古代龍と時の翼 9-50 幸せのかたち
ソサリア王国の南半分を占める広大な大森林アルベルト。
魔獣たちの
「すっかり変わり果ててしまったな。古代龍という、ただひとつの存在によって……」
森のなかに残る古代遺跡の
「そうね……被害は計り知れないし、かつての姿を取り戻すには年月がかかるけれど」
ルシカがテロンの傍で囁くように言って、ことん、と彼の腕に頭をもたせかけてきた。
「でも、みんなのいのちを護り、明日へとつなぐことができた。みんなの力があったから」
朝の光が地表に届き、さぁっと一気に広がった。森を照らし染めあげてゆくのは、あたたかな温もりのいろ。眼下の森全体に満ちあふれた光は、まるで再生の
ルシカもまたテロンを見ていた。彼女のやわらかな金の髪を梳くように風が吹き、すべらかな頬と瞳を夜明けの光が美しいオレンジ色に
そうしてふたりは、目の前に生じている光に向き直った。あふれる朝日に負けないほどの
「おかえりなさい、トルテ、リューナ」
ルシカがそっと声をかけると、長い髪を揺らしながら少女がおずおずと顔をあげた。声の方向を探るように瞳が動き、ようやく焦点が合ったのだろう。
「る、ルシカかあさま……テロンとうさまっ」
たちまちあふれた涙を振り払うほどの勢いで、トルテは両親の広げた腕のなかへ飛び込んでいった。あまり動じることのない快活な少女も、このときばかりは幼女のように母親の腕のなかで泣きじゃくり、父親に優しく背中を撫でられている。
抱きしめ、抱きしめられる少女を見つめて、心底安堵したように微笑むのはリューナだ。トルテの父親であるテロンと目が合うと、どちらも頷くように黙って頭を下げた。
テロンは青年たちに向けてゆっくりと歩み寄り、リューナの隣に立っているもうひとりの翼ある青年に向けて言った。
「君がグローヴァー魔法王国の飛翔族の王、ディアン殿だね。トルテから話を聞いていたよ。私が父のテロン・トル・ソサリアだ」
差し出された手を握り返しながら、ディアンがはにかむように微笑する。落ち着いた面差しの青年で、なるほど、王としての威厳と責任感を備えている立派な若者だな、とテロンは思った。背後で、ルシカがこちらの様子を見て微笑んでいるのが気配でわかる。
「王国はもう解体されております。光栄です、トルテ殿の父君とお逢いできるとは、夢にも思いませんでした。ここが僕たちの時代から数千年も経った未来だなんて――」
「まァ、互いに堅苦しいことは抜きでいこう。歓迎するよ、ディアン」
「と、国王が言っているのだから、そういう方向でいこうか」
テロンは冗談めかして片目を閉じ、親しげな微笑みを青年に向けた。「それがいいな」とリューナが同意しながら笑い、男たちの笑い声につられるように、トルテもいつの間にか笑顔になって近づいてきていた。その娘の後ろに立っている女性に気づいたディアンが、瞳を輝かせて緊張に頬を強張らせ、背筋を伸ばして腰を折る。
「あなたがルシカ殿ですか。話はハイラプラス殿から伺っています――現生界でも数えるほどしか現れていない、偉大なる万能魔導の遣い手『万色』の魔導士だと」
「偉大なるってところはあやしいけど。あぅ、どうしてあたしのときだけ緊張するのよ。それにしても、嬉しいなぁ。一気に魔導士の仲間が増えちゃうなんてね。――ねっ、ウルもそう思うでしょ? いろいろ
ルシカが朗らかな笑い声をたてながら横を向き、ほっそりした腕を差し伸ばした。ディアンがつられるように横を向き……死角になっていたのだろう、その相手に気づいて「うわっ」と叫び声をあげた。
ウルルゥルルゥー!
