誰も知らない小さな世界の些細な事

常山 無

全てからの解放

 崖の上から見下ろすと、海は激しく水しぶきを上げて波を岩に打ちつけている。

 高所が怖いわけではないのに、どうしても足がすくむ。


「大丈夫。

 穂花ほのか、私だけを見て」


 舞がつないだ手に力を入れて、穂花を引き寄せて抱きしめた。

 しかし、そういう舞も、恐怖で全身を小刻みに震わせているのだ。

 いつもいつも、すべて舞に守られてきた。降りかかる災難をすべて舞は防波堤のように代わりに引き受けてくれた。

 この、最後の瞬間まで頼りっぱなしなんて、そんなことは出来ない。


「舞ちゃん、ごめんね。

 もう、大丈夫だから」


 再度足元をしっかりと見る。

 二人で抱き合いながら、崖の一番縁まで一歩、また一歩と歩みを進めた。


「ねぇ、穂花。生れ変るなら何になりたい?」


 少し震えの混じった声が舞から聞こえる。


「どうかな……。生まれ変わりたくないな。

 ……もう、永遠に海の藻屑もくずとして彷徨っていたいなあ」


「そうだね。きっと、それがいいかな」


「舞ちゃんは?」


「私はずっと、男になりたかった。

 全ての災難は、性別が女だったからだと思ってたから。

 でも……」


「でも?」


「でも、今は穂花と同じ。ずっと一緒に海の中で漂っていたいな」


 崖の土はとても滑っていて、少しでも力を抜いたら、そのまま滑り落ちそうだった。

 舞が右手を穂花の頰に添えた。

 穂花も同じように舞の左の頰に手を当てる。


「じゃあ、行こうか?」


 気軽な旅行に出かけるように舞が言うので、穂花も笑って頷いた。

 どちらからともなく、唇が重なる。

 そして二人で体重を傾けた。

 崖の先端は、その一塊とともに海の中へと崩れ落ちていった。

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