万色の杖 エピローグ

 『転移テレポート』の魔法で飛んだ先は、王都ミストーナにある『千年王宮』の西の棟、『転移の間』だった。


 ルシカが目を開くと、そこには足元に描かれた魔法陣、周囲に配置された宝珠オーブ、そして数人の人間族の姿があった。


「おかえり、息子たち」


 堂々たる貫禄と、人を惹きつけるカリスマ性を感じさせる壮年の男が、双子の王子に声を掛けた。


「ただいま戻りました、父上」


 クルーガーとテロンがかしこまって挨拶したのが、ソサリア王国を統治している現国王ファーダルス・トゥル・ソサリアであった。


 ファーダルス王はヴァンドーナに視線を向けて頷くと、一歩進み出てルシカの前に立った。緊張と不安に目を見開くルシカに、ファーダルス王は穏やかな表情で口を開く。


「まことに久しぶりだな、ルシカ殿。大きく、美しく成長したな。……フィーナ殿を思い出す」


 予想もしなかった突然の母の名前に、ルシカはオレンジ色の目を見開いて、思わず王の顔を仰ぎ見た。双子の王子とよく似た青い瞳が、優しい光を湛えて彼女を見つめていた。


「覚えていないかもしれないが、ルシカ、おまえは王宮で生まれ、三歳までここで育ったのじゃよ」


 ヴァンドーナが、戸惑うルシカに声を掛ける。


「あ、はい。両親が王宮で書記官として仕えていたことは聞いておりました。でも――」


 こんなに、国王に娘のことまで覚えてもらえるほどに親しかったとは。祖父がいかにも王宮にいるのが当たり前のように振舞っていることにも驚いていた。


 自分だけが知らない世界に放り込まれてしまったような感覚に、ルシカは落ち着かない視線を周囲に彷徨わせた。緊張で息が詰まり、体が強張るのを感じる。


「そなたの父と母、ファルメス殿とフィーナ殿は予の大切な友人だ。ふたりの娘であるそなたが王宮に戻ってくれて安堵した……。これから顔を合わせることになるだろう、よろしく頼む」


 温かさが感じられる口調と、深く響く心地よい声。ルシカはようやく肩の力を抜き、微笑みを返した。目の端に、涙の粒が盛り上がる。


 父と母の思い出にたどり着き、懐かしさがあふれてくるような……そんな不思議な感覚が胸に広がる。


「はい。ありがとうございます、陛下」


 ルシカは膝を少し曲げ、腰を落とすようにしてお辞儀をした。


 ファーダルス王は目を細めて満足そうに頷き、背後に控えていた白髪の武人ソバッカを従え、部屋を出て行った。


「ルシカが小さい頃、この王宮で俺たちと一緒に遊んだことがあったかもしれないだろう。何か覚えていないか?」


 テロンの言葉に、ルシカは小首を傾げて考え込んだ。


「そうかもしれない。でも、ほとんど何も覚えていないの……。だって、あたしがここを離れたのは三歳だったんでしょう?」


「そうか……。俺たちは七歳だ」


 テロンは天井を見上げるようにして遠くを見る目になり、当時のことを思い出しているようだった。その横で、クルーガーも同じように過去へと心を飛ばしていた。


「生意気盛りの俺たちが、小さな女の子と遊んでいた記憶……そういえば、フィーナ殿の後ろに隠れるようにしてこちらを見ていた子がいたような覚えがあるような」


「……俺は、覚えているよ」


「そうなのか、テロン。まァ、ルシカにはじめて逢ったはずだったのに気兼ねしないで話せたのは、何となく雰囲気を覚えていたのかもしれないな」


 クルーガーが言って、ルシカに片手を差し出す。


「これからよろしく。宮廷魔導士、ルシカ殿」


 ルシカは微笑んで、その手を握り返した。


「はい、クルーガー王子、どうぞよろしくお願いします」


 ルシカは、テロンを見た。息を吸って姿勢を正し、明るい色の瞳で彼をしっかりと見つめながら口を開いた。


「これからよろしくお願いします、テロン王子」


 テロンが瞳に力を籠め、背筋を伸ばして差し出された細い手をしっかりと握る。


「ああ。よろしく頼む、ルシカ」


 かしこまった挨拶を終え、三人が気恥ずかしそうに微笑みながら眼を見交わす。


 そんな光景を、腕を組み、片足をトントンと踏み鳴らして眺めていた武人がいた。実用的だがきらびやかに装飾された鎧を装備している。その人物を見て、クルーガーがウッと呻いた。


「げ、ルーファス……!」


「ようやくお戻りになられましたな、殿下。今回はずいぶんとお早いご帰還でございましたな」


 にっこり満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと言葉を発した幼少からのお目付け役に、クルーガーの頬が引きつった。


