歴史の宝珠 7-23 タラティオヌの飛翔王

 回廊を駆け抜けるリューナが、夜空で展開される戦いを見上げていたのはそこまでだった。


 駆け込んだ先の通廊は、壁も天井も透き通った素材ではない。白く硬質な素材で造られ、優美な曲線で統一されたデザインになっている。客人たちのための部屋が並ぶ一角だ。リューナやディアンもここに並んでいる部屋を与えられていた。


「トルテ!」


 リューナは廊下を走った。


 ディアンも遅れじと懸命に足を前に運んでいたが、リューナの人間離れした健脚にはどうしても離されがちになってしまう。だが、幸いにも目指す部屋は遠くなかった。


 扉のひとつの前で急制動をかけ、リューナはあまり乱れてもいない呼吸を整えた。息を切らしているディアンに、まだ十数歩離れている位置で留まるように手をあげて制する。


 リューナは扉に向き直った。ごくりと唾を呑み、こぶしを握りしめる。


 ダンダンダンダン!


「トルテー! 起きて、開けてくれ!」


 リューナは力任せに扉を叩いた。そのとき、リューナは首筋がちりちりとする感覚に気づき、手を止めて天井を振り仰いだ。


「なんだ?」


 ゴガアァァンッ! 一瞬後、耳をつんざく轟音とともに天井が大きくえぐれた。烈風と圧力が叩きつけられ、リューナは咄嗟に腕を上げて頭部をかばう。


「なっ!?」


「おそらく、『隕石落下メテオストライク』です!」


 駆け寄ってくる軽い足音とともに、ディアンの叫び声が聞こえた。


 周囲に破壊された王宮の屋根と壁の瓦礫がばらばらと降ってくる。美しく洗練されていた光景は、一瞬で悲惨なものに変えられた。


「トルテ!」


 壊されたのは廊下だけではない。目の前の部屋の天井も一緒に半分がた失われている。リューナは床を蹴って跳躍し、部屋の扉を乗り越えた。


 部屋の奥がベッドルームになっているはずだ。瓦礫が散乱する部屋の光景に、トルテの安否が心配になる。奥の部屋は――無事なのだろうか。いくらあいつの寝起きが悪いといっても、ここまでじゃないぞ。


 そのとき頭上でまた爆音がして、リューナは弾かれたように顔を上げた。


 そこでは、ハイラプラスが戦っていた。二十人以上の翼のある兵士を相手にしながら、天空から落とされる炎弾に魔法をぶつけ、被害を最小限にするべく撃ち落としているのだ。


 だが、ハイラプラスは独りだ。右手で魔導行使の印を結び空中に滑らせるように動かしつつ、左手に展開した魔法陣で兵士たちの攻撃を受け流している。その動きは無駄がなく見事なものだが、相手の数が多すぎる。打ち落とし損ねた炎弾が、またひとつ王宮の屋根を破壊した。


 王宮のあちこちに、抜刀した複数の兵士が舞い降りていく。


 リューナは部屋の床に降り立ち、すぐに奥のベッドルームに向かった。


 シンプルだが洗練されたインテリアだった室内は見る影もなく、足もとはひっくり返された家具や砕け散ったクリスタルガラス、天井や壁から崩れ落ちた瓦礫でいっぱいだった。


 寝室の扉は開け放たれており――というか内側から吹き飛ばされており、半ば外れかかっていた。天空からの衝撃にしては奇妙だ。


 ベッドの上では、ぼぅっとした寝ぼけまなこのトルテが半身を起こしている。――トルテは無事だ!


 だが、部屋にいたのはトルテだけではなかった。


「この女、妙な力を持っていやがる!」


 抜け落ちた天井から舞い降りてきた兵士がふたり、ベッドの上のトルテに罵声を浴びせながら、剣を振り上げたところだった。明るい夜空に剣の刀身が光るのがリューナの瞳に映る。


 ――リューナは床を蹴った。


 トルテは寝起きが悪い。部屋に侵入した兵士に、乱暴に腕を引っ張られたところを、不可視の魔力の放出で相手を吹き飛ばしてしまったのだろう。扉の件も、ベッドの周囲に瓦礫がないのもそれで説明がつく。


 壁に、床に強く叩きつけられ、兵士たちは逆上したのだろう。


 目を擦っているトルテの細い腕に、金属で擦れたような赤い痕がついている。手甲による傷に違いない。


 二歩目の床を蹴ってトルテのもとに向かうリューナの目に、それらのことが、まるでスローモーションのようにはっきりと見て取れた。


 リューナの右手が輝きを放つ。魔導特有の光と、一瞬で具現化された長い影。


 焦点の合ったトルテの目が、振り下ろされる剣と兵士と殺気に、大きく見開かれる。唇が開き、間に合わないはずの悲鳴を上げようとした瞬間。


 ガキン!!


 リューナは間に合った。トルテと兵士の間に飛び込み、少女の頭上まで僅かだった刀身を受け止めたのだ。


「リューナ!」


 悲鳴を呑み込んだトルテが目の前の少年の名を呼び、その手に出現している不思議な光沢の長剣を見つめた。


「おおぉぉぉおおッ!」


 リューナは喉奥から叫び声を上げて魔導の長剣を強引に振り抜き、剣を相手の体ごと後方へ弾き飛ばした。返す剣でもうひとりの兵士も壁まで吹き飛ばす。


 ふたりの兵士はそれぞれ壁に叩きつけられ、ガクリと首を垂れた。その背には、奇妙な方向に曲げられた飛翔族の翼があった。


「トルテ! 大丈夫か」


 リューナは震えるトルテを胸に抱えこむように抱き寄せた。


「う、うん。びっくり……しました」


 ガリッという、何かの破片を踏んだ音にリューナが振り返ると、ディアンが立っていた。表情の抜け落ちたような目で、震えているトルテ、そして壁際で昏倒している兵士たちを見る。その瞳が揺れ、次いで怒りのいろが爆発した。


「なんで――こんなことをッ!」


 ディアンは背中の翼をバッと広げた。


「ディアン、何を!?」


 リューナの声は彼に届かなかった。ディアンは跳び上がるように空高く舞い上がっていたのだ。ぐんぐんと上昇していく友人の背を凝視するリューナたちに、戸口から声が掛けられる。


「あなたたち! 無事で良かった。早くこっちへ、広い場所へ出て!」


 ルエインだ。髪は結われておらず背に流されたままだが、いつもと同じ、体にぴたりと合ったインナーとスーツを着ている。


 有無を言わさない口調に感じるものがあり、リューナはトルテを抱きかかえた。ルエインとともに走り出す。


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