生命の魔晶石 3-2 王宮

 王宮の執務室に居るのは、ルシカを含めて六人。


 ソファーに座っているのは、国王ファーダルス、老魔術師ダルメス、ルシカの祖父であり師である『時空間』の大魔導士ヴァンドーナである。


 金属鎧に身を包んだふたりの武人は座ることなく、ひとりは王の傍ら、ひとりは扉の近くに立ったままであった。


 扉側に立っているのは、傭兵隊長ソバッカ・メンヒル。神官シャールの父親でもある彼は、東方大陸の出身で、若き日の王と冒険者としてパーティを組んでいたこともある。腕っぷしの強さと信頼に足る人柄により、王の側近として今の位置にいるのだ。


 王の傍に直立不動で立っているのが、騎士隊長ルーファス・トム・ソルア。クルーガーの剣術の師であり、幼少であった頃からの王子たちの教育係、兼、お目付け役だ。


 一同の顔を見回し、ファーダルスが口を開いた。


「さて、今日集まってもらったのは他でもない。南東の方向に不吉なきざしがあると、大魔導士殿から告げられた。王国の平和に脅威となるものならば、無視はできぬと予が判断したのだ」


 王の視線を受け、ヴァンドーナが言葉を継いだ。


「ゾムターク山脈の麓の町ファンから、さらに進んだ先じゃ。位置としてはおそらく『終末の森』周辺で間違いあるまい。具体的に何が王国の脅威になるのかまでは、わしにもわからぬ。だが、確実に何かがあるのじゃ」


「これが『時空間』の大魔導士であるおぬしの言葉でなかったら、ここまで大事にする理由にはならなかったのだが……。実はダルメスのほうでも、数日前から困ったことが起きていてな。無視することができぬ状況にまで持ち上がったのだ」


 王にうながされ、ダルメスがおもむろに口を開いた。


「『終末の森』は、ファンの町よりさらに進んだ先にある絶壁の直下、遥か過去に封じられ、現代では立ち入ることができぬ未踏の地となっている場所です」


 隣国との境にもなっているゾムターク山脈、その最高峰ゴスティア山の西壁には遺跡が隠されていると言い伝えられている。すっぱりと斬られたかのような絶壁の直下とその周囲の森を含めて不吉な名がつけられているのだ。


 なぜ未踏の地と成り果てているのかというと、それら全域が巨大なひとつの結界に覆われているからだ。


 結界の名は『ハイマーの封印』。規模は尋常なものではない。王都の半分ほどはあるだろうという範囲に展開され、遥か過去から現代になってもほころびひとつなく作動し続けているのだ。


 夜になると不気味に発光してみえる封印のヴェール。その向こうにぼんやりと透かし見える森は奇妙に歪み、ねじれ、まるでこの世の終わりの光景のように恐ろしいのだという……。


「事の始まりは、数日前に起こった地震です。何の前触れもなく、ドォンという、突き上げるような地響きがありましてな。大地の自然活動ではありません。私自ら赴き確認したのですから、間違いはないかと」


 ダルメスはそこで言葉を切り、目の前に置かれたグラスに注がれていた水を口に含んだ。ごくりと飲み、言葉を続ける。


「結界の近くで、不思議な影をいくつも見ました。はっきりと形を見定めたわけではないので、それが何であるのかはわかりませぬが……」


 いつの間にか太陽は西に傾き、部屋に満ちていた光は、赤みを帯びたものに変わりつつあった。


「『終末の森』も『ハイマーの封印』も、古えに栄えしグローヴァー魔法王国のもの。残念ながら、魔術師の理解の範疇を超えております。恐ろしい災厄の前触れかも知れぬというのに、何もできぬ自分が腹立たしい……」


 皺深く刻まれたこぶしを強く握りしめているダルメスの肩を、腕を伸ばしたファーダルスがぽんぽんと叩く。王にとって、ダルメスもまたかつての冒険者仲間のひとりなのだ。


 それまで口を開かず話を聞いていたルシカが、顔を上げた。窓から差し込む光を受けて同じ色に煌めく瞳に力を込め、決然と口を開く。


「あたしが行きます。魔法王国の遺したものが影響しているのならば、魔導士が行って調べるべきだと思います」


 魔術師と違い、古代魔法王国の末裔たる魔導士は、生命の源である魔力の流れが常人と比べて桁違いに強い。魔力の流れを視覚的に捉えることができ、知識も深い。この王国に魔導士は、ヴァンドーナとルシカしかいない。齢九十を越えている祖父に旅は無理だ。


