引っ越し

 引っ越し先は、母さんの実家がある地方で、はっきり言ってド田舎だ。アスファルトが敷かれた道も多いけれど、所々に土の道もあった。田んぼも多くて、畦道の上を、農作業をしていたのであろうおじさんが歩いている所も見かけた。


 母さんの実家には、小学校の頃には毎年夏休みに遊びに来ていた。ずいぶんと久しぶりな感じがしたけど、何も変わっていなかった。今回引っ越すのは、家族全員ではなく、僕ひとりだ。ばあちゃんとじいちゃんは、僕が一緒に暮らすことを快く引き受けてくれた。


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 さて、世間は夏休みに入っているわけだけれど。


「ほんま、暇やな~」

「それ、いま僕が言おうとしてたこと」


 そう、夏休みは究極に暇だった。何せここは田舎。大型ショッピングモールや、百貨店などもない。唯一通っている国道沿いに、以前住んでいた街では見かけなかった名前のコンビニが一軒と、見た目も中身も古臭い小さなスーパー、ガソリンスタンドがぽつんと建っているだけで、他にこれといって娯楽施設と言えるものもない。あぁ、いや、大きな公園がひとつあるんだったか。確か、野球ができるグラウンドもあったはずだ。僕、野球はしないけど。


 町の中心部には駅があるけど、1時間に1本というありえない時刻表だった。しかも、走っている電車は1両編成。しかも、電化されていないらしく、ディーゼルエンジンで走っているらしい。なので、地元民はみんな「汽車」と呼ぶそうだ。


 そして何より、知り合いがひとりもいない。以前の街から出られたのは良かったけれど、ただ時間を浪費するだけで夏休みを過ごすのは何ともつまらない。


 そんな僕がオルカに同年代の友達を所望するのは、とても自然なことだと思う。


「なるほど、友達やな。確かに友達は大切やで。せやけど、ホンマに気ぃ合うモンなんてそうそういーひんけどな。どうせ会うなら気ぃ合う奴がええやろ?」

「お願いします」

「ほいほい、ちょい待ちや」


 そういうと、オルカはその場で胡坐をかいて座り、腕組みをして、難しい顔でうんうんと唸り始めた。首を傾げつつ、明後日の方向を向いたり、下を向いたりと、なにやら忙しない。そのまま五分が経過しようというとき、不意にくわっと括目する。


「明日やな」

「え?」

「明日の朝11時くらいに、町内にある図書館に行くんや。気の合う奴に会えるで」

「なんで分かるんですか?」

「あー……悪魔やから。そういう風にできんねん。あぁ、疲れたわ」


 オルカは歯切れ悪そうにそう言うと、その場でゴロンと横になってしまった。


「喉乾いたわ。椋介、コーラ買ってきて」

「それは願いの代償ですか?」

「せやで。なんなら、明日は快晴や。11時頃に太陽にしっかり焼かれるのも代償やな」


 マジか。僕は夏があまり好きではない。太陽がジリジリと肌を焼くあの感覚は嫌いなんだ。しかし、明日の11時に図書館に行けば、気の合う同年代の友達ができる。そう考えれば、日に焼けるくらいなんともない。僕はそう考えなおして、財布を片手に家を出た。


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 オルカの予言通り、翌日は雲ひとつない快晴だった。腹が立つくらい眩しい太陽が、容赦なく肌を焼く。


「暑い……溶ける……蒸発する」

「いやいやいや、人間そうそう簡単に干乾びたりせぇへんわ」

「なんでオルカは平気なんですか!」

「そりゃ悪魔やから」

「答えになってません!」


 夏休みとはいえ、平日のお昼前。周囲に人はおらず、田んぼを横断するアスファルトの道には、僕とオルカだけ。そうこうしているうちに、町内の図書館に到着した。この辺りで唯一の図書館。以前住んでいた街にあった中央図書館に比べれば小さなものだけれど、明るい木造の図書館は見た目に違わず木の匂いがしていて、涼しさも相まって気分が落ち着いた。


 館内にはちらほらと人の姿があった。雑誌コーナーで女性誌を読んでいる女性、いくつかの新聞社の新聞を流し読みしている老人、目当ての本を探しているのか、書架の間を行き来している人が数人。若い人もたまに見えるが、ほとんどが壮年以上の人たちで、特に老人が目立つ。僕と同年代くらいの人の姿はない。オルカ、これは一体どういうことだ。


