ふたりの想い出 12-2 決意

 先ほどから感じている、肌があわ立つような感覚。獲物を見つめるひたむきな視線を感じる。これらは全て、空腹を抱えた捕食者の殺気なのだ。


 この場所が中庭とどう繋がったかはわからないが、もし、自分たちが餌として放り込まれたのだとしたら……?


 ゾッとした拍子に、薄く平たい石を踏んだ。パキッという甲高い音が鳴る。


 意外にも大きく響いたその音の余韻が消えるか消えないかのうちに生じた、足下から湧き上がるような振動。ルシカの肩を抱えるようにして、テロンはすぐにその場から飛び退いた。


「あぶな……ッ!」


 間一髪。まさにぎりぎりであったが、避けることができた。地中から跳び上がるようにミミズの巨体が現れたのだ。バックリと閉じられた口の内部で、くわえ込まれてしまった岩がバリバリと恐ろしい音を立てて砕かれる。


「音だ! 音で獲物を探しているんだ」


 騒ぎに引きつけられたのだろう、地中を掘り進んでくるような音が多数、急速に近づいてくる。テロンはかがみこんで、地面に転がってる無数の瓦礫のなかからこぶしほどの大きさのものを拾い上げ、ルシカの様子をちらりと確かめた。


 ルシカはちいさな口もとを引き結び、迷いのない瞳でテロンを見つめていた。彼の視線を感じると、コクンと頷いて応える。テロンの考えを察したようだ。あるいは、ただテロンのことを信じているだけかもしれないが、どちらでも構わなかった。


 テロンは瞳に力を込めて頷きを返し、ふたりから離れた場所に向け、手にした瓦礫を力いっぱい放り投げた。素早くもうひとつを拾い上げ、さらに離れた場所に向けて同じように放り投げる。


 ひとつめがガツッと地面に当たって砕けるのと同時に、テロンとルシカは反対方向へ素早く移動を開始した。続けて響いた、もうひとつの瓦礫の落下音。ミミズたちは音のするほうへ地面を割り砕きながら移動していく。狙い通り、ふたりから離れた位置へと。


「うまくいきそうだ」


 とにかく、この危険な場所から離れよう。なんとかして見知った場所に戻り、この異常事態をおとなたちに知らせなければ。――ルシカの手を引いて、テロンはできるだけ音を立てないよう急ぎ足で進んだ。


 怖がって泣いてもおかしくない状況なのに、ルシカは彼と同じように音を立てないよう、静かに足を動かしている。ふたりともやわらかい靴底だったことにテロンは感謝した。


 化け物サイズのミミズたちはガリガリと地面を割り砕きながら、ふたりを探し続けているらしい。うまそうな獲物を逃したことに腹をたてたのか、仲間割れをおこして互いに衝突しはじめたミミズもいるようだ。ふたりの背後で、騒ぎはますます大きくなっていった。


 地面が下り坂になったこともあり、騒音は確実に遠のいていく。ようやく余裕ができ、落ち着いて周囲を見回そうとしたときだ――通り過ぎたばかりの斜面の岩が凄まじい勢いで弾け飛んだ!


「しまった! だまされないやつが……」


 最後に残る敵が、一番油断のならない相手だ。地中から飛び出してきたミミズは、そのままふたりに向けて突っ込んできた。テロンはルシカを背にかばうように立ちはだかった。相手は背の高いおとなほどの大きさ――はじめの化け物よりはずいぶんと小型だ。小細工が通用しない相手は、迎え討つしかない。


「はなれて! さあ、おまえの相手はこっちだ!」


 テロンは息を大きく吸い込んだ。兄と王宮から抜け出した街の広場で、自分の背丈より大きな乱暴者を相手に、気合いとこぶしで追い払ったこともある。


 だが、今の相手は違った。構えも済まぬうちに、凄まじい衝撃がテロンの全身を打ち据えた。体当たりを食らって吹っ飛ばされたのだと知ったのは、離れたはずのルシカの声がすぐそばに聞こえたからだ。


「テロン!」


 腕を突っ張るようにしてからだを引き起こし、彼はなんとか立ち上がった。化け物ミミズは丸呑みにするつもりでルシカを狙っている。まるで進路上の小石を弾き飛ばすように、邪魔なテロンを振り払ったのだ。


「だめだよ! おれが……おれが護るんだ!」


 信じてくれているんだもの――テロンはあきらめなかった。敵から距離を開けようと走るルシカを助けようと、化け物ミミズに背後から殴りかかる。だが不思議なことに、そして悔しいことに、こちらの攻撃がまるで効いていない。


