古代龍と時の翼 9-47 運命の選択、時の翼

「神になる……だって?」


 リューナは笑おうとした。莫迦ばかげた思いあがりだと、笑ってやろうとした。けれど繋がったままのトルテの意識を通して、リューナも理解してしまったのだ。


 古代龍の語ったことが、夢物語ではないことを。


 『次元』を開く魔法陣、近くにあるはずの増幅の魔石、そして途方もない量の魔力マナがあれば――。魔力は『従僕の錫杖』によって全世界の生命のみなもとを肉体から解放して集めることができる魔導士、エオニアがもたらしてくれる。


 ――そして想定外の余禄よろくも我が目の前に差し出された。生まれながらに次元転換の力をもつおまえを得れば、我が計画はより完全なものとなろう。


 古代龍が、ねっとりとトルテを眺め回した。ずらりと牙が並ぶ巨大な口もとを舐め、顎の骨を軋らせている。あろうことかトルテまで喰らい、取り込むつもりなのだ!


 トルテはぐっと顎を引き、腕を開いたまま、見上げるほどに巨大な相手をせいいっぱい睨みつけていた。オレンジ色の瞳のなかに白き魔導の輝きが現れている。


 いまさらながらにリューナは気づいた。トルテが魔導の力を行使していることに。錫杖の影響が自分たちまで及んでいないことに。トルテが眼に見えぬ障壁を張って、リューナとディアンをしっかりと護ってくれていたのである。


 いま、魔導の力を行使しているトルテは、完全に無防備なのだ。


「ふざけんなッ!!」


 リューナは激昂した。剣を真っ直ぐに構え、突っ込んでゆく。だが、圧倒的な魔力マナを体内に蓄えつつある古代龍の魔法障壁の堅牢さは、予想を遥かに凌駕していた。


 リューナは声をあげる暇もなく、固い床に叩きつけられていた。したたかに背中を打ち、肺から空気がすべて押し出される。


「ならば僕だッ! エオニアを好きにはさせない!!」


 ディアンが床を蹴った。その腕に魔導の輝きが生じ、冴え冴えとした青に輝く剣が具現化される。リューナから伝授された『物質生成クリエイト』だ。魔導の剣が光の尾を引きながら障壁を切り裂き、真っ直ぐに古代龍の体躯に迫った。


 だが、その攻撃は届かなかった。


「グッ……!」


 ディアンの呼吸が停止する。


 リューナとトルテがその光景に眼を見開いた。古代龍の鋭く尖った爪が、翼ある友人の体を完全に貫いていたのだ。


「ディアンッ!!」


 エオニアが悲鳴をあげた。そして次に響き渡ったのは拒絶の叫びだった。


「い、やああああぁぁぁッ!!」


 エオニアは声を限りに叫び、気力を振り絞った。脈々と発せられていた血色の光が乱れ、不規則な明滅をはじめる。次第、次第に『従僕の錫杖』の輝きが弱まっていく。彼女の意志の力が、宝物の力を押さえ込みつつあるのだ!


 古代龍の体内に流れ込んでゆく魔力マナが途切れつつあるのをリューナは見た。彼はその隙を逃がさなかった。剣を片腕で構え、空中高く跳躍したのだ――友人を救うべく。


 ――ぐあッ、ああおおおお!! おのれえぇぇぇッ!!


 古代龍が苦悶の叫び声をあげた。思念だけではない、この広大な城全体を揺さぶるほどに凄まじい咆哮だ。リューナがディアンを救うため、龍の腕先を力任せに切断したのである。


 彼はその腕に友人の体を抱え、床に降り立った。すぐに幼なじみの魔導士のもとに走り寄る。


「トルテ、頼む!」


「はい!」


 リューナからディアンを託され、トルテは『治癒ヒーリング』の魔導の技を行使した。複数の魔法陣を同時展開できないため、錫杖からの影響を減じるための障壁を消したのだが、いまはエオニアが錫杖の力を封じてくれている。


