白き闇からの誘い 6-1 千年王宮の秘密
「ティアヌたちが旅立ってから、どうもがらんと静かでいかんな」
クルーガーは執務机に肘をつき、青い瞳を明るい窓の外に向けてつぶやいた。
歳若くして国王の座を継いだものの、好奇心も活動意欲もまだまだ血気盛んな若者のそれ。さきほどからうずうずと腿のあたりが落ち着かなげに動いている。
だが、そのまま立ち上がろうものなら、ましてや塔のごとく目の前に積まれた書類の束を放り出して部屋から駆け出そうものなら、隣で目を光らせている騎士隊長兼幼少からのお目付け役に、延々と小言を言われ続けることになるだろうとは、彼とてよく理解し熟知しているのであった。
「陛下。手が停まっておりますぞ」
さっそく飛んできた鋭い指摘に窓から室内へ顔を戻すと、
クルーガーはため息をつき、羽根ペンを握ったままの右手に視線を落とした。剣を握るときとは関係のない箇所に、
「わかっている」
「だがな、ルーファス。ちょっと細かすぎやしないか? どこそこで集会だの会議だのはまだいい、なぜ柱一本の設置にまで俺に書類を回してくる」
不機嫌そうな声で言いながら、騎士隊長に鋭い視線を向けた。
「昔から陛下の許可をいただくのが習わしでしたので」
「では、今こそまだるっこしい習わしを改変するタイミングだということだ。考えてもみろ、こんなことをしていたら、いつまでたっても工事は進まんぞ」
「そ、それは――おっしゃるとおりだと思いますが」
「おまえはこの俺をこの席に縛りつけておきたくて、わざとこのような書類まですべて回してきているわけではないだろうな」
クルーガーがぎろりと睨むと、騎士隊長は肩をすくめた。
「そのような理由ではありません。確かに、陛下が目の届くところに座っていてくだされば安心していられるのは事実ですが」
お目付け役の本音に、クルーガーは思わず苦笑した。
「
書類をパンパンと手で叩き、若き国王は再び窓の外に目を向けた。王宮内は、静かであった。彼の双子の弟も、もうひとりの友人も、昼間はほとんど外に出払ってしまっているがゆえに。
「今日も忙しく駆け回っているのだろうなァ……」
各方面の調整や交渉で動いているだろう弟と、今この瞬間も変わらずその傍らに寄り添うようにして尽力しているだろう友人のことを思い描く。強大な魔導の力を行使しては、その力に見合う
「まあ、いい。見直しのために大臣たちを集めてくれ。できるだけ早いほうがいいが――」
クルーガーがそう言いかけたとき、扉が叩かれる音がした。力の入れ具合からして女官ではない。それに近衛兵でもない。特徴的な叩き方からして大臣のひとりだろう。
「ニアルード大臣ですな。まさかもう召集されることに気づいて駆けつけたというわけではないでしょうが」
ルーファス騎士隊長も音で察したようだ。
「どうかな。だがあいつら大臣というものは狡猾に目を光らせて、国王がどこで何していようともお見通しだからなァ。あり得ぬことではないぞ、ルーファス」
ニヤリと愉しげな笑いを向けられた騎士隊長は、「まさか」と鼻白んだ顔つきになった。
「冗談さ、気にするな。――入れ」
言葉の最後は、声を大きくしてあった。扉の前で待っているだろう大臣に向けた言葉だからだ。
入室が許されるや否や慌てた様子でどすどすと執務室に踏み込んで来た大臣は、予想していた通りの人物だった。だが携えてきた知らせは、ルーファスにはもちろん、クルーガーでさえ予想もしていなかった内容だったのである。
王都の一角、港にほど近い区画に、あざやかな色彩が動いていた。
そこは、新たに大量の住居を用意するため、重点的に力を入れられている区画であった。そのために毎日工事が続けられている場所だ。
周囲には杭を打つために巨大な槌を振り下ろす音が無数に響き、石を運ぶごろごろという荷車の音、地面を
その土色の風景のなかにあって、あざやかな色彩は離れた場所でもよく目立っていた。忙しそうに周囲の作業場を覗き込み、その場で働いていた者たちとひとしきり話をしたあと、すぐに次の場所に移動することを繰り返している。ときおり何かにつまずいたように揺れる、危なっかしげな様子で。