「むぅ……」


 ファーダルスは目を伏せて、唸った。確かに魔導士ならば、不吉な兆しの正体も異変の原因も、すぐに突き止めることができるかもしれない。魔術師のなかでも相当な実力をもつダルメスですら見極めることができないことを。


「しかし……、危険かもしれぬのだぞ」


「承知しております」


 ルシカははっきりと答えた。


「今回発見された古文書を、至急、詳しく調べます。の地についての記述がいくつかあったのを見ましたから、役に立つと思います。調べたのち、明日の朝に出立します」


 それまで、口を挟まなかった傭兵隊長が割って入った。


「目に見える危険なら、私が払えましょう」


 冒険者として彼と一緒に幾度も死線をくぐり抜けた経験のある王は、頷いた。


「――ソバッカが同行するなら、心強い。よかろう、『終末の森』と『ハイマーの封印』、その周辺の調査を許可する」


「ありがとうございます」


 ソバッカは右手を胸に当てて王に頭を下げた。そして、ルシカに歩み寄って右手を差し出した。


「よろしく、ルシカ殿」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ルシカは微笑みながら、大きく頑健な手を握って挨拶を返した。


「よし、頼んだぞ。他に連れてゆく者の人選は、そなたたちに任せる。だが、くれぐれも無理はせぬように。必ず無事に帰ってくるのだぞ」


 念を押すようにファーダルスが言ったとき、その傍に立っていたルーファスが口を開いた。


「陛下、わたくしも――」


「ルーファス殿」


 言いかけたルーファスをソバッカがやんわりと遮った。


「そなたまでここを離れたら、王宮の守りは誰の役目になりますかな」


 騎士隊長はハッとした表情になり、すぐに引き下がった。


「やれやれ。ルシカは皆の人気者じゃからの」


 ファーダルスは冗談とでも聞き流せというように、豪快に笑ってみせた。そして再び真剣な表情になって立ち上がり、魔導士の娘の小さな肩に片手を置いた。


「本当に無茶はするでないぞ。そなたは、この国の未来を背負う者のひとりであるのだ」


「はい、陛下」


「だが、その前に、ひとりの娘としての自分を大切にするのだぞ」


 ファーダルスはどこか痛むような眼差しを微笑みで隠し、ルーファスを従えながら執務室を出て行った。





 時は少しさかのぼり――。


 北の庭園に向かうテロンが、待ち合わせの相手であるバルバを見つけたのは、王宮の中庭だった。


 庭師であるバルバは、王の最愛の相手、亡くなった王妃ソフィアが生前に育てていた薔薇たちの世話を任されている。もとは先王の近衛兵であったが、老体であることを理由に引退し、中庭や北の庭園の手入れをしてのんびりと暮らしていた。


 ルーファスと良い勝負ができるほどに剣の腕が立つらしかったが、得意なのは体術であり、若い頃には名のある格闘家であったという話だ。


「師匠」


「あぁ、テロン様」


 バルバは仕事の手を休めて、歩み寄ってくる弟子を振り返った。


「少しだけ待っていてくれますか。ここの手入れを終えたらすぐ始めましょう」


 頷いたテロンは空いているベンチに腰を下ろし、バルバが薔薇に語りかけるように嬉々として仕事に励む後姿を眺めた。


 バルバが薔薇の手入れをするときは、心の底から楽しんでいるようにみえる。先王の戦乱の時代から兵に就いてきたのだ。今こそ、心の休まる自分の生き方を見つけたからかもしれなかった。


