加藤

あてがわれた部屋は、予備警察の人間が住む寮のようなビルの一室だった。雑に説明してくれた少年によれば、家賃やその他諸々の生活費は無料らしい。予備警察は優遇されてるんだ、と少年は言った。

最初のうちは、下町から来た亜礼の噂を聞いた人がちらちらと亜礼の様子を窺っている風だったが、特に気にしなかった。それより、無料で住めるという部屋のことで頭が一杯だった。


綺麗なフローリングの床に、どこも虫喰いのないベッド。電球も勿論切れていないし、小さなキッチンには火の気が全くなかった。ガスコンロがないのだ。それどころか、スイッチを押せば勝手に料理もしてくれる謎の箱型の機械も置いてあった。気の済むまで部屋を見回し、フローリングに寝転がってみた。染み1つない天井は、眩しいほどに白い。こんな場所があったんだ、と目の覚めるような思いだった。


ーー下町なんて、ホントに馬鹿げてる。


こんな場所が自分たちの上に広がっていたなんて知ったら、確かにテロでも起こしたくなる。そう思って、自嘲するように笑う。

それでも亜礼は、今のままでいることを選ぶ。前に進もうとして、失敗することが堪らなく怖い。テロを起こしたことで、周りを危険な目に合わせるのはーー自分がまた失うのはーー怖い。だから、下町の人がなんと言おうが亜礼はテロリストを殲滅することに加担する。ひょっとしたら、いつかは成功するかもしれない。でも、そのいつかを待ち望むのはもう飽いた。リスクの低い方を選びたかった。


誰になんと言われようと意思は曲げない。恨まれたって気にしない。所詮、人は自分のことしか考えないんだ、と思って亜礼は目を瞑る。

床まで下町のものより贅沢に思えて、亜礼はほんの少しだけ切なくなった。




「お前はなんもせずに大人しくしてろ」

なにをすれば良いのか、と訊いたらそう返ってきた。仕事もせずにぶらぶらするのは妙な感じだった。前は、一日中働いていた。それが当たり前だったのに。

そもそも、亜礼くらいの年の子はほとんど働かないようだった。あの少年だけしか見ない。他の子はガッコウというものに行っているらしいーーというのは、井上に教えてもらった。井上は亜礼を歓迎してないようだが、邪険に扱うのも気が引けるようで質問には答えてくれる。あの少年は世話係だというのに、亜礼のことは大体放置していた。


「おい世話係」

班が昼休憩に入った頃を見計らって亜礼は少年に声をかける。少年はあからさまに嫌そうな顔をした。

「近づくな」

亜礼は一歩分後ろに下がってみせた。少年はむくれたような表情で亜礼を見ている。

「仕事ないの?俺、なんもしてないのに賃金貰ってるんだけど」

「貰えるもんは貰っとけば」

素っ気なくそう言う。亜礼は顔を顰めた。

「お前が教えなきゃなんも分かんないだろ。なんでそんな嫌うわけ?俺だってお前みたいなのに近づきたくはねぇよ」

うるさい、と少年は言った。怒りなのか、頬が紅潮している。亜礼はため息をつく。

「加藤サンとか井上サンの方がよっぽど親切だな」

嫌味のつもりでそう言うと、少年はぽかんと口を開ける。亜礼が怪訝そうにすると、少年は唐突に笑い出した。

怒ったり笑ったり忙しい奴だ、と亜礼は半ば呆れて少年を見る。そんな視線は気にも留めずに少年は笑いながら言った。

「ーー加藤さんが親切?笑わせんなよ」

そりゃ、井上さんは人が好いけど、と少年は言う。

「いいか、加藤さんは優しさの欠片もないからな」

不意に真顔になって、少年は亜礼に向かって指を突きつけた。

「加藤さんは愉しんでるだけだ。勘違いするなよ」

そのうち嫌でも分かる、と独り言のように呟いて、少年は去って行った。

追いかけることも忘れて、亜礼は呆然として少年を見送っていた。

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