歴史の宝珠 7-3 歴史の探求者たち
好奇心旺盛なふたりは成長し、それぞれが勉強の日々に追われるようになった。
リューナは学園長の息子として、読み書きから計算、世界と魔法の
だが、父親に反発していたこともあり、リューナは魔法や魔術よりも剣の修行のほうに夢中だった。王宮の騎士隊長と傭兵隊長が、幼いリューナに剣術の基礎を教え込んでくれたおかげで、あとは独学でもなんとかなった。
それにリューナには、他の戦士や剣士にはない強みがあるのだ。そのおかげで、たいていの相手には負けない自信がある。
トルテは、王宮に暮らす者としてのマナーや知識、帝王学に戦術、計算……歴史と魔法の知識に関することにはトルテは実に楽しそうに取り組んできたが、他の学習――特にマナーに関してはあまり熱心な生徒ではなかった。
のほほんとしているトルテがあくびをすれば、マナーの講師であるメルエッタが眉間に皺を寄せ、使うナイフとフォークの順番を間違えれば小言がその眉間の皺の数だけ続くのだ。
もちろん王宮で毎日普通に食事をするときには、両親も非常にざっくばらんな性格であり、食事は楽しく摂るのが一番だと考えているので、窮屈な思いをすることもなかったのだが。
リューナは物思いから覚め、立ち上がった。
トルテは床に転がる『歴史の宝珠』の周囲を歩き回っていた。リューナを見て首を傾げてみせる。
「リューナ、これってどこが正面で、どこが上なんでしょう?」
問われたリューナも半眼になり、じっと球面を見つめた。なめらかな表面に継ぎ目はなく、窓から差し込む月光を静かに反射しているだけだ。
トルテが引っ張り出してきたノートを開いているが、封印解除の方法しか書き写されていなかったはずだ。
「うーん……とりあえず、明日の朝にしようぜ、トルテ。暗いところで字ィ読んでると目が悪くなるぞ」
「魔法で明かりを灯します?」
顔を上げたトルテは、あくびを噛み殺しているリューナに視線を向けた。
「いや、腹減ったし、眠い」
簡潔な言葉に、トルテは静かに微笑んだ。その表情は、大人びて見える。
「わかりました。明日にしましょう。あたしも実は……眠くて眠くて」
目を
「裏口の側の部屋には明かりが灯っている。玄関と上の書斎には……まずいなぁ、
リューナは三階にある自分の部屋の位置に目をやった――あそこまで登れたら大丈夫だな!
「トルテ、魔導の技を一回だけ使ってほしいんだが――」
言いながら振り返ったリューナは、言葉を切った。
トルテは自分の膝を抱え込んだまま、すぅすぅと安らかな寝息を立てていた。
「間に合わなかったか。トルテは『眠い』と言ったらすぐにこれだからな……」
額に手を当ててため息をついたリューナだが、無理もないか、と思い直した。
トルテは律儀な性格だ。約束の時間に遅れたことを気にして、ほとんど休まず歩いて遺跡に向かったのだろう。
遺跡内部に仕掛けられた罠はほとんどリューナによって発動させられ、住みついていた魔獣たちは残らず蹴散らされていたが――方向音痴のトルテのことだ、遺跡内部をかなりぐるぐる歩き回ったに違いない。
リューナは、眠る少女の顔を眺めた。月明かりに、長いまつげとすべらかな頬がくっきりと浮かび上がっている。輝くような金の髪が、さらりと両肩を流れるように覆っていた。
少女の細い腕をそっと掴み、リューナは自分の肩に回した。軽いとはいえ、少女の背丈はリューナの肩ほどもある。起こさないように気を使いながら少女を背負ったリューナは、扉を出てから片手で鍵をポケットから引っ張り出し、しっかりと
ギシギシと鳴る木造りの階段を降り、月の光に照らされた木々の狭間を歩く。自分の足が草を踏むシャクシャクという音が聞こえるだけで、周囲は静寂に包まれていた。今は初夏だ。虫たちの声もまだない。
意識しなくても、すぅすぅという寝息がすぐ耳元で聞こえてくる。鼻をくすぐるのは、微かな甘い香りだ。やわらかな感触と心地よい重みに、何だか満ち足りたような幸せな気分になってくる。
だが、いつまでも幸せは長く続かない――屋敷の玄関前に着いてしまった。
「……別に、悪いことをしているわけではないんだし」
リューナは扉の前に立った。
父親は魔導士ではなく魔術師であるが、魔道具を使うのが好みらしく、この手の仕掛けは屋敷中にあった。幼い頃は、逆向きの開錠の方法がわからず、夕食時まで書庫に閉じ込められてしまったこともある。
広い玄関ホールに入ると、そこは二階までの吹き抜けになっており、目の前に折り返しになった階段が上に向かって続いている。そこから、ひとりの人物が歩いて降りてくるのと鉢合わせた。
「リューナか」
男にしては少し高い声、濃い赤の生地とあざやかな金の縁取りのついた丈の長い衣服、指輪や腰紐には宝石のような輝石がじゃらじゃらとついている。
リューナの父であり学園長である魔術師、メルゾーン・トルエランだ。派手めの衣服は魔術師のローブであり、輝石は全て魔石である。すこぶる不機嫌そうに口の端を歪めて、女の子を背負ったままの息子の姿を見下ろしていた。
「どこへ行っていたのだ? シャールが心配していたぞ」
「かあさんがおれを心配するってのは、ありえないだろ」
リューナは鋭い目つきで言葉を返した。背中には、トルテが安らかな寝息を立てている。声の大きさは、怒鳴る一歩手前で控えておいた。
「ふん」
父親は視線を逸らし、また三階の書斎のほうに戻っていった。
「何しに降りてきたんだ、親父め」
口の中でぶつぶつとつぶやきながら三階の自室に向かおうとすると、玄関ホールの正面にある扉が開いた。居間への扉だ。
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