双つの都 10-53 過去と今をつなぐもの

 幻精界の中心たるアウラセンタリアは本来、光と闇の領域の支配者たちによって守られている。


 この世界を巡る魔力マナは大地に吸収され、まるで天から降った水が地脈を通って泉と呼ばれる場所から湧き上がるかのごとく、この中心の地から放出され、世界を隅々まで満たしているのだ。


 その中枢に開かれた『扉』から突入したアウラセンタリア内部には、現生界に住まうリューナたちの五感では理解できぬほどに凄まじい異空間が待ち受けていた。


 透明な水と濃いミルクが混ざり合いながら流れる大河に、都市ひとつぶんを色とりどりに染め上げられるほどの染料をぶちまけたら、こんなふうになるだろうか。しかも色自体がまばゆい光を発しながら、凄まじい勢いで螺旋のように渦を巻き、後方へと流れ去ってゆくのだ。


「これが魔力マナの本流の内部か……なんというか、すっげぇ圧迫感だな。息まで苦しい気がするぜ」


「……瞳の奥がズキズキしています。張っていただいた守護の膜がなければ、あたしもスマイリーも意識を集中できなかったに違いありません」


 トルテがここには居ない統治者たちに向けて「ありがとうございます」と律儀に礼を言いながらも、ひどくつらそうに目を細めている。


 ――いまリューナたちは『月狼王』スマイリーの背に乗り、ラムダという名の憎悪が隠れ潜む場所へ向かう途上にあった。


 質量をもった光の塊が流れている中を突き進んでいるようなものだ。魔力マナそのものを視覚的に捉えることのできる魔導士には辛い光景である。魔力の気配に疎いリューナですら、眩しすぎてクラクラするのだ。


 トルテとナルニエは片手を互いに握り合い、もう一方の手をスマイリーの背に当てている。


 光の領域の統治者ファリエトーラと闇の領域の統治者ラウミエールはどちらも、それぞれの都から離れることができない。ナルニエと意識を繋ぐことで道案内をしてくれているのだ。


 言葉の伝達では不便なことこの上ないので、トルテの『精神感応テレパシー』の魔導の力を通じ、スマイリーに直接情報を伝えている。統治者たちは戦力になれないということだが、このように進むべき方向すらわからないような驚異の空間においては、道案内だけでも非常にありがたい助力であることは間違いない。


 リューナはトルテとナルニエの体を両腕にかかえ、万一のときでも落ちることのないよう、ふたりを支えている。


 三人の後ろには、大きな卵を抱きかかえたピュイの姿がある。出発前の遣り取りの途中から姿が見えないと思っていたら、いつの間にかスマイリーの背に乗せたままだった『巨大魔海蛇王レヴィアタン』の卵を護るように抱き支えていたのだ。


 同じ始源の存在であることに仲間意識でもあるのか、単にトルテの手伝いがしたいのか、ピュイにしては役に立っているとリューナは素直に感心していた。


 それにしても、いくら魔獣のものとはいえ、常識では考えられないほどに大きな卵であることは間違いない。だが、親の常識破りな巨大さから考えれば、これでも小さいといえるのかも知れなかった。トルテが言うには、「魔力マナが少ない環境でも生命維持できるよう変異した結果」ということらしい。


「ピュイ、落とすんじゃねえぞ」


 振り返ったときに目が合ったのでそう声を掛けたら、「当たり前だ」といわんばかりに凄まじい目つきで睨まれた。舌まで出されてしまう。まったく古代龍というのは表情豊かで生意気で器用な種族だよな――リューナは口をへの字に曲げて前方に視線を戻した。


「卵さん、連れてきてよかったのかな」


「心配すんなよ、ナル。このほうがいいんだ」


 レヴィアタンの姿が見えない現状で、卵だけをアウラセンタリアへ残しておくわけにはいかなかった。いつまた親が戻るかも知れず、また無駄に敵から狙われる標的を分散させておく理由もない。


 自分たちと一緒に『同乗』させておくほうが、敵を打ち倒すために出向いてきたリューナたちにとっても都合がよかったのだ。


「なぁ、ラウミエールのおっさん。ひとつ訊いていいか?」


 リューナは闇の統治者に向け、声に出して語りかけた。心の内で念じるように言葉を紡いでも伝わるのだろうが、ラウミエールの声なき言葉は仲間たちにも届くのだ。明瞭な言葉の応えはなかったが、先を促すような雰囲伝わってきたので、リューナはずっと疑問に思い続けていたことを尋ねてみた。


「なんであいつは――ラムダは、俺たちのことを憎悪しているんだ? 会ったことなんて一度もないし、もともと幻精界の、あんたの領域の兵士だったんだろ。それがどうして現生界まで来ることになったのか……好奇心だとか移住とか、そういう理由なわけないよな」


