東京クリミナル

陽子

鉄骨運び

最初の記憶は、真っ赤な火だった。


じゅうじゅう肉の焦げる臭いがしていた。いや、それは後から付け足された記憶かもしれない。思い出す度、その臭いが鼻を掠めた。


無意識のうちに腕をさする。焼かれた腕。火傷の痕は今もはっきり残る。一生癒えない傷だった。




亜礼あれい


名前を呼ばれて振り向いた。仕事しろ、と怒鳴られて首を竦める。

はーい、と小さく返事をして鉄骨を担ぎ直した。ぎりぎりと鉄骨の重みが肩にめり込んで、骨が悲鳴を上げている。

血のような鉄臭い体を、亜礼は顔を顰めて見下ろした。鉄の臭いは嫌いだった。忘れたい記憶が蘇る。でもやらないとな、と溜め息をつきながら亜礼は鉄骨を運ぶ。雀の涙にも満たない賃金だったけれど、それでもここでは貴重だった。



亜礼は下町の人間だった。22世紀の日本では政変が起こり、実質的に独裁国家になっている。外国人受け入れで人口も増え、首都の東京には超高層ビルが所狭しと建ち並んでいた。それにより、ビルの上層階に住む人間、中層階に住む人間、下層階に住む人間で差別ができている。下層階に住む人々は下町の人間と呼ばれて差別されていた。働いても働いても賃金は少ない。格差の激しい東京から出ようとしても関所が通れない。東京に閉じ込められたまま、亜礼は13歳になった。


「一旦休憩ー」

言われて亜礼は鉄骨を下ろした。みしみし骨が軋んで辛い。周りは成人している屈強な男ばかりで、息も切れていない。バケモノだ、と思いながらいつも休憩する場所に行った。


「亜礼ー」

お前の弁当のおかずちょーだい、と手を差し出してきた朔弥さくやの手を振り払う。

「うるせー。自分のやつ食ってろ」

「俺のやつ見てよ、ほら。おにぎり一個だよ?」

しかも具なし、と朔弥は顰めっ面をする。流石に亜礼も吹き出した。

「具なしってただの米だろ」

「そ。だからおかずくれって言ってんの」

おにぎりにしたら誤魔化せるとでも思ったのかなー、と朔弥は真剣に考え込む。朔弥の母親は朔弥と同じでどこか抜けてるからな、と亜礼はこっそり思った。

「仕方ないから葉っぱやる」

「葉っぱじゃなくてレタス。お前、嫌いなものばっかりあげようとするなよ」

俺は唐揚げが欲しい、と言って手を伸ばしてくる。その手をはたいて、亜礼は弁当を覆い隠した。

「1週間ぶりの唐揚げなんだよ!」

「俺は1ヶ月食ってないから」

前にハンバーグ食ってただろと言ったら、朔弥は、そうだっけとしらばっくれた。

「とにかく俺は1ヶ月ぶりの唐揚げが欲しい」

「知らん。米食ってろ」

朔弥に背を向けて弁当を食べ始める。ぶつぶつと未練がましい声が暫く聞こえてきたけれど、亜礼は無視して食べ続けた。


朔弥は近所に住む幼馴染だった。亜礼と同じで父親を失くし、代わりに早くから働いている。働く場所は違ったが、似たようなものだった。ただ、朔弥の方は母親も働いているから少し余裕はあるーーはずなのだが、弁当の中身はいつも悲惨なことになっている。具なしおにぎりなんて序の口だ。


「お前ん家ってどうなってんだよ」

思わず呟くと、朔弥は驚いたように言ってきた。

「普通の下流家庭ですけど」

そっか、と亜礼は流した。朔弥の鈍感さは筋金入りだ。時々、腹が立つのを通り越して感心してしまう。

「お前、今ものすごく失礼なこと思わなかった?」

俺には分かるんですけど、と睨んできた。亜礼は目をそらす。これ以上朔弥に構っていたら弁当が食べられない。唐揚げを食べよう、と箸を伸ばしたところで、一つ足りないことに気がついた。

