「嘘だ」


亜礼は反射でそう言った。あり得ない、と反射的にそう思う。下町の人が、そんなことできるわけない。だってーー。

続けようと口を開いたが、亜礼はできなかった。少年がそうさせてくれなかった。いつかと同じように、紛れもなく、隠す気もない憎悪が目に浮かんでいる。

愕然と悟った。少年が仲間ではないと、理解しているつもりだった。でも、亜礼が感じたいる差以上の隔たりが、二人の間には存在していた。


「嘘?笑わせるなよ」

静かな声だった。少年は手を伸ばして、亜礼の胸元を掴む。ぐっと、信じられないほど強い力で引き寄せられた。間近に見えた少年の目は、亜礼の、滑稽なほど驚いている顔を映し込んでいる。


「ーーお前はさ、違うと思ったんだよ」

少年は言う。何が、とは訊けなかった。ただただ呆然と聞いているしかなかった。

「俺だって、差別は良くないことくらい分かる。お前は、ましな奴だとちょっと思ったんだ。下町にだってましな奴はいるーーそれが分からないほど馬鹿じゃない」

でもさ、と少年は亜礼を見据えた。亜礼を引き寄せているその腕が、細かく震えている。少年は怒っていた。そしてその理由を、亜礼は理解できなかった。


「お前は、ただの屑だ」


少年は明らかに怒っている。亜礼は間抜けだとは自覚しつつも、どうして、と訊かざるを得なかった。屑だと言うのは分かる。予備警察にいる時点で、亜礼は下町の人の敵になった。だが、亜礼のことをましな奴だと思っていた少年が、どうしてそう思うようになったのかーーきっかけが分からなかった。

分からないよな、と少年は鼻で笑う。分からないと思ったよ、と。お前には悪人だという自覚がないからな、と。戸惑う亜礼に、少年は低い声で言った。

「人を燃やしたんだってなーー5人も」

立派な犯罪者だな、と笑った。亜礼は瞬きをして、困惑したように首を傾げる。

「ーーそれが?」

お前になんの関係があるの、と問う。少年は笑いをすっと引っ込めて、急に真剣な目で亜礼を見た。

「関係なんてない。そりゃそうだ。でもさ」

なんで言おうか、という風に、少年の視線が一瞬宙を彷徨う。そして、一つ頷いて言った。

「ーーお前は、罪の意識なんてこれっぽっちもない。きっとーー狂ってる」

人として、大事な部分が欠けている、と言った。亜礼はその言葉に、驚愕したように目を見開く。確か、以前に自分でそう思わなかったかーー自分には欠陥がある、と。

「お前が予備警察になった経緯は昨日、ご丁寧に加藤さんが教えてくれた。とんでもねぇ奴だと思った。俺だって人のこと言えたような立場じゃないけど」

でも、自分の罪は自覚している、と少年は視線を落とす。空いている左手を見つめているようだった。少年が何をしたのかーーなんとなく察しはついたが、亜礼は言わなかった。


「俺の父さんは、下町の奴らに殺されたって、そう言われた」

加藤さんに、と少年は低い声で言う。

「父さんは、下町によく行ってた。差別は良くないからーー下町の待遇が改善されるように、下町の様子を記事にしてた」

キジ、と亜礼は呟く。そんなことをする人がいるのか、と思った。上の階の連中は、自分の利しか見えていないのだと思っていた。

「突然、帰ってこなくなったんだ。いつもみたいに、普通に出かけてーー突然」

震える声に、亜礼は居た堪れないような気持ちになる。思わず少年から目を背けた。見ていたくなかったのだ。痛々しくて、辛かった。

「遺体も帰ってこなかった。ただ、下町で殺されたって。下町の奴らが殺したって。そいつは捕まらなかった。前科もあるってーー加藤さんが」

恨むだろう、と少年は加藤に言われた。捕まえたいなら、予備警察に入れば良いと。だからそうした。どんな藁にでも縋りたかった。

「父さんを殺したのは、お前みたいな屑なんだろう。自分が人を殺したーー殺そうとした、その罪の重さも自覚せずにのうのうと生きてるんだろう」

言って、少年は亜礼を突き飛ばす。亜礼は体を支えようともせずに尻餅をついた。罪の重さーーそれは、亜礼の中で現実味を全く帯びていなかった。罪の意識は、希薄だった。少年が言うようにーー狂ってるのかもしれない。

人を5人も傷つけた。でもそれは、亜礼の中では筋の通った理屈があった。亜礼は呆然と少年を見上げるだけだった。どこに腹を立てているのかーーそれすらも、よく分からずに。

少年は腹立たしそうに、少しだけ哀れみを帯びた目で亜礼を見下ろす。

「お前は、俺がこの世で一番嫌いな奴に似てたってことだ」

よく飲み込めない亜礼に、少年は軽く手を振って皮肉っぽく言った。


「自分ばっかりテロリストに奪われたと思ってんなら大間違いだーーと、忠告しておく」

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