第14話:Emergency

 目を覚ますと、部屋に入ってくる日光が赤味を帯びているのが分かった。おっさんがかけてくれたであろう毛布を掴んで起き上がると、廊下からおっさんの声が聞こえてきた。

 何を言っているかまでは分からない。でも、俺は恐かった。おっさんの声が、この三年で一度も聞いたことがないほど怒りに満ちていたからだ。

「だから本人は動けないって言ってるだろ!! おまえら、あいつを本気で人間じゃなくて商品だとか勘違いしてねえか?!」

 俺は立ち上がり、立ちくらみを感じながらガラス戸の向こうに行こうとした。おっさんが話してるのは事務所の人間だろうか。

 ガラス戸まで俺が歩み寄ると、おっさんはおっさんはひとことふたこと発して通話を終了した。

「気分はどうだ?」

「それよりその、今どんな状況?」

「事務所の偉い人がおまえと直接話したいって言ってるんだがな、事務所まで来いって言ってんだ。おまえの状態を説明してもな。つかあんなに上から目線っつーか、偉そうにふんぞり返ってる連中ってホントに実存するんだな、軽く感動だわ」

「い、いや、おっさん、俺行くよ。コージとアカシは?」

「あいつらはあいつらで尋問受けてるような状態らしい。知ってたのか否か、真偽が分かるか否か、的な。写真の件は連絡したよ。レコード会社の人たちにも伝えてもらったけど、どういう反応かまでは分からない」

 おっさんが言い終える前に、また電話が鳴った。

「……ええ、はい。今目を覚ましましたけど、そちらまで出向くのは——」

「行くよ。電話返せ」

 心臓が縮み上がってるような気分だったけど、俺はおっさんからスマホを取り戻した。

「もしもし? あ、カネイさんですか。い、今すぐ行きます。……コージとアカシは大丈夫ですか? 三人で上の人と話を——」

「俺も同席させろ」

「……あの、もしかしたら、もうひとり、その……一緒に……。あ、はい。分かりました、すぐ出ます」

 通話終了ボタンをタップすると、

「行くなら俺も同行したい。タクシー呼ぼう、今おまえに人混みは厳しいと思う」

 とおっさんが言った。その通りだった。なんでこの人にはすべて見抜かれてしまうのだろう。もし俺が今電車なんかに乗ったら、被害妄想の視線に射抜かれて死ぬかもしれなかった。


 

「大丈夫だからな、俺だけじゃなくてコージもアカシもいる。さっきのカネイさんだっけ、その人もおまえの味方だ。おまえはひとりじゃない」

 タクシーの中で、おっさんはそう言った。


 ひとりじゃ、ない。

 

 俺が、そんな幸福な状態になれたのは、一体いつからだったろう。

「ありがとう、おっさん」

「はっはっは、守護神と呼びたまえ」

 その時、俺のスマホが着信を告げた。まだ家を出てから数分しか経っていなかった。


「……は?」


 電話はカネイさんからだった。告げられた事実を、俺の頭は処理しきれない。


「そんな……。ま、待ってください、俺は……」


 言葉は続かなかった。カネイさんは細かい話を続けていたが、俺にはそれが聞こえない。スマホを持つ手に力が入らなくなる。すかさずおっさんがそれを取り上げる。


「もしもし? カネイさん、俺です。こいつまた具合悪くしそうだから代わりに聞きます。何があったんですか?」


 俺の視線は真下に落ち、あれだけ泣いたのにまだ涙が止まらなくなった。


「は……? 契約、破棄……?」


 おっさんは呆然と言った。


「待ってくださいよ、あの写真がフェイクだってのは伝えたはずですし……。え? え、え? なんでそんな理由でこいつらがやっと掴んだ契約を無に帰すんですか? そいつひとりくらい……で、でも……クソ! 何とかならないんですか?!」


 おっさんは食い下がったが、すぐに電話を下ろしてタクシーの運転手に自宅に戻るよう指示した。


「俺のせいで……」

「おまえだけの責任じゃないだろ」

「せめてコージとアカシだけでも個人契約とかでいけないかな、どうしよう、俺、俺はどうすれば……」


 帰宅してリヴィングに落ち着いてから、俺はおっさんから、レコード会社が話し合いもせずに契約を破棄してきた理由を聞いた。おっさんは『おまえが知る必要はない』と言い張ったが、これは俺の問題だ。


「レコード会社の奴で、昔、おまえと関係を持った奴がいるらしい。もしおまえの過去がもっと拡散したら、そいつの首が危険にさらされる。それだけの理由だ。契約しなくてラッキーだったよ、むしろ。そんな会社におまえの音楽を預けられない」


 俺が項垂れた瞬間、インターホンが鳴った。コージたちだろうか。おっさんが俺の背後にあるパネルを操作しているのが分かったが、俺の頭の中は真っ暗な空洞のようになっていて、あたかも俺自身がその闇そのもののような、妙な感覚に全身を包まれていた。


「約束が違う!」


 急におっさんの怒鳴り声が聞こえたので俺は驚いて振り返った。門扉に設置してあるカメラが映し出す来訪者は若い女の子だった。


 女。


 女、女は恐い、なんでここにこんな奴が? おっさんのお友達って人か? ダメだ、女は男より恐いことをする——


「緊急事態だって言ってるだろ!」

『緊急事態だからこそ来たんですよ!! ツクリテ氏のファンが今どうしてるか、そして私が今から何をするか、お伝えに参じただけです!』

「ツクリテ……?」

 思わず声が出た。おっさんが舌打ちする。

「気持ちは有り難いけど今マジで大変なことになってるんだ」

『みんな知ってますよ! ネットに全部情報漏れてますから!!』

「えっ……?」

『ツクリテ氏との直接のお話しは無しでも結構です! でも、これだけは、お伝えしないと……!』

「分かった。ちょっと待ってくれ、話してみる」

 おっさんは前髪を掻き上げて、俺の方を振り向いた。

「この子が俺のお友達、通称ファン子ちゃん。おまえのファンのひとりだ。このことに関しては、後で謝罪させてくれ。俺は好奇心でおまえのファンと話してた。でもファン子はおそらく、俺らより情報を持ってる可能性が高い。今聞こえただろ? 情報がネットに漏れてるなら、業界側の人間よりリスナー側の話を聞く方が価値があるかもしれない」

 頭では理解できたが、俺の首は縦に動かなかった。

「でも、女だ……」

「分かってる。ファン子とはここだけで話す。おまえは向こうの部屋にいろ。話は俺が聞く」

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