「手伝います」


 テロンは立ち上がって花の手入れを手伝い、それからふたりで王宮の北にある庭園に向かった。





 今までの稽古の総仕上げのため、誰からも見られることなく存分に動くことができる場所として、王宮の敷地内にある半ば森に没した古い庭園はぴったりであった。


 北の庭園は、魔法王国の都のひとつがこの地にあったときすでに存在しており、再び王都が建造されたときに見出されて再現されたものだときく。


 体内の気の流れを変化させて体の表面を覆い、自身をよろうことで武器と成す――『聖光気』と呼ばれる技を獲得するための稽古だ。


 気の流れとは、生命を構成する魔力が名を変えたもの。いわば肉体にかける付与魔法エンチャントであり、手刀や蹴撃が魔法的な存在相手にも通用するようになるのだ。


「ようやく、ここまでたどり着くことができたんだ」


 幼い頃から着々と気の流れの操り方の錬度を上げ、稽古を積み上げてきたからだろうか。不思議と感慨は湧き上がってこなかった。使いこなせるようになるために、これからさらに経験を積んでゆかねばならないということもある。


「到達ではなく、ここが始まり――師匠の言葉通り、満足も慢心もしてはならないんだ。でもこれでようやく、まもることができる……!」


 テロンは庭園の一角にある石造りのテラスのようなものの傍で動きを止め、星の輝きはじめた空を見上げた。


「日が暮れてしまったら、暗くなるのが早いな」


 今宵は新月――地表に月の光の届かない夜だ。


 弟子に無事、『聖光気』と呼ばれる技を伝授できたのを見届け、バルバはすでに居室に戻っている。満足そうに笑っていたバルバの顔を思い出し、テロンは微笑んだ。


 見知った星座が幾つも輝きだしたのに気づき、そろそろ王宮に戻ろうかと考えはじめたとき、誰かが近づいてくる気配と靴音に気づいた。


「……ルシカ?」


 王宮から庭園への道を小走りに進んでくる白い人影は、自分の背ほどもある長さの杖を携えていた。その先端が虹のような色合いの光を発しているので、すぐに『万色の杖』だと判別できた。


「テロン!」


「どうしたんだ、ルシカ」


 急いで駆けてきたのか呼吸が早く、頬を上気させているルシカは、石造りのテラスの段差につまずいた。転びかけ、危ういところでテロンの腕がルシカを抱きとめる。


「ご、ごめんね。ありがとうテロン」


「こんなところまでどうしたんだ?」


「あたし、明日の朝に出発することにしたの。急だけど、ゾムターク山脈まで調査に行くことになって」


「何かあったんだな」


「うん。おじいちゃんたちが今、古文書の解読をしてくれていて。それで私に、旅の準備をするようにって。それをテロンに伝えたかったの」


 呼吸が整わないまま一気に語り終えたルシカは、はあはあと荒い呼吸を繰り返した。


「明日か。俺も行っても構わないんだよな?」


「え、テロンも?」


「ルシカだけを行かせられない。そこは確か、魔獣の巣窟じゃないか」


「うん……。あ、でもソバッカさんが一緒に行ってくれるって。あと、実はシャールさんも。テロンとクルーガーは、たぶん話したら行くと言い出すだろうと、おじいちゃんが話していたけれど」


 ルシカは口ごもった。


「たぶん、陛下は許可されないだろう、とも言っていたわ」


「しかし!」


 テロンは断固として言った。


「ルシカを放っておけない、俺も行くよ。親父には直談判する」


 ルシカはそれを聞いて微笑んだ。


「そう言うだろうとも、おじいちゃんが話していたわ。私もテロンが一緒に来てくれたら、すっごく安心。だから陛下のところに行くなら、あたしも一緒に行くから」


 テロンは必死のあまり、ルシカの肩を意識せず掴んでいたのに気づいた。慌てて放したが、顔が熱くなっていたので、ひどく赤面していたに違いない。闇が濃くなっていることに、テロンは感謝した。


「すまない。つい力が入ってしまった」


「あ、ううん。その、ありがとう」


 ふたりとも頬を熱くして、うつむいてしまう。


 そのとき、ドォンという轟音が、訪れたばかりの夜の静寂を打ち砕いた。大地から足に振動が伝わり、背後の森の木々が不穏な気配にざわめく。


 顔を上げたふたりは音の方向に視線を向け、驚きのあまり目を見開いた。


「王宮が……!」


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