子ども

面白いくらいによく燃えた。火力も予想以上に強くて亜礼は慌てて飛び退る。それでも間に合わずに、髪が焦げた臭いがした。

大丈夫か、と加藤は戻ってきた亜礼に訊いてきた。

「なにあれ。いきなりすごい燃えたんだけど」

「言ったでしょう。火力が強いって」

悪びれもせずにそう言う加藤に、文句を言う気も失せた。あっそ、と呟いて亜礼は燃える家を見る。あれだけ燃えていたら、中にいる人は十中八九助からないだろう。逃げ道になりそうなところは井上たちがおっかなびっくり見張っている。亜礼はそのまま、加藤の隣で家が燃える様子をぼんやり眺めていた。


「…ねえ、加藤サンはなんでこんなことやってんの?」

不意に亜礼がそう言った。加藤は少し驚いたように首を傾げる。

「こんなこと?ーーそうだね、気になるのか」

ううん、と考えるように唸る。暫くして、加藤が口を開いた。

「上の皆を守る為ーーなんていう大義があれば良かったかな。下町の人が憎いとか」

今の予備警察の人間は、大体が下町に対する憎悪と義憤で動いてるから、と加藤はのんびり言った。

聞き捨てならない、と亜礼は思う。加藤を睨むようにして、言った。

「憎悪と義憤?ふざけてるの。それは、下町の人が感じてることでしょ」

大体、虐げられもしていないのに上の連中がそんなことを思うのは変だ、と亜礼は言った。しごく真っ当なことを言った、と自分では思ったが、加藤はそう思わないようだった。

「君の世話係の子の生い立ちは聞いた?」

「あーー聞いた、けど」

あの少年との気まずい出来事を思い出し、亜礼は少し口籠る。

「あの子だけじゃない。班長ーー井上だって、奥さんを下町で亡くした。暴漢に襲われて」

「なんで井上サンの奥さんが下町に来るんだよ」

「彼女は下町と上の隔絶を無くそうと活動していたから。でも下町の連中は、そんな人も殺してしまう。こんなことが何度もあったから、こうなるのは仕方ないーー違う?」

加藤は燃える家を指し示す。

「火薬屋はあるテロリストと繋がっている可能性が高くってね。そいつはかなり悪質で、しかも知恵が回るもんだから。火薬の供給源だけは絶たなきゃならない」

そんなこと知らなかった、と思ったが、それよりも気になったのは井上の話だった。

「ちょっと待ってよ。そんなことが何度もあったって?上の連中が下町で殺されるようなことが?」

「そうだよ」

加藤は笑う。目は、亜礼のことをひたと見据えていた。加藤だって、こんな話が亜礼に通用しないことは承知しているのだ、と悟る。亜礼の中に、ある疑いが芽生えてきた。ひょっとしてーー予備警察という組織は、内実はもっと違うものかもしれない。亜礼が見ていたのは、表層的な部分だけだったのかもしれない。

「あんた、何を隠してーー」

亜礼が言いかけた時、音を立てて燃えていた部屋の壁が崩れた。どうなっているのか、上の階には全く延焼していないのが分かる。井上か誰かが呼んだらしい消防が、鎮火しようとしていた。


ぞろぞろと野次馬が集まっているのが見える。下町の人々だ。嫌悪と恐怖に顔を歪ませている者もいれば、何か見世物でも見ているように興味津々な顔の者もいる。その中、亜礼は知っている顔を見つけ、息が止まるかと思うほどに驚いた。


ーー火薬屋。


あの端正な顔が、今はほとんど狂っているように歪んでいた。何事かを叫んで、野次馬の一人に止められている。亜礼は咄嗟に、崩れた建物を見た。黒々とした煙で全く中は見えなかった。

暫くして、野次馬たちはばらばらといなくなる。予備警察に目をつけられたくないのだろう。火薬屋の姿も見えなくなった。亜礼は混乱して加藤を見る。加藤は平然とした様子だった。

「ーーあんたも、見たのか?」

「何を」

何をってーーと亜礼は口籠る。幽霊、なわけがない。ということは。

完全に鎮火した建物を、井上たちが覗き込んでいる。ろくに足も踏み入れずに無理な体勢で覗いていたが、やがて一つ頷いた。


ーー対象は死亡。


亜礼は耳を疑った。火薬屋は生きている。では、亜礼が殺したのは一体誰だ。


焼け跡を見回して、不意に焦げた布団が妙に盛り上がっているのを見つけた。

亜礼は焼け跡に近づいて目を凝らす。炭化した何かが、布団の下からはみ出している。


ーー手だ。


亜礼は必死に踏ん張った。そうしないと、倒れそうだった。恐ろしさに、体中が勝手に震え出した。

棒立ちになったまま動けない亜礼を、加藤が引きずるように引っ張る。さっさと帰りたいのか、井上たちも早く追いついた。

待ってよ、と喚きたかった。あんなの火薬屋じゃないだろ、と。でも、一瞬加藤と目が合って、口を噤んだ。


加藤は笑っていた。昏い、でも愉しそうな笑いだ。ああ、と亜礼は電撃のように悟る。


加藤は知っているのだ。

亜礼が殺したのは、まだ小さい子どもだということを。

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