「テロン!」


「ルシカ、こっちだ!」


 息が上がり苦しそうな彼女に追いつき、手を引くようにしてテロンは走った。眼前の暗闇に踏み込んだとき、唐突にバシャリと冷たく重い感触に足をとられ、驚いてしまう。


 それは、水だった。まるで何かの境界線のように、暗い大地に穿たれた水路。水深は浅く、子どもたちの膝までしかない。幅は二リールメートルほど。両端は闇の彼方へ続いている。


 もしかしたら、水を渡ればミミズの化け物は追ってこれないかも――テロンはルシカの手を引き、意を決して一気に水路を渡った。


 だが、化け物ミミズの勢いは止まらなかった。攻撃の気配に気づき、咄嗟にルシカを押しのける。


 次の瞬間、テロンは地面に叩きつけられていた。肺から空気が押し出される。あまりの苦しさに目が回り、すぐに立ち上がることができない。必死に息を吸うと同時に咳き込むと、口から鉄錆のような味の生温かいものが吐き出された。遅れて届く、凄まじい痛み――!


「だめえぇっ!」


 ルシカが悲鳴を上げて彼にすがりついた。小さな手が傷ついたテロンに触れると同時に、周囲が爆発するような白い光に包まれた。


 音も衝撃もなく発せられた光の強さにテロンは驚き、からだじゅうの痛みが溶けるように消えていくのに気づいて、さらに驚いた。


「なんだこれ……、まほう……?」


 それは魔導だった。幼子おさなごが遣えるものとはとうてい思えない、強大な癒しの魔法。生命の光。


 それはテロンの受けたダメージを完全に消し去ると同時に、化け物ミミズを凄まじく刺激してしまったらしい。相手は狂ったように頭部を地面に数度叩きつけたあと、激しく全身を震わせながら凄まじい勢いで突っ込んできた!


「うわッ!」


 常軌を逸した勢いに、回避が遅れた。テロンが精一杯にルシカをかばい、抱きしめたとき。


 ズシャアアァンッ! 大きな衝撃と振動が、ふたりのいる空間を襲った。まるで、眼前に稲妻でも落ちたかのように。


 もうもうと湧きあがった土埃の中からは、いつまで経っても化け物ミミズが飛び出してくる様子はない。テロンは、新たな気配を感じた。土埃はすぐに、あるはずのない風によって吹き払われた。


 化け物ミミズは完全に押し潰されていた。踏みつけているのは、人間族や竜人族はおろか五種族のどれよりも巨大な足だ。


「な……でかい足。巨人……? いや、違う」


 テロンは相手を見上げた。闇色の炎に身を包んだ巨人――いや、これが魔神と呼ばれる存在だろう。本の知識から探り当てた相手の正体に、新手の敵かと警戒するテロンだったが、魔神から敵意は微塵も感じられなかった。


「――ツヨイ魔導ノヒカリ、ヤハリ、オマエたちカ」


 足下のちいさな存在を見つめたまま、闇炎をまとった魔神はたどたどしくはあったがはっきりとした大陸共通語で話しかけてきた。警戒するようなテロンの視線を感じたのであろう、魔神は身動きをせず、淡々と言葉を続けた。


「我、ソノ者ヲ知ッテイル。友人ノ誓いを交わしタ。その者にトッテハ未だ起こってオラヌ出来事であるトハイエ、我にとってハ起こっタコト。友人ノ危機、軽んじて見過ごすワケニハいかぬ」


「え……どういうこと?」


 あまりの出来事に、テロンは思考がついていかない。魔神が「その者」と言ったとき、テロンのそばに居るルシカを見つめていたのだ。


 いかにも昔語りに出てきそうな、ひどく怖ろしい見た目の強大な存在。全身にまとうのは闇の炎であり、丈は王宮広間の柱ほどもある。だが、圧倒的な力を持つ存在を前にしても、ルシカは怯えも邪気もない表情、澄んだ瞳で魔神を見つめ返している。


「ここハ『闇の領域』。オマエタチノ世界ではナイ。向こうカラ、探しテイル魔導を感ジル。早々に還ルガイイ」


 魔神はゆっくりと中空へ腕を伸ばし、見えない何かを掴んだ。それを辿るように後方へ歩き始める。魔神の足が移動したとき、化け物ミミズが潰れた地面が視界に入ったが、そこは黒く焦げて周囲の闇にまぎれ、よく見えなかった。


