従僕の錫杖 8-11 受け継がれしもの

「あたしが読んだ文献も、その末期に記された物だったから……これ以上詳しいことはわからないの」


「そんな歴史が……。名前の由来はわかったが、その杖は現実に取り出せるものなのか?」


 クルーガーが身を乗り出すようにしてルシカに訊いた。


「文献を読んだ限りでは、その方法はないみたい……」


 ルシカは残念そうに首を振った。


 そんな宮廷魔導士の顔を感服したように眺めていた老人は、そこで我に返って自分の膝をぴしゃりと叩いた。


「しかし、いやはや――さすがはルシカ殿。そこまで知っておられるとは話が早い。おかげで儂が語るべきことが半分がたなくなってしもうたの」


 そう言ってクラウスは目元を緩めて少し笑った。……が、すぐに痛ましそうに眉を寄せ、目を伏せた。


「まあ、そんなわけで――マイナの体の中には、その『従僕の錫杖』が伝わっておるのです。本来、そんなものが体内にることすら知らずに人生を終えていくものなんじゃがのぅ……。その錫杖を狙う者が現れた、というわけじゃな」


「杖が体内に発現する『生命の危機』……さっきの化け物に変化へんげした奴らに、襲われたってことか」


 クルーガーが唸るように言い、腕を組んだ。自分で意識しているのかいないのか、寝室に繋がる扉に目を投じている。


「――その相手に、心当たりはあるのですか?」


 テロンの問いに、クラウスは首を振った。


「今度は儂が知っていることをお話ししましょう。まずは、マイナの両親について語らなければなりませんな……。マイナの父は正真正銘、マイナムにあるラートゥル教会を預かる司祭ヨハン・セルリオーネじゃ」


「父親はその古代魔法王国に連なる魔導士ではないということですね。……では母親が?」


「そう。母親であるアイララが『従僕の錫杖』を継ぐ者だったというわけじゃ」


 クラウスはゆっくりと語った。


「儂がヨハンに聞かされたのは、母親がミンバス大陸から来たということだ。その大陸にある小国の公女だったそうじゃ。だが、その代々伝わる力の秘密に気づいたやからに狙われ……ついには大陸を離れるために海に出たそうじゃ」


「遥か西方の、ミンバス大陸……」


「じゃが、海上までも追っ手がついた。船は沈められ、いったんは捕まったが、海に飛び込み、何とかのがれてこの大陸に流れ着いたという。海に流れておったところを助けたのがマイナムの漁師であり、村に運び込まれて介抱したのがヨハンだったというわけじゃな」


 神職にある者は、そのほとんどが神聖魔法の使い手だ。医療の知識もある。小さな村では教会が病院の役割を担うこともある。


「アイララは、じきにヨハンと恋に落ち、結婚――そして娘を授かった。結婚前に妻から秘密を聞かされていたヨハンは、娘の誕生を喜ぶと同時に思い悩み、儂のところへ相談にやってきた」


 クラウスは語りながら、目元を何度も拭っていた。その家族との繋がりが、単に神殿の繋がりというだけではない親愛深いものだったことを、聞いていた三人は理解した。


「だが儂が調べる前に、アイララは流行り病で亡くなってしまったのじゃ……。ヨハンは幼い娘と残されてしまった。ヨハンと儂は、その事実を洩らさず、儂らだけの秘密としておくことにしたのじゃ。年に一度だけ会い、娘の将来を憂えて何とか杖を取り出せないかと相談しながらの。だが……追っ手は諦めるということを知らぬ相手だったようじゃの……」


「……その杖を、体内から分離させることができれば」


 顔を伏せ、深く考えを巡らせながらルシカが口を開いた。


「そうしたら、もう狙われなくて済むのよね?」


「そうだろうが、単に『封印解除』すればいいというだけの話ではなさそうだ」


 クルーガーの言葉に、ルシカが顔を上げた。


「どういうこと?」


「彼女に向けて、あの相手が『封印解除』らしき魔導を使ったんだ。だが……たましいが引き裂かれて死んでしまうと、相手の仲間の黒ずくめ野郎が叫んで止めたんだ。その方法では、無理だと」


 ふむぅ、とルシカは半眼になって再び顔を足元に向けた。


 クルーガーは続けた。


「それだけじゃない……。俺が見ていて思ったんだが、そんなものが体内に現れたからマイナは心臓や呼吸が苦しいんじゃないか? なんだかそんな気がするんだ」


「そうね……確かにそうかもしれないわ。直接体内に入っていて圧迫されているわけじゃないけど、生命と繋がっているわけだもんね……。発現したことによって体内の本来の魔力マナの流れが阻害されている可能性はあるわ」


「では、やはり無理に引き剥がそうとすれば、命に係わるってことなのか?」


 テロンが訊き、ルシカはますます難しい表情になった。頭の中で、いろいろな記憶を混ぜ返し掘り起こしているようで、オレンジ色の虹彩にいつもの輝きが宿っていた。


「そういうことになるけど……何とかしたいところね」


「――方法がありそうなのか?」


 クルーガーの問いかけに、ルシカは顔を上げた。決然とした表情だ。


「今はまだわからない。――でも、調べてみる!」


 立ち上がるルシカに、テロンは何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに口を閉ざし自分も立ち上がった。


 ルシカが気力も体力も十分には回復していないことに、クルーガーも思い至った。ルシカは他人のためなら、自分のことはいつも後回しなのだ。


「あ――すまない、ルシカ。君も休息が必要なのに……」


 言いかけるクルーガーに、戸口に向かって一歩踏み出していたルシカは「ん?」と無邪気そのものの表情で振り向いた。


「あたし? もう十分に休んだわ。平気、平気。――あっ、いけない!」


 ルシカは手をポンと打ち鳴らし、クルーガーとテロンに体ごと向き直って言った。


「ティアヌとリーファが来てくれるんですって。あたしは図書館棟に居るから、テロン――悪いけど」


「わかってるよ、ルシカ。俺たちもあとで行く。……無理するんじゃないぞ」


「はい」


 心配性のテロンに、ルシカは手をあげながら笑顔で応えてみせた。小走りに扉に向かおうとして、気づき、おとなしげに歩いて部屋を出て行った。


 そんなふたりの様子を見て、ラートゥルの最高司祭は優しげな目で微笑み、「さぁて」と声をあげた。


「そろそろ、儂も退出させていただくとしましょう。聖堂が崩れておるので、復旧のための調べと、誰かが踏み入って怪我をしないように柵を作っておるのじゃった。儂も急ぎ戻って動かねば」


 クラウスは言いつつ、腰を上げた。だが、言葉が終わるか終わらないかのうちに「いたたた……」と腰のあたりをさすったので、慌ててテロンが手を差し伸べる。


「じゃあ、俺はこのままクラウス殿を送ってくる。それからティアヌとリーファに会って、そのあとルシカを手伝うつもりだ」


「ああ。わかった」


 クルーガーは頷き、額に手を当てながらテロンに目を向け、一言付け加えた。


「――すまない」


「どうしたんだ、兄貴らしくない」


 テロンは力づけるように微笑み、兄の腕を叩いた。それから老人を支えるようにして部屋を出て行った。


 クルーガーは椅子に座りなおし、落ち着かなげに片足で床を叩いた。


「そうだな……」


 静かに、口の中でつぶやく。


「どうしたんだ……俺は」


 自分の胸の内に湧き上がる不安とも焦燥ともつかない想いが一体何なのか、何と呼んだらいいのかわからず、クルーガーは天井を見つめて己の内に問い掛けた。


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