白き闇からの誘い

白き闇からの誘い プロローグ1

 それは、ただひとかけらの石にみえた。


 どこまでも透明な多面体のきらめきは、周囲の光を集め、なおいっそうのまばゆい光として放出している。このような地の底深くにあっては、ありえないほどに力強い光のいろで。


 その石は自然なまま長い年月を経て、形成された鉱物の結晶ではない。いや、もともとは結晶であったともいえる――水晶、という名の。


 だが自然の物ではありえないかたちは、内なる力によって爆ぜ割れた痕跡であった。ひどく美しくもはかない生涯を散らしてしまった、花びらのようでもある。


 ふいに長く細い手指が伸ばされ、石に触れた。ことさらに注意深く、ほんの一瞬だけ。


 手指の主は、掴もうとしていた石が熱を持っていないことを確かめたらしい。確かに石はそれ自体が高熱を発しているかのごとく、あらゆる光を収束していたので。


 白き闇に満たされたその空間に現れた人影は、よく見ると人間のものとは違う姿かたちをしていた。関節の動きを感じさせないなめらかな動きは、高貴なものとも実体のないものとも思えるほどに、どこか優美で現実離れしたものである。


 石は、今度はしっかりと指先でつまみあげられた。ためつすがめつ手のひらで転がされ確かめられながら、石はキラリ、キラリとこの世ならざる輝きを放った。その者は微笑し、満足げにひとつ頷いて、石を衣服のどこへとやらに大切に仕舞った。まるで、大切な思い出を秘めた品のように。


 そうしてその者が去り――。


 白い闇の空間は、またもとの静寂を取り戻したのであった。





 白亜の『千年王宮』で知られる王都ミストーナは、グリエフ海に開けた広大な三角江エスチュアリーにある。


 国土を覆うのはふたつの大森林地帯を代表とする広大な緑、そして南北をつらぬく大河ラテーナとその支流が全体をあますところなくうるおしていた。隣接する海はふたつ、グリエフ海とミナリオ海だ。


 魔と静寂の共存するグリエフ海は、深海のごとく濃い様々な青のいろを内包しており、一見すれば穏やかな海域に見えた。だが、いざその海に乗り出そうものならば、想像を超えた大きさの魔獣たちと遭遇し、ほぼ無風状態に近い大気と乱れて先読みのできない海流に捕らわれ、おぼろに燐光を発する正体不明の光に惑わされて、海の藻屑と化して帰らぬ船となるのがほとんどであった。


 だから、ソサリア王国を訪れる船の通る航路は、大陸を沿うように定められたルートか、比較的穏やかな東方のミナリオ海から『無踏の岬』と『竜の岬』を回り込むルートを通ることになる。


 そのような人智の及ばぬ海域は、気の遠くなるほどに遥か昔から栄え続けていたグローヴァー魔法王国なるものが二千年ほど前に滅亡した折、ひとつの大陸がその場所から姿を消したときに誕生したと伝えられている。


 その消えた大陸と隣接するように南隣にあるこのトリストラーニャ大陸は、現在でも変わらずに存在しており、魔法王国の遺産である数々の不可思議な遺跡を遺している。


 大陸はいくつもの気候帯、いくつもの山脈を有し、一部を除きほとんどの領域が穏やかで実り豊かな大地であるため、現生げんしょう界で最も多くの人口を抱えていた。大小十五もの独立国があり、主要な五種族をはじめとして実に様々な種族が暮らしているのだ。





 その独立国のなかのひとつ――。


 人間族の統べるソサリア王国は、夏の暑さの盛りを過ぎ、早くも紅葉に染まる季節を迎えつつあった。


 四ヶ月ほど前の邪神召喚という凄絶な戦いをなんとか乗り切り、いまや王都は復興の兆しを見せはじめている。それどころか、より住みやすくより安全な都市を目指して、国と民がひとつとなって動いているのであった。


 大陸の北部に位置するソサリア王国の冬は、決して温暖でも短いものでもない。冬が来る前に崩れてしまった家屋を修繕し、暮らしている民たちが最も厳しい季節をこごえることなくあたたかに暮らせるよう、少しでも早く復興を進める必要がある。


 若き王子が新王として戴冠たいかんしたと、その彼の双子の弟と宮廷魔導士の娘による婚姻こんいん。このふたつのよろこびが、王国の危機となった悪夢――邪神召喚によって王都の半分が崩れた戦いの傷を癒すことに大きく貢献したのは事実であった。王都とその周辺に暮らす人びとが心に受けた恐怖や悲しみを乗り越え、前に向かうための希望を持つきっかけを膨らませたのだ。


 加えて、新王の国政に対する姿勢も、人びとの気持ちが前に向かうことにはずみをつけた。その地位が高かろうが低かろうが、誠意を持って人びとのために尽力する有能な人材を、分け隔てなく見い出し雇用していく制度を整えたのだ。おかげで、それまで見向きもされなかった職人や学者たちが、活躍の場を与えられ大いに発展しはじめたのである。


 魔術などの魔法の技にされて、それまであまり正当に評価されなかった科学や化学などの知識と技術だ。


 家屋が崩れ落ち、寝る場所すら失ってしまった民たちの仮の寝床としては、王宮の一部が使われていた。白亜の『千年王宮』は王都襲撃の中心にあっても崩壊ひとつせず、名前のとおり建造された千年前と変わらぬ状態を保ち続けているのである。


 奇跡の王宮、と呼ばれるのは過去戦乱の世にも破壊されることなくり続けているといういわれのためであり、また今回の襲撃を乗り切ったためでもあった。


 だが決して、邪神の攻撃から王都を護るために展開された『障壁シールド』が王宮だけを特別あつく護っていたわけではない。


 その理由に関しては、秘密があった。

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