降りそそぐ太陽の光をいっぱいに浴びて輝いているのは、長い金の髪だ。結い上げるわけでもなく自然に流されており、海風の吹くまま娘の肩でゆったりと踊っている。身に着けている薄桃色の衣服が、動きに合わせてせわしなく
顔をあげたとき、耳に飾った貴石と首飾りが陽光を反射して
けれど宝石よりも目を惹くのが、その大きな両の瞳だった。あざやかで暖かなオレンジの色彩は、昇りたての太陽のいろであり、夜闇にあった地表が最初に染め上げられる温もりに満ちた光のいろである。
娘は手に携えた分厚いノートに、携帯用のペンを使って盛んに何かを書き付けていた。周囲で作業している者や街の人々、警備として巡回している兵士たちと挨拶を交わし、最近の状況や要望などを話されると、またペンを走らせる。街の人々も兵士たちでさえも、愛想抜きの本物の笑顔で親しげに話していた。オレンジ色の瞳を微笑ませ、娘も素直な笑顔で応じている。
そのとき、低音がかすれたような印象の声が、その娘の名を呼んだ。
「ルシカ殿!」
呼ばれて娘が、くるりと振り返る。固める作業途中の基礎部分の向こうから、ひとりの老人が手を振っていた。老人にしては肌の色つやが良く、かくしゃくとした動きだ。
「グリマイフロウ老」
ルシカはそれまで話していた周囲の者たちに微笑みながら頷くと、すぐに老人に駆け寄った。
「――どうでした? 見通しは立ちそう?」
「計画通りなら、もちろん。じゃがのう、現状これではまだ足りんのぉ。圧倒的に人手が不足しておる」
機械に注す油のような染みをつけた作業着の老人は、白髪の目立つ頭に手をやり、長いため息をついた。ふたりは歩きながら、把握できている現状について話しはじめる。
「やはり人力だけに頼っては限界がある。とはいえ魔術もこの際にはあまり役に立たん。岩を割ったり持ち上げたりする作業に魔術師の若いもんが来てくれておるが、敵を打ち倒す魔法も、本来細かな作業向きではないからのぅ」
「それはそうよね。魔法は消耗も激しいから、あまり作業効率も良くないだろうし……」
いろいろ試しているのは、それほどに皆が焦っているためだ。冬が来るまでに、必要な数の住居を必ず間に合わせなくてはならない。工事に携わっている者たちも市民たちも明るい表情だが、よくよく話を聞くと、希望の奥底に不安が滲んでいるのがルシカにもよくわかった。
なんとか現状を変えたくて、良い案がないか話し合っているのである。
老人は建築家だ。けれど趣味で機械をいじっていることから、街では変わり者で名前が知れ渡っていた。彼の弟も化学実験と称して爆発を起こしたりしている。ふたり合わせて『ソサリアのグリマイ兄弟』といえば、奇特で常人には理解しがたい論理と技術で世間を驚かせる、天才天災コンビなのだ。
だがこれからの世界に、魔法と並んで必要になっていくと思われる、科学の技の第一人者たちだ。少なくともルシカはそう思っている。
地位的には歳若いルシカのほうが遥かに上であり、歳はもちろん老人のほうが遥かに上である。だが、ふたりには何か相通じるところがあるらしく、議論を闘わせるときにも、また結託して無謀な――もとい斬新な新技術の実験をするときにも、遠慮容赦がない物言いであるのが常であった。
影のように遠くに付き従っている宮廷魔導士の警護兵たちも彼女たちの性分を熟知しているので、老人に控えるよう口出しをすることはしない。ただ、いつでも
「大昔の魔法王国でやっておったような、召喚したものを使役させれることができれば話は早いんじゃがのぅ」
「うーん、それはできないの。幻精界から呼び出して従わせるということは、力尽くでこちらの思い通りに動かすということ。それでは奴隷と同じだわ」
ルシカは困ったように優しげな弧を描く眉を寄せ、言葉を続けた。
「押し潰され折られたこころは憎しみを生むわ。幻獣や魔神だって
「そうじゃろうの。まぁ、わしはひとつの提案として出してみたまで。おぬしの心優しさを試すこととなってしもうたようですまない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます