歴史の宝珠 7-30 大切な約束

 いつもはにこにこと本心を明かさないハイラプラスだったが、今は苦渋に満ちた表情をして、掠め過ぎる怒りと後悔の感情を隠そうともしていない。


「……本人も本当にこのままで良いのか迷いはじめていたようなので、できればこちら側について欲しかったのです。この『終末の書』の到着を待って、本人に話をつけるつもりでした」


「『終末の書』……それが、五つに分けられ平和友好の証として各々の種族が保管しているという誓約の書なのですね。僕も現物をはじめて見ましたよ……」


 ディアンが口を開いた。呆然としたようにハイラプラスの手元の書物を見つめる。リューナにその本の価値はわからなかったが、ディアンの表情を見てただの本でない事は理解できた。


「まもなく来るんですよ。あの『時』が――。ドゥルガーはそれを利用してこの世界を破壊するつもりなのでしょう」


 ハイラプラスが押し殺した声で告げた。


「――ここでする話ではないかもしれませんね」


 ディアンが眉を寄せ、まだ目覚めないトルテの寝顔に目を向けた。


 だが、ハイラプラスは首を振った。


「いえ、むしろトルテちゃんにも知っておいて頂きたい話です。ですから起きるのを待ってから話の続きをしたほうが良いかもしれませんね。もう間もなくのはずです」


 ハイラプラスはリューナのもとに歩み寄り、手を差し出した。そこにはオレンジ色に輝く丸い球が握られていた。


「これは、今のうちにあなたに返しておきますよ、リューナ。装置の充填は終わっています。魔力は満タンですから、起動だけではなく作動するときにも十分に足りますから安心を」


 リューナに『歴史の宝珠』を手渡しながら、ハイラプラスが言った。


 受け取ったリューナはそれを上着のポケットに仕舞った。もの問いたげなディアンの視線に気づいたが、無言のままハイラプラスに頷いてみせた。


「完成させたばかりのほうは私のもとにありますから、ご心配なく」


 それから、三人は各々椅子を引っ張ってきて座った。リューナは寝台の傍でトルテの横顔を見つめ、ハイラプラスは額に指を突くようにして何事か自分の考えに沈んでいた。ディアンはそのふたりを交互に見て、そっと息を吐いて目を伏せた。


 そういえば、とハイラプラスが口を開いた。


「トルテちゃんは胸を背中まで鋭利な物で貫かれていましたが、あれは魔導の技『物質生成クリエイト』によって生み出された剣だろうと思われます。リューナ、あなたにも教えたあの魔導の力ですよ」


 言われてリューナは思わず自分の手のひらを見つめた。頭の中でイメージしたままの形を、周囲にある元素を集めて実物にする。ザルバスとの空中戦で使用した魔導の力だ。


「もし心臓を貫通されていたら、彼女は助かりませんでした」


「でも、あの位置は……確かに心臓の真上だぞ」


「ええ、位置的には心臓を通るはずでした。狙いといい傷の具合といい、剣で刺した相手は十分な知識と魔力の持ち主ですから。ただ、トルテちゃんには相手にも予想すらできなかった特殊な魔導の力が備わっていたのです」


「どういう意味ですか?」


 いぶかしげにディアンが眉を寄せた。


「彼女の魔導の力は、咄嗟に心臓を保護するためその場所の次元を別次元に転換させたのです。それで剣が心臓を刺し貫くことができなかったのですよ。それは彼女が意図的にしたものではなく、生体反射のような無意識の反応だったのでしょうけれど」


「次元……転換? すごい力なんだね、トルテの魔導の力は……」


 ディアンが畏れたように囁いた。


「次元を操り、複合魔法すら自在に行使する力……『万色』の力と根源は同じなのでしょうが、全く別の力として発展していますね」


「……『虹』の魔導士……ルシカかあさまが……そう言っていました」


 その声に弾かれたように、三人は寝台の上の少女に注目した。ゆるゆると開かれた目が少し彷徨い、幾分か赤みの戻った顔がゆっくりと横に向けられる。昇りたての太陽のような瞳が、もうひとつの同じ色の瞳を見つめた。


「ハイラプラスさん。あの……」


「……わかっていますよ。彼女を止めようとしてくれて、ありがとう」


 ハイラプラスのあたたかい微笑みに、トルテは僅かに眉を寄せ、目を細めた。そしてリューナを見つめた。


「ごめんね、勝手なことをして……」


「いいんだ。ただ、次からは……もっと俺を頼ってくれるとありがたいな。俺のほうがショックでぶっ倒れるかと思ったぞ」


 冗談めかして言ったつもりだったが、その言葉にトルテは目に涙を浮かべた。そのトルテの顔がぶれるようにじわりと霞む。自分も同じように涙を浮かべてしまったことに気づき、リューナは慌てて顔を伏せた。


「ふぅむ。『虹』の力とはまた言い得て妙ですねぇ、さすがです。私もそのルシカさんにお会いしてみたくなってしまいますね」


 ハイラプラスがニッコリ笑いながら言った。トルテが弱々しくだが笑顔になる。リューナは救われたように顔を上げた。


「色は混ぜれば次第に黒に近づき、光は合わせれば白に近づいていく――太陽の白い光をプリズムにかけて分解すれば、虹のような色模様ができます。空の虹は大気の光学現象。空中にある水滴がプリズムの役割をして光をスペクトルに……あぁ、話がずれてしまいましたね」


 リューナもトルテも、ディアンまでもが、肩をそびやかしたハイラプラスの照れたような笑いにつられ、はっきりと笑顔になった。


「さて――トルテちゃんも起きたことですし、場所を変えて説明しましょうか。この書に綴られていることを、ね」


 ハイラプラスは手にしている書物を掲げて三人の顔を見回した。


 シーツの擦れる音に気づいたリューナは、起き上がろうとするトルテを手伝おうとして振り返り――ぎくりとして伸ばしかけた手を止めた。


「と、トルテ、待て!」


 狼狽したリューナの声に目を向けたディアンも「うわっ」と短く声を上げてまわれ右をした。ハイラプラスはすでに礼儀正しく目を逸らしている。


「え……きゃあっ!」


 トルテは自分の体に視線を落とした瞬間悲鳴をあげ、ずり落ちかけていたシーツを慌ててかきあげた。


「トルテちゃんはまず服を着てから、ですね。新しいものを持ってこさせましょう。ささ、ふたりは部屋の外へ出た、出た。はいはい、急いで」


 リューナ、ディアン、そしてハイラプラスは廊下に出た。どすどすと歩いてきたダルバトリエを扉の前で押し留め、男たちは廊下に所在なく佇んだままトルテの着替えが届くのを待ったのだった。


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