にある石段に腰を下ろしている。


「毎年のことながら2日目は眠くなるな」


 内田君はコンビニで買った総菜パンの袋を開けた。


「まぁ、こういう発表が、本来の文化祭って感じなのかもね」

「うちは模擬店だけで十分なんだけどなぁ」


 大川さんと千田さんも、なんとなく似たようなことを言っている。かく言う僕も、午前中はしっかりと眠ってしまったので、3人と同じようなものだ。


「俺は吹奏楽も合唱も好きなんやけどなぁ」


 オルカがどこか不満げな顔でそう呟いている。


「僕も吹奏楽や合唱はあんまり知らないなぁ」


 オルカへの返事と、同級生への会話のリアクションとして、僕もそんなふうに答えた。


 ふと、さわさわと優しい風が吹いた。今日は気持ちの良い秋晴れで、気温は程よく、風も穏やかだった。日向にずっとい続けるのはちょっと暑いけど、日陰にいれば十分すぎるほど快適だった。


 空気が澄んでいた。ふと僕は、去年の10月頃、以前通っていた高校で、同じように文化祭が催されていたことを思い返した。あのときは、確か、どんな感じだったっけ……。


 とにかく、あまり活気がなかったことだけは覚えている。つまらない消化試合をしているような気分、とでも言おうか。あってもなくてもいいけど、なんかあるからやる。そんな感じだったような気がする。


 少なくとも、こうして体育館脇の石段に座って、友達と昼ご飯を食べるなんてありえなかった。


「秋山君?」


 大川さんの声で我に返った。


「どうかした? ボーっとして見えたけど」

「あぁ、いや、なんでもないよ!」


 去年のことを思い出して、少しぼんやりしてしまったらしい。大丈夫、いまはあのときとは違うんだ。自分にそう言い聞かせる。この3ヶ月の変化に、まだ心はあまりついていけていないように感じた。


- - -


 文化祭2日目の午後の催しは、軽音楽部のライブ、演劇部による発表、弁論大会入賞者による弁論発表、野球部、サッカー部によるコント、こんな感じだった。


「運動部のコントまでは眠いし面白くないんだよなぁ」


 内田君は僕の手元のしおりを覗き込みながら、うんざりしたように言った。


「ライブとか、演劇って、そんなにつまらないの?」

「軽音は大して練習もしてねぇくせにカッコだけだからな。演奏はうるさいし歌は下手くそなだけだ。演劇部も面白くないな。まぁ、俺が演劇に興味ないってのもあるか。弁論発表に至っては真面目すぎて面白くない。以上だ」


 かなりひどい物言いだ。


「だからって抜けようとしても、やけに強く目を光らせてるからなぁ。しょうがないから、俺はいつもここで寝てる」


 内田君の評価はかなり辛口だった。そして、その評価は確かに正しいのだと、数分後に僕は思い知る。


 まず軽音楽部の演奏。確かに、お世辞にもいいとは言えなかった。というか、控えめに言って「最悪」だと言っていい。


 一言で言うと、うるさい。音量を考えておらず、エレキギターやドラムやベースの音が、ごちゃごちゃになって鼓膜に襲いかかってくる。そこにやたらとマイクの音量が大きいボーカルが……いや、この際はっきり言ってしまおう。めちゃくちゃ音痴な上に、マイクの音量が大きく、そして明らかに歌っている自分に酔ったようなボーカルが乗っかって、騒音公害としか言いようのない演奏が延々と続いていた。


 吹奏楽部の演奏は、興味のあるなしは別にして、これよりもずっと良かったと思う。隣に座るオルカも呆れたようで、「あいつら最悪やな」「練習してへんやん」「うっわ、ボーカルが自分に酔っとるわ、キモ」と、散々悪口を言っていた。これに関しては、オルカに全面的に同意だった。


 軽音楽部の演奏が終わると、オルカは盛大をため息を吐きながら「あー、しょうもない時間やった」と言っていた。


 続いて弁論大会。確かにまじめすぎて退屈だった。以上。


 ただ、演劇部の発表は、けっこう面白かった。わずか40分の劇だったけれど、気付けば食い入るように見ていた。


 演劇のタイトルは「100億分の1」。いわゆるパラレルワールドを題材にしたものだ。主人公は、生まれた時から、自分という存在に強烈な違和感を抱えている。ある日突然現れた喋る犬に、「主人公は何かの手違いで、この世界に生まれてしまった」「自分のいるべき世界を探しに行こう」と言われ、自分のいるべき世界を探す旅に出る、というものだった。


 自分を探す。自分のいるべき場所を探す。僕が見入ってしまったのは、自分の置かれた立場が、やはりどこか似ていると思ったからかも知れない。


 自分の願いを見出すこと。それがどういうことなのか、やっぱりよく分からないし、平和ないまは、うっかり忘れてしまいそうになるけど。


 運動部のコントは……正直、よく分からなかった。


 どうやらこの学校のあるあるネタらしいのは分かったのだけれど……まだここに来て2ヶ月程度の僕には分からなかった。


 そんな感じで、今年の文化祭2日目は、滞りなく過ぎていった。


- - -


「えぇ、あの演劇面白かったのか?」

「うん、気付いたらずっと見てた」

「私も面白かったと思うよ」

「うちはさっぱり~」


 文化祭が終わり、僕と内田君、更に大川さんと千田さんの4人は教室にいた。話題の中心は、今日の発表や出し物についてだ。


 この中で一番よく発表や出し物を見ていたのは大川さんだ。というか、大川さんは全部の発表をしっかり見ていたらしい。長時間座ってあの発表を見ていられるのはすごいと思った。


