食い違い

翌日も、同じように働いた。


あのお人好しの馬鹿は、今日だけは切羽詰まったような必死そうな顔をして、無口だった。たくさんミスもして怒られている。


分かりやすいなぁとか思いながら、でも亜礼はそっちを見ないように顔を背けていた。見たら、なんだかいけないような気がした。気がしただけだけれども。


でも、あっちから近寄ってきた。昼休憩の時に亜礼に声を掛けてきた。ぎょっとして、亜礼は思わず逃げ出しそうになった。


「待って待って」

男は焦ったような顔で亜礼を引き止める。

「なにーー俺、弁当食べたいんだけど」

男はすまなさそうに首をすくめ、それから声をひそめて言った。

「君、昨日いただろ?」

俺たちが話してるの、聞いてただろ、と男は囁く。

また亜礼はぎょっとして、そして今度こそ本当に逃げようとした。でも理性が、それをしたら認めるようなものだ、と押し止める。

「なんのこと」

頑なな亜礼の態度に男は困ったような顔をする。なんの、と言われても、と男は呟いた。

「だっていたでしょ。見えたから。俺、夜目は利く方だし」

あ、別に口封じとかじゃないよ、と男は慌てて付け足す。

「…いたけど」

逃げられないと観念して、亜礼はそう言った。

「だよね」

男は大きく頷いてそれから言った。

「大丈夫だよ」

「は?」

文脈もなにもかもを無視した男の発言に、思わず間抜けな声を出す。男は気にせずに続けた。

「ずっと辛い思いをしてきたけど、もうすぐ良くなるから。俺たちが、救ってみせる」

だから、待ってて、と男は張り詰めた声で囁いた。

「え…」

どう返せば良いものか、言葉を失っていると、男は気が済んだのか、じゃあねと言って去っていく。

残された亜礼は暫く呆然とした後、くるりと踵を返して朔弥が待つ場所に向かう。



ーー自己完結すんなよ。


亜礼が、男にとっては下町という制度の被害者に見えるらしい。救ってやる対象だと。


ーーふざけるな。


誰が救って欲しいなんて頼んだ。俺は、自分を自分で救えるくらいの頭は持ってる。


自分を救う為の手段としてのテロは、亜礼にとって魅力的だった。でも、あの男みたいな、他者を救う自分に酔いしれているような奴は嫌いだ。


ーー亜礼にとって、男はこんな風に見えていた。


男は男で、ただ子供の亜礼が搾取されていることに我慢ならないと感じていただけなのだ。救ってやるなんて上から目線で言ったわけではなかった。だが、テロを起こすことを歓迎しているはずだと、なんの確証もなしに思い込める能天気さはあった。


食い違いは、亜礼の人生を大きく狂わせる。

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