「いやいや、そう慌てんと。もうちょい。もうちょいしたら来るから」

「そうなんですか? なんだか、オルカの発言って微妙に信用ならないので」


 僕は細心の注意を払い、小声でオルカにそう言った。


「なんでやねん。こっち来る前に願い叶えたったやないか」

「なんというか……言動が軽薄な感じなので」

「ひどっ! 今のは酷い! 傷つくわ!」


 わざとらしく両手で胸を押さえて、おおげさに泣き顔をしてみせる姿は、どう見ても人を騙そうとする詐欺師に見えて仕方がなかった。


 しかし、いつまでも入り口付近でウロウロしていても仕方がない。そう思い直すと、僕は書架の並んでいる方へと足を向けた。僕の身長の優に二倍はある書架が規則正しく整列している。それぞれの書架に掲げられている本の分類を見ながら、僕は適当に書架を眺めて回っていた。前を見ていなかったせいか、書架から突然出てきた人と、危うくぶつかりそうになった。


「おっ」

「わっ」


 僕と誰かは小さく声を上げた。誰かは持っていた本を落としそうになったのか、更に半身を揺らす。


「ああ、すみません」


 僕はそう言うと、反射的に頭を下げる。紺色のフレアスカートの裾があった。そこから白い足が伸びていて、その末端は白いスニーカーだった。顔を上げると、今度は相手が小さく頭を下げていた。


「いえ、こっちこそすみません」


 黒いショートヘアが流れるように下を向き、そして元の位置に戻ってきた。僕の目線よりも少し低い位置で、大きなふたつの目とばっちりと目が合った。黒い水晶のような透き通るふたつの黒い瞳に、僕は釘付けになった。


 線の細い顔立ちだった。しかしそれは、華奢とか、繊細とか、そういった類の線の細さではない。しなやかさと強かさを併せ持つ、芯の強さを内に持っていた。その顔の真ん中に鼻が好い塩梅で収まり、その下の方で口は行儀よく座っている。しかし、それらが大人しいことで、大きなふたつの瞳は際立って印象的だった。顔も、足と同じように色白だった。


 女の子だった。背筋がピンと綺麗に伸びていて、先ほど述べた大きなふたつの瞳も相まって、そこに立っているだけで強い意志を感じた。女の子は目で会釈すると、僕の脇を通り抜けていった。僕はそれを、ただ黙って見送った。いや、それは正確ではない。僕は彼女に見とれていた。


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「……で、結局閉館ギリギリまで待って、気の合う友達に会えないって、どういうことですか」

「おかしいなぁ」


 オルカはわざとらしく首をひねっている。


「あの予言は大嘘だったってことですか?」

「そんな訳ないやん。俺を誰やと思ってんねん。悪魔やで?」

「人間を騙す悪魔の話も世の中にはたくさんありますけど?」

「たはー、こりゃ一本取られましたわ」


 オルカはおじさんがするように、額を手の平でぺちん、と叩く。こいつ本当にふざけてるんじゃないだろうか。確かに命の恩人ではあるが、感謝の株は確実に暴落しているぞ。ついでに言うと、顔はイケメンなのにいちいち行動が残念過ぎて、なんか色々台無しだった。


「まぁ、そう怒らんと。図書館で好きな本借りれたんやし、そこは喜ぼうや、な?」


 強引に話を逸らそうとしているのが見え見えだが、事実でもあるので黙っておいた。借りたのは、外国人作家のファンタジー小説で、ハードカバーの表紙に美しい狼が描かれた本だ。


 オレンジ色の夕焼けが、遠くの山をオレンジ色に焼いている。気持ちのいい風が凪ぎ、田んぼの稲や道端の雑草がさわさわとお喋りする。ふと顔を上げて遠くまで見てみると、広い田んぼが続き、その中を細い黒い線が走っている。そのもう少し向こうには国道が通っていて、夕方のこの時間はそれなりに車が走っている。


 しかし、それだけだ。ここには何もなかった。都会の喧騒も、酔うほどの人混みも、街のあちこちで点き始める原色のネオンも。あるのはただ、ゆったりとした時間の流れだけ。そんな見慣れない風景の中、よく知らないアスファルトの道を、僕は再び歩き出した。

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