従僕の錫杖 8-23 邂逅のその果て

 城の内部で、最も豪奢できらびやかな部屋。


 扉や柱にはもちろんのこと、家具には優美な細工が施され、金や銀があちこちを飾っていた。部屋の中央の卓は希少な銘木を多数使った、どっしりと大きい見事な品だ。その周囲に十脚、美しい形状の椅子が円状に並べられている。


 ターミルラ公国において海の産業以外の名産、それは森の恵みと工芸の技によるものであった。


「……来たか」


 その部屋の最も奥まった場所、ひときわ大きな椅子に座し、目を閉じていた男が静かな声でつぶやいた。


 身を起こし、窓から街と海に続く眺望に目を向ける。広がる景色は、オレンジ色の屋根が連なる石造りの城下の街並み。急激に深さを増す海の青、両脇を埋める斜面の緑。


 男は立ち上がり、たてがみめいた豊かな白髪を振り絹の長衣を引きずりながら、窓に歩み寄った。がっしりとしたたくましい体つき、浅黒い肌、動きは俊敏で獣めいている。


 その肉食獣を思わせる黄金の瞳の見つめる先には、一隻の船があった。


 三本の帆柱を持つ帆船だが、不思議なことに帆は張られていない。白亜の船体には、横腹に何やら面妖な装飾めいた器具が艤装ぎそうされている。


 この街の港に停泊している船のうち、最も不思議な船であった。


 だが男にとっては、船の形状など目に入っていない。彼が興味があるのは、その船に乗ってきただろう、ただひとりの人間である。


 いや――もうひとり、その人間を手に入れる為にどうしても必要なもうひとりの人間も乗っているはずだった。本来はそちらが狙いだったはずなのだが、彼にとってそれはすでに『手段』に過ぎないものと化していた。


 彼の読みが正しければ――。


「……フフ、ハハハッ!」


 この上もなくたのしそうにわらい、卓上に飾られていた硝子ガラス細工の器から白く可憐な花を一輪、つまみあげた。ふわりとした花弁を持つ、はかなげにも精一杯に咲くその花を、男はしげしげと眺めた。


 男が指に力を込めると、花はあえなく潰れた。はらはらと薄衣のような花弁が床に散る。


「今になって身を焦がすほどの想いを感ずることになろうとは……運命というものはかくも粋なはからいをするものなのか」


 感慨深げにつぶやくその背後で、静かに闇がわだかまり、こごって人の形を成した。


 黒に染めた革鎧をまとうその影が立ち上がる。あまりにも整った容姿は人間離れしていて、この世の物とは思えないほどに冷徹な印象だが、それゆえにひどく妖しく美しかった。


 銀の長髪が揺れ、さらりと流れる。紫水晶アメシストのような紫の瞳が窓からの陽光に触れ、ギラリと光った。


「――閣下かっか、もしやとは思いますが、別の狙いに移行されたわけではありますまいね」


「なにをいう」


 配下の者が発した疑いに満ちた問いに、強い口調で男は応えた。


「目指すものは『完全支配』だ。……金の娘のことは余禄に過ぎぬ」


「ただの娘でしょう。何故にそうご執着なされるのか」


 理解いたしかねます――言外にそう語るように、銀髪の男は忠誠を捧げたはずの相手をめ付けた。


「類稀なる魔導を体に宿す娘だぞ」


 激昂したように声をあげ、男はむぅと唸った。


「まぁ、その価値は知らずとも良かろう。おまえには関係のない話だ」


 邪険に手を振り、相手に下がるように促しながら言葉を続ける。


「おまえは儂の命令にだけ従うておればよい。余計なことは考えるな」


「……御意……」


 銀色の髪が魔力マナの風に巻き上げられ、ひるがえった。まばたきをする間に、配下の男の姿は魔法により消え失せてしまっていた。


「ふん、まがい物が……言いおるわ!」


 男は吐き捨てるように言い、忌々しげに舌打ちをした。だが再び窓の外に目を向け、停泊している船を視界に収め――にやにやと笑み崩れるのであった。





 船から桟橋に降り立ったのは、ふたりの人間だ。


 ひとりは背の高い戦士風の男だ。頭に異国風の布を巻いて、細かな紋様で縁取った衣服にサーコートを羽織り、腰に長剣を吊るした若者である。


 もうひとりは金髪で顔の半分を隠した若い女だ。白と金の上品な長衣は体の線に沿うように仕立てられており、胸の部分は大きく開かれている。唇には紅を差し、目の上には翠玉エメラルドの粉を刷いた妖艶な美女であった。結い上げた長い髪は白い薄布の中に仕舞ってある。