「おい」

亜礼が朔弥の方を見ると、朔弥が今度は目をそらす。

ぎゅっと、膨らんだ朔弥の頰を掴んだ。ぎょえ、と変な声を出して朔弥は口を開ける。朔弥の口の中に唐揚げの残骸を見て取った亜礼は、遠慮なく朔弥の頭をはたいた。

「馬鹿野郎」

「許してー」

つい魔が差して、と朔弥はへらへら笑う。

「唐揚げ一個くらい…」

亜礼がむすっと黙り込むと、朔弥は慌てて機嫌取りを始める。

「ほら、おにぎりあげるよ」

「いらねぇ。具なしの米だろ」

「しょうがないなぁ。今度俺の弁当から好きなやつ取ってって良いよ」

あ、でもハンバーグと唐揚げと生姜焼きは駄目だよ、と言われて亜礼はもう一回朔弥の頭をはたいた。

「出し惜しみすんな」

「分かったよもう」

涙目で朔弥は言った。当たり前だ、と亜礼は言いながら急いで残りの唐揚げを食べた。朔弥のことだから油断できない。案の定、涙目はすぐに引っ込んで悔しそうな顔をした。

「なんで食べちゃうの」

「絶対狙ってただろ」

当たり、と面白くなさそうに言って朔弥はおにぎりの残りを口に詰め込む。

「もう休憩終わるから、行くね」

「いつも短くない?」

「うちはほら、ブラックだから」

笑って、朔弥は手をひらひら振りながら立ち去っていく。下町の仕事はブラックなのしかねぇよと呟いて、亜礼は手を振り返した。

亜礼も休憩はあと5分ほどしかなかった。また鉄骨運びか、とげんなり思う。


亜礼がやっている鉄骨運びの仕事は、下町では定期的に募集される臨時雇いの仕事だった。下町には、ビルを建てるために使った鉄骨の余りがたくさん放置されている。そのせいで下町はまるで迷路のようだった。定期的に処分しないとすぐに通れなくなってしまう。ある程度溜まる度に下町の人間が片付けるのだ。きつい労働だが、その分他より少しだけ賃金が良い。亜礼は募集される度に参加していた。


大抵自分より年上しかいない仕事場はつまらなかった。しかも、なにかミスすると嫌味を言われる。文句を言えば袋叩きにされそうで、亜礼はいつも俯いていた。とにかく、目を合わせたくない。安らげるのは、朔弥と一緒にいる休憩の間だけだ。


朔弥は清掃の仕事をしている。そこまで辛くはないから、賃金はほぼないと言って良い。でも、仕事仲間は悪くないようで、ブラックだと文句を言いながらも嫌ではなさそうだった。亜礼も本心ではそっちの仕事の方が良かったけれど、どうしても金が足りなかった。

亜礼の母親は寝たきりだ。二人分の生活費は、清掃の仕事ではまかなえない。


ざりざりと鉄骨を引きずる亜礼に、同じ仕事仲間の男が声を掛けてきた。

「坊主、前もいたよな」

ちらっと、男を見上げた。見たことがあるような顔だ。

「結構会ってるぜ。募集ある度に参加してるから」

覚えられてなかったか、と男は苦笑する。男は軽々と鉄骨を担ぎ上げていた。

黙って亜礼は頷いた。話しかけないでくれ、と思っていたが、男は気にしない風で話続ける。

「坊主はそんな年で鉄骨運びなんか、大変だなぁ。親はなにをしてるんだ」

ずけずけと図々しいと思って、亜礼は眉を顰めた。それを勘違いしたのか、男は謝ってきた。

「あぁ、親御さんはいないのか」

馬鹿、と心の中で毒づいて亜礼は素っ気なく言った。

「母親はいるけど」

しまった、という顔をされた。ずいぶん太平楽な男だと思った。よくここまで下町で生きてこられたな、と思う。


ーー下町では、狡猾にならないと生きていけない。


亜礼が13年間で学んだことだった。


「可哀想にな、子どもなのに…なにかあれば頼って良いから」

一方的に男は言って、足早に鉄骨を運んで行った。亜礼は取り残され、舌打ちする。


ーーあんたなんか頼れるわけない。


どうせ誰かしらに騙されて野垂れ死ぬのがオチだ、と思いながら鉄骨を運び続けた。

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