従僕の錫杖 8-3 願いを込めて

 クルーガーは正面からラートゥル大聖堂に入った。


「相変わらず、荘厳で豪勢で綺麗で……素晴らしいなァ」


 感動しているのか呆れているのか判別できない口調で、クルーガーが独白する。そうして、ゆっくりと周囲を見回した。


 『癒しの神』ファシエル、『戦の女神』ミネルヴァ、『導きの神』アルート、『幸運の神』リマッカ、他の光の神々の神殿も王都にはあるが、ここまでの規模を誇る大聖堂を有しているのは『光の主神』であるラートゥルだけだ。正義と法を護り、婚姻を司る神でもある。


 入り口から身廊を進んだ場所から入り、ステンドグラスで魔法陣のように飾られたドームと過ぎると、密に並んだ柱の奥に天上からの光を集めたような場所がある。そこに光り輝く壇と神像があった。


「ふむ……奥まで来ても居ない、か」


 クルーガーは参拝に来たのではない。黒髪の少女を探しているのである。


 今日は祭りということもあり、神官たちも外に出ている者が多い。他の参拝者もいないので、聖堂内はシン、と静まり返っていた。クルーガーが歩く靴音と衣擦れの音、そして腰につけた剣をさげる金属の部分がカチャカチャと鳴る音のみが響いている。立ち止まると、それらの音が失われることによってむしろ静寂が強調されるようであった。


「静かだなぁ……」


 言わずもがななことを口にしながら、クルーガーは目を上に向けた。大聖堂の中央部分は吹き抜けだが、周囲にはぐるりと二階、三階の回廊がある。


 あの少女が聖堂の関係者なら裏側に回ったのかもしれないな、と思い至り、クルーガーは外へ向かう扉に向かって歩きだそうとした。


 ――そのとき、声が聞こえた。


「やめてっ……来ないで!」


 クルーガーは聖堂内にこだまのように撥ねるその声の源を感覚で探り、すぐに三階の回廊を見上げた。怯えたような甲高い声は、間違いなくあの少女のものだ。


「誰かに追われているのか?」


 側廊へと走ったクルーガーは、その奥の階段を駆け上がった。腰の剣の位置を無意識のうちに手で確かめながら、狭いきざはしを抜け、三階の回廊に出る。


「――キャッ!」


 そこに黒髪の少女がいた。クルーガーとぶつかりそうになって仰天し、急制動をかけたことで後ろに倒れそうになる。


 クルーガーは咄嗟に腕を伸ばした。少女の腰を抱えるようにして体を支え――すぐに自分の背後にかばうと同時に利き手で腰の剣を引き抜く。


 ギィンッ! 金属のぶつかる凄まじい音が聖堂に響き渡った。


 瞬時に抜き放った魔法剣は、相手のナイフを受け止めていた。剣をひねるように突き上げると、相手のナイフは宙に舞い、遥か下の身廊の床まで落ちていった。チャリィンという音が遅れて響く。


「――何者だ」


 誰何すいかする相手の低い声に、クルーガーは剣を体の正面に構えてニヤリと笑い、応えた。


「それはこっちが訊きたいね」


 背後にかばった少女は、乱れた呼吸を必死に整えているようだ。その息遣いを感じながら、クルーガーは相手の動きを見据えていた。


 白っぽい銀の髪と紫水晶アメシストのような紫の瞳をした、怖ろしく整った顔だちの男だ。自分より年上のようで、眼光は鋭く冷たく、肌は抜けるように白い。人間族であるように見えるが、放つ気配と雰囲気が……とてつもなく異様な感じがする。


