生きがい

気を失って倒れたと思っていた佳代は、心臓発作を起こして亡くなっていた。

それに気づいたのは、男の遺体を廃材の山へ投げ捨てて家に帰ってきた後ーーもう大丈夫だよ、と肩をたたいても、なにも反応しなかった。


信じられなかった。死んでしまった。呆気なく。たったこれだけの時間で、亜礼は二親を亡くしてしまった。

佳代は、あの男に殺されたようなものだと思った。身体的にも精神的にも弱っていた佳代を、決定的に追い詰めたのだ。許せないーーと思う前に、亜礼は呆然とした。


佳代は死んでしまった。じゃあ、これから何のために生きていけば良いのだろう。佳代を守るために生きてきて、では佳代が死んでしまったら生きている意味が分からない。



だからーー亜礼の中で、佳代は死んでいないことになった。



亜礼はまだ、子どもだった。佳代の死は唐突すぎて、受け入れられるはずもなかった。傍目には眠っているように見える佳代の遺体を居間に横たえて、次の日から、亜礼は佳代が死んだことを綺麗に忘れていた。




あああ、と亜礼は喚いた。亜礼を抱え上げる男を殴って殴って、男は根負けして亜礼を降ろした。

亜礼の住んでいたビルはもう消火が始まっていた。もくもくと、闇の中に濃い白の煙が浮いている。佳代は死んだ。完全に。遺体さえ残らず、この世から綺麗に失くなってしまった。

どうして良いのか分からなかった。降ろされたところで、なにをしたいわけでもなかった。ついさっきまで亜礼を抱え上げていた男は、困惑したように亜礼を見つめている。

「坊主、大丈夫か」

いや、大丈夫じゃないよな、と男は頭を掻く。


「ーーううん。もう一人で良いから」


じゃあね、と亜礼は男の方を見ずにすたすた歩いてゆく。男は何度か呼び止めようとしたが、亜礼が止まることはなかった。蕭然とした後ろ姿に、男は呼び止めることを諦めた。




どこをどう歩いたのか、亜礼は気づけば廃材の捨て置き場に突っ立っていた。

高く積まれている廃材の山をとくになんの感慨もなく見つめる。火事の喧騒はここまでは聞こえてこなかった。


ーー死のうかな。

唐突に、でもその考えは自然に亜礼の胸に落ちてきた。そう、死ぬべきだった。佳代の死は亜礼の中で既に変えられない事実になってしまった。だったら、死んでしまったって良いと思った。

痛いのは嫌だった。噂ーー全く信憑性なんてありはしないがーーでは、首吊りは実は気持ち良いらしい。でも、死んだ後に首が長く伸びるのはちょっと遠慮したい。どうしようかな、なんて呑気に考えていた。

ふと、火傷の痕が残る腕に目を止め、それからはっと思い至った。あの、テロリストたち。


全て、元凶はあのテロリストたちだ。


あいつらが、爆破なんて馬鹿なことをしなければ、たとえ嘘だったとしても亜礼はもう少し佳代と暮らせた。はずだった。へまなんかしなければ、現実に目を背けたまま、安穏と暮らせたかもしれないのにーー


あいつらに、奪われたんだ。


奪われたなら、取り返さないと、と自然に思った。


亜礼は廃材の山に背を向けた。テロリストたちが予備警察から逃げるならーー地下だ。下町の人間は、予備警察が地下に容易に入ってこれないことを知っている。奪われたものを、取り立てるチャンスは今だけだ。


胃がかっと熱くなった。今だけ、と呟いて、亜礼は走り出す。

予備警察に先取りされる前に、見つけ出さなくてはいけない。


亜礼は、ガソリンがある場所を目指して走った。

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