双つの都 10-11 遺跡の迷い子

 大樹は、まるで王宮の揺るぎない塔のごとく悠然とそびえ立ち、夜闇に数多あまた輝く星々の光さながらに煌めく葉を茂らせていた。


 最奥の岩塊である果ての浮島には、他に緑というものがなかった。草一本、花一輪さえ育っていない。植生がどうとかいうより、濃密過ぎる魔力マナのせいなんじゃないかな――リューナは周囲の光景を眺め渡し、感想を洩らした。凄すぎるだろこれは、と。


 傍にいるトルテが、魔導の輝きを宿したオレンジ色の瞳をかばうように手のひらをかざし、まぶしそうに目を細めながらも大樹を懸命に見つめている。詳細な部分を見極めようとしているのだろう。けれど、あまりの光量に刺すような痛みを感じているのか、幾度も目蓋を震わせている。


「ん……。扉、なのですよね、きっと、あの樹が……。扉のようには見えませんけれど」


「無理するな、トルテ。瞳を焼くことになったら大変だろ、俺に任せておけよ。調べてくるから」


 リューナの魔導の瞳は、強大な力を秘めているトルテのものほど鋭敏なものではないのかもしれない。確かに、煌々と輝いている樹幹も枝葉もすべてが光そのものであるかのようにまぶしいものであったが、その色彩が見分けられなくなるほどには強く感じなかった。ふと思いついて上着を留めているボタンの表面に自身の瞳を映してみたが、リューナの深海色の瞳の虹彩にはトルテのような魔導の閃きが現れていない。


「どういう理屈でそうなるんだろ。……まぁいいか。とにかくトルテに無理はさせられない」


 腕の剣をいつでも取り出せるよう精神を集中させながら、慎重に歩みを進める。万一のための用心のつもりであったが、周囲も含め、大樹に危険な気配は感じられなかった。むしろ頬を撫でる濃密な魔力マナの大気の心地良さに癒されながら、リューナは大樹へと近づいていった。


 これが地上のものであったなら、どのくらいの年月を生きてきた植物なのだろう……リューナは知識として憶えている木々の種類を次々と思い浮かべてみたが、そのどれにもぴたりとくるものがない。


 にれとは違う葉のなめらかさ、くすとも違う枝の涼やかな広がりと規模、かしとも違う真っ直ぐな幹、太くうねり岩盤を貫いている根の強靭さ。そしてなにより、ふたりの立つ浮島すべてを覆い尽くし天蓋のごとく茂っている葉の豊かさは、地上に生息する植物とは遥かにかけ離れたものであった。


「扉……というからには、開くのだろうな」


 リューナは幹に腕を伸ばし、そっと指先で触れてみようとした。だが、驚いたことに指先は苦もなく表面を突き抜けてしまったのである。


「うわっ!」


 慌てて指を引っ込め、リューナはまじまじと幹の表面を見つめた。気のせいではない、今までの強い光が幾分か鎮まっている。軽い足音が背後に近づいてきたので振り返ると、案の定トルテが駆け寄ってきていた。


「リューナ! だいじょうぶですか?」


「あぁ。どこもなんともないけど、触れることができないぞ、この樹。まるで幻獣みたいだ」


「幻精界に属するものなのでしょうか……容れ物たる外殻がいかくがないなんて」


 トルテがリューナの傍に並び立った。樹の幹に、そっと指先を近づけようとしている。彼女の指も彼と同様に突き抜けるだろうと思っていたリューナは、予想とは違っていた光景に仰天した。


 細い指が触れた瞬間、凄まじい光が爆発した。だが、それは一瞬だった。光は幹を駆け下りて足下の地面を奔り、リューナたちの背後で巨大な魔法陣を成した。


「まぁ、これは――」


 トルテが何かを言いかけたとき、丁度この浮島までたどり着いたばかりの幼いふたりによる賑やかな声が響き渡った。


「うわぁっ。なにをしたの? きれいな魔導の魔法陣っ。すんごい複雑なやつだね!」


「ピュルティ、ピューイ、ピューイ!」


「ピュイ、ナルちゃん、気をつけてこっちへいらっしゃいな。それにしても、知りませんでしたわ、こんな仕掛けになっていたのですね。ハイラプラスさんのなさることには、いつもいつも驚かされてしまいます」


「え。トルテ、どういうことだ?」


 ふたりに呼びかけたあと、頬に人差し指を当てるようにしてのほほんとつぶやいたトルテの言葉に、リューナは驚いて顔を向けた。どうしていま、唐突にその名前が出てきたんだろう?


「出発する前に、あたしの部屋で荷物のチェックをしていたときのこと憶えていますか? リューナってば忘れ物をしてしまって、一旦おうちに戻るために『転移の間』へ駆けていってしまったでしょう? そのときハイラプラスさんが入れ違いに部屋に入っていらっしゃって、道中は気をつけて行くようにおっしゃってくださったのです」


 そういえば回廊ですれ違ったっけな、とリューナは思い出した。ハイラプラスのおっさん、意味ありげにウインクなんか寄越してきやがったけど、また何か仕込んでたということか――。グローヴァーアカデミー時代から天才と称されてきたらしい『時間』の魔導士のことだ、深遠なる意図か確固たる予見に備えてのことに違いないだろうけど。


 納得したように頷きかけたリューナだったが、次のトルテの言葉で思わず「んなっ?」と声をあげてしまった。


「それからあたしの腕をとって、こう、指先にキスなさったんですわ。安全祈願か、挨拶のようなものなのかなと思っていましたけれど、こんな仕掛けがあったのですね」


 心から感心しているらしいトルテが何度も深く頷きながら、背後の空間で具現化した魔法陣に向き直っている。リューナは心中穏やかではない。――俺の居ないときを狙ってトルテに何やってんだよ、おっさん!


「まさか歳下が好みだとかそういうんじゃないだろうなっ」


 無害そうな、いかにも温和そうな、人好きのする笑顔が脳裏に浮かぶ。けれど見掛けに騙されてはいけない。相手は凄まじい魔力マナと計り知れない魔導の知識を持った、古代魔法王国末期の政治と数百万もの民の動向を掌握していた最高実力者のひとりなのだ。魔法使いのくせに間合いの取り方も熟知していて、剣の扱いも飛翔族の戦闘兵より上手うわてであった。そういった意味では、煮ても焼いても食えない相手である。


 トルテの動きにつられるように、リューナも後方を振り返っていた。魔法陣は地面に固定されていたが、さらに光は止まることなく、空中にまで展開されつつある。立体魔法陣なのだ。その周囲で、子龍と幼女が無邪気な様子ではしゃぎまわっている。


「まさかここに『転移テレポート』してくる、とかいうんじゃないだろうな。いくらなんでも、そこまで常識外れな魔法が可能だとかいうんじゃあ――」


「無理ですよ。こちらも何かと忙しいので」


 ふいにどこからともなく響いたすずやかな声に、リューナは心底驚いた。文字通り手のひら一枚分ほど跳び上がってしまう。


「なッ!? その声は、ハイラプラスのおっさん!」


「相変わらず、おっさん、は余計なのですが」


 笑いを含んだような言葉とともに、展開を完了させた魔法陣が掻き消え、その空間に滲み出るように声の主の姿が現れた。


 背の高い、白い長衣をまとった人間族の男だ。整った面差しは中性的で、さらりと流れる銀の長髪が少しも嫌味になっていない。背筋を伸ばして立つ姿勢や、片手を挙げて挨拶を寄越してきた仕草はあくまでも典雅かつ優美であり、眼差しはどこまでも穏やかで優しげであったが、その瞳の奥には只ならぬ知性の煌めきがある。出逢った頃からそれほど歳を取っていないように思えるが、そもそもの年齢をリューナは知らなかった。


「リューナ、トルテちゃん。こうして繋がったということは、扉たる場所へきちんと到着したのですね。ご無事で何よりですよ」


「まぁ、ハイラプラスさん、いつのまに」


 トルテが声をあげ、口を丸く開いたまま、目の前に現れたハイラプラスを見ていた。もちろんその表情はどこかゆったりと平和そうであって、心底驚いているのかどうか突っ込みたくなるものであったが。


「あらでも、本物じゃないんですね。びっくりしてしまいました」


 すぐに得心したような微笑になり、トルテが首をちょこんと傾げる。そのオレンジ色の瞳の端に、魔導の輝きではないあたたかな光がともったように見えた。悠然と広がっている雲海の彼方から、夜明けの太陽が昇りつつあるのだ。最初に放たれた力強い火箭ひやに貫かれ、東の空に低く垂れ込めている雲がトルテの瞳と同じ色彩に染まりはじめている。


 リューナの頬にも、じんわりと温もりが広がっていく。一日のはじまりを象徴するあたたかなオレンジの光が、遠く地表から隔たった遥かな高みにあるこの場所にも、しっかりと届いたのだ。