 黒い革の衣服は、独特の装飾を施されている。特徴的な紋様が右胸に描かれていた。古代王国の都市の印のような――。


 その男は背筋を伸ばし、無言のまま腰の長剣をスラリと抜き放った。


「誰かは知らないが、俺を舐めないほうがいいぜ」


 クルーガーは不敵に笑い、剣の柄を握り直した。それが合図になったかのように、相手が動いた。


「――――!!」


 風のような素早い突きを、クルーガーは自身の剣で弾き返した。流れるような動きで返す刀身を自分に引きつけ、お返しとばかりに鋭い突きを繰り出す。


 剣の師範である騎士隊長ルーファスも一目置くクルーガーの突き技だ。その切っ先は、身をかわそうとした男の腕を浅からず切り裂いた。


 血を流しひるむ相手に矢継やつばやに剣を打ち込み、じわじわと後退させる。相手は剣で防ぐのがやっとのようだ。奥歯をギジリと噛みしめ、男は口を開いた。


「――これほどの腕……何者だ」


「まずは自分から名乗るんだな」


 クルーガーは青い瞳で相手を睨みつけ、油断なく剣を構えた。相手から逃げる気配は感じられない。あくまで向かってこようとしている。


 何か仕掛けてくる――そう思ったときだ。男がクルーガーに向かって片腕を突き出してきた。その腕先、クルーガーの目前で魔法陣の輝きが具現化される――。


「む!」


 剣を眼前に構えたところに凄まじい冷気が襲い掛かった。


 成り行きを見守っていた背後の少女から悲鳴があがり、クルーガーの真横にあるステンドグラスがビリビリと震えた。次いで、ビシリと不穏な音が幾つも響く。


「――『氷剣アイスダガー』か。危ねえなァ」


 クルーガーの吐く息は白く、刀身は霜が降りたように真っ白になっていた。足元と真横の壁までも真っ白に凍りついていたが、それだけだ。


 無傷で魔法を押さえ込んだ相手の力量に、男は驚いて目を見開いた。冷たく整った相貌そうぼうが僅かに歪む。


「すごい……魔法剣に『魔法防御マジックバリア』を付与エンチャントするなんて……」


 感嘆したような声を聞き、クルーガーが肩越しに振り返ると、黒髪の少女が真紅の瞳で真っ直ぐに彼を見つめていた。


「相手が魔導士なのは、雰囲気でわかったからな。俺はこれでも魔術使いなんだ」


 クルーガーはニッと笑った。次の瞬間少女の目が見開かれ、強張る。


「――危ないッ!」


 少女は思わず自分の目を手で覆ったが、それより早く高らかな金属音が周囲に響き渡った。斬りかかってきた男の剣を、クルーガーが腰の後ろから抜いた小剣で受け止めたのである。


「油断してんのは」


 クルーガーは二本の剣で相手の剣をグイと押し、さらに力を込めつつ言い放った。


「あんたのほうだぜッ!」


 ガキンッ!! 鼓膜を打つような凄まじい金属音と同時に、男の剣が折れる。その切っ先は一瞬後、傍の石壁にガヅリと突き刺さった。


「……クソッ」


 男は悔しそうに表情を歪めた。折れた剣の残りの部分を鞘に戻し……クッと微笑んだ。


「もはや加減などしていられないようだな」


 そう言うと同時に、自分自身の革の衣服の胸元をはだけた。そこに描かれていた赤く輝く魔法陣にこぶしを突き当てる。


「――何を!?」


 言い知れぬ不穏な兆しを感じたクルーガーが剣を構えて斬りかかったが、それより早く――。


 ドオォォォォォオオン!!!


 空間が爆発した。大聖堂の堅固な柱と壁が衝撃に震え、一部が崩れ、硝子の欠片が雨のように下に降り注いだ。


 もうもうと上がった土煙のなか、一階の側廊に事も無げに着地した男は、口元に不気味な微笑みを浮かべつつ、歩みを進めた。


「――それでしまいではなかろう?」


 地獄の底から響くようなその声に、土煙が不自然に吹き払われる。そこには、少女の体を片腕に抱えたクルーガーが立っていた。


「何故、この女性を狙っている。この王都で何をしようとしているのだ」


 さきほどまでの余裕そうな口調は欠片も感じさせず、クルーガーは厳しい声で相手に問うた。


 彼の腕のなかで、少女は呆然と目を見開いていた。見つめる先には、先ほどまでとは全く雰囲気の違う男が立っていた。


 紫水晶アメシストの双眸は、熾火おきびのように灼熱の殺気をはらんでいた。銀の髪は、まるで生き物のようにうねっている。


 相手の放つ異様なまでの殺気に、クルーガーは青い目を細めた。腕の中の少女を降ろして耳に口を寄せ、小声で囁く。


「君は大通りを走り、都市の中央広場へ行け。そこに俺の弟と魔導士の女性がいる。とにかくここから――」


 クルーガーは剣を抜きながら少女を正面入り口に向かって押しやった。


「逃げろッ!」


 ガアァァァンッ!! 爆音と衝撃を受け、少女は地面を転がった。顔を上げ、思わず自分を助けてくれた相手の名を呼ぼうとして……まだ聞いてもいなかったことを思い出す。


 ――マイナはふらつきながらも立ち上がり、必死に駆け出した。この王都の、中央広場と思われる場所に向かって。


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