破滅の剣 5-1 森の中の出会い

「はぁ~、変な天気ですねぇ」


 緑の深い森のなか、天蓋のように頭上を覆い尽くしている葉陰の切れ目から空を透かし見ていたエルフ族の青年が、のどかな声をあげていた。


 青年に連れはなく、蟲や鳥が動くときのふいの物音や木々のざわめき、そして青年が石や根に蹴躓けつまづいたり枝草を踏みしだく音が聞こえるばかり。


 薄青色のクセのない髪は美しく、顔の横には種族の特徴である先端の尖った耳が覗いている。背丈は高いが全体的にひょろりとした印象で、腰紐に手挟たばさんだ短杖ワンド、荷袋を背負い、魔術師風の旅装束をまとっている。


 青年は、髪と同じ薄青色の瞳を空に幾度も向けていた。そのたびに、のんびりとした独白が薄い唇からこぼれるのであった。


「困りましたね……ここはいったい、どのあたりになるんでしょう」


 自然に溢れる四大元素と親しいはずのエルフ族が道に迷っている――今でこそ森に住まう傾向が強い種族も、魔法王国期には、人間族をはじめとする他種族と同じように、その大半が大都市につどって暮らしていたのだ。自然と調和した景観で名高かったエルフ族の統べる首都トレントリアでさえ、魔導技術に支えられた便利で衛生的な暮らしを享受していたのである。


 しかもこの青年は、現在のエルフ族たちとは少々異なる育ちのようであった。


「やれやれ、本当に困りました」


 誰かが耳にしていたら全然困っていないんじゃないかと思われるような、実にのんびりした口調で青年がぼやく。


「ここが、大森林アルベルトの南東部のどこかっていうのは、わかるんですけどねぇ」


 世界に存在する大陸の中で、最も広大なトリストラーニャ大陸。その北部に位置するソサリア王国の領内には、ふたつの大森林地帯が存在する。王都ミストーナがある北部のカクストア大森林、南部にあるのが大森林アルベルトだ。


 カクストア大森林の奥まった場所にひっそりと存在する『隠れ里』から出てきた青年にとって、南の森アルベルトは初めて訪れる地域だった。


 ティアヌ・シル・レーア。青年の名である。二十五歳というのはエルフ族としても魔術師としても、まだまだ半人前だ。


 故郷を飛び出して七日間、南北を貫いている主要街道沿いにのんびりと旅をしてきたというわけである――少なくとも、その途中までは。


「やはり、あそこで森を近道しようなんて考えたのが、いけなかったんでしょうねぇ」


 森とはいっても平坦な場所ばかりではない。行き止まり同然の崖や大地に穿たれた穴や亀裂、それらの通れない場所を延々と迂回し、剣呑な気配を避けて進むうち、ふと気づくと進んでいた方向すらわからなくなっていたのだ。


 うっそうと茂る樹々は枝葉を伸ばし、空を覆い尽くしている。太陽の位置が確認できない場所も多く、すでに時間の経過もわからなくなっている。ティアヌは仕方なく、あまり自信のない勘だけを頼りに歩き続けていた。


 独り言をつぶやきながら、いったいどのくらいの距離を歩いたのだろう。前方に、かなり開けた場所があるのが、木々の間隙から見えた。


「もしかしたら、村があるのかもしれませんね」


 そうでなくても、空を見上げて太陽の位置を把握することができるかもしれない。そうすれば方向くらいはわかるだろう――そう考え、ティアヌは張り出した根につまずきながらも早足で歩み進んだ。





 住んでいた者が絶え、焼かれて灰になった集落は、朽ちてゆくがままになっていた。


 そんな集落の空き地に、注意深く周囲の気配を窺いながら、ひとりの少女の姿が現れた。歳は十代半ばほど。栗色の髪と琥珀色の大きな瞳、ツンと小さく整った鼻は可愛らしいとさえいえる顔立ちである。


 しかし少女の鋭い眼光には、他人に可愛いとさえ言わせない強さが秘められていた。歩みを進める動きも俊敏で隙がなく、腰の後ろに留められた短剣も実用を重視した飾り気のないもの、斜め掛けに吊られている矢筒も弓も本物だ。


「……遅かった、か……」


 周囲の惨状を厳しい表情で眺め渡し、少女は唇を噛んだ。


「打つ手もない。もう手掛かりもない」


 低くつぶやいて琥珀色の瞳を伏せ、少女が震えるこぶしを握りしめる――。





「わぷっ。本当に凄い。生命力にあふれた森ですねぇ。僕の故郷とは大違いです」


 広い空間は見えているのだが、そこに到るまでの道がない。ティアヌは、草が生い茂り低木が遮っている中を、両手で掻き分けるようにして進まねばはならなかった。


 本来、おしゃべり好きであるティアヌにとって、ひとり旅は退屈だった。もちろん、故郷の里を出て様々なことを実際に目にして耳にすることは、彼にとって感動の連続だ。けれどやはり、道連れが欲しいのが本音である。


「……ルレファンは、僕が旅に出たことを父上や母上に告げたのでしょうか」


 ティアヌは幼なじみの青年のことを思い浮かべた。


 ティアヌの父は『隠れ里』の族長であり、息子であるティアヌが将来はその地位を継ぐことになっていた。その時が来るまでに、外の世界を旅してみたい――『隠れ里』を離れることが禁忌タブーであることを知りながらも、好奇心を押さえられなかったティアヌは里を飛び出した、というわけだ。


 だが『隠れ里』を出る際、幼なじみの青年ルレファンに見つかってしまったのである。「一緒に世界を見てみないか」と誘ってみたのだが、断られてしまったのであった。「自分は他にすことがある」とルレファンは言っていた。


「あれは一体、どういう意味だったのでしょうねぇ……」


 ティアヌは自分の思考をたどることに夢中で、絡まりあっていた低木の茂みを突き抜けたことに気づかなかった。ふいに視界が開け、気がつくとティアヌは広い場所に出ていたのである。


 そこは、小さな集落の広場だった。


 いや、正確には、集落だったものというべきかもしれない。無残に黒焦げ、焼け落ちている。相当な火の勢いだったのだろうと思われたが、周囲の森に燃え移った様子はなかった。火の精霊との付き合いもあるエルフ族のティアヌにとって、それはあまりに不自然な火の痕跡であった。


「……ここで何が起こったのでしょう? どうやら大きさからして、人間の村ではないようですが」


「おまえは誰だ!」


 突然、誰何すいかの声が投げかけられた。心臓が飛び出すのではないかと思ったほどに驚いたティアヌは、声の聞こえたほうを振り向き、さらに驚いた。


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