古代龍と時の翼 9-19 出逢いと再会

「さぁ、どうぞ、椅子はどれでも好きなものを使ってね。いま熱いお茶を淹れてくるから」


 朗らかな笑顔でルミララが部屋の中央を指し示し、続きになっているさらに奥の部屋へと入っていった。父親であるラハンがエオニアをソファーに座らせ、ディアンがトルテをテーブルの椅子に案内している。


 リューナはぐるりと部屋を見回し、薄いパネルのような光が天井に貼りついているさまや、壁に取り付けられている継ぎ目のない金属の箱などを眺めた。魔法なのだか機械なのだか判然としないものばかりである。どうやら生活用品の類らしく、脅威になるような気配や罠は感じられない。


 さきほどの空飛ぶ機械で駆け巡った都市には現実離れした規模と技術水準を感じたが、ここは自分たちの住んでいたときの文化とさほど変わらない印象を受けていた。リューナは首をひねった――考えてみれば奇妙だよな、遙か未来の世界のはずなのに。


 カシャン、と響いた音に顔を向けると、湯気の立っているカップがテーブルに並べられているところだった。


「ハーブティーだよ。わたしが栽培したもので、自然のものだ。それから、いま用意しているサラダも、スープもね。……草ばかりで申し訳ないけれど。合成ではない自然の食べ物というのがなかなか手に入らないもので」


 申しわけなさそうな表情で、それでも精一杯の微笑みを浮かべているラハンに、リューナとトルテは顔を見合わせた。


「あまりおなかが膨れるものではないかもしれないけれど、待っていてね。食事の用意をしているから」


 人数分のカップを並べ終わったルミララが奥の部屋へ戻ろうとしたとき、トルテが立ち上がった。


「あの、あたしも手伝います。それから――」


 トルテが言葉を切り、リューナに顔を向けた。瞳をきらきらさせて口の端を持ち上げているのは、何かを思いついたときの表情だ。


「ね、リューナ。あたしたちが持ってきた食料、みなさんで分けるのはどうでしょうか」


「いいと思うぜ。丁度俺も思っていたところだし。何だか知らねぇけど、いまのうちに体力つけといたほうが良さそうだし、な!」


 ニカッとリューナが歯を見せると、トルテは満面の笑顔になった。すぐにふたりの背負い袋に詰めてあった中身を取り出しながら、驚くラハンたちの目の前で次々とテーブルの上に並べていく。


 それからしばらくのち――。


 トルテが手伝ったので続き部屋の奥から少々賑やかな喧騒が響いていたが――それも落ち着いた頃には、食卓の上には麺麭パンや木の実のパイ、パウンドケーキ、干し肉と香辛料で作ったシチューなどが並んで、ほかほかと湯気を立てているのであった。


「なんと! これはまるで夢のようだ。みなすこぶる良い香りがするし、しかも天然の素材で作られているとは! それにこの味わい……うまいっ!!」


「良かったぁ。ありがとうございます。マルムが聞いたらとっても喜ぶと思います。王宮に帰ったら伝えますね」


 トルテは元気な声でラハンに応え、にこにこと微笑んでいた。嬉しそうなトルテの表情に、眺めていたリューナ自身も幸せな気分になっている。


 よほど気に入ったのだろう、エオニアも年齢本来の若さを発揮して、美味しそうに次から次へと食べ物を口に運んでいる。思い詰めたような表情が気になっていたので、その様子を見てリューナは少し安心した。


「ありがとう、トルテ、リューナ」


 彼らの食事を見守っていたディアンが、ふたりに向けて礼を言った。幸せそうに微笑んでいる彼の視線は、先ほどからずっと動いていない。その視線の先にはエオニアが座っている。


 リューナの傍に座ったトルテがひとつ頷くように首を振って背筋をしゃんと伸ばし、しっかりとした口調で言った。


「やはりディアンは、このまますぐにあたしたちと戻るわけにはいかないのですね」


 訳知り顔で語られたトルテの言葉に、ディアンが眼を剥いて弾かれたように顔を向けた。


 リューナも驚いていた――ディアンを無事見つけたのだから、一緒に『歴史の宝珠』を探し出し、もとの時代に戻るつもりでいたのである。


「どういうことだよ、トルテ。なぁディアン、どうしてすぐに帰れないんだ? 俺たち、ハイラプラスのおっさんの装置でおまえを救いに来たんだぞ」


「あぁ、なるほど。そういうことだったんだね。でも本当にごめん、リューナ、トルテ。僕は……僕は戻るわけにはいかないんだ」


「……理由を訊いていいか? ディアン」


「うん……僕がここに来た事情を含めて、きちんと話さなくてはならないね。ここではちょっと話しづらいこともあるから――場所を変えようか」


 ディアンはラハンたちに席を外すことを告げ、リューナやトルテとともに地下神殿から地上へと戻り出た。


 外は怖ろしいほどにシンと静かで、虫の鳴き声ひとつない。ただ、星明かりだけが蒼く地上を照らしていた。いや――遙か彼方に薄明るい黄色の光が広がっているのが眺め渡せた。かなり遠いが、それがあの大都市なのだということはリューナにもすぐに理解できた。