「――なんだか、本当にあのふたりとは思えませんね。さすが、リーファの見立ては素晴らしいです」


 ティアヌが手すりに片肘をついて頬を支えながら、そのふたりの後ろ姿を見送っていた。


「あぁあ……僕も行きたかったんですけどねぇ」


 大仰にため息をつくエルフの青年の背後で、リーファは鼻を鳴らして腰に手を当てた。


「んもう、今さら言わないの! ティアヌが行ったら街で迷子になるに決まってるじゃないの」


 的を射た発言に、ティアヌは「トホホ……」とつぶやき、苦笑した。


「けど、ルシカたち……大丈夫かなぁ」


 リーファはティアヌの隣に立ち、遠ざかっていくふたりの背中を見つめた。


「まぁったく、デートにでも向かうみたいね。ふたりとも気楽そうに見えるんだから、もうっ」


「いいじゃありませんか。自然なほうが」


「そうそう。下手に構えているよりもいつもの力が出せるんじゃよ。冒険者の心得のひとつじゃ」


 ふたりが振り返ると、甲板にグリマイフロウ老が立っていた。担ぎ上げるように、巨大なスパナを携えている。


「陛下がお呼びじゃ。戦闘の準備を整えよと、な。――しかしまぁ、この国の連中はなぁにをおそれておるんじゃ。こちらが討って出るとでも思うておるのか?」


 港のそこかしこに、物々しい出で立ちの憲兵たちが立っているのだ。周囲を他にも数隻の船が停泊していたが、ひっそりと怯えたように静かで、どの船上にも動きはなかった。だが、憲兵たちの数は確実に増えている。


「それはまだわかりませんが、あのふたりで危険だというのでしたら、僕たちだと生きては帰れませんねぇ」


 いつもと変わらぬのんびりした口調に、フェルマの少女は唇を突き出した。くるりと体の向きを変え、手すりにもたれかかって空を見上げる。


「まあ……わたしたちも強くなっているとは思うけどね、あの頃よりは……」





 その頃、テロンとルシカのふたりは目を見交わしあっていた。


「何だか戦争でもやっているみたいな印象ね」


 港周辺の、警戒態勢に対する感想だ。ルシカは被った白い薄布の具合を確かめるように引っ張りながら、また周囲に視線を走らせた。


「そのような相手国はいないんだろう?」


「うん。この二週間で事態が変わったっていうんなら別だけど……この荒れようだと、半年か一年は経っていそうよ。ターミルラ公国は豊かだけれど、陸も海も天然の砦に守られているゆえに攻め込まれにくく、永く戦乱はなかったと聞いてるのに」


 テロンは腰の剣のさやが脚に当たるのに慣れないらしく、しきりに気にしていた。金具の具合を確かめようとして剣に触れるものだから、ふたりに向けられる憲兵たちの視線が剣呑なものになっている。


 騒ぎを起こしたくなくて、ルシカが歩きながらテロンの腕にするりと自分の腕を絡ませた。落ち着かせようとしてやったことだが、テロンは顔を赤らめてびくりと緊張した。


 妻はしばし呆気にとられ、夫を上目遣いに睨み、ぷーっと頬を膨らませた。その様子はずいぶんと幼く、とてもではないが今の妖艶な扮装に似合わないしぐさだ。


「もぉ。何でそんなに緊張しているのよ?」


「い、いや。感じがいつもと全然違うからさ。どうも落ち着かなくて」


 船室でふたりの変装を見たとき、整えてくれた本人であるはずのリーファがティアヌと共に笑い転げていたことを、ルシカは思い出した。クルーガーは目をむき、手に持っていた薬湯を落としかけたほどだ。


「むー……そんなに変かなぁ……」


 しょんぼりしたルシカの様子に、慌てたテロンがもごもごと弁解した。


「――いや、そうじゃないんだ。すごくきれいで、何ていうかその……すごく魅惑的で、外ではして欲しくないような格好というか」


 そんな遣り取りをしているうちに、ふたりは港地区を抜けて、城下の街に入っていた。


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