「さすがトルテちゃん。察しが良いですね」


 リューナは片方の眉を上げ、ハイラプラスの姿に眼を向けた。


 そういえば、血縁であるゆえにトルテと同じ稀有なる色彩の瞳をもつハイラプラスだが、いまのトルテとは色味に違和感があった。夜明けの太陽に照らされているはずなのに、いまなお蒼白い闇のなかに沈み込んでいるかのような印象があるのだ。本物じゃない、というさきほどのトルテの言葉が脳に染み込んでくる。


「わたしの実体はいまもファンの魔術学園に滞在中ですよ。ちなみに時差があるので、こちらはまだ夜明けまで少し時間がありますけれど」


 どこから見ても本物としか思えなかった銀髪の魔導士が、トルテと同じような緊張感のまるでない笑みを浮かべつつ言った。


 その言葉にリューナは唖然とした。けれど、なんとなく理解できた。リューナも、隣に立つトルテも、互いにふざけあいながら立っているナルニエとピュイも、浮島のすべてがゆっくりと温もりに満ちた色彩に染め上げられていくのに、実際に目の前に立っているかのように投影されたハイラプラスの姿には、まるで朝日が当たっていないからだ。


「こちらと話をするために、遠くから飛ばされている映像だっていうのか。どんだけ人間離れした魔法を使うんだよ……ったく。凄すぎるぜ」


 きれ半分、素直に発せられたリューナの賞賛の言葉に、ハイラプラスがたのしそうに笑った。傍らのトルテがリューナのほうへ身を乗り出すようにして小声で囁く。


「立体的に、どこまでも正確に、実体を空間投射しているみたいですね、リューナ。会話が成り立っていますから、記憶された映像ではないみたいですし。さすがハイラプラスさんだなぁって思いますけれど、なんだかさきほどの魔法陣の綴り方、以前にメルゾーンおじさまが使っていた魔術にも似ていませんか?」


「そのとおりなんですよ、実は」


 にこにこと完璧な笑顔を崩さないまま、ハイラプラスが言った。聞こえていたらしい。


「いやあ、彼はすごいですねぇ。魔術師というものは、魔導の力を失った後世の民たちのたゆまぬ努力と研究の成果なんでしょうけれど、過去の叡智を取り戻すだけではなく、自分たち独自に発展させた創意工夫を添加することで、新しい可能性を見出しているのですから。そのひたむきな努力こそが、現代魔術を発展させているんですねぇ~」


 しみじみと頷きながら、全世界を統べていた古代魔法王国の魔導士ハイラプラスがにこにこと笑っている。


 リューナは呻き声をあげた。いろいろ突っ込みどころはあったのだが、ハイラプラスの横に忽然と、見慣れすぎているほどに見慣れた姿が現れたのだ。


 派手な装飾の赤い衣服に、ジャラジャラと提げた魔石や魔道具の宝飾品、後頭部でまとめた赤っぽい金髪、逆立っている前髪、整ってはいるが目鼻立ちのはっきりしすぎている顔立ち、いつも不機嫌そうにゆがめられた表情――のはずであるが、今日はニヤニヤとすこぶる上機嫌に緩みまくった顔をしていた。


 ゾッと嫌な予感がリューナの背筋を駆け抜ける。


 無視するべきか逃げるべきか見なかったことにするべきか――という息子の葛藤をよそに、魔術師メルゾーンは目を輝かせて開口一番、こう言った。


「おいリューナ! すごいと思わないか。魔導士のなかにも、話のわかるやつがいるんだな。生まれながらの実力を鼻にかけた奴ばかりかと思っていたが、見直したぞッ!」


「そう言って頂けるとは光栄です。わたしも、わたしと同じように知的好奇心いっぱいで恐れ知らずの活動的な研究者に出逢えて、大変に嬉しいのですよ。叡智を追求しようとする同志は、みな親しき友人です。ともに、さらなる真理の高みへと昇り続けようではありませんか!」


「おうよ!」


 ハイラプラスはいつもと変わらぬ人好きのする笑顔で、隣に立っている傲岸不遜な魔術師とガッシリしっかり、手と手を握り合っている。


「うあ……最強と最凶の、最悪のコンビが誕生しちまったかもしれないぜ……」


 思わず額を手で覆い、がっくりと首をうなだれてしまうリューナであった。


 人間離れした知識と魔導の実力とを兼ね備えた天才魔導士と、正気離れした発想と常軌を逸した魔道具愛好家の天災魔術師が、タッグを組んだのだ。これが良い兆候であるはずがない。


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