 テロンは持ち前の慎重さを発揮して魔神の動向を見極めようと動かなかったが、ルシカがためらうことなく動いた。まるで祖父のヴァンドーナに呼ばれて駆け寄るときと替わらない様子だ。テロンは彼女を止めようか一瞬迷ったが、すぐにルシカに追いついてその手を握った。


 テロンとルシカは焦げた跡を避けるように、魔神のあとについていった。


 魔神は水路を越えたところで立ち止まり、見えない糸の繋がる先を探るようにかがみこみ、地面の一点を見つめた。軽く腕を振り上げたかと思うと、次の瞬間、大地を叩き割っていた。


 割れたところには大きな穴が開き、そこから明るい光があふれた。


「ルシカ、あれを見て!」


 光に透かしたように、王宮の中庭らしき光景が見えた。かすかにだが、テロンとルシカの名を繰り返し呼んでいる声も聞こえる。幻のような光景だが、感覚が本物だと告げていた。王宮はテロンにとって、生まれ育った場所なのだ。


「おじいちゃんが、呼んでる」


 テロンの手を引いて、ルシカが当たり前のように穴へと歩み寄る。どうやって戻るというのだろう……飛び込むのか、それとも何か合言葉のようなものがあるのだろうか。魔法にあまりなじみのないテロンが逡巡したそのとき、足下から振動が伝わってきた。急速に大きくなっていく。


 闇の炎を纏った魔神が告げた。


「――急げ、魔導士。幻精界に生身デ存在シテイルノハ危険ダ。喰ワレルゾ!」


「戻ろう、ルシカ!」


 テロンの言葉に、ルシカが頷く。


 引き離したと思っていた化け物ミミズの群れが、こちらに向けて押し寄せてくるのだ。ぐずぐず迷ってはいられない。とはいえどうすれば――透ける光の窓のような空間を見てテロンが思い悩んだとき、まるで光輝く糸のようなものが穴から伸びてきた。


 糸に絡め取られてぐいとかれる直前、ルシカが魔神に向けて「またね」と声を掛けた。そのあどけない笑顔がひどく印象的で、テロンの胸の内に心地よい温もりとなって残ったのであった。





 水に飛び込んだときのような衝撃を突き抜けると、そこはもう王宮の中庭であった。


 魔力の糸から解放され、勢いよく放り出されたふたりの子どもを、上質な魔法衣に包まれた胸がしっかりと抱きとめる。


 振り返ったテロンが見たのは、土中から爆発したように荒れた花壇の中央、ぽっかりと開いた闇色の穴。そしてそこから飛び出してくる化け物ミミズの頭部だった。襲ってくる!


「危な――……!」


 驚いたテロンが警告を発するより早く、化け物と子どもたちの間に立ちはだかった人影がいた。バルバだ。いつも花壇に向かうときには穏やかで丸かった後姿が、丈高く頑健な岩のように聳えている。そのこぶしは、太陽のようにまばゆい金色の光を放っていた。


 油断ならざる武人のような勇ましい掛け声とともにバルバが気合いを発すると、化け物は怯え狂ったように急停止した。続いて繰り出された重い一撃が巨大な頭部を打ち据える。ひしめきもがいていた後続の化け物ミミズたちもろとも、穴奥の闇の彼方へと突き戻した!


「今です、ヴァンドーナ様!」


 バルバの声を受け、テロンとルシカを抱きとめてくれた人物が片腕を掲げると、魔導特有の緑と黄色の光が空中を駆け走った。穴を取り囲むように立体魔法陣が展開される。闇色の穴は急速にしぼんでいき、ちいさな染みとなって、最後には肉眼では見えないほどに縮んでいった。


 空中に解けるように魔法陣が消えたあとには、掘り起こされたかのように荒らされた花壇が残ったのみ。


「……よもや、向こうからじ開けられようとはな。ここは完全に幻精界との繋がりを消滅させておかねばならぬようじゃ。今後このようなことが起こらぬよう、対応しておこう」


 大魔導士ヴアンドーナは掲げていた腕を下ろし、魔法行使で生じた光の残滓を見つめながら厳しい声で言った。構えを戻したバルバが、心配のいろを滲ませた顔で振り返る。


「ですが、それはヴァンドーナ様のおからだに相当な負担となるのでは」


「だからこそ、わしが生きておるうちに為しておかねばなるまい。孫たちの世代にまで暗い過去の遺物を伝えるわけにはいかぬのだ」


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