双つの都 10-42 護るべきもの
現生界ではもはや数えるほどしか存在していない魔導士――味方についたならば大いなる天恵をもたらし、敵対行動は天の災厄ともいわれる古代魔法王国の力の継承者たち。
ルシカという宮廷魔導士を手に入れたソサリア王国に、他国が穏やかならざる警戒の眼差しを向けるのも無理はない。そう再認識させられるほどの凄まじい光景が、テロンの眼前で展開されている。
彼女らの周囲を渦巻くように駆け上がった色のついた風の勢いに押されながらも、テロンは脚に力を籠めて踏みとどまった。
ドンドンドンドンッ! 複雑な紋様を織り成す光輪が幾つも、結晶塔の周囲に展開されてゆく。ルシカの『
巨大な結晶の塔が少しずつ、確実に割り砕かれてゆく。テロンもひびの生じた箇所を狙った『聖光弾』を撃ち、魔導士たちの破砕を援護する。
唐突に、塔全体が激しく揺れはじめた。
分厚い結晶の床壁に阻まれていた魔力の渦が新たな出口を求めて暴れまわり、弱くなった部分に圧力を掛けているのだ。塔が振動したことで、ついに周囲の床全体にまで微細な亀裂が入りはじめた。
「もうすぐ砕けるか」
「いえ、まだよ。結晶そのものを繋ぎとめている力があるわ。この場所全体を強固に保っている力――生き物の体を駆け巡っている魔力の流れにも似ている」
テロンの言葉に、ルシカの声が応える。周囲はシュウシュウと噴き上がる蒸気のような煙に覆われ、かなり見通しが悪くなっていた。
ばふっ! という強烈な魔導の風とともにルシカの姿が視界に戻る。彼女は魔導を行使しながら、結晶の床や屹立している結晶の壁に視線を走らせていた。
「どういう意味なんだ、ルシカ」
「この結晶そのものが、レヴィアタンの『巣』なのかも。始原の生き物の生態には今も謎だらけだもの。それにしても信じられない規模だけど、体内から吐き出した何らかの物質が結晶となってこの地を覆い尽くしているみたい」
厳しい面持ちのまま、ルシカが一気に語った。ふと彼女は魔導行使の腕を止め、白い光が無数に踊るオレンジ色の目を細めた。
「あれは……何かしら?」
僅かに語尾の震えた言葉とともに、ルシカのほっそりした腕が上がる。魔導行使のためではない。何かを指差しているのだ。
テロンはルシカの傍に駆け寄り、その視線を追った。
「見える? テロン。塔の内部の低いところ、下からの強い光や屈折でうまく見通せないけれど……ほら、あそこに灰色っぽい丸いものがあるの」
目をすがめるようにして瞳を凝らし、見当をつけて焦点を合わせてみると、テロンにもそれが見えた。ひと抱えもありそうな大きさの奇妙な影だ。下からの強烈な光にも透けぬほど分厚い殻に覆われた石のようなものが、結晶の内部深くに守られている。
「なるほど……確かに何かが埋まっている。ただの石という感じではないな」
「ええ……。あえてこの場所に安置し、大切に包み隠していたみたいな印象を受けるのが気になるわ」
「危険なものか」
テロンの問いに、ルシカはすぐに反応しなかった。正体を見極めようとして魔導の瞳による観察に精神を集中させているのだろう、上体が前のめりになっている。
やわらかな金の髪が揺れ、魔導の力が空間を揺るがせる風になびいて肩を流れた。隣に並び立つふたりの魔法による破砕が続いているからだ。
「……待って! ふたりとも攻撃を止めて。何かがおかしい!」
ルシカは謎の影から目を離さぬまま、続けて魔導を行使しようとしていたリューナとトルテを制した。テロンを振り返る。
「あれを破壊することで、取り返しのつかないことになりそうな気がする。あたしが直接確かめてくるわ」
「なぁ、どうしたってんだよ! 全部まるごとぶっ壊したらいいんじゃないのか?」
魔導士の青年が
「待って、リューナ! あたしも感じるの。胸がドキドキして……とても嫌な予感がするんです」
リューナはトルテの言葉に動きを止めた。「いったいなんだって――」と青年が言いかけたとき、テロンは凄まじい勢いで迫ってくる気配に気づいた。ぞわりとする首筋の感覚とともに、声を張り上げる。
「皆、来るぞッ!」
テロンの声に素早く反応したのはルシカだ。仲間たちへ向けた援護魔法を瞬時に行使する。
地面が激しく上下した。亀裂が大地の深くにまで延びる。援護魔法の輝きが彼ら四人の体を包み込んだとき、凄まじい烈風が頭上から叩きつけられた。彼らの周囲に立ち込めていた煙が一瞬で吹き払われる。
「
叫ぶと同時にテロンはルシカの体を抱き寄せて地を蹴り、リューナがトルテをかっさらって跳躍する。
次の瞬間、今まで一行が立っていた場所に凄まじい質量が雪崩れ落ちた。
「うわッ!」
「きゃあぁッ!」
目まぐるしく変わる視界の外から、テロンの耳にリューナとトルテの悲鳴が聞こえた。離れた場所にふたりの無事な気配を感じ、ホッと安堵する。下敷きになることは免れたようだ。だが安心してはいられなかった。
シャアァァァァァッ……!
