古代龍と時の翼 9-50 幸せのかたち

 ソサリア王国の南半分を占める広大な大森林アルベルト。


 魔獣たちの跋扈ばっこする領域でありながらも、都市と隣接し多種多様な恵みを与えてくれた森だ。けれどいま、堂々たる古き大樹はことごとくへし折られて泥濘ぬかるみへ没しており、まだくすぶるように薄い煙をあげていた。鏡のような大河ラテーナも濁流となって散々たる有様となっている。


「すっかり変わり果ててしまったな。古代龍という、ただひとつの存在によって……」


 森のなかに残る古代遺跡のきざはしの上から、テロンは複雑な面持ちでソサリア王国南東部の光景を眺め渡していた。


「そうね……被害は計り知れないし、かつての姿を取り戻すには年月がかかるけれど」


 ルシカがテロンの傍で囁くように言って、ことん、と彼の腕に頭をもたせかけてきた。


「でも、みんなのいのちを護り、明日へとつなぐことができた。みんなの力があったから」


 朝の光が地表に届き、さぁっと一気に広がった。森を照らし染めあげてゆくのは、あたたかな温もりのいろ。眼下の森全体に満ちあふれた光は、まるで再生のきざしのようだ。テロンは微笑むように表情をやわらげ、寄り添って立っているいとしい妻を見た。


 ルシカもまたテロンを見ていた。彼女のやわらかな金の髪を梳くように風が吹き、すべらかな頬と瞳を夜明けの光が美しいオレンジ色にきらめかせている。ルシカはこの上もなく優しい微笑みを浮かべ、自分の肩を抱く夫の大きな手に自らのほそやかな手を重ねた。


 そうしてふたりは、目の前に生じている光に向き直った。あふれる朝日に負けないほどのまばゆい、さまざまな光を集めて重ね合わせたかのような生命そのものの白き輝きは、ゆっくりと静かに脈打つ光となって大きくなり、やがてみっつの人影になった。光が落ち着いてゆくにつれて色彩が戻り、青年ふたりと少女ひとりの姿が現れる。


「おかえりなさい、トルテ、リューナ」


 ルシカがそっと声をかけると、長い髪を揺らしながら少女がおずおずと顔をあげた。声の方向を探るように瞳が動き、ようやく焦点が合ったのだろう。


「る、ルシカかあさま……テロンとうさまっ」


 たちまちあふれた涙を振り払うほどの勢いで、トルテは両親の広げた腕のなかへ飛び込んでいった。あまり動じることのない快活な少女も、このときばかりは幼女のように母親の腕のなかで泣きじゃくり、父親に優しく背中を撫でられている。


 抱きしめ、抱きしめられる少女を見つめて、心底安堵したように微笑むのはリューナだ。トルテの父親であるテロンと目が合うと、どちらも頷くように黙って頭を下げた。


 テロンは青年たちに向けてゆっくりと歩み寄り、リューナの隣に立っているもうひとりの翼ある青年に向けて言った。


「君がグローヴァー魔法王国の飛翔族の王、ディアン殿だね。トルテから話を聞いていたよ。私が父のテロン・トル・ソサリアだ」


 差し出された手を握り返しながら、ディアンがはにかむように微笑する。落ち着いた面差しの青年で、なるほど、王としての威厳と責任感を備えている立派な若者だな、とテロンは思った。背後で、ルシカがこちらの様子を見て微笑んでいるのが気配でわかる。


「王国はもう解体されております。光栄です、トルテ殿の父君とお逢いできるとは、夢にも思いませんでした。ここが僕たちの時代から数千年も経った未来だなんて――」


 わずかに上気した顔で言葉を続いていたディアンを遮るように、明るい声が割って入った。兄クルーガーだ。


「まァ、互いに堅苦しいことは抜きでいこう。歓迎するよ、ディアン」


「と、国王が言っているのだから、そういう方向でいこうか」


 テロンは冗談めかして片目を閉じ、親しげな微笑みを青年に向けた。「それがいいな」とリューナが同意しながら笑い、男たちの笑い声につられるように、トルテもいつの間にか笑顔になって近づいてきていた。その娘の後ろに立っている女性に気づいたディアンが、瞳を輝かせて緊張に頬を強張らせ、背筋を伸ばして腰を折る。