「では、補習とまいりましょうか、殿下。テロン殿も、あとからお話がありますぞ。覚悟なさいませ!」


 最後の言葉は、果たしてクルーガーとテロンのどちらに言ったものなのか。ルーファスは扉に向かって走ったクルーガーを追い、言葉の半ばから駆け出していた。


 ふたりは騒々しく『転移の間』を出ていった。


「ほっほっほ。ルーファス殿もまだまだ若いのぉ」


 実にたのしそうな笑い声をあげたヴァンドーナは、長く白い髭に手をやりながらゆっくりと歩いて部屋を出ていった。


「……あたし、王宮ってもっと静かな場所かと思っていたんだけど」


 皆の背を見送って部屋に残ったルシカが、ポカンとした表情で言い、テロンが笑い出した。


「これが日常だ。ルシカ、俺でよかったら王宮を案内するよ」


「ふふっ、じゃあ、お願いします!」


 ルシカもテロンにつられて笑い出し、ふたりは一緒に歩き出した。


 『千年王宮』に、いつもの騒々しさと賑やかさが戻り、新たに明るい声が加わったのである。





 ルシカの、正式な宮廷魔導士としての国民への紹介は、翌日の昼に行われた。


 もう齢八十を迎えるダルメス・トルエランは、宮廷つきの魔術師としての印である首飾りを、新しい魔導士の少女の首にかけた。そして、自らの引退を宣言したのだった。


「宮廷魔導士として本日から務めることになりました。『万色』の魔導士、ルシカ・テル・メローニと申します」


 白亜の城壁の一角にあるバルコニーで、下の広場に集まったソサリアの国民たちを前にしてルシカが名乗った。


「精一杯この国のために頑張ります。皆さん、これからどうぞよろしくお願いします」


 国民は皆、歓声をあげて新しい宮廷魔導士を認めてくれた。


 大陸の独立国において、『魔導士』という強大な力を持つ者が特定の国家に仕えるのは、これが初めてなのだとルシカは聞いている。ヴァンドーナは個人的に国王や王宮の人々と繋がりがあるだけという、あくまで中立の立場を取っており、過去の大戦以降ソサリア王国だけでなく、どの国家にも属していないということだ。


「これから、どういうふうに歴史が動くのか」


 目立たない位置に立ち、孫娘の宮廷魔導士就任を見守っていたヴァンドーナが、独り口のなかでつぶやいていた。


「まあ、今は平和な時代じゃ。気にすることはないかもしれんのぅ」


 国民たちの前からバルコニーの奥に戻ってきた孫娘を、ヴァンドーナは優しい眼差しをして迎えた。


 緊張してカチコチになっていたルシカは、挨拶を終えてようやく安堵した表情になっていた。国民からの拍手や歓声を聞きながら照れたように頬を染め、王子たちの傍に歩み寄る。


「おかえり、ルシカ」


「その魔法衣、よく似合っているぞ。俺としてはもっとこう、薄くて飾りのあるドレスがいいと思うけどなァ」


「まったく兄貴は……」


 白亜の王宮のバルコニーに並び立ったふたりの王子は、今は立場に相応しい衣装に身を包んでいた。


 上質な織りの青と金を基調にした揃いの衣装、金の髪、青い瞳、そしてよく似た端正な顔だち。


 ルシカは、ふたりに向かって小声で言った。


「ふたりとも、すごく格好いい。いかにも王子様って感じがするね」


 そこで、ちょっと笑って悪戯いたずらっぽく言葉を続けた。


「でも、何て呼んだらいいのかな、これから。殿下? それとも王子様でいいの?」


 ルシカの言葉に、ぶっと吹き出すように笑ったのはテロンだ。


「ばっ、そんな、今までどおりでいいから。ルシカらしくもない」


「あたしらしいって――」


 すべらかな頬を膨らませたルシカが、彼に向けて身を乗り出すようにして一歩を進んだ。途端に躓いてよろめく彼女の手を、テロンが握り支える。


 ふたりの視線が間近でぴたりと合い、ルシカとテロンは揃って顔を熱くした。


「おいおい」


 クルーガーは困ったように頭を掻いた。


「いつから、俺を差し置いてふたりはそんなに仲良くなったんだよ?」


 その言葉に、慌てたふたりがやっきになって「そんなことない」と反論している。


 そんな明るい光景を眺め、父王ファーダルスや大魔導士ヴァンドーナ、騎士隊長ルーファスたちは微笑みながら互いの目を見交わした。


 ルシカの手には、『万色の杖』がしっかりと握られている。杖に出会うことによって、ルシカは『万色』という『』の力を持つ魔導士となった。


 偶然であったのか必然であったのか、わかるものがいるとすれば、それは祖父であり『時空間』の大魔導士であるヴァンドーナ、或いは、神界に存在する名も無き神のような超常的な存在のみであろう。


 これから、このソサリア王国の王宮で、ルシカ・テル・メローニの宮廷魔導士としての新しい生活がはじまるのだ。


 ふたりの王子、そして多くの仲間たちとともに。





――万色の杖 完――

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