 少し間が空いたあと、ラウミエールから思念の言葉が返ってきた。


「……あの者は、そなたたちの時代より二世代ほど遡った時代に、特別な役割をになってそちらの世界へと送り込まれたのだ。激しい戦乱の只中に辿り着き、魔導士たちと遭遇したという。結局は任務を果たせず戻ってきたのだが……そのときの魔導士たちとそなたたちを重ね合わせているのかも知れぬ。さらに帰還に相当な労力を要したこと、肉体の一部を損なったことが、あの者の理性を吹き飛ばしてしまったのであろう」


「肉体の一部……って、もしかしてあの腹の魔法傷のことか。なんかよほど恨みがありそうな感じだったけど」


「……戦乱というのは、東に隣接しているラシエト聖王国と戦争をしていた時代のことですね」


 やはり聞こえていたのだろう。リューナとラウミエールの遣り取りに、トルテの意識が割って入った。


「戦争は、悲しみや憎しみをたくさん生み出します。意図しなかった悲劇によって大切なものを失ったり、居場所や家族を奪ったり奪われたり……特に魔陣戦争の末期には、敵味方の区別も出来なかったほどの混乱があったと聞きます」


「大魔導士ヴァンドーナがソサリア王国を救ったという、あの戦争だろ。悲惨な思い出話ばっか出てくるもんな」


「暗き部分を担うがゆえに『陰なる軍勢』と揶揄されながらも、忠義を尽くしてくれていたはずの男であった。だが戻ってきたあの者は実体を持つに至っており、自分自身を含め全ての存在に対し憎悪と殺意を抱くようになっていた。そこをある女神に付け入られたのだ」


「無への回帰を目論む『無の女神』、ハーデロスのことだな」


「神々の世界では互いの存在意義を巡り、勢力争いのようなものが常にある。その神々のなかに、名を持たぬ神が存在している。あまりに気まぐれであり、司る役割も持っておらぬ故、そなたらの世界まで伝えられておらぬかも知れぬが――」


「それはもしかして、『名無き神』のことですか」


「そなたは、その名を口にしないほうがよいであろうな」


「え……どうして、でしょうか?」 


 トルテが戸惑う。リューナにも話の流れがさっぱりだったが、ラウミエールは構わず先を続けた。


「名を持たぬ神こそが、神々のなかで最も強力な存在。それ故に女神はその神の干渉をうとみ、この上ないほどに忌み嫌っている。恩恵や影響を受けたもの全てを、自分の領域である『無』へと引きずり込みたいのだろう」


「そんな」


「名を持たぬ神は、そなたらの世界の創世にも関与しておる。よって、そなたらの現生界そのものが女神にとって滅亡の対象なのだ。けれど神界から直接手を伸ばすことはできぬ。別世界に在るものを滅ぼしたければ、自分の目的に合った手駒てごまを手に入れて操るしかない」


「それで過去にも手を出してきたってのか?」


「時間の流れという概念がそれぞれの世界で異なっているが故に、果たして何処から何処までが意図されたものであるかは我らにも判別できぬが、あの禍々しき雷撃を放っていた黒矢は間違いなく邪悪な関与のひとつであろうぞ」


 あの悪意と喪失そのものが凝縮されたかのような黒い破壊矢のことか――ラムダが放ってきた攻撃のことを、リューナは思い出した。


「そなたらにとって過去に起こった出来事は変えられぬ。けれど続く未来は変えることができるはずだ。そう考えた者が、そなたらをここへ導いたはず」


「それって――」


 リューナとトルテは眼を見合わせた。彼らに母ルシカの危機について助言し、幻精界への『門』を開かせた『時間』の魔導士のことがはっきりと脳裏に思い描かれたのだ。


「ハイラプラスさんのことですよね……」


「あのおっさん、さっぱり理解できねえ……」


 感心したものと脱力したもの、ふたつの声がばらばらと重なる。


「そろそろだ。気を引き締めよ」


 唐突に、ラウミエールが警告を発した。弾かれたようにリューナとトルテの視線が前に向けられる。スマイリーが唸り声と同時に減速した。近いのだ。


 眩く光り輝く色模様ばかりであった光景を覆すかのような、『それ』が見えた。





「なんだよあれ。すっげえ大きさの……砦か?」


 破壊され粉砕された建造物の破片が、魔力マナの流れの滞った奥底に留まっていた。無数に浮かぶ岩塊となって多重の螺旋を描きながら不気味な気配を放つ、何かとてつもなく危険なものの巣のように複雑に絡み合っている。


「我が宮殿が崩されたとき、そのほとんどが大地の裂け目から魔力マナの地脈へと呑まれた」


 ラウミエールの声なき思念が語った。


「壁や柱が破片となり形を変え、そなたらのく手をはばんでいる。瓦礫の迷宮で自身をよろい、姿を隠そうとするとは。実体を無くし剥き出しの憎悪のかたまりと成り果てたか、或いは……虚無に食い尽くされた残滓のみが漂っているのやもしれぬ」


「こっから先は、さっき伝えたとおりだよ、おねえちゃん」


 それまで静かに目を伏せていたナルニエが顔を上げ、トルテに向けて口を開いた。


「うん、ありがとうね、ナルちゃん。ここからは任せてください」


 光を透かした水色の瞳と、朝焼けに空を染める太陽色の瞳が見つめあう。白銀と金、髪の色は違うけれど、こうして並んでいるとふたりはまるで仲の良い姉妹のようだ。


「おにいちゃんも気をつけてね」


「おう」


 こちらのことも気にかけてくれているらしい。こんな可愛い妹ならひとりいてもいいかもな――リューナはぶっきらぼうに返事をしながらも、ちらりと嬉しくそんなことを考えた。


「ぼっとして柱にぶつかったりしないでよ。おにいちゃんいっつもカンジンなところで抜けてるんだもん」


 前言撤回だ――思わずつぶやき、口の端を曲げたリューナだった。腕を組んでわざとらしいため息をついていたナルニエがニッと微笑み、リューナと互いに舌を突き出し合ったのをみて、トルテがくすりと笑う。ピュイがさざめくように鳴き声を響かせた。


 さきほどまで重苦しい会話を交わしていたのがうそのようだ。まるで春の風を受けたかのように雰囲気がふわりと和らいだものになる。このほうがいい――リューナは微笑みながら目を閉じ、そして開いた。


 魔導の瞳に覚悟とありったけの力を籠め、手のなかの剣に意識を集中させる。慎重に選んだ付与魔法エンチャントを魔導の技で行使し、さらに呪文として馴染み深いふたつの魔法を自らの身体にかけた。


 トルテも腕で円を描くようにして幾つもの動きを重ね、複合魔導を行使する。守護の魔法が仲間たちをしっかりと包みこんだ。


 リューナの体の内にも力が炎となって燃え上がり、神経が研ぎ澄まされ、高揚感に満たされる。やっぱトルテの魔法が一番だな――リューナはニッと笑い、青い光を纏った剣の柄を握り締めた。


「さぁて、いこうか!」


 人語を解する『月狼王』スマイリーが、リューナの声に反応した。よどみ停滞しかかっている魔力マナの流れを猛然と蹴りつけ、絡み合った瓦礫の奥へと進撃を開始する。


 リューナの戦いなれた本能に、尋常ならざる力が奥に渦巻きひそんでいるのが感じ取れた。隠しようのない『無』の気配と喪失感、そして途方もない憎しみと嫌悪……世界のみならず自分自身ですら許せないもの、滅ぼさねばならぬもののように思っているのかも知れなかった。


 ラムダは実体というカラを無くしてしまったのだろうか。ひどく不安定な、うごめくようにさざめいている気配。自らが引き起こした爆発に吹き飛んだか魔力の奔流に呑まれたか――いずれにせよ、感じる気配はもはや生き物のそれではなかった。


「来ます!」


 魔導の力を遣って前方の動きを探っていたトルテが声をあげた。


 く手を阻んでいた瓦礫のかたまりが吹き飛び、間髪を容れず黒い影が襲い掛かかってくる。周囲に渦を成していた色彩が光とともに弾け、ごっそりと闇の内に呑み込まれた。まるで爆発的に増殖した粘菌か、餌に襲い掛かる微細な肉食蟲の大群さながら、周囲の魔力を貪欲に喰らっているのだ。


「ひいッ」


 あまりの気持ち悪さに、ナルニエが引き攣るような悲鳴をあげた。卵と幼女をかばい、ピュイが鋭い威嚇の声を発する。


 トルテは腕を振り上げたままだ。その大きなオレンジ色の瞳には、無数の白い星の輝きが宿っている――魔導の技を行使している最中だ。リューナはいつものように、トルテの魔導の技『遠隔操作テレキネシス』で虚空を駆け巡っていた。


「てやあぁぁぁぁッ!」


 気合の入った掛け声とともに、真上からリューナが剣を叩きつける。スマイリーの鼻先を掠め、闇色の肉塊と化したラムダが吹き飛んだ。剣の刀身に付与した『完全魔法防御パーフェクトバリア』が、肉体という容れ物を失ったラムダを阻んだのだ。まるで水袋を叩いたような感触が、リューナの腕に残る。


 吹き飛ばされたラムダは、すぐに方向を転じて再度襲い掛かってきた。


 スマイリーが器用に身を翻すように立ち回り、距離が狭まったタイミングを見計らってピュイが炎を吐く。リューナも魔法での攻撃を連続で叩き込んだ。


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