 次に僕と千田さんは、寝たり起きたり似たようなもので、内田君はほとんど寝ていたらしい。内田君からすれば、僕と千田さんもじゅうぶん「すごい」らしいのだが。


「あ、でも軽音はちょっと、ね」


 大川さんは困ったようにそう言った。大きな瞳が意志の強さを感じさせる大川さんだけど、言動はけっこう人に気を遣っているようで、物言いも丁寧だった。むしろ、内田君の方が辛口で、遠慮なしにズバズバ言っている。


「あれは練習しないあいつらが悪い」


 このストレートな物言いである。


「それには全面的に同意や」


 僕の後ろで、誰にも見えないオルカが内田君に同意している。確認していないけど、きっとおおげさに頷いているに違いない。


 誰かのスマートフォンが振動する音がした。どうやら内田君らしく、ポケットからスマホを取り出した。


「わり、母さんからちょっとライムきた」


 ライムは、今では誰もがダウンロードしているチャットアプリだ。手軽に誰とでも連絡ができる便利なアプリだ。


「そういえば俺、秋山君のライム知らないな。ちょうどいいし、交換しようや」

「え、あ、うん」


 内田君の提案に僕はカバンからスマホを取り出す。そういえば、転校してから2ヶ月。この学校の誰とも連絡先を交換していなかった。


「あ、じゃあ私とも交換しようよ。そういえば知らんかったねぇ」

「じゃあうちも~」


 そのまま、大川さん、千田さんとも交換することになった。


- - -


『新しい学校はどう?』


 帰宅してしばらくすると、妹の楓からメッセージがきた。ライムを開いて返信する。


「楽しいよ」

「友達もできた」

「今日は文化祭だった」


 画面の右側に、みっつの吹き出しと、ごく短いみっつの文が表示された。しばらく画面を見ていると、吹き出しの隣に小さく「既読」の文字が表示された。


『そう』

『元気ならいいけど』


「元気だよ」


『てかお兄ちゃん、友達できたんだね』


「まぁ、なんとかね」


『新しい学校で孤立してなくてよかったよ』


 心配してくれていたんだろう。楓は今時の女の子にしては淡々としているけれど、とても家族思いだと思う。僕たちは兄妹仲もいいし、僕がこっちにひとりで転校するとき、なんだかんだで一番心配してくれていたと思う。


「うん、僕もそう思う」


 そう送ると、「新しい友だち」のところに追加された3人の名前を見た。『内田健太』『おおかわ ゆき』『あやか』の3つが表示されていた。


「楓はどう? 元気?」


『普通だよ。元気元気』


「父さんと母さんは?」


『お兄ちゃんが引っ越して、しばらくちょっとギクシャクしてたかも』

『でも、いまは普通かな』


「そっか。それならよかった」


 そんな感じで、しばらく楓とやり取りをしていた。どちらともなく終わる流れになって、それじゃあね、と送ってライムを閉じた。


「ねぇオルカ」

「なんや」


 オルカは帰り道の途中に買ったコーラをラッパ飲みしていた。僕に返事をするために口を離した途端、げええっぷ、という特大のげっぷをした。


「いまの僕の魂の状態って、どんな感じ?」

「落ち着いとるで。病気もしとらん、気持ちも病んどらん」

「そっか」


 初めてオルカに会った日、僕の魂は限界を越えかけていた。いじめによって精神が疲弊していたし、自殺をしようとして死ぬ一歩手前までいっていたらしい。それに、いまの生活は、確かに以前よりも気持ちが楽なのも確かだった。


「でも、万全とは言えんな」

「え?」

「まだ、ちょっとしたダメージが残ってんねん。身に覚えあるやろ? たまに悪夢を見たり、嫌な気分になったり」

「あぁ……、なるほど」


 オルカの言う通り、そのへんはまだ根深く、僕の胸の奥に居座っていると思う。以前ほどひどくはないけど、今もたまに嫌な夢を見るし、不意にどうしようもなく落ち込んで、以前の学校のことを思い出して、何もしたくなくなる瞬間がある。


「でも、大丈夫やろ。時間が解決してくれるで」

「……うん」


 僕はもう一度、ライムに追加された3人の名前を見た。新しく増えたみっつの名前が、何とも言えず嬉しかった。今年の文化祭は、友達と模擬店を巡ったり、お化け屋敷に入ったり、2日目はどこか気が抜けてしまったけれど、新しくライムを交換できたり……。


「楽しかったなぁ」

「なんや椋介。いきなり独り言いうて、珍しい」

「ん、そういうときもあるって」

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