 大都市の夜というものは様々な色彩が無数に光り輝いている印象がある。だが、その都市はまるで幽鬼のように現実感を伴っておらず、全体が淡く透け通ってる光の蜃気楼のようだと形容したほうがぴったりくるような風情ふぜいであった。夢幻の都市――そんな言葉がリューナの脳裏に閃く。


 そのとき、ガリッという小石を踏んだような音が響いた。


 背後に現れた気配に、リューナたちが全身を緊張させて振り返る。だが、すぐに相手を見定めて構えを解き、ホッと息をつく。


 エオニアだった。自分たちを追って地下神殿から出てきたらしい。


「ディアン――」


 不安そうに表情を曇らせた彼女に、ディアンが急いで駆け寄った。リューナとトルテは並んで立ち止まったまま、彼らを待った。


「心配しないで、エオニア。すぐに戻るから――」


 そう言いかけたディアンの胸に飛び込むようにして、エオニアが勢いよく抱きついた。薄桃色の髪と細い肩が震えるように揺れている。エオニアが小声で何かを打ち明けると、それを聞いたディアンが激しくかぶりを振り、相手を激しくかき抱いた。


 次の瞬間、ふたりの様子を見守っていたリューナとトルテは呆気に取られたように硬直し――次いでふたり同時に急いで回れ右をした。ディアンとエオニアの唇がしっかりと重ねられたからである。


 視線が落ち着かなくなってしまったリューナがトルテに眼を向けると、ぴたりと同じタイミングで見つめ合うことになった。トルテの顔が一気に真っ赤になったのが星明かりの下でもわかる。同時に、リューナは自分の顔も熱くなっていることを自覚してしまう。


 深呼吸を繰り返して落ち着いたあと、リューナは足元に視線を落として言った。


「ディアンが戻れないと言った理由の半分は、わかったような気がするぜ」


「……そうですね」


 トルテがぽつりとつぶやくように応え、リューナの腕に寄り添うようにして小さく言葉を続けた。


「何だか大変なことになっているみたいですし、エオニアさんのことが心配なんですね」


「……好きな相手のことなら、放ってはおけないよな」


 リューナは無意識にトルテの手を取ってまさぐりながらそう言っていた。自分の行動に気づき、思わずリューナが手を離そうとすると、ほそやかな手はリューナの手をしっかりと握り返してきた。弾かれたように眼をあげると、トルテが穏やかに微笑みながら頷いた。


「あたし、エオニアさんと一緒に下で待っていますね」


 トルテはそう告げると、ディアンたちのほうへ駆け戻っていった。幸いにも、ふたりの話はすでに終わっていたようだ。トルテの申し出を受けて、ディアンが安堵したような表情を浮かべる。


「じゃあ……悪いけど、トルテ、彼女のことをお願いするよ。僕たちも話が終わったらすぐに戻るから」


 ディアンの言葉に頷いたトルテは、エオニアとともに隠し階段を降りていった。その背を見送り、リューナはディアンと連れ立って神殿跡の外に踏み出した。踏んだ草が乾いた音を立てる。リューナもディアンも常人より眼が利くので、魔法で明かりを灯すことはなかった。それにこのあたりによく馴染んでいるのか、ディアンの歩みが確かだったこともある。


「追っ手がいるのなら、この場所に危険はないのか?」


「ここは大丈夫だよ。連中には嗅ぎつけられていないから」


 ディアンは自信たっぷりに請け負った。ふたりが向かったのは、魔導航空機ヴィメリスターを隠した塚森である。こんもりとした緑に覆い尽くされた中央部分が、実は大きな空間になっているのであった。魔導の技による気配封じのまじないが張り巡らされており、魔法的にも視覚的にもしっかりと護られた場所になっている。


 ディアンは銀色の飛竜めいた機体に乗り込み、操縦席へとリューナを案内しながらゆっくりと語りはじめた。


「そもそも僕がこの時代に飛ばされることになったのは、ある強大な力を持つ邪悪に襲われたからなんだ――」


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