凄まじい敵意を
「戻ってきたか!」
テロンはルシカを離れた位置に降ろし、全身に巡る『気』に喝を入れた。『聖光気』の輝きで身を覆い尽くし、拳を、脚を、
ルシカの魔導の技により、自身の体がより強靭なものとなって躍動しているのを感じる。感覚が研ぎ澄まされ、周囲の様々な気配が彼を取り巻いた。
背後で成り行きを見守りながら精神を集中させて次の魔法行使のタイミングを図りつつ、結晶塔へ近づくための隙を見極めようとしている彼女の息遣いを感じる。
割って入った巨躯の向こうに感じたのは、闘いに挑もうとする青年の気迫だ。
眼前に横たわっている、凄まじく長大な大蛇の体躯と竜めいた頭部の威容さと醜悪さ。魔導士たちに向けられていた憎悪が、今『聖光気』を纏ったことで油断ならざる敵となった自分にも向けられたこと――。それら全てが手に取るようにわかる。
こうなっては仕方ない――己の拳と技で始原の存在を阻止するまでだ。
テロンは腕に力を籠め、腰を僅かに落とした。おのれ自身を鼓舞するように、仲間たちに聞こえるように声を張りあげる。
「ゆくぞ!」
テロンは燦然と輝き渡る結晶の床を蹴り、恐るべき相手へ向け突っ込んでいった。
「トルテ、もう少し後ろへ下がってろ!」
リューナは前に視線を向けたまま、背後に立っているだろう幼なじみに向けて叫んだ。
レヴィアタンを引き回していたはずのスマイリーの姿がないのが気にかかるが、まずは注意を自分に惹きつけ、魔導士のルシカとトルテから引き離さなければならない。塔の内部にあった影の正体はさっぱり見当がつかなかったが、ふたりならきっとなんとかしてくれるという確信があった。
「適材適所ってやつだぜ……!」
リューナはいつも通り、魔術の詠唱によって自分に『
「リューナ、気をつけてください!」
眼前にいるのは、頭部だけで小山ほどもある大蛇だ。現生界にいたとは信じられないほどに巨大な体躯と、凄まじく濃い氷属性の
「不足はねえぜ!」
構えた剣の刀身をひらめかせるようにして跳躍し、巨大な頭部に斬りかかる。
「でゃあぁぁぁッ!」
ガヅン! 身の丈ほどもある爬虫類めいた鱗がリューナの一撃を受けて傷を生じた。だが、かすり傷ほどの攻撃にしかなっていない。始原世界を生きていた『
「クソッ! どうすりゃいいってんだッ」
思わずリューナが吐き捨てたとき、眼前で光が炸裂した。ズドン! と腹の底を突き上げるような大気の激震と同時に、レヴィアタンの巨躯がズシリと揺れる。リューナは呆然と目を見張った。
黄金に輝く肉体を武器に突っ込んだテロンが、始原の生き物とされるレヴィアタンを真正面から殴ったのだ。
太陽の強烈な光にも勝る輝きを纏った両のこぶしが立て続けに鋭く突き出されると、魔導の技である『
『炎龍牙突拳』――トルテの父の得意とする体術の技の名のひとつがリューナの脳裏を掠める。千の車輪が一斉に
リューナがひそかに憧れを
「くっそおおおぉぉぉぉッ! 負けてらんねぇッ!!」
技を繰り出したテロンが体勢を整えるために拳を引いたタイミングで、リューナは再び攻撃に出た。『
剣とおのれの周囲に展開された魔法陣。逆巻く烈風と魔導の刃の渦ごと、眼前の敵に叩きつける。
鱗や硬質の皮膚がバリバリと裂けるように大量に切り裂かれて剥がれ落ち、粘りのある紫の色彩がバッと周囲に散った。物理より魔法攻撃のほうが有利ということか――リューナは剣に次の付与魔法を行使した。
テロンが再び拳を、蹴りを叩き込む。攻撃の合間に地に降り立つ彼と入れ替わるように、リューナは魔導の剣で斬りかかった。
はじめはレヴィアタンの尾や牙の攻撃を避けつつ、ただ攻撃を交互に繰り出していたリューナとテロンだったが、やがて互いの動きに感覚が馴染んできた。片方がレヴィアタンの攻撃を惹きつけ、待機していたほうが攻撃を仕掛ける。
ジャアァァッ、ジャアァァッ!!
長大な尾を打ち振るえば隙のできた胴を切り裂かれ、巨大な顎とともに牙を振り下ろせば待ち受けていた拳に頭部の骨を割り砕かれる。ひとつひとつはレヴィアタンの大きさからは微細な傷であったかもしれなかったが、十も二十も重なればさすがに生命力をじりじりと削り取られてゆくに充分な攻撃であった。
トルテの気配を探ると、彼女の傍にルシカの気配があるのを感じ、リューナはホッと安堵の息をついた。彼らがレヴィアタンの注意を引きつけている隙に、無事ふたりは結晶塔へと移動を果たしていた。
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