 ディアンの傷が癒され、どくどくと流れていた大量の出血が止まった。けれど意識は戻らない。『癒しの神』の司祭が使う神聖魔法くらいに高位なものでないと、失った血や体力まで賦活することはできないのだ。


 リューナによって次々と穿たれた傷に、古代龍はぐらりと姿勢を崩した。ずん、と壁に手をつく。宝石めいた美しい内壁にビシリとみにくい亀裂が生じる。藍色の血が流れ、その高熱にしゅうしゅうと音を立てながら、しとど床を濡らしてゆく。


 ――グウゥゥッ、こんなところで終わりにしてたまるか! 我には為さねばならぬことがあるのだ。おまえらなんぞに邪魔はさせん。そうだ……その娘が瀕死であろうが、生きていさえすれば錫杖の魔力は失われぬッ!


 古代龍の残った片腕から雷撃が飛んだ。エオニア目がけて虚空を引き裂き、真っ直ぐに――凄まじい魔導の力に束ねられた鋭いスピアのように。


 リューナは剣を構えて再び龍へ突撃するタイミングだった。後ろへ戻り、彼女を救うには距離がありすぎた。間に合わない。


 だがその瞬間、エオニアの前にすべりこんだ小柄な影があった。振り返ったリューナはおのが眼を疑った。そして叫んだ。


「――トルテェェェッ!」


 文字通りの盾となり、トルテはその体で古代龍の一撃を受け止めたのだ。


 胸に突き立った紫色の雷撃は、トルテの胸を大きく穿っていた。だが後方のエオニアまでは届いていない。自分の体と意志の力で、全てのエネルギーを完璧に遮ったのである。


 トルテがわずかに瞳を動かした。苦痛というよりむしろ悲しみの表情に凍りついたままに。


 リューナと眼が合うと、彼女の小さな唇が震えるように動いた。だが、一言も発せられることなく――トルテの体は力を失って床に倒れ伏した。


 そのときちょうど遥か頭上から轟音が響き渡った。


 ズズウウゥゥゥンン……!


 くぐもったような爆音とともに城がズサズサと揺れ、天蓋から細かな埃が降り落ちてきた。天上を振りあおいだ古代龍が、断末魔の悲鳴とも聞きまがうような凄まじい怒声を発する。


 エオニアが力尽きたように床に崩折くずおれた。彼女に外傷はない。息もしているようだ。


 だが、トルテは――トルテは? リューナはつんのめるようにして彼女に駆け寄った。


 背後では、あまりの喪失感に打ちひしがれているような面持ちで、古代龍シニスターがうずくまるように床に伏していた。低く低く、唸るようなきしるような声をあげ続けている。それが嘲笑なのか苦悶なのか――だがリューナは龍のことなど見てはいなかった。


 変わり果てた少女の体を抱き上げると、我知らず大粒の涙がこぼれた。護ると誓った、世界の何よりも大切な存在。リューナは生まれて初めて、喪失というものに直面したのであった。


「トルテ――くな。俺はおまえが隣に居ねぇ世界なんて考えらんねぇんだぞ……」


 俺のなかにある魔力マナも生命そのものだというのならば――リューナはほそやかな体を抱きしめたまま、祈るように想いをつよめた。どうかトルテを救って欲しい。もう一度この娘とともに歩きたい、ともに話したい、ともに泣いて、笑っていたい……!


 ぎゅっと閉じた目蓋、闇に沈んだ意識の片隅で、ふと、白い光がひらめいた。深く深く瞑目していた真っ暗な視界が、爆発したように真っ白な世界に染め上げられる。


「トルテ――?」


 誰かに抱きしめられているような感覚に打たれたかのように、リューナの意識が体に戻った。頬に、唇に、やわらかな温もりがあった。優しげな微笑とともに、夜明けとともに地表に溢れるあたたかな色合いが自分の瞳を見つめている気がした。リューナはゆっくりと目蓋をあげた。


 そしてそれは、決して夢ではなかったのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る