「あなたがルシカ殿ですか。話はハイラプラス殿から伺っています――現生界でも数えるほどしか現れていない、偉大なる万能魔導の遣い手『万色』の魔導士だと」


「偉大なるってところはあやしいけど。あぅ、どうしてあたしのときだけ緊張するのよ。それにしても、嬉しいなぁ。一気に魔導士の仲間が増えちゃうなんてね。――ねっ、ウルもそう思うでしょ? いろいろたのしいおしゃべりができそうだもの」


 ルシカが朗らかな笑い声をたてながら横を向き、ほっそりした腕を差し伸ばした。ディアンがつられるように横を向き……死角になっていたのだろう、その相手に気づいて「うわっ」と叫び声をあげた。きざはしの上にある遺跡の高さをものともせず、『海蛇王シーサーペント』がもたげた巨大な頭を近づけていたのだ。


 ウルルゥルルゥー!


「どうぞヨロシク、ですって!」


 自分の姿がまるまる映りこむほどに巨大な瞳と対面して、翼ある青年は眼を剥いて硬直してしまった。微笑ましい光景を見てテロンは安堵した。ウルも無事だ――なんといっても、頑丈タフで知られる魔の海域の魔獣なのだ。


「それで――ルシカかあさま、こちらの時代での古代龍はどうなったんですか?」


 トルテが不安そうな面持ちで訊いた。周囲の変わり果てた森の様子を見回して、喜びに満ちていた瞳がかげっている。ルシカは笑っていた顔を真面目なものに変え、こくんとひとつ頷いたあと、ゆっくりと口を開いた。


「古代龍とは夜明け前に勝負がついたわ。それでこれから、すべてのことに決着をつけるため、ザルバーンの地に――」


 そこまでルシカが言い掛けたときだった。ドダダダダダ、と凄まじい足音とともに突進してきた男が、言葉の続きも雰囲気も粉砕せんばかりの勢いで割って入ったのである。


「リューナッ! てンめえぇぇぇぇぇッ。何日も無断で家を飛び出したままシャールに心配かけやがって! 親に心配かけてただで済むと思うなよッ!!」


「うわッ、親父!」


 きざはしの下にいたメルゾーンが、最上階まで一気に駆け上がってきていたのであった。その背後で「あらあら」と言いながら、いつもと変わらぬほんわりとした笑顔のシャールが立っている。


 リューナは慌てて身をひるがえし、ポカンと口を開けたまま硬直してしまったディアンとマイナまでをも巻き込んで追いかけっこを繰り広げたのであった。





「んもう、メルゾーンのせいで間に合わないかと思ったわよ」


「うるせぇ、魔力マナを賦活させる魔石をいくつか渡したんだ、それで勘弁しろっての!」


 賑やかな遣り取りをさすがにそろそろいさめなければ、とテロンは苦笑していた。だが、これほどに凄まじい光景を目の当たりにして、いつもの掛け合いが繰り広げられているのは、正直ありがたいのかもしれないな、とも思う。


 テロンたちはルシカの魔導の力により、フェンリル山脈の秘境ザルバーンの地に移動したのだ。ティアヌとリーファも同行を希望したが、冒険者たちへの対応や都市周辺の片づけをディドルクに頼まれ、そちらのほうに尽力していた。周辺都市を含めた復旧や事態の収拾には、王宮やミディアルの都市管理庁が直接出て事に当たっている。


 目の前に広がっているのは、見るも無残なほどに変わり果てた霊峰ザルバーンの麓の景色だ。巡る季節のほとんどを雪に覆われ、この夏の季節にだけ雪を消して不毛の大地をあらわにしていた場所ではあったが、それよりなお悄然たる荒地と化していた。


 白雪をいだき天空へと突き出された剣のごとく堂々とした先鋒もすでに無く、山岳氷河に覆われた雄大な眺めも跡形なく失われている。そこに広がっていたのは、まさに天変地異の跡であり、冥界さながらの混沌たる有様だ。大地は穿たれ亀裂が走り、その隙間からは溶岩流が不気味な輝きをみせている。肌寒かった気温は、うっすらと汗を生じるほどに上がっていた。


「『打ち捨てられし知恵の塔』の前に設置された『転移テレポート』の魔法陣が無事だったのは、幸運だったというわけか」


 テロンの何気ない言葉に、クルーガーが微かに顔をしかめて応えた。


「いや、わざとだろう」


「……わざと?」


「この周囲だけが無事なのは、古代龍の意図が絡んでいたに違いない。塔そのものを失いたくない理由もあったのだろうが、我々がここへ飛べる魔法陣まで無事残していたのは、おそらく待っていたからだろうな」


「あっ……そうですね。古代龍が言っていました。テロンとうさまとクルーガーおじさまがザルバーンの地に偵察にやってきて――」


 トルテはそこまで語り、ハッと眼を見開いて言葉を切った。瞳いっぱいに涙を浮かべた少女の傍にリューナが駆け寄り、その肩を抱き支える。


「大丈夫だろ、トルテ。ほら、現実にはそうはならなかったんだから」


 テロンは娘の蒼白になった表情と、自分とルシカをちらりと見たときの視線で、トルテたちがたどり着いていた未来で何が起こっていたのかを理解した。クルーガーも同じことに気づいたらしい。


「つまり――いや、最後まで言わないほうがいいか。そういうことだったのだな。あのときルシカが俺たちを止めてくれたことで、俺たちは命拾いをしていたわけか」


「魔法王国末期の『時間』の魔導士ハイラプラスがトルテたちに残したメッセージがなかったら、あたしだって止めていたかどうかわからないわ。彼は古代龍の考えを見抜き、打開するためのきっかけや方法をいくつも用意していた、としか考えられない……」


「大魔導士ヴァンドーナ殿のような力を持っていた人物が、過去にもうひとりいたということか」


「そうね。もうひとりいる、ということになると思うけれど」


 ルシカは人さし指の関節を唇に押し当てながら瞑目した。深く考えを巡らせるときの彼女の癖なのだ。そんな一行の様子を眺めていたメルゾーンは、腕を組み、片足の先で地面を叩きながら不機嫌そうな声をあげた。


「どうでもいいが、さっさと動かねぇと足に根が生えちまいそうだ。その何とかってぇ魔導士も助けに行ってやらねぇとなんだろうが」


「隣国タリスティアルの飛翔族の魔導士、よ」


 ルシカが言葉を補完した。


「魔導士……? 飛翔族の、ですか?」


 それまで足もとばかりを見つめて瞳を伏せていたディアンの顔があがる。彼はどこか別の場所――あるいは時間――に心を飛ばしているかのように無言のまま一同に付き従っているのみであった。だがメルゾーンの言葉を耳にして、瞳に年齢相応の輝きが戻りかけている。


「大事な相手を探しているのかい?」


 テロンが青年に声をかけると、薄赤い瞳が驚いたように彼を見あげた。


「何故わかるのです?」


「同じ想いを、知っているからだよ」


 テロンは微笑しながらそう言った。焦燥の思いに落ち着かなくなっていた青年の眼が、落ち着きを取り戻したかのように穏やかに細められる。


「はい。でも僕、彼女は……きっとどこかで無事でいると信じています。もしかしたら僕との想い出も記憶も残っていないのかも知れませんが……いつか、いつか巡り逢ったのならば――」


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