双つの都 10-44 織り成された虹

「リューナ!」


「ちっくしょう、あいつが来たんだな!」


 リューナの声が苦々しげに吐き捨てる。彼の言葉が向けられた相手が誰なのか、トルテにとっては訊くまでもない。ラムダだ。


「この騒ぎを引き起こした当人が自ら御出座おでましという訳ね」


 ルシカがそう言って、油断のない表情で魔導の感覚を研ぎ澄ませていた。その瞳が向けられているのは、傍にそそり立っている結晶壁の上だ。


 彼女の視線の先にあるのは、黒い鎧に身を包んだ武人である。地上の五種族のどれにも属さない外観は人間族のものと似ているとはいえ、まるで魔人族か竜人族のように巨漢であり、浮かべている表情は凄まじく人離れしたものだ。


「邪神の導きか、運命とやらの悪戯いたずらか……。なぜ邪魔になりそうな者がこの場に集結しておるのだ。――ははぁん、なるほど」


 ラムダは『黒雷撃矢』を放った弓を下げ、ニヤリとわらってみせた。


「さては忌々いまいましき『名無き神』の仕業とやらだな」


「――そちらの事情は知らないけれど」


 突然の襲撃者にもひるむことなく、ルシカが声を張りあげた。


「この地は在るべきかたちに戻させてもらうわ。阻止しようとするならば容赦はしない」


「武器もなくそのような大口を叩くか、おんな。何と笑止しょうしな……む?」


 反り返るようにして傲然ごうぜんわらいかけた黒鎧の男の顔が凍りついた。目を見開き、眼下で叫んだ者の姿を凝視する。


「まさか生きて……!!」


 ラムダが叫んだ。分厚い唇がぶるぶると戦慄わななき、次いで噛み締められた歯がギリリときしんだ。焔のごとく燃え盛る瞳が、ルシカの姿を映して不気味なほどに輝きを増してゆく。だが、その表情はすぐに歪められた。


「いや、違う……よく似てはいるが別人か、クソッ! だがそんなことは瑣末なことに過ぎぬか。くはははっ。……それほどまでに似ているのだ。おまえの血と魔導を浴びることができれば、俺の復讐心もなだめられよう……!」


 成り行きに驚いたトルテは思わず母の顔を見た。だが、ルシカの表情は身に覚えがないことを語っていた。


 ラムダは大弓を構えた。禍々しい色に塗られた矢がつがえられている。弓本体の重量と強靭な弦をものともせず、ラムダはルシカの心臓にぴたりと狙いをつけた。


「過去の悪夢めが。――この世界とともに死にゆくがいいッ!」


「させん!」


 凄まじい音と衝撃が、遥か下の地面に立っていたトルテにまで伝わってきた。テロンがラムダを、構えていた弓ごと殴り飛ばしたのだ。


 凄まじい一撃を受け、大男が立っていた結晶壁の上部までもが割り砕かれていた。ばらばらと音を立て、離れた場所へ降り積もっている。


「妻には触れさせない。どのような因果があるのかは知らないが、どんなに似ていても別人なのだろう。彼女を狙うというならば……俺が相手だ」


 金色こんじきの輝きを全身に纏ったテロンが、殴ったときの拳を戻しながら結晶壁の上で背筋を伸ばし、静かな声音で男に告げる。けれどその瞳に宿っている強い光と言葉には、背筋の凍りつくような迫力があった。


「テロンとうさま……本気で怒ってる」


 壁上から結晶の床に降り立った父を見つめたまま、トルテは呆然とつぶやいた。けれどすぐに我に返り、離れた場所に倒れ伏したままのラムダに視線を向ける。


 ラムダは片肘をついて上体を引き起こし、顔を上げた。床下に渦巻いている恐るべき魔力の強い輝きに照らされ、不気味なほどに凄まじい形相になっている。


「ふ、クッ……ファハハハハハハッ! どいつもこいつも、クソ忌々しい!」


 黒鎧の男はトルテたちをめつけ、狂ったように哄笑した。


「苛々とさせられるぞ。破滅と消滅の仕上げを目前にして、これほどまでの邪魔が入るとは。『双つの都ファントゥリア』の守護の力エランティスが活きているのか、それとも『名無き神』の意思が干渉しているのか……」


 目をカッと見開いたまま髪を振り乱し、ブツブツとつぶやきはじめたラムダを、テロンとルシカが油断なく見つめている。相手の真意を測ろうとしているのだろう。


 トルテの隣には、剣を抜いたままのリューナが降り立った。レヴィアタンは結晶壁の向こうへと胴体を回し、狙いの定まらぬ目をして首を巡らせている。


「どういうことなのでしょう、リューナ」


「俺にだって、さっぱりわかんねぇ。あいつがそもそも何を思ってこんなことを仕出かしたのかすら理解できねぇんだぞ。トルテ、おまえやルシカさんに反応していた意味もわかんねぇし――」


 憎悪と憎しみに自らむさぼり食われているのか、或いは内なる責め苦に苛まれているのか。ラムダはゼイゼイと肩で息をしながら、それでも立ち上がった。墜落の衝撃にも手放さなかった黒い大弓を支えにして揺れかかる体を支え、凄まじい形相を彼らに向ける。


