歴史の宝珠 7-16 建国祭にて
「あら、美味しいです、これ」
トルテが目を輝かせてカップの中のものを口に運んでいる。もう食べているらしい。アイスクリームと呼ばれるものだろう。リューナは思わず突っ込んだ。
「早いな、おい」
「冷たくて甘いです。『イチゴ』って言ってましたけど、かあさまが好きなピナアの実と味がよく似ています。こちらのほうは、酸っぱさがほとんどありません」
ほわっと頬を染めて、トルテが喜ぶ。かなり気に入ったようだ。
「ふぅん」
喉が渇いていたリューナは、細かな泡が立つ水のようなものをごくっと飲んだ。ウッと驚いたが吐き出すわけにもいかず、首を押さえて胃に落ちるのを待った。カップの中の液体をまじまじと見つめて、今度は少しずつ試してみる。
「喉が焼けるかと思ったが、なかなかいいな」
「ソーダって言ってましたわ」
「こっちは黒いが、ソーダみたいにしゅわしゅわして甘い」
リューナたちがいろいろな味を堪能していると、
「トルテ」
「はい」
悲鳴はトルテにも聞こえていた。頷いてリューナに応える。ふたりの意思の疎通は早い。幼なじみでもあり、遺跡をいくつも攻略してきた相棒なのだ。周囲の家族連れは気づいていないようだ。
リューナは立ち上がった。同時にトルテも立ち上がっている。待っていろとは言われたが、悲鳴を耳にして放ってはおけない性格なのだった――リューナもトルテも。
ふたりは風のように芝生の広場を駆け抜け、悲鳴の聞こえた場所へ向かった。
「さあ! 手間を取らせないでください」
「イヤだ! 僕は戻らないぞ!!」
「力尽くでも、との
その言葉に、少年の肩がびくりとはねる。だが、赤く透き通る瞳に涙が溢れても、首を縦には振らなかった。床に座り込んだまま手足を使い、じりじりと後退していく。
息はすでにあがっていた。心臓の鼓動も
立体回廊は最上層で行き止まりになっている。少し広くなっている展望スペースがあるだけだ。そこには誰もいなかった。
少年は左右に目を走らせたが、逃げ場はない。通路の左右には手すりがあり、乗り越えてもその下は吹き抜けになっている。空中には何もなく、遥か下に、最下層の公園とエントランスが見えるだけだ。
目の前に立ちはだかるのは、十人のおとなの兵士だ。必死に視線を彷徨わせる少年だが、兵士たちの足元にも横にも、抜けられる隙はない。
「さがれ……僕は自由になりたいんだ!」
叫んだ少年の目から、涙の雫が散った。兵士たちは目を見交わし、頷いたひとりが腕を伸ばしながら彼に迫る。
「――イヤだ、誰かッ!!」
そのとき、少年と兵士の間に飛び込んできた者がいた。リューナだ。素手で兵士の胴鎧を弾くようにして、強引に距離を広げる。
「なっ……」
狼狽した兵たちの動きが一瞬、止まった。後方から声があがる。
「このガキ、何処から!?」
周囲に足場はない。ここは下部の柱のみに支えられた最上階なのだ。リューナは少年の体を抱えるように腕を回しながら、素早く訊いた。
「逃げるんだろ?」
「えっ。あ……うん!」
「よっしゃ!」
リューナは同世代の少年を抱えたまま床を蹴った。兵士たちが伸ばした腕も届かないほどの見事な跳躍だ。
「うわっ」
驚いた少年が声をあげる。ふたりの体は手すりを越え、吹き抜けの、何もない空中に飛び出したのである。少年の背で、もぞりと何かが動こうとしたが、それより早く――。
グイッ、とふたりの体が真横に引っ張られた。不可視の力だ。吹き抜けの空間を半分ほど落ちていたので、ふたりの体は中階層の床に転がり込んだ。
少年をかばいながらきれいに身を転がしたリューナはパッと立ち上がり、へたり込みかけた少年の腕を掴んだ。引き起こすようにして声を張りあげる。
「こっちだ! 追われてるんだろ、はやく来い!」
少年はよろめくように立ち上がり、リューナと一緒に近くの出入り口へ向かって走り出した。中階層からの出入り口は、外の立体交差の歩道へそのまま繋がっているのだ。
「くそっ、どうなっているんだ!」
最上層に残された兵士たちの中の数人が吐き捨てるように声をあげ、ふたりを追う為に空中へ飛び出そうとした。
「待て! ここではまずい。騒ぎを大きくしては、評議会にも報告が行くぞ!」
リーダー格の兵士が翼を広げようとしていた兵士たちを鋭く制した。歯噛みした兵士たちは下層へ向けて足を使い、駆け下りていった。
「た、助かったよ、キミ。あ、ありがとう」
先ほどいたビルからは遠くなってしまったが、追っ手は撒けたのだろうと思われた。掴んでいた腕を離すと、少年は地面にへたり込んだ。はぁはぁと荒い呼吸を繰り返している。
リューナと同じ年頃の少年だ。細い絹のような青い髪、瞳の色はガラスのように透き通った薄い赤色であり、ローブに包まれた背中にはふたつの膨らみがある。リューナはその正体を知っている。折りたたまれた翼なのだ。
飛翔族――ソサリア王国の南、大陸中央にある大都市ミディアルに多く住んでいる種族である。その先にある南の隣国は、飛翔族の治める国である。学園にも何人か留学してきていたので、珍しいとも思わないが……。
「大丈夫か? 体、どっか悪いのか」
リューナは息も切らしていないのだが、少年はぜいぜいと呼吸を乱して苦しそうだ。顔色が真っ青になっている。
「い、いや、すぐに回復するよ。し、心配ない。で、でも、いまの力は?」
「ん? ああ、俺たちが飛んだのは、彼女の力だよ」
リューナは振り返る事なく、親指を自分の後方に向けながら言った。
「こんにちは。トゥルーテといいます。トルテって皆には呼ばれています」
トルテがのんびりと自己紹介をした。明るい笑顔を向けられた少年は表情を和らげた。ようやく緊張が解けたのだ。
「僕はディアン。こんにちは、トルテ、それから――」
「俺はリューナ」
「ありがとう、リューナ」
頬を染めて嬉しそうな笑顔になる少年につられるように、リューナも笑った。その屈託のない笑顔に、こいつとは友だちになれそうだなと思った。
「なんだか僕たち、友だちになれそうな気がするね」
少年も同じことを感じていたらしく、リューナは驚いた。その言葉に、ゆっくりと大きく頷く。
「ああ。そうだな」
おとなである兵士を相手に逃げてきたのだ。緊張の反動からか、三人は無性に笑いが込み上げてきて、しばらく一緒に笑い続けた。
そのころ――。
「あの子たち、どこ行ったのかしらっ?」
魔導の監視体制をくぐり抜ける通信手段を使うためビルの地下にある管理室まで降りていたルエインは、ふたりを待たせていたはずのテーブルに戻り、呆然としたのだった。
「大失態だわ。すぐに探さなきゃ」
口の中でつぶやいたルエインは、すぐに駆け出した。
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