「どうぞヨロシク、ですって!」
自分の姿がまるまる映りこむほどに巨大な瞳と対面して、翼ある青年は眼を剥いて硬直してしまった。微笑ましい光景を見てテロンは安堵した。ウルも無事だ――なんといっても、
「それで――ルシカかあさま、こちらの時代での古代龍はどうなったんですか?」
トルテが不安そうな面持ちで訊いた。周囲の変わり果てた森の様子を見回して、喜びに満ちていた瞳が
「古代龍とは夜明け前に勝負がついたわ。それでこれから、すべてのことに決着をつけるため、ザルバーンの地に――」
そこまでルシカが言い掛けたときだった。ドダダダダダ、と凄まじい足音とともに突進してきた男が、言葉の続きも雰囲気も粉砕せんばかりの勢いで割って入ったのである。
「リューナッ! てンめえぇぇぇぇぇッ。何日も無断で家を飛び出したままシャールに心配かけやがって! 親に心配かけてただで済むと思うなよッ!!」
「うわッ、親父!」
リューナは慌てて身を
「んもう、メルゾーンのせいで間に合わないかと思ったわよ」
「うるせぇ、
賑やかな遣り取りをさすがにそろそろ
テロンたちはルシカの魔導の力により、フェンリル山脈の秘境ザルバーンの地に移動したのだ。ティアヌとリーファも同行を希望したが、冒険者たちへの対応や都市周辺の片づけをディドルクに頼まれ、そちらのほうに尽力していた。周辺都市を含めた復旧や事態の収拾には、王宮やミディアルの都市管理庁が直接出て事に当たっている。
目の前に広がっているのは、見るも無残なほどに変わり果てた霊峰ザルバーンの麓の景色だ。巡る季節のほとんどを雪に覆われ、この夏の季節にだけ雪を消して不毛の大地をあらわにしていた場所ではあったが、それよりなお悄然たる荒地と化していた。
白雪を
「『打ち捨てられし知恵の塔』の前に設置された『
テロンの何気ない言葉に、クルーガーが微かに顔をしかめて応えた。
「いや、わざとだろう」
「……わざと?」
「この周囲だけが無事なのは、古代龍の意図が絡んでいたに違いない。塔そのものを失いたくない理由もあったのだろうが、我々がここへ飛べる魔法陣まで無事残していたのは、おそらく待っていたからだろうな」
「あっ……そうですね。古代龍が言っていました。テロンとうさまとクルーガーおじさまがザルバーンの地に偵察にやってきて――」
トルテはそこまで語り、ハッと眼を見開いて言葉を切った。瞳いっぱいに涙を浮かべた少女の傍にリューナが駆け寄り、その肩を抱き支える。
「大丈夫だろ、トルテ。ほら、現実にはそうはならなかったんだから」
テロンは娘の蒼白になった表情と、自分とルシカをちらりと見たときの視線で、トルテたちがたどり着いていた未来で何が起こっていたのかを理解した。クルーガーも同じことに気づいたらしい。
「つまり――いや、最後まで言わないほうがいいか。そういうことだったのだな。あのときルシカが俺たちを止めてくれたことで、俺たちは命拾いをしていたわけか」
「魔法王国末期の『時間』の魔導士ハイラプラスがトルテたちに残したメッセージがなかったら、あたしだって止めていたかどうかわからないわ。彼は古代龍の考えを見抜き、打開するためのきっかけや方法をいくつも用意していた、としか考えられない……」
「大魔導士ヴァンドーナ殿のような力を持っていた人物が、過去にもうひとりいたということか」
「そうね。もうひとりいる、ということになると思うけれど」
ルシカは人さし指の関節を唇に押し当てながら瞑目した。深く考えを巡らせるときの彼女の癖なのだ。そんな一行の様子を眺めていたメルゾーンは、腕を組み、片足の先で地面を叩きながら不機嫌そうな声をあげた。
「どうでもいいが、さっさと動かねぇと足に根が生えちまいそうだ。その何とかってぇ魔導士も助けに行ってやらねぇとなんだろうが」
「隣国タリスティアルの飛翔族の魔導士、よ」
ルシカが言葉を補完した。
「魔導士……? 飛翔族の、ですか?」
それまで足もとばかりを見つめて瞳を伏せていたディアンの顔があがる。彼はどこか別の場所――あるいは時間――に心を飛ばしているかのように無言のまま一同に付き従っているのみであった。だがメルゾーンの言葉を耳にして、瞳に年齢相応の輝きが戻りかけている。
「大事な相手を探しているのかい?」
テロンが青年に声をかけると、薄赤い瞳が驚いたように彼を見あげた。
「何故わかるのです?」
「同じ想いを、知っているからだよ」
テロンは微笑しながらそう言った。焦燥の思いに落ち着かなくなっていた青年の眼が、落ち着きを取り戻したかのように穏やかに細められる。
「はい。でも僕、彼女は……きっとどこかで無事でいると信じています。もしかしたら僕との想い出も記憶も残っていないのかも知れませんが……いつか、いつか巡り逢ったのならば――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます