白き闇からの誘い 6-17 闇の脅威

 相手はようやく力を緩め、ルシカの体を解放した。


 ひねられた肩の痛みにルシカが息をつまらせると、若者の顔が曇った。あざのように跡のついた細い腕を、後悔のいろを浮かべた眼で見つめている。


 ヒカリゴケの放つ薄明かりのなか、ありがたいことに、ようやく完全に眼が闇に慣れてくれたらしい。ルシカは若者を見た。相手が自分と同じほどの歳の青年――つまり十九歳の成人直前くらいであり、身なりからしてラムダーク王国でも貴族クラス以上の地位であること、テロンと同じようにショートに整えられた淡い色彩の髪、濃い色の瞳であることなどが見て取れる。


「……すまなかった。魔法のめくらましか、妖しい地霊のようなものかと思ったんだ」


 相手は弁明するようにつぶやきながら身体を起こし、ルシカの上から退いた。小石の転がる地面に座り込む。怪我をしたらしい右の上腕を左手で押さえ、痛みに引きつる口元を引き結びながらも、まだ何か言いたげな様子でルシカのほうをちらちらと見ている。誤解とはいえ、一方的に襲い掛かったことに後ろめたいものを感じているらしい。


 相手によもやそれ以上の感情が湧き上がっていたことは、ルシカには知る由もないのであるが……。


「いいのよ。その気持ちはわかるわ。普通こんな場所に女の子が居るわけないもん」


 ルシカは乱れてくしゃくしゃになった髪を手ぐしで整え、衣服の汚れを払った。手足を動かした限りでは、さきほどの遣り取りでも致命的な損傷は受けなかったようだ。衣服をそっとめくり上げて腕や脚の痛むところを確かめてみると、赤黒く腫れている箇所がいくつもあった。もともと白い肌であるだけに、相当に目立つ。


「それは、まさかさっき――」


「あ、いえ、ううん。これは違うの。落ちたときの傷みたい」


 ルシカは慌てて首を横に振って衣服を戻し、相手を安心させるように微笑んでみせた。頬にかかった長い髪を無意識に掻きあげるようにして、背に放る。細い首筋を目にして若者は慌てて視線を逸らしたが、何かに思い当たったかのようにまた顔をあげた。


「落ちた、と言ったのか? ではもしかして、俺と一緒に上から落ちてきたというのか」


「そうよ。魔法陣が断ち切られて相互干渉が狂わされたとき、それを引き起こした者の周囲の床が抜け落ちるようになっていたの。古代遺跡にあるのと同じような、一種のトラップね。警告しようとしたけれど、あたしの声はあなたに届かなかったみたい」


 ルシカは頭上を見上げた。闇に慣れた眼にも天井が判別つかないほど、かなりの高さがある。ルシカにつられるように視線を上に向けた若者は、ふぅ、とため息をひとつついて首を振った。


「……よく死ななかったなと思うよ。こんな高さから落ちたというのに。おま――君も無事で本当に良かった」


 心の底から発せられた言葉に、ルシカは微笑を返した。やはり性根は真っ直ぐなようだ、と安心する。


「あたしたちソサリア王国の船で、あなたたちラムダーク王国の船の捜索に来たの。さっき壁の向こうにいたひとたちは、お仲間さんたちなんでしょ? 無事に見つかって嬉しい――全員いるの?」


「ソサリアの!」


 若者の表情がパッと明るくなった。


「そうか、やはり! ソサリアはさすがだ。新王も魔法の使い手だと聞くし、このような魔の海域にも恐れず兵を派遣できるとは、まことに素晴らしい。魔法はいにしえから伝わる大いなる力、非常に有益なものだ。民たちの暮らしも便利になるし、豊かにもなる。……我が父にもそなたらの爪のあかを煎じて飲ませてやりたいくらいだ」


 そこまで一気に語り、若者はふと黙った。


「全員か、と訊かれると……全員ではない。乗組員の半数が母なる海に還ってしまった。船も浮かぶのが精一杯という有様で、ようようここまでたどり着いたのだ。しかし、船を修繕しようにも材料がなかった。俺たちはそのための物資を求めて、さきほどいた場所を探索しようとしていたのだ。時間の巡りはここではわかりにくいが、俺たちが漂着して四日は経っていると思う。そろそろ水も食料も尽きかけていたんだ」


「そうだったの……。それで何とかしようと移動を試みていたのね」


 ルシカは頷き、右手を負傷している相手をおもんばかって両手を若者の左手に差し伸べた。


「あたしたちソサリアは平和の盟約を結びしラムダークを歓迎します。盟友よ、誓いのもとに――。船も生存者のみなさんも、もう大丈夫よ。さぁ、みんなが心配しているわ、早く上に戻らなくっちゃね。協力して苦難を乗り越えましょ。よろしくね!」


 若者も手を伸ばした。けれど、握手のために手を差し出したルシカの思惑とは違っていた。若者はルシカの片手を取り、唇をつけたのである。ルシカは驚き、反応に窮した。頬が赤く染まる。


「――こちらこそ。上まで俺が無事に護っていく。安心して任せてくれ」


 慇懃いんぎんすぎて芝居がかったような口調は、どこまでが本気なのか、冗談なのかわからなかった。が、若者の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。ラムダークの宮廷では、このように挨拶をするものなのかもしれない。ルシカは今までに一度もの国を訪れた経験がないのだ。


「あ……ありがとう。それにしてもさっき、どうやってあの強固な護りの障壁を打ち砕いたの?」


「魔法を付与エンチャントしてある剣で、あらかじめ壁に傷をつけておいたのさ。そこに火薬を仕掛けた」


 若者は少しだけ得意げに語り、腰に提げてある鞘からゆっくりと剣を引き抜いた。左手で掲げられたその剣は周囲の青緑色の光を反射し、闇の中に鈍く輝いた。厚く重そうな刀身、握る部分には宝石が嵌められ、凝った装飾が施されている。その意匠はラムダーク王家の紋章のようにも思えた。暗くてはっきりと確認できないので、ルシカは思わず眼を近づけたが……。


「剣が、剣の魔法が消えている!?」


 若者は呆然としたように刀身を見ていた。何か思いついたのか、次に彼は懐からはこを取り出した。手のひらに乗る大きさで、金属でできている。ひどく頑丈そうなその函には、ルシカにも覚えがあった。ソサリア製の『発火石』の収納ケースだ。


 若者は手のなかの『発火石』を地面に置き、剣の柄で突いた。石は砕け、なかに閉じ込めてあった『発火ファイア』の魔法が解放されて火がポッと明るく燃え上がる――はずであった。


 けれど、繊細な音を立てて砕けた石はそのまま無数の破片となって散らばり、ヒカリゴケと数多あまたの小石に覆われた地面のどこやらにまぎれてしまった。火のひとかけらも現れていない。


「やはり……おかしいぞ。魔法の石なのだし、湿気しけたというわけはないだろう。ここは魔法を消し去ってしまう場所ではないだろうか」


 言われてはじめて、ルシカは自分の魔導の力だけが封じられているわけではなかったことに思い至った。腰の帯をまさぐり、そこに結わえつけてあった皮袋の紐を解く。やはりだった。中に入っていた魔石はどれひとつとして、魔法の気配を残しているものはなかったのである。


「それ……すごいな、全部魔石なのか」


 手のひらに取り出して魔石を確認していると、手元を若者が覗き込んでいた。ラムダークにはあまり出回っているものではないことを、ルシカは思い出した。物珍しいのだろう。


「うん。落ちた衝撃で割れているものはないけれど、いくつか無くなってるみたい。確認してみなきゃ……」


「やはりソサリアはすごいな。魔石がごろごろとあるなんて」


 ごろごろとあるわけではないのだけど……とルシカは心の内で苦笑した。宮廷魔導士という立場上ひとよりは多く所持しているが、決してありふれたものではないのである。魔石は貴重だ。加えて言えば、魔晶石という純粋な魔力マナの結晶であるものは、魔石とは比べ物にならないほどもっと貴重で希少なものになる。


 国内で魔石をいくつも所持しているのは、ルシカの他にはファンの町の魔術学園の学園長であるメルゾーンくらいだろう。脳裏に高笑いする自己意識過剰な魔術師の姿が浮かび、思わずルシカは唇を尖らせてしまう。『闇の魔神』をけしかけられたときは、本当に死ぬかと――。


 ルシカはそのとき、ある事実に気づいた。袋から膝の上にザッとすべての魔石を出し、もう一度確認してみる。――やはり無い、無くなっている!


「『封魔結晶』が……!」


 ルシカはつぶやき、顔をあげた。よほど不安そうな、切羽詰ったような表情になっているのだろう。「どうした?」と若者が問い掛けてくる。


 ルシカが口を開きかけたとき、どぅん! という鈍い音が地面の揺れとともに伝わってきた。

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