里中 穂花の世界(2)

 彼女は3年生でアユミとだけ名乗った。水を垂らした哀れな私を連れて、教室に入り、彼女は大声を出した。


「この子、イジメたのどいつ?」


 男子はニヤニヤ笑ってる。


「あんたも、そんなバイキンとつるまない方がいいぜ。

 おっと、やべ、感染ルート急速に拡大中」


 男子のほぼ半数が大笑いして、女子も数人が笑っていた。


「ふうん」


 アユミはゆっくりと笑ってる奴を一人一人睨みつけた。


「覚えた。

 じゃ」


 アユミは手をヒラヒラさせて、そのまま背を向けて去っていった。

 クラスの爆笑は広がった。


「なんだよ、アレ?

 バイキン仲間か?」


 さっき声を出した竹中くんが、口を開くたびに笑いの渦が巻き起こる。

 あまりにもお腹が痛くて、教室には入れず、もうその場にうずくまるしか出来なかった。


「どうしたの?」


 不意に頭上から声がかかる。


「どうして、そんなに濡れてるの?

 風邪、引いちゃうよ」


 どこかで聞いた事のある声だ。

 でも、あまりの苦痛に顔をあげられない。


「お腹痛いの?」


 なんとか、頭を上下させると、軽快な足音が遠ざかって行くのがわかった。

 優しくしてくれる人は、だいたいこのイジメを知って、去って行く。

 だって、こんなのに巻き込まれたくないだろうし、笑う側にまわったほうが絶対楽しいに決まっている。

 私の側にいてくれたところで、私はその相手を楽しませてあげられるスキルなんて何も持っていないのだから。

 絶対に、こうして一人残される。


 ……苦しい。


「大丈夫?里中さん?」


 去年の担任だった高松先生だ。

 杓子定規で、決まり切った事しか言わない。

「イジメは人権の侵害です。絶対にしてはいけません」とか。

 そんな正論で、誰がこうした娯楽を手放すんだろう?

 去年、何度も何度も母親を呼んだのも高松先生で、その度に私が暴行を受けている事なんか、気付きもしないで、きっと自分の中で、生徒思いの先生を演じている事に浸っているんだろう。


「こんなずぶ濡れで。

 しかも、何?すごく汚れているじゃない」


 お願い。放っておいて。

 これでクラスの槍玉に挙げられたら、親を呼ばれたら、それこそ私はもっとずっと酷い目にあわされるのだから。


「先生、今は一刻も早く里中さんを保健室に連れていってあげないと……」


 さっきの女の子の声だ。


「そ、そうね。里中さん、歩ける?」


 おそらく、こんなに汚れている私に触りたくないのだろう。先生は言葉だけは優しく私に問いかけてきた。

 お腹が痛くて、こうしているのに、動けるはずがない。本当に、私なんかに構わないで授業でも何でもしてくれたらいい。


 そのとき、背中をさすってくれる暖かい手の感触があった。

 そっちは泥まみれのはずなのに。


「少しでも動けるなら、保健室に行こう?ジャージ貸してあげるから、着替えないともっと悪化しちゃうよ」


 誰?

 私を知らないの?

 バイキンの私を?


 少し、腹痛が楽になり、身体を起こそうとすると、その下に入り込むように、その女生徒は肩を貸してくれた。


「先生、ホームルーム始めててください。私、保健室に行ってきます」


「宮内さん。……あなた、制服汚れるわよ」


「そんな事、気にしてる場合じゃないでしょう?」


 ……宮内?

 聞いた事のあるような、無いような。

 少なくとも同じ小学校の出身じゃない。

 彼女は、私の濡れた制服や髪のせいで濡れてしまう事を気にもかけず、そのまま保健室まで連れていってくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます