第159話「悪徳の大戦」


―――××年前ユーラシア中央超古代文明ガリオス遺跡発掘隊野営地。


「なぁ、ネストルさん。アンタ、信じられるかね?」


「はい。何でしょう? それは私に分かる事かしら?」


 イントネーションが微妙に妖しい英語が中規模のテントの下で答えていた。


 満天の星空。

 周囲には風音と砂がざわめく音しかしない。


 荒涼としている平野からは山岳が遠方に見えるが、地平の彼方は星々に埋まっている。


 人類の叡智たる灯火も遠く。

 その場所で四棟程のテントの先には車両が数台。


 深夜という事もあり、他のテントでは灯りも見えないが、彼らが会話する場所には月も無い夜の星々が幽玄にして至高だろう輝きを注いでいた。


「はは、分かるとも。この世界の誰もが分かるとも」


 ネストルと呼ばれたずんぐりむっくりの腹の太い男。


 それも女性的な英語を話す三十代の防寒着を着る彼はテントの中に顔も見えないチェアに座った男を振り返る。


「究極生物、無限進化、不死生命……此処には全てがあるんだ」


「俄かには信じられませんね」

「魔術師のアンタでもか?」


「ええ、そういうものは魔術師にも縁が無いものですから」


「だが、コレはあんたらの世界の根源という話もある」


「まぁ、現地の神官連中の語る戯言の御伽噺なら、そういうのは……でも、そうハッキリ言われてみると苦笑しか出ないわ」


 南極や北極にでもいるかのような分厚い最新の防寒着を着る男は肩を竦める。


「だが、事実だ。此処まで我々は数々のアーティファクトを発掘した。その多くが米本土の最新技術でも解析し切れない何かだ」


 その言葉はどちらもが認識している。


 送られてくる情報は極めて有意義な結果ばかりだった。


「その力の片鱗から導き出されるものは人類が願って已まない生物としての根幹的な欲求に答え得るものだろう」


「どうでしょうか? 現地の見守る方達は人を滅ぼす所業を込めた災厄の箱と言ってましたが」


「パンドラなぞと嘯いても中身は何も変わらん。それを扱う者がソレを使い得なければ、どんな力も破壊や自滅を誘う。そもそもだ。それを護る為に殺そうとやってきた連中を虐殺した君が言う事かね?」


「虐殺だなんて……この数十年この地域なら何処でも在ったような方法よ。女性を強姦したり、子供を奴隷のように闇マーケットに売却したり、少年兵養成用のキャンプに放り込まないだけマシだとの自負もあるわ」


「いや、まったく君達の世界は過酷だな」


「それに同情しもしないのが研究者というものだと貴方を見て知ったけれど」


「我々は人倫を尊ぶが、世界でそれが尊ばれて欲しいとも望むが、それは己の利害を損なわない限りという但し書きが付く。世界の警察を止めれば、祖国は国内の貧困層をもう少しまともに支援出来るだろうが、それを行わないのは何故か? 答えは至って単純明快だろう」


「国家の利益ではないから?」


「そうだ。国内の低賃金労働者層が移民頼みとはいえ、それでも必要な労働力だ。そして、プアーな白人もまた政治には必須だ。貧困問題を解決したいなら、それこそビリオネラ連中や上流階級層の不労所得に高い税金を吹っ掛けて、納税免除や納税回避策を全て潰せばいい。格差の是正と同時にアメリカンドリームを幻だと喧伝すれば完璧だな」


「祖国に辛辣ねぇ……」


「辛辣? いや、これは純粋な事実だよ。アメリカは移民の国だが、アメリカンドリームなんてのは単なる低賃金労働者を入れる為のおためごかしになってもう随分と長い」


「それを聞いた南米の難民が引き返してくれたらいいですね。ふふ」


「言っておくが、あそこは純正のアメリカ国民。それも最も資本を持つ白人層の中流層や資本家層、人種問わぬ富裕層で括れる層にとっては住み良い国だが、それ以外では大抵多くの場合、一つの国でありながら世界が違う」


「一つの国なのに世界が違うって、どういう事かしら?」


「文字通りだ。安アパートを生家に持つ貧困層が毎年高額な医療費を払えずにどれだけ命を落としているか知れば、第三世界よりは多少マシくらいの感想しか出て来んはずだ」


「でも、彼らは油ぎったフライドチキンやチーズでギトギトのピザ、甘ったるいコーラを飲み喰いしながら、フットボールや野球を見られる層ですよね?」


「ああ、それも真実だとも。だが、毎年毎年孤児達が薄汚い恰好で里親の下で虐げられ、どれだけ大量に闇マーケットへ出荷されているか知るまい? そういう後ろ暗さは常にある」


「出荷?」


「国内での違法移民や低賃金労働者、特に白人以外の子供なんぞ消えても多くが騒がんよ。騒いですら長くは続かん。スラムなどでは特にな」


「そんなものですか? 人身売買関連は厳しいと聞いてますが」


「低賃金労働者と言えば、見栄えは良いが、現代の奴隷制だぞ? 人権を言い出して我が国も長いが、それで人種差別が消えたわけでもなく。根強く残る理由こそあれ、消えるだけの理由は殆ど理念だけなのだから、国家はそれを必要としているとしか言えんだろう」


「アメリカ人以外には分からなそうな話ですね」


「そういう子供はそれこそ幼くなければ……何処かで娼婦でもしているか、家出したティーンエイジャーとしてアダルト業界のポルノスターモドキやマフィアの女情婦、違法な低賃金や犯罪現場で働かさせられている場合が大量だ。これは男女変わらん。白人の幼い子供とて誘拐されれば商材として南米各国には引手数多だよ。毎年どれだけの子供や少年少女が米国で消えているか知ってるかね?」


「いいえ。確かに存じませんね。でも、アメリカはもう少しまともかと思ってましたが?」


「白人にとってはもう少しまともだろう。だが、黒人はリベラルな州以外なら言わずもがな。今、最大派閥になりそうなヒスパニックや少数の黄色人種系も一部を除けば、大抵割合的には白人と違って裕福とは程遠い連中の比率が高い層ばかりだ」


「ええと、貴方は……」


「ああ、メキシコ系だ。祖国の良いところは能力があれば、貧困からはある程度遠ざかれる事だが、同時に能力が無ければ、淘汰される側となってしまう弱肉強食の世界でもある」


「そういう方達のお気持ちが分かる、と?」


「日本に生家がある日系の友人に言わせれば、シュラの世界というヤツだそうだよ。州にもよるがね。私自身、君の副業みたいな事をしているクズを大勢見て来たし、見て見ぬフリもして来た」


「それはそれは……ですが、人権が声高な国で誘拐が多いとは思えませんが?」


「誘拐は、な。行方不明はその範疇ではない」

「言葉遊びですか?」


「法的な区分だそうだ。成人年齢になったばかりの中身が子供な人材を食い物にする大人なんぞ幾らでもいた。それより多少若くてもバイヤーには誤差の範囲だ」


「それはこちらでも想像付きますね」


「誘拐ビジネスで国外に子供を送り出す組織も厳然と存在する。彼らが子供を国外の金持ちや現地売買組織の性の捌け口、資金源にしていたりするのも事実だ」


「スゴイ話だ。誘拐婚も真っ青ですね」


「あちらの方が酷いかもしれんぞ? こちらは少なくとも大事にはされずとも嫁としては扱うだろう?」


「ああ、はい。大事な労働力で家の血筋を残す道具でもあるわけで」


「資本主義最大の汚点は人間の価値が明確になる事だ。そして、専業化された分業用の人的資本を用いる考え方は多くの場合、牧歌的とは程遠い現実を人材に強要する」


「どんな?」


「使えなくなれば、銃で撃ち殺して埋める程度、南米やメキシコの犯罪組織なら朝飯前だよ。彼らの国の警察が米国のFBIよりも優秀なわけではないしな」


「まぁ、それは理解できるわ。ここら辺の警察とやらもその類だし」


「社会規範や社会的な黙認、容認は何処にでもあるのだよ。ここら辺でも子供婚はポピュラーだろう?」


「ええ、事実こちらは花嫁のバイヤーやってますしね」


「インドのヒンドゥーや原理イスラム系の宗派はそれを容認するところも多い。宗教の無い中国でもヘイハイズや誘拐ビジネスで農村部の一人っ子世代の嫁や後継者……いや、老後の労働力として子供を誘拐するものもいる」


「何処も同じと」


「ああ、現代欧州で奴隷オークションが未だ在ったようにな。北欧も東欧も子供が奴隷のように安価な労働力として使われる現状は実際に在った。今も無いわけじゃない。東欧では今も十代の公的な娼婦は存在しているだろう。第三世界は言うまでもない」


「例外は?」


「識字率99%以上で極東にある祖国の同盟国くらいか? まぁ、それも義務教育とやらが終わってから働く者がいないわけではないだろうが……」


「世知辛い話……」


「彼らのような人材は安価な労働力や性産業従事者としてしか価値が無いと資本主義的な思考は安易に確定してしまう。効率の問題だ」


「子供は可能性の塊とか言ったりしません?」


「それは十分な教育と養育を受けた層だけだ。それが資本主義社会である西側のスタンダードだ。無論、反論もあるだろうが、ならば人権とやらで彼ら被害者全員が平等にもう救われていなければおかしい」


「誰も本気じゃないと?」


「もっと、労働資源として有用な事に使えそうだと思う者がいても、彼らを護る人権とやらは何も護らないし、その利用も阻止する」


「結構な数の子供が国連の活動で護られてるのでは? 一応、彼らも人権を掲げてますし、働ける子供を無理やり教育に押し込める事も無いのでは?」


「該当する分母がどれくらいか知るまい? ソレで護られるのは有識者とやらの自己満足と僅かな幸運を掴む者くらいだ」


「そんなものかしら?」


「得てして人権を語る連中の多くは現実が見えていないか、見えていても無視する。そして、そいつらの語る人権が子供達の救済を許さない」


「人権が許さない?」


「単なる事実だよ。子供は性産業に参加するべきではない。真っ当な意見だ。子供婚もするべきではない。真っ当な意見だ。易い労働力にするべきではない。真っ当な意見だ。子供兵にするべきではない。真っ当な意見だ。さて、では訊ねよう」


「………あぁ、皮肉ですね」


 何かに気付いた様子でネストルが肩を竦める。


「彼らはどうやって自分の価値を理不尽で悪辣で自分達の命の是非を握る人々に訴えれば良いのかね? 先進国ならになる連中もその国でならば、必要悪や真っ当の部類かもしれんのだぞ? 彼らに金でも渡して頼むかね? もう子供達を食い物にしないで下さいと?」


「国家的には否定したい事実でしょうしねぇ……」


「言うのは容易い。だが、現実にやろうとすれば、絶対に失敗する。理由は純粋に現地の問題意識が欠如しているから。あるいは問題意識が薄かったり、問題ではない社会規範が浸透しているからだ」


「そういう事を変えようとする者も僅かだと……」


「今日を生きる事に懸命な連中に自分が短期的に損をする人権は合わんよ。そういう国家と国民が多過ぎる。それにケチを付けても反感は買えるが好感は得られまい。資金を出しても役人や解決してくれる組織とやらの懐に消えるだろうよ」


「真っ当な意見が通らない。社会に黙殺されるわけね」


「子供達を全員助けられるシステムを持った集団や組織はその国の何処にあるのかね? 彼らを助けた後、養育するのは誰なのかね? 答えられる者はそういう国には少ない」


「答えは有っても、それが現実にはならないのが事実という事なのね」


「必要な資金は何処からも出されない。こう言われた人権団体や組織集団に実効性のある具体的で全体的な解決策が提示出来るとも思わんな」


 納得したように防寒着の男は苦笑する。


 事実その通りだとしても、それは良識的な前提に立つからこそだろう。


 きっと、目の前の男ならば、悪党と呼ばれるような手練手管でどうにかするに違いないと彼女ネストル・ラブレンチーは思う。


「人を幸せにするというのは大変なのだよ。そして、助けられても当人達は大抵物理的に価値の創出能力が低い。助けた時点で独り立ち出来るような存在でも無い」


「それどころかPTSDや精神疾患や病気、薬物中毒になってる確率も高い。犯罪もすんなり生きて行く為に犯すでしょうね。薬を買う為に人殺しや娼婦だってやってのけるとなれば……それの矯正やケアには多大な金や時間が掛かりもすると」


「実際的な問題だろう。人権的に言えば、人々を護るのはその人々の所属する国の仕事、他国からも届く多くの善意だろうが……生憎と善意で悪意は駆逐出来ず、腹は膨れないのだ」


「いっそ、物乞いでもさせます? 第三世界じゃスタンダードな職業ですけど」


「それを見た人権に詳しい有識者からお叱りを受けるぞ? 見知らぬ国の見知らぬ子どもを護りたいという人々はいても、その多くは我が子や我が民族を優先するし、金も圧倒的に掛けるし、現実問題を非難はしても現実的な解決策は出さんのが相場だ」


「国連の保険業務は全否定?」


「はは、国連のWHOにアメリカの軍事予算の2割も在れば、どうにかなるかもな。いや? 第三世界で子供が爆発的に増えて、逆に地獄になりそうな気もする」


「此処は地獄かしら?」


「そちらの方が結論としては現実に近しいだろう。事実、先進国からの支援で養えない子供が増加した。第三世界の貧困の悪循環の一端は保健衛生の向上や子供の死亡率の低減による人口爆発の補助が招いているわけだしな」


「貧乏子沢山と。やっぱり世知辛い話」


「昔なら戦争、疫病や飢餓で淘汰が発生し、バランスが保たれた。だが、今はそういう時代ではなくなっている。技術の進歩が逆に貧困を固定化した。数はどんな時も暴力だ。良きにしろ悪しきにしろ」


「何もかも足りないところに追加追加で子供が入って手が回らないわけね」


「左様。数のおかげで教育が行き届かない。養育が為されない。だが、最低の養育環境でも生きていけて、その子供も大人になり、更に子供を増やす。性倫理や性道徳なんぞクソ喰らえな社会がデフォルトだ。年率GDPが数%押し上げられた程度では焼け石に水というものだ。社会保障費よりも軍事費と独裁者層の懐が温まる国も多い」


「そして、子供の最低限度の養育費も先進国よりは安いと」


「ああ、ついでに人が多いから低賃金化で格差が拡大し易いし、インフレも加速する。経済事情を悪くすればスタグフレーションで国家的な飢餓状態だ」


「ふむ。いっそコンドーム造る企業でも立ち上げてみたらどうかしら?」


「彼らにコンドームの使い方や月経の知識を教えるより、社会を戦争で崩壊させて何も知らない子供を先進国風に育てた方がよっぽどに効率が良かろうよ」


「か・げ・き♪」


「少なくとも人類は先天的なもので半分決まるが、後天的なもので更に半分決まる生き物だ。ああ、そちらを研究しているアンタにはシャカに説法かもしれないが……」


「ふふ、どうでしょう。貧困国の女性に対する一般的な強姦率の話でもします?」


「フ、詳しいな。そういう事だよ。親族や知人どころか。親兄弟でもあるという話だし、実際に声を上げた人々も多い。だが、社会や宗教的な共同体から彼女達は白い目で見られ、無視されている。悪い時には排除すらもされる。男性ならば、言えないからこそ、更に潜在的な率は高いかもしれんな」


「そんな場所では倫理や道徳が必須の職業も左程必要無いし、サーヴィス業すら高価値のものは発展し難いでしょうねぇ」


「人を喜ばせるという文化よりも暴力的世俗的な戒律や因習の方が強いのだ。仕方ない。サーヴィスの語源を語って聞かせても犯罪的な行為を侵す社会的に容認されている層の当人達には無しの礫なのだから」


「それがそれなりの大多数なら、彼らの方がその社会では正義でしょうとも」


「そういう事だ。文明化シヴィライゼーションの段階で幾つも躓いたと言えるな。広大な国土や人口があっても、それを生かせていない。その現状でもソレを良しとして固定化する富裕層も多く、最貧国として産出される資源を売るばかりで価値の創出能力は低いまま推移しているしな」


「富の創出が増えてもなけなしの資本は武器や権力者の懐、治安維持費に消える。稼げる額が増えたところで社会格差は広がるばかり。人口を全うに養うには全然足りず……結果として多くは報われずに貧困の中で朽ちていく、と」


「ああ、そうだ。だが、朽ちても問題などない。それこそ腐る程にいるからな。それを廃絶し、弾劾し、先進国並みの法整備や社会変革を行える倫理や道徳、勤勉性が彼ら全体に宿っていると言うのならば、そもそも第二次大戦後に随分と社会が進んでいなければおかしい」


「現実は残酷ね……」


「元々在った現地の倫理や道徳やコミュニティーが白人の暗黒大陸への台頭で消滅。以後は奴隷として使われていたのだ。それを今更真っ当な倫理や道徳が強制される社会と同等になれとは無理難題だろう」


「それなりに現代社会の知識はあちらにも入ってるはずとも思うけれど……」


「現地に技術や知識、学校という形での教育を真面目に行う先進国はあるが、十分な予算は無い。それを実行しても人々に人倫を重視するような社会規範が浸透していない」


「そうかしら?」


「現地では問題ないレベルでも先進国なら大問題なレベルの国は多いぞ。現地でソレを強力に強権で以て改変しようとする勢力も殆ど無いし、ソレをやる為の善意で可能な範囲を遥かに超越した資金や政治力が何処からか湧いて出る事も無い」


「ドブに金を捨てる事になる。先進国も内心は理解していると?」


「そうだ。それが可能だとしても100年単位では恐らく足りまい。そして、その金で人の命は救えても社会や倫理や道徳、環境の改善は絶望的に行えていない」


「まったく?」


「100の内の0.00001%がどうにかなったからと言って今世紀中に不幸な話は全部無くなるかね? その間に出た被害は被害とすら呼ばれずに闇の中に埋もれるだろうよ」


「御尤も」


「だが、大規模な支援結果として善意で救った命が数理的に大勢と国の未来を困らせる……なんて、真っ当に医療福祉支援をしている現地活動中の人々、善人以外は認めたがらないだろう」


「でしょうね。そして、ついでに元植民地に金を掛けてくれる奇特な宗主国も無い。食糧支援より先に技術より先に人の心を変えねばならないと知りながら、それをやろうという国家も無いわけだ」


「納得だろう? 未だに呪い師のせいで白い子供が呪いのお守りや儀式の道具として人体標本さながら、文字通りされてるくらいの未開さだ」


「人権団体に差別主義者と罵られそう♪」


「ふ、是非罵って世の中に問題を知らしめて欲しいものだよ。様々な情報に触れる機会があるはずの富裕層、権力者層や思想集団が暗黙の了解として未開さそのものを容認してるのだから改善の見込みは低いな」


「時には奇跡を信じてみるのをイイかもと言ってみたいけれど、無理かしら?」


「ソシオパスやサイコパスの素質が無い人間ですら後天的な社会状況でそれを是とする者が層として存在しているのではな」


「……そして、ここらで生きている我々もその類と思われているわけね?」


「そこまでは言わんよ。中央アジアは独裁者こそいるが、管理はされてきた。曲りなりにも巨大な権力というものを知っている」


「旧ソ連という盟主の下では幾ら強がっても羊は羊って事ね」


「人倫もある程度はある。本当にある程度、なのが第三世界なところだがな。人権は無くても人倫は統治の方法として必要とされた点で違うよ」


「それは認めましょう」


「人権も人倫もあちらで唱えても空しいだけだ。こちらは少なくとも党が言えば、右にも左にもなったが、あちらは右にも左にもならない」


「そして、そういうどちらにもならない移民難民が先進国に流入し、問題になる、と。まったく、世の中は良く出来てるわ」


「あの国々で真っ当に育った知識層は祖国を離れられるならば、離れたがる場合が割合に多い。表立っては認知されないがね」


「知ってるような口ぶりねぇ」


「ああ、そういう友人が何人かいる。彼らこそが現状を変えていかなければならないが、そう思える程に愛せる祖国でもない、という条件が揃っているのも本当だ」


「ま、愛国心とやらがあったら命掛けで難民にはならないわよね」


「倫理も道徳も足りない貧乏人が祖国愛に目覚めたなんて話は先進国じゃ宗教か金か民族主義の絡む話以外には聞かんね」


「ん~難民移民の数を数える方が馬鹿らしい話である以上、一理ある?」


「麺麭は1人1個、2人で半分。3人で3分の1という事実が分からぬ連中も多過ぎる。それを分かち合うより奪い合う方が簡単過ぎる社会である以上、現状は必然だ」


「でも、簡単じゃないくらいに人口が抑制されたところで変わるもの?」


「変わらんだろうな。第三世界を破壊したのは間違いなく白人だが、破壊された後の治し方までは知らなかった。独裁以外でソレをある程度どうにか出来るとも思えん。イギリス並みの三枚舌があれば、別かもしれんが……」


「応急手当はされたのでは? 宗主国からの投資というのは良く聞く話だけれど」


「……消えてしまった宗教や歴史や社会の形態、社会を維持する為の進んだ人倫や道徳を養う規範、それを有するコミュニティーをもう一度得るには莫大な年月が掛る。それは金では買えない価値ではないかね?」


「それを得るまで何年掛狩るか分からないわけね……」


「時間で解決するかどうか……道徳や倫理を持て囃すように成れる程の資本とコミュニティーへの帰属意識の蓄積は幾らでも破壊され得る。それこそ資本主義的な世界では……」


「結論として、この世は地獄だってことでOK?」


「人類の内の確実に数割は無智で蒙昧な率が高い。知識や教育の有無だけの話ではないよ。人間らしい感情や情動、機微が分かるのはそう教育され、そう養育され、そういうものが発達し得る社会、家庭環境に生きた層の割合に比例する」


「先進国でもそういう輩はいると言いたのかしら?」


「腐る程いるとも。政治家、軍人、経済人、他者への共感能力が欠如した愚昧な輩がおかしな法律を作ったり、偏った思想に染まれば、ソレ自体がイデオロギーとして社会を歪めていく。能力だけは有ったりして困りものだな」


「社会批判結構お好き?」


「好物ではあるな。まぁ、愚かではない者もいるだろうし、聡明な者もいるが、多くは我欲に塗れ、善意と良心には制限も限界もあると個人的には思っている」


「まぁ、我々はその筆頭に近いわよね」


「然り。だが、そういう彼らよりマシと思えるのも事実だ。パン一切れで殺人が起こらずとも井戸一つで村への襲撃が起るのがこの世界だからな」


「ジェノサイドは彼らの正義だと?」


「規模の問題だ。大小有っても本質は変わらない。それこそ人種や民族が違うだけで民族浄化が行われ、正義と喧伝される。悪い国家や民族を倒す為なら戦争だって起るとも。だから、我々は願いを叶える魔法の遺跡を発掘したいわけだ」


「救世主になりたいのかしら?」


「少し違うな。足りないモノを足りるようにという純粋な人の願いを叶えるだけだ。それが先進国のみならず、第三世界までも蔽えば、それなりに安定するはずだ。それで足りたとて人の欲望に限りがあるわけでもないが……」


「お金は有れば有るだけ欲しいのが人情と」


「全てが足りた世界ですら戦争は起こる。それこそ足りる為に人口を世界規模で制限したりするはずだ。その後にそれを厳守しない国家を崩壊させて管理したりな」


「なら、発掘する意味は無いのでは?」


「あははは。この発掘調査隊は現世利益を追う即物主義者や資本主義者の猟犬だ。それが少しでも満ち足りた世界で人々が穏やかな日を送る手助けをするとしたら、最高にクールじゃないか。それだけで意味はあるとも」


「クールねぇ……」


「それは良心や道徳や倫理から遠い場所にある聖人でも何でもない俗物と狂人の起す奇跡なのだよ」


「皮肉な話……」


「生憎と世の中を動かして歴史に名を刻むのは大人しい聖人連中じゃない。現代においてソレは我を押し通そうとする自己中な奴らや偶然や閃きを味方に付けた研究者だ」


「御自分はそうだと言わんばかりね」


「終に報われない学問と言われて久しい考古学者にもそういう連中が出て来るというだけの事さ」


「愉しそう……」


「愉しいとも!! 善意が戦争を導く。だが、悪意とて虐殺を導くだけが能ではない。我々の世界への悪意が人の社会に一時でも救いを齎すとすれば、それは正しく人の行いの本質を体現しているのだ。これを痛快と言わずに何と言うのかね!!」


「……好きよ。そういうニヒルなの」


「此処を最初に発見したのがナチス・ドイツの特務部隊。チョビ髭伍長お気に入りな聖遺物回収部隊という時点で何を況やという事さ」


「ブランデンブルグだったかしら? 最初に見つけたのは彼らだとか聞いたけれど」


 男が夜の長話を切り上げて立ち上がる。


「さぁ、そろそろ星々の巡り的に時間だ。ノイマン、オース、カミンスキー、クレスト女史を呼んで来てくれ。他の友人達もそろそろ起きるだろう。私も遠い地の親友へ調査報告がてらモーニングコールしてから行くとするよ」


「そう言えば、彼女……また来てたわ。いいの?」


「親友の教え子だ。構わないさ。今、発掘中の石碑にご執心だが、よくノイマンと一緒に解析してくれている。部外者だが、あの解析能力は高く評価したい。マリア・パークマン……親友の話では軍事や教育に明るい子だそうだ」


「近くのキャンプに教官として売り込めそうね」


 肩を竦めるネストルに苦笑が零される。


「止めておいた方がいい。容姿はアレでも気性はかなり激しいらしい」


「猫と思ったら、ライオンなの彼女?」

「はは、聞かれたら、アンタの身が危ないな」


「口を滑らせないようにしましょうか。フフ……愉しいお話ありがとう。夜長に気が紛れましたわ。では、グセフさん。これで」


「ああ、これからもそう短くない間、よろしく頼むよ。ネストル・ラブレンチー……子供を愛す狂人よ。君の子供達を救う狂気が多くの子達に降り注ぐのを祈っている。ああ、大人達と言い換えた方が良いかな?」


「悪い大人が嫌いなだけよ。これでも子供好きなの。アタシ」


「君に仕事を頼んだ愚かな人々は不運だな。自分が虐げるはずだった当事者となって人生を終えるまで絶望して暮らすというのだから……いや? この場合は、子供達にとっての幸運と言い換えるべきなのかもな」


「姿形を変えてやるのは魔術の本業ですもの。御伽噺にもあるでしょう? 町娘をお姫様に。王子を動物に……拙いものですよ。うふふ……」


 悪人か狂人か。


 そんな会話は過ぎて、夜はゆっくりと更けていった。


 *


 一瞬の知覚の寸断。


 脳機能的に絶対認識出来ない一瞬ワンシーン


 0.00045秒の間隙。


 人類よりも遥かに優れた分解能。


 その合間に何かを見たような気がした背後に触手持つ六歳児の青年は巨大になりつつある神の欠片の気配と暴風雨の最中。


 中心に近付く黒武の射出態勢に入ったCPブロックの後方にあるハンガー内で黒翔に跨り、その瞬間を待っていた。


 黒武は完全にオート。

 ついでに全力運転中。


 結界に取り込まれた者達の常識を改変するソレの中を何とか進む装甲車両はもう魔力を用いなければ、周囲の竜巻に巻き上げられているだろう。


(能率的な車内の導線。効率的な作業に特化する各種のデスクとシートと専門機器。各ブロックの極めて頑強な密閉。この嵐の中で内部にこの程度しか振動が伝わらないとは……風速320mの嵐をものともしない能力なんて馬鹿げてるな)


 彼にとって陰陽自の技術力は正しくSFであった。


 有ったらいいなを実現するのにどれだけの資金と研究者が携わっているものか。


 髪の結界に取り込まれながらもその魔力を外部から感じられない程にしっかりとした対魔力対策が為されている。


 概念的な変質くらいの次元の攻撃でなければ、直撃で抜くにも相当な攻撃力が必要。


 少なくとも黙示録の四騎士相手にも数発の大技の直撃に耐えるだろうことは間違いない。


(騎士ベルディクトか。作戦の為とはいえ、敵同然の相手にコレを一つ寄越してみせるとは……信頼はされてないが、ある意味で信用されているようだ)


 急遽、無限者の調整前にやっつけ仕事で彼の触手が入る装甲とスーツが急造された。


 触手自体の大きさはそれなりに自在なのだが、その限界を諸々訊ねた少年は短時間で彼に合うスーツと装甲をあっという間に提示して見せた。


 群青色の装甲は動き易さを重視しているらしく。


 装甲はあくまで侵食を防ぐずんぐりむっくりの全方位型ではなく。


 各重要臓器の上を保護し、攻撃を受ける為のハニカム型を多用したもの。


 基本は陰陽自と同じだが、背後の触手は複数の盾を調整した代物が装甲のように吸盤へと取り付けられ、攻撃を受け流し、防御する為の第三の手として使われる事になった。


 全体的には盾を両手両肩両腕背中に持つ重装備。


 攻撃力として用いる事が出来るものは巨大な敵に接近して相手の魔力を強制的に分離放出させる為のパイル射出用のRPG染みた擲弾射出装置が其々の盾に3つずつ。


 超重量であったが、当人の自己申告で動けるギリギリまで乗せられた為、初撃は黒翔で機動しながら行って攻撃が終わる毎に射出装置を投棄して軽くしていく事になった。


 まぁ、初めて乗る空飛ぶバイクで相手の攻撃を避けながら攻撃を当ててねという無理難題であるが、この小一時間の夢を用いた演習で相手の攻撃への対処能力は大分上がっただろう。


 それこそ数日どころか。

 数十日分の経験が齎せられたのだ。


 相手の現状の能力から初めて現在の装備で対処不可能なレベルまで仮想的の能力が引き上げられていく演習のリトライ方式はまったく笑えない現実感マシマシな絶望そのものであった。


 最終的に音速の9倍の攻防まで対処可能になったが、それ以降はもしそうなったら命は諦めてねという暗黙の言葉が突き刺さるような酷い有様となった。


 彼は僅かに身震いする。

 ゾッとしない記憶はエグイでは済むまい。


 巨大な肉塊の触手に血の染みやスリ身にされて直接同化されるところまで克明にやらされたことはたぶん一生忘れないだろう。


『目標まで残り12km』


 車両の合成音声と同時に射出までのタイムリミットが黒翔の前面のディスプレイに表示される。


 現在、車体は最重量級の彼を乗せる為に3回り程大きくチューンされており、装甲を付けたままでも楽々乗れる程の大きさ。


 少なくとも中型の車高の高い車両程になっていた。


 後部射出時にCPブロックに影響しないよう物理的な隔壁が周囲の天井や壁、床から薄いフィルム状のディミスリルが何層にも渡って重ねられて形成され閉じられる。


 表示が0:00になった瞬間。


 解放された射出場所に猛烈な嵐が吹き込み、その最中に打ち上げられた黒翔は猛烈な乱流に呑み込まれながらも飛翔し、出力を全開にして一路、巨大な標的に向かう。


 暴風雨と魔力と結界の三重奏。


 1m先すら見えない土砂の巻き上がる地獄を駆ける機影は嵐を切り裂く一条の光芒。


『こちらD-1。攻撃を開始する』


 殆ど通信が通らなくなった肉塊周囲。


 ドローンが利用出来ない事から敵へのファーストアタック。


 最も危険な仕事を引き受けたジャンは特攻染みて肉塊へと向けてロックオン。


 黒翔と黒武が次々彼の盾にも付けられた魔力の瞬間吸収瞬間放出用の銛のようなソレを撃ち放った。


 外部は風速320m以上。

 尚も大地の土砂を巻き上げる爆風の嵐。


 そのサイクロンの最中を征くような空間に射撃兵器なんてナンセンス。


 と、思われたが……そんなのは陰陽自にとっては想定済みの範囲内だ。


 射出された相手に突き刺さる返し付きの注射のようなソレが掻き消えた。


 空間転移だ。


 相手が動かない事が絶対前提条件であるが、生体では試せない超悪環境下での転移による相手への直接攻撃。


 目標10km地点からの一撃は同時に30発。

 黒武から20発、黒翔から10発も放たれた。

 同時に射出機が投棄。

 巻き上げられる土砂の最中に消えていく。


 相手はディスプレイ上でこそ確認出来るが、視認は未だ不可能。


 が、瞬時に敵の表皮に到達した刃がドスドスと遠慮容赦なく皮下へと勢いのままに突き刺さり、更にブースター……注射器状の弾体の後方から噴出する炎で潜り込んでいく。


 それから数秒後。

 重力波や超高周波。


 更には魔力などを用いた表面防御の隙間からドッと火花の如き魔力の迸りが間欠泉のように数kmにも及ぶ巨体の各地から吹き上がった。


 ソレは全体からすれば微々たるものだろう。


 だが、体皮表層の魔力が低減するという事は外部放出中の魔力が元々の目的によって使われなくなるという事だ。


 ゆっくりとだが鈍化していく結界の侵食速度、風速が下がり、視認可能なくらいまでには土砂も勢いを失っていく。


 黒翔が更に加速。

 黒武は先頭車両が砲撃を開始。


 連続した号砲が肉塊に打ち込んだ砲弾は魔力吸収用のディミスリル刻印弾。


 それも先日から使っている魔力の莫大な無駄遣いを行う空間ループ拘束型だ。


 あらゆる物質的な攻撃を体表の高周波によって砂塵のように崩し、超高濃度の魔力で物質を弾きながら物質的にボロボロとし、肉体そのものの発する重力によって攻撃を拡散歪めるという全ての防御が徹頭徹尾無力化されて貫徹された。


「よし!!」


 そもそも全てが全て対黙示録の四騎士用の装備の前提条件だ。


 紅蓮の騎士を始めとして騎士達は自然と浮かんで空を走破する事から重力制御があると睨まれていたし、大魔力の防御戦術を無力化するのは言わずもがな大魔術師クラスを相手にいる時点でやらねばならない話。


 高周波による物質の崩壊なんて、笑ってしまうくらいに最初期の装備から実装はされていたのだ。


 純粋な相手からの攻撃の振動で鎧、装甲内部の人間を護る為、少年が真っ先に対抗策を考えて痛滅者に組み込んだ機能の一つである。


「魔力の低減を更に確認」


 まるでピアスか。

 あるいはイヤリングか。


 空間ループの輪が歪んだ象となって肉塊から次々に飛び出し、それと同時に周辺環境は急速に戻り始めた。


 魔力の消費効率の激烈な悪化は肉塊の表面防御機構を悉く無力化。


 それと同時に広範囲に分散していた魔力吸収用のドローン群とソレが射出して用いていた魔力誘導用の結界が過負荷によって能力を低減させていたのを復活させ。


 次々に魔力の流出を強力に推し進め。

 完全にコントロールして海底へと導く。


 この時、彼らの与り知らぬところで米軍の作戦も動いていたが、結界に阻まれ、あらゆる観測機器からの情報が時間差で送られてくる現状では知りようも無かった。


 時空、時間すら歪んでいたのだ。


「こちらD-1。魔力の排出に成功。周辺環境の健全化を確認。攻撃を開始する」


 ジャンが黒翔の外装を解除すると同時にヌッとその内部から巨体が飛び出し、更に彼の全身の盾が一斉に開いて射出装置群が一斉に火を噴いた。


 瞬時に転移で体表に着弾する弾体が何十発。


 射出装置がバラバラと後方へと投げ捨てられ、彼が盾を前面に向けて戦列染みて並べ、残り1kmを切った最中にも音速を突破して海上の肉塊へと突撃。


 しかし、敵の触手は未だ健在。


 砲弾や転移弾体は肉体に食い込んだ速度や肉体に食い込んだ後、魔力を噴出させる形で相手の攻撃は弾いていたが、射出元である彼はそうも行かない。


 肉塊が弾体を取り込もうとしても排除しようとしても制御下に無い魔力の爆発的な噴出や空間の歪曲が触手や肉体からの干渉を防ぐのはソレが当事者の魔力の出力を用いているからである。


 魔力電池が幾ら恐ろしい勢いで容量を増大させているからと言って、今もまだ莫大な魔力を内包する肉塊を前にして個人が魔力を用いて戦闘可能な時間は極僅かだ。


 あちらに出来る事はこれ以上の敵の攻撃は防除する事。


 ジャンを敵として排除する為に本気になるのは当たり前であった。


 獰猛なる乱杭歯だらけの吸盤が的確に数本。


 並みの敵ならば、瞬時に血飛沫になる超質量の打撃を相手が通る一点へと集約。

 まるで何本もの鞭が同時に撓って空間を砕くような攻撃となった。


「フンッッッ!!!!」


 その鞭の超高速の削り切ろうとする打撃が同じく規模の小さな触手と強靭な肉体が持つ盾の一撃によって外側へと弾き返される。


 装甲内部からの魔力の運動エネルギー転化。


 更に一部復帰した九十九からの支援で相手の攻撃を受け切れる姿勢と威力の計算結果が瞬時に使用者と装甲内部のM電池の魔力を用いて微細な運動機能の精密制御。


 削り来る乱杭歯のチェーンソウのような高速振動鞭を装甲の最も厚い場所で受け

 て、尚且つ姿勢制御で凌ぎ切る。


 巨大な魔力同士のぶつかり合い。


 虚空に火花を散らして花火の如く激しく明滅した盾と鞭は接した面だけで赤熱化して猛烈な熱量を発した。


「ッ」


 一撃で盾が4つ。


 爆発的な魔力転化の迸りでエネルギー障壁。

 科学的な防御方陣を瞬間的に展開して途切れさせた。


 次は受け切れないのが分かる程に削り取られ、罅割れる。

 衝撃と重力と魔力の相乗効果だ。


 如何なベル特性の魔力充盾と言えど、その強度も能力も格段に上がっているとはいえ、圧倒的な神の欠片の力を前にしては何度も攻撃を受け切れるモノではない。


「―――ッ」


 盾が一撃で魔力を枯渇させたM電池と共に投棄。


 触手が次の一撃を繰り出す前に黒翔の連続掃射が始まる。


 刻印砲弾程の威力は無くても、敵を牽制するくらいは可能な無限の弾幕。


 それもしっかりと相手の魔力を奪い尽す為の代物だ。


 先程の一撃で転移環境が劇的に改善した事が大きかった。


 少年のポケットを経由しての遠方からの弾丸の補給が復帰したのだ。


 短距離の魔力吸収用の弾体が悪環境下の転移でも当たったのは一重に相手の大きさ故であって、実際にはかなり座標が数百m単位でズレていた。


 それでも敵は何処に当たっても余りある程の規模であって、攻撃の初手が成功したのは相手の大きさに救われた形だった。


【!】


 先刻から当てられた砲弾や弾体の威力を学習した神の欠片は触手で弾かないわけにはいかなくなっている。


 である以上、防御は後手に回る。


 無論、それで触手の数が少し減った程度ならば、別の部位の触手が即座に相手を攻撃して終わりなわけだが―――。


『D-2。これより攻撃を開始する』


 それよりも早く更に周囲へと潜んでいた何者かの声。


 突如として12連射された狙撃砲による援護が次々に体表から飛び出てジャンを狙った触手の群れを砕き散らしていく。


 その砲弾は転移ループなどではなく。

 次元干渉系の術式を展開。

 正しく、北海道で使われた弾丸の火砲版。


 瞬時に威力に関係なく空間を割り砕いて進んだ弾体は瞬時に亜光速並みの移動力を見せて、即座に敵の重力場圏内に着弾して歪みながらも次元を砕く威力を出力し、まるでジグザクに動くアミダ籤のような砕き方となりながらも敵肉塊を40以上に分割して切り裂いた。


 無論、即時再生する化け物相手である。


 分割後にまたモチを一つにしたように分割された各パーツが流動しながらギュルギュルとうねり、形状を取り戻したが、分割中に2割程、端が斬り落とされて体積が減んじていた。


 斬り落とされた部位は即座に本体へ戻ろうとしたが、運悪く魔力吸収放出用の弾体が刺さっていた部位は枯死。


 ジャンは背後からの援護をまともに認識する間もなく敵の中央へと接触した。


 本来ならば、精神と物質を同時に同化侵食する相手の能力で通常生命体は死亡。


 だが、神の侵食に耐性を持ち。


 尚且つ、それをゼネラル・マシンナリー・コートとMHペンダントによって増幅されたジャンは至近に近付いて唯一まともに活動出来る生身の戦力であった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 彼が左右の両腕を体表へと突き刺し、今にも飛び出してくる極細の触手群を衝撃で押し込んで波打たせながら波紋を広げつつ、腕に装備されていた特殊装備を解放して、離脱した。


 魔力電池は今や全力で運動エネルギーを出力していた。

 これで彼の役割はお終い。

 そう、まともに戦う為の前提条件を整える。

 それだけが役割。


【?!】


 肉塊の周囲で巨大な心臓を思わせる鼓動が聞こえた。


 それと同時に次々と肉塊が内部から半魚人やアイランド・クリーチャーの一部のようなものを吐き出そうとするもソレが急激に内部へと引き込んで蠢き。


 まるで化け物を幾多混ぜ合わせてこねくり回したような歪んだ像が形成された。


 口や鼻や手足や臓器や触手が大量無数に突き出た肉塊はソレを何度も何度も体内へ押し出そうとするが、飛び出ようとする方が強いのか。


 何度も出し入れされた化け物達の欠片は拍動と共に砕かれ歪み固定化されて排出される事は無かったが、引き込まれて同化する事も無かった。


『効果有り。これより白兵戦に入ります』


 3機の機影が相手を囲むように現れる。

 アイルランド南部に二機。

 イギリスに一機。

 基地でデータ取り用に使い潰されたのが一機。

 残り三機の【無限者】であった。


『じゃ、行きますか。うふふ(*´ω`*)』


 紫陽花のような青紫色。

 両手両足両肘両膝、その全てに専用の打撃用装甲。


 敵を粉砕する鎧籠手のような帷子風の武装が付いている機体。


 世界最強の兵士と今や噂される彼女。


 ほのぼのバーサーカー片世依子。


『ベル。後は任せておけ』


 赤銅色の装甲に巨大な大剣。


 更には胸部装甲中央と各関節の部位に巨大な宝玉が仕込まれた機体。


 今や善導騎士団を実質的に取り仕切る彼女。


 副団長代行フィクシー・サンクレット。


『騎士ベルディクト。こちらはいつでもいけます』


 純白の装甲に機械杖と分厚い外套型装甲。


 細身でありながら周囲に巨大な白銅色の球体を四つ浮かべた機体。


 結界術に精通した彼女。


 ミシェル・バーン。


 少年の養子となった彼女は結界のスペシャリストであり、ようやくイギリス及びアイルランド南部での仕事を終えて合流し、共に轡を並べる事になっていた。


『これより作戦を開始します』


『『『了解!!!』』』


 三機が瞬時に動いた。


 敵の同化侵食能力が極端に低減している今がチャンスだとばかりに片世の打撃が巨大なキロ単位物体に打ち込まれた途端。


 そのあまりの打撃にその表面が波打ち、衝撃波の伝わる過程で肉塊の表面に出ていた各種の化け物のオブジェが弾け散って、大量の黒い血液が噴出して海洋を汚染していく。


『サンドヴァァ~~ック!!!(*´ω`*)』


 愉し気に連打。

 連打する度に血飛沫が舞い。


 爆発した血流が巨大な噴水の如く肉塊のあちこちから飛び出していく。


 打撃された部位が撓むという事は無かったが、内部に伝えられた衝撃は極めてオカシな威力で外部に出所を求めて体内を暴れ回っているに違いない。


 規模という点では明らかにオカシな光景であった。


 12mの物体の腕がキロ単位の物体に影響を与え得るという点において、さすが超越者と言わざるを得ない。


 陰陽自最強と言われる彼女の面目躍如と言えただろう。


 本来なら無限者とはいえ、超至近距離での連続戦闘は装甲に侵食によるダメージを受ける。


 だが、その状態は見て取れなかった。


 理由は単純。


 現在、ジャンが撃ち込んだ術式が敵内部で増殖し駆け巡り、相手の機能を暴走させているからだ。


 肉塊は今まで出て来た化け物を産み出す存在という事は分かっていた。


 ならば、その存在が遺伝子的にどういう生物かを解析出来れば、自ずと対策も立てられる。


 相手の最大の能力である物理精神侵食能力。


 これをどうやって封殺するかというのが作戦の肝として考察された。


 結果として陰陽自研で相手を解析、個別に化け物を産み出す能力を用いた機能暴走用の術式開発がスタートした。


 要は敵のリソースを相手の意図せぬ形で浪費させる事が指向された。


 これは魔力の浪費戦術と同じであるが、それを遺伝子資源、自身の体積によって行わせる事が無限に再生する相手を殺す為の力として妥当だと判断されたのである。

 現在の肉塊の状況はこうだ。


 ―――自分が意図せぬ状況で自分から大量の体積と魔力を使った簡単に殲滅可能な兵隊が勝手に量産されようとしている。


 これは細胞の増殖や特定器官の再生というものを司る蛋白質や様々な遺伝子の関係性を人類が解き明かしてきた事で可能となった代物だ。


 IPS細胞やES細胞を始めとした万能細胞などに起因する臓器の生産研究は日本の医療業界では最先端であった。


 その叡智は魔導機械術式として再記述されたのだ。


 回収された敵主力である半魚人や各地で猛威を振るった空飛ぶデモン型、アイランド・クリーチャーなどからの遺伝子回収と解析を九十九がドローンで行い。


 そのデータを組み込んだ術式で行う自己再生産性暴走崩壊という形で結実した。


 最新鋭の解析機器と観測機器。

 それは魔導機械術式と科学の結晶。


 今のところ、陰陽自研以外には存在しない価値も付けられない代物。


 ソレを惜しげもなく通常のドローンへ小型化して載せている時点で頭がオカシイと研究者達は考える。


 その値段にすれば、数兆円を超えるかもしれない製作費は全てが少年の準備によって現物として稀少な物質や物体を用いる事で可能となった


 自身の意図せぬ兵隊の生産を終わらせるには術式の汚染部位による蛋白質と遺伝子異常と増幅を止め、切り離すしかない。


 が、生憎と汚染された部位は先程の次元断裂時の影響が残っている状態で受けた事から、体内を常に再生していた肉塊の内部で急速に拡散して全体へ取り込まれ、肉体の殆どが汚染済みだ。


 こうなってしまえば、物理的な制約として兵隊を生産し続ける状態で戦うか。


 あるいはそれを抑えながら戦うかの二択となるが、生産し続けるならば、リソースが削れて現在の敵に対処出来るような侵食汚染能力の強度が低下し、生産を止めるならば、その無限に増え続ける術式によって狂わされた自己の能力を止める事に全力を出さねばならない。


 自身の力で自身を抑えるのだから、自身の能力の半数が停止するというのは理に適っているわけでどっちにしても威力も能力も半減せざるを得なかったのである。


 結果として対象は無数の半魚人のオブジェが蠢く醜悪な怪物と化したのだ。


『う~~ん。打ち応えのあるサンドヴァックね~。あ、騎士ベルディクト。これ今度陰陽自研で解析したら私専用のジム用品に……』


『してもいいですけど、何かあったら責任取って下さいね?』


 後に神をジム用品にしようとした女という異名をとる事になる瞬間が過ぎ。


『だよね~。はーい。大人しく全力いきま~す』


 軽く片世が佇まいを正した、ような気がした。

 その無限者が腰溜めに構えて正拳突きを放つ。


 ドパッとキロ単位の物体が精々12mの機体が放つ打撃でモーセも真っ青なくらいに綺麗な形で半分に割れた。


 割れるインパクトの刹那。


 断面が急激に乾いて流動が停滞していく。

 まるで刃物で切ったような綺麗な肉の色。


 しかし、恐ろしいのは切った瞬間に肉がその両断された30mくらいの断崖の中央において消失したという事実だ。


 その3秒後に亀裂の直線状の数十km先の空が巨大な輝きを放つ何かの爆発で煌めく。


 片世が吹き飛ばした肉片の一部が上空数百km地点で制御を失った魔力を転化させて起爆したのである。


 そう、少年が懸念していた通り。核数十発分はありそうな熱量が大気層の上空で急激に発生。


 しかし、そこで生じた放射性物質も巨大な気圧偏差による地球規模の大気変動も神の結界が真下にあったせいで影響が地表に出る事は無かった。


『たーまやー♪』


 断面が元に戻る様子が無く。

 瞬間的ながらも海が数百m後方まで割れる。


 元に戻る瞬間の海底に巨大な亀裂が入ったのが当人にも見えただろう。


 威力がどのように放たれたのか。


 それを解析した九十九のデータを覗ける者達は呆れるしかなかった。


 純粋な威力だ。

 そう、何も小細工は無い。


 片世の右腕から全力で打ち放つストレートが全身の力を載せた渾身の一撃として相手に接触し、相手の魔力の防壁を威力だけで破砕し、上空……地平線の彼方に吹き飛ばした。


 大量の水分を含む細胞に運動エネルギーを局所的に打ち込んだだけの一撃。


 それが核融合でも起きてるんじゃなかろうかというエネルギーとなって神の欠片を制御不能にして大気層の上の方で起爆させたのである。


 例えにすれば、しょうもないだろう。


『……衝撃だけで核や隕石越えてるんじゃないか。コレ』


 パンチ一発が隕石と同等の女。


 という徒名までもが彼女の美談?に増えた瞬間であった。


 機龍内部のCICはもはや何でもありな陰陽自の最終兵器の威力に半笑いだ。


 まぁ、だとしてもソレにだってちゃんと無限者の機能がサポートしている。


 威力というよりも魔力の低減や再生面での阻害という形で。


 仮にも神の欠片。


 単なる衝撃だけで防壁は抜かれたが、その後の個体を30mくらいの間隔で割れた後、再生不全へ陥らせたり、上空の爆発の威力が核数十発分でありながらも低いのは無限者の力だ。


『成功です。無限者の【D噴流圧式装甲エリア・シェーバー】が機能しました』


 打撃を放った瞬間、両の籠手が開き。


 その内部から圧縮したディミスリルの粉末が高速噴射された事で周囲にはキラキラとした粒子が煌めき、魔力を吸って発光していた。


 ウォーターカッターならぬD粒子カッター。


 だが、カッターと言う程に切れ味はあるが、カッターという程に狭い範囲を斬るわけではない。


 どちらかと言えば、ディミスリルの粒粉を超高圧超加圧状態で攻撃対象へ密接噴出させて、対象のある空間内の物体を流体の精密噴出操作で削り散らせる代物だ。


 神の欠片の質量と魔力量から切れ味は0まで鈍ってはいたが、それでも付属効果は当事者の威力を十全に発揮させた後をサポートする。


 ソレは片世の超絶の打撃能力と合わせて用いられる事で神を殺せるレベルの代物として完成している。


 もし敵が今の神の欠片程の力が無い相手ならば、あらゆる魔力転化前の攻撃を相殺し、あらゆる敵の装甲と存在を削り散らし、あらゆる物体に一定以上の大きさ以上である事を許さず、魔力を動力としての再生や防御力の復活も阻害遅延させるだろう。


 少なからず、敵が規格外でない限りは確実なる死をお届けするに違いない。


 明らかに人類が持つには過剰火力。


 変異覚醒者に向けるとしてもオーバーキルな代物。


 隕石だって砕けちゃう女という事実が広がる日もそう遠くないだろう。


『便利道具使うと味気無いよ~~~!!!(*´▽`*)』


 大地を踏み抜いた震脚が半分になったキロ単位物体を揺らし。


 魔力が枯渇するのも構わず。


 触手を繋げて再生させようとした敵個体を浮き上がらせた。


 二つに分かれた欠片が僅か地面との間に隙間を作る。


 深度7の地震が海中を伝い。


 周囲の未だ残っていた陸地の残骸を海に没させていく。


 ガラガラとアイルランド南部の海岸線が崩落していった。


 合間にも浮いた相手を見逃さず。


 低姿勢で円を描くように旋回した片世の無限者が脚を下に突っ込んで膝から上で蹴り上げた。


『ひ、左側の欠片が打ち上げられました!!』


 映像を見る者達の間にどよめきが奔る。


 如何な無限者とはいえ、物理接触から推定数千万t単位の重量を片足で蹴り上げるとか想定していない。


 というか、普通は出来ない。


 だが、それが出来るのが超越者なのかもしれず。


 ボッと。


 左にあった塊が瞬時に足先から中心へと放たれたD粒子の爆圧を受けて盛り上がり、恐ろしい事に……本当に恐ろしい事に浮上していく。


 威力を何とか耐え切った敵は正しく化け物だが、それを込みで相手を浮き上がらせて無防備にした片世はそちらは任せたともう片方へと向き直る。


 神を浮かばせる程の威力の滞留をどのように実行したのか。


 後で陰陽自研の研究者は呆けたような顔でデータを百回は見直す事になる。


『ゆくぞ』

『ええ』


 その二十秒に満たない攻防の最中。


 残りの二機が何をしていたかと言えば、上空へと向かって、そこでずっと方陣を展開しながら、魔術を練っていた。


 わざわざ悪環境下で術式を練るという事が何を意味するか。


 それは通常の魔術師ならば自明。


 そして、機械魔導術式と最新鋭設備による支援を行われている術者の力はもはや国一つ亡ぼすかどうかという一撃になるのは陰陽自研ならば必至の出来事。


 白に染まる方陣と紅に染まる方陣。

 最初に動いたのは白い方。

 ミシェルであった。


『これより敵の分解を開始します』


 杖が虚空を打つ。

 と、同時に世界の色合いが塗り替わる。

 瞬時に結界が発動。

 悠音が自然とやっていた結界による外界との隔絶。

 結界の陣取り合戦が開始されたのだ。


 肉塊周囲は緑の夜が未だ残存していたが、その勢いは弱まり。


 白い空間としか言えない世界が周囲を取り囲んで押し合いの状態となっていた。


 更に浮き上がった方はもう兵士の生産停止を諦めたのか。


 今の内に莫大な数を生み出して押し切る戦術に切り替えたらしく。


 半魚人が雪崩のように全方位に弾丸の如く射出。


 その顔が弾幕で迫る人型弾頭という狂気と化した。


 だが、ソレが白の領域に入った瞬間。


 弾け飛ぶと青黒い水溜まりのようにボチャボチャと地表に落ちていく。


 白い結界の効果は単純無比。

 相手から構造を奪う。

 要は内部に入った敵の構成を分子単位で崩す。

 振動を用いるような代物ではない。


 結界内部に細胞の繋がりを維持する蛋白質が機能しなくなるよう特定の化学物質を敵の細胞から生成する魔導機械術式が充満しているのだ。


『―――術式密度定常出力中』


 本来、術式は極めて繊細だ。


 通常空間内で維持するには入れ物や刻むモノが必要になる。


 だが、空間創生結界という類稀なる能力を持つ少女と結界術のエキスパートが出会った時、其処に生まれた技能は何処か研究室のフラスコのような成果を生んだ。


 幼い彼女にミシェルは結界魔術を教え、その彼女の能力を解析する事で極めて術式を安定させる結界を彼女は編み出した。


 そう、ソレは通常ならば、繊細過ぎて通常空間内どころか。


 戦闘で相手に使う事も出来ないような術式を機能させ得る空間の生成を意味した。


 術式の空間に占める密度が高ければ、その処理はともかく。

 多重に連鎖起動する事が出来る。

 同時に魔術の自動化。


『―――自動精霊化処理機能稼働率8割で推移』


 精霊化による処理までも革新が起きたおかげでその白い結界内は彼女の体内と同等以上の術式構築領域と化した。


 魔導機械術式による細胞への干渉は魔力を特定の物理量や幾つかの物質の生成を行うのに使う物理事象。


 魔力の防御云々は効果には関係無い。


 その影響範囲内に入り、術式からの干渉を僅かでも防げない部位があれば、ソレはその瞬間に物理的な作用によって術式の処理を問答無用で喰らうのだ。


 つまり、魔力が術式の作用を防ぐことに使われていなかった場合、どうなるかは言わずとも見れば分かるような状態となる。


『―――敵小規模個体群の漸減率100%』


 本来、刻印弾のような形で相手に与えるはずだった威力はその空間内でならば、完全に相手が術式を遮断出来る存在でなければ、何処からでも発揮され得る。


 弾丸を当てる必要すら無い。

 領域に入りさえすればいいのだ。


 これこそ今まで黙示録の四騎士がやってきたような通信の妨害よりも更に完全上位互換戦術。


 己の領域内で圧倒的な状況を用意するベルズ・ドクトリンの戦域制圧を体現する力であった。


 産み出された半魚人の兵隊が何も出来ずに再生すら許されず血肉の沼になって墜ちていく。


 だが、それを状況判断出来たところで肉塊はどうしようもなかった。


 機能を一度生産に極振りしたおかげで術式汚染部位や飛躍的にその領域を増やし、自身で止められる限界を超えてしまっていたのだ。


 ついでに魔力の本体からの供給が結界の押し合いが弱まった瞬間に全周包囲からの結界を結界で包むという荒業で途絶させられた肉塊は魔力を全て個体の生産に割り振って消耗し続け、もはや無限者の防御を突破出来る程の威力を持つ触手すら産み出せなくなっていた。


(どうやら、奥の手はまだ使わずに済みそうですね)


 消耗戦において結界魔術を用いるミシェルが負ける理由は3つ。


 魔力が枯渇するか。


 あるいは魔術の処理限界以上の攻撃や状況を喰らって死ぬか。


 相手の攻撃の質が自分の持つ結界では受け切れない場合のみだ。


 少年の魔力を溜め込んだ無限者はソレそのものが魔力電池である。


 九十九の演算能力と通信設備が未だ生きている限り、魔術の処理限界は遥か遠い。


 そして、魔力を低減させた敵肉塊では無限者の防御を突破出来る質の攻撃は維持出来ない。


 つまり、負ける理由は外部からの干渉以外有り得なかったのである。


 結界による極めて恐ろしき現実が神を襲っている合間にも更に一方の半分。


 地表にあるソレに片世が打撃を……打つまでも無いと現状待機で神を殴るのに使った体力を回復しつつ、肉体に奔らせた威力の残差、普通ならば体内で核爆弾が起爆したに等しい衝撃と熱量を抑え込み。


 筋肉と細胞と神経を総動員して久方ぶりの疲労という名の現実を甘受していた。


(あんまり、他の子達の出番を取るのも良くないし、ここらで満足しておきましょうか。うふふ(*´ω`))


 そんな彼女の上空からはようやく方陣を纏め終えたフィクシー・サンクレットによる魔術が白と朱に染まる爆光を伴って未だキロ単位の体躯を維持する敵に落ちていく。


 方陣内部から落下していくのは光の塊だ。


「さて、どうかな」


 全長で数百m弱。


 ベルの魔力で日本全土を蔽う程の探索用の戦略級魔術方陣を編んでいた時に比べれば時間は極僅かであったが、当時よりも純粋に自力が上がったし、同時にまた支援体制も充実している。


 それを余すところなく己の魔術に取り込んだ彼女の術師としての渾身の一撃であった。


 結局、少年の技術と叡智におんぶにだっこという状況である事を自戒しながら、彼女は本来自分に編めるようなものではない魔術を極短時間で編んで見せたのだ。


 その大本となったのは白滅の騎士の一撃。

 嘗て、都市に熱量を落とした時の代物だ。

 相手は極めてスタンダードな大魔術を使っていた。

 根本的に出力が巨大な魔術は複雑な象形を用いず。


 球体や剣や角錐などなどの形状を取らせて、その能力に凝るのが魔術師というヤツだ。


 無論、例外はあるが、殆どの魔術師は象形を力とするような輩でない限りは攻撃の形には原始的なものを用いて横着する。


 その分のリソースで術式に手間を掛けるのだが、その凝り方はどんな術師も一つだけ基本的な事は変わらない。


 自らの得意な事を極限まで自分の限界以上に突き詰めて殴り付ける。


 これが最も強く最も満足の行く術なのである。


 白滅の騎士ならば、熱量そのもので都市を焼き尽くす光球。


 瞬時に都市を蒸し焼きにしてくれたって良かっただろうにそういう時間制限のある非効率な方法を取ったのはソレが最も強く、最も彼にとって満足出来る術であるからだろう。


 魔術師の考える効率や非効率、合理性や強弱というのは術者以外から見れば、奇妙な程に洗練されていて、奇妙な程に不合理や非合理の塊だったりするのである。


「神を殺す力。今の私には無いが、これ程の鎧を貰っておいて応えられないのも癪に障る。奴らに使う前に試しておこうか」


 フィクシーサンクレットの無限者は剣を用いてゆっくりとした動作で舞う。


 虚空で神楽でもやるように。

 だが、それは魔術師が用いる魔術用のコード。

 その最も原始的な形の一つだ。

 歌や踊りはそれこそ基礎の基礎の基礎。

 術式が無い時代からの叡智である。


 時代の最先端を進む魔導機械術式を修めた彼女が舞うとすれば、それはおかしなことに見えるかもしれないが、逆に技術と叡智が進展してこそ、その行為が原始的な元の場所に戻ってくるというのも道理の一つなのかもしれない。


 窮まれば、何事もシンプルなものだ。

 それは魔術も科学も変わらないかもしれない。


 彼女が剣の演舞で舞う度に爆光の球体が小さく小さく縮小しながら落ちる速度を速めていく。


 そして、半分に割られて尚巨大な肉塊が何とか触手で迎撃し、全ての魔力を防御に回した様子で魔力の流動する巨大な壁を上空に展開した。


 その青黒い潮の如く渦巻いた力にもしも転化が起れば、北部一帯の地点が恐らくマントルに到達する程に抉れ、イギリスは吹き飛び。


 アフリカ、欧州本土、北米西海岸、北極までも呑み込む超巨大津波。


 否、海を蒸発させながら迫る巨大蒸気爆発となって地球の大気の一部が消し飛ぶだろう。


 無論、イギリスは跡形もなく消えて無くなる。

 つまり、これは少年が懸念していた事を肉塊が本能的に用いた防御であった。


『魔術師に魔力を用いて知恵比べを挑むとは……如何な深淵なる神とて不遜に過ぎる』


 彼女が演舞を終えた時。


 巨大な球体はまるで針のように小さな光を放つ程までに凝集され、その光すらも呑み込むように抑え込むように煌めく粒子を零しながら魔力の渦へと落下。


 触手もまるで幻影かのように擦り抜け。

 無視しながら防壁に接触。

 スルリとその内部へと入っていく。


【?!!】


 神の欠片の内部からズシンという虚空にすらも響く鳴動が一発。


 その後、大量の触手がもはや一刻の猶予も無いと言いたげに化け物達を大量に吐き出しながら吹き上がって片世と上空のフィクシーを狙って伸びた。


 しかし、ソレが音速を越えた衝撃波を彼女達に叩き付けながらも届く寸前で再びズシンズシンと鳴動が二発。


 吐き出された化け物達が次々に元に戻ろうと触手に自ら貫かれて再同化を図ろうとしたが、その時には更にズシンズシンズシンと三発。


 鳴り響く鳴動の音が連鎖し、連動していく。


 数秒でソレは太鼓を連続で打撃するような音を響かせながら乱後には乱打となって肉塊の全身を震わせ、超大な魔力転化によってもはや自爆してでも敵を滅ぼうとした触手の自発的な起爆。


 魔力転化の導火線に成り得るだろう自壊中にはその律動は発動機を回しているかのような持続音となって、砕けた触手が全て周囲に崩れて落ちていく頃にはピタリと止んだ。


 魔力は一切そのまま。


 しかし、その肉塊から吐き出された化け物達はまるで狂乱したかのように互いを食い合いながら自滅の道を辿っていく。


 無限者同士の通信がまだノイズ混じりながらも繋がった。


「ねぇ? 一体、何したの? フィクシーちゃん。魔力がそのまま残ってるし、転化する様