「……こうなればかたちなどどうでもよい。すべてが消え去るならばどうでもよいわ! 現生界の化け物よッ! 聞こえておろう、我が呼び掛けにこたえよ!」


 ラムダが野太い声を張りあげ、黒い鎧と手甲に包まれた腕先を宙高く持ち上げた。握られたこぶしの中で、星形をした漆黒の鉱石がギラリと光る。彼の背後で、巨大な影が撥ねるようにビクリと反応した。


 『巨大魔海蛇王レヴィアタン』だ。


「やはり『封魔結晶』……」


 トルテは声を震わせた。


「てことは、まさか」


 リューナの声も緊迫したように震えている。彼も魔導士であり、魔術学園の現園長であるメルゾーンの息子なのだ。『封魔結晶』と称される魔道具マジックアイテムが幻獣や魔獣を封じ込めておく他にどのような力を持つものなのかは、知識として充分に知っていた。


 テロンもルシカも、その魔道具の効果を理解していた。強化の魔導と『聖光気』を備え、すでに死闘に臨む覚悟を決めている。


「さあ、化け物よ。滅びのさだめから逃れてきた始原世界の死にぞこないよ……! おまえの卵を護るためだ、邪魔者どもを殲滅せよ。さあ、取り巻きどもを殺せッ!」


 レヴィアタンの瞳が燃え上がるように輝きを増した。


 トルテは息を呑んだ。


 レヴィアタンの瞳の奥に、はっきりと知性の光が見えていたことに気づいたのだ。最上級に位置する魔獣は、古代龍のように知性ある存在であることがほとんどだ。おそらく先ほどまでの猛攻は、『巣』を荒らしにきた侵入者を排除しようとしての行動だったのだろう。


 だがいまは、悪意ある相手に操られ、そそのかされてしまい、はっきりと敵になってしまった。トルテは思わず大声で叫んだ。


「いけない! 待って――あたしたちは敵じゃありません!」


「トルテ!?」


 リューナの驚いた声があがる。


「あの子はたぶん、大事な卵を護ろうとしているだけなんです。あたしたちの敵じゃない。きっと、きっと話せばわかってくれるはずです!」


「けど、いまはあいつに操られているんだぞッ!」


「でも敵じゃないなら、傷つけたくありません。だってあの子に悪気はないんだもの!」


 傍らでも、父と母が驚いたようにこちらを振り返った気配があった。


 トルテは瞳に思いを込めて、両親を振り返った。いま目の前にいる彼らにとって、自分が娘だと認識されていないことはわかっている。けれど、無益な生命の奪い合いをしたくないという気持ちを理解して欲しかった。


 ふたりはトルテの瞳をじっと見つめ、トルテも視線を外さなかった。ふたりの顔を交互に見つめながら、もう一度口を開きかけた。


 それより早く、ルシカの唇が動いた。


「あなたの気持ち、わかるわ」


「トゥーリエの統治者たちも、レヴィアタンを倒す必要はないと言っていたからな。ならばリューナ、君の協力が必要だ」


「え、は、はい。――俺?」


 ルシカに続いて発せられたテロンの言葉に、リューナの素っ頓狂な声が応える。テロンはトルテに目を向けながら言葉を続けた。


「そうだ。先ほどの攻撃のはじめ、あいつは俺たちではなく、君――トルテを狙っていた。不意打ちによって戦力を減じたいなら、俺たちであってもおかしくはない。あの遠距離から迷うことなく君に狙いを定めていたのには、理由があるはずだ」


「おそらくは、あの弓と矢に。攻撃力だけではなく別の役目を持っているのよ。次にあたしに狙いをつけようとしていたから、魔導士であればいいのかしら……。あたしを狙ったのは、魔導士だという以前に複雑な背景がありそうね」


「別の誰かと間違えていた……ということか。ルシカ、まさかまた、あの時と同じように――」


「かなりの年月を経てまでも間違われてしまうなんて、ひとつしか心当たりがないけれど……それについての追求はこの際、後回しにするしかないわ」


 ルシカはオレンジ色の瞳に力を込め、何かをふっきったように強い意志を思わせる表情で敵に向き直った。その前に、彼女を護るようにテロンが進み出る。


「俺が奴らの――レヴィアタンの攻撃を引きつける。リューナ、君はあの男の持っている武器を狙ってくれ。奴が狙いをつける隙を与えぬよう、攻撃を仕掛けてほしい」


「あたしたちには、あたしたちの役目があるわよ」


 ルシカの言葉に、トルテは頷いた。目を合わせたリューナが、彼女の不安や懸念を払拭しようとして、ニッと不敵そうな笑みを浮かべてみせる。いまのトルテには、その心遣いがたまらなく嬉しかった。


 トルテは目を閉じ、開いた。母と同じ強い輝きが瞳に宿っていることを願いながら、諸悪の根源に決然とした視線を向ける。


 ラムダは始原の生き物たるレヴィアタンを従え、再び結晶壁の高い位置に立ち戻っていた。手のなかの鉱石――『封魔結晶』が、地面下に渦巻く魔力マナの輝きにも負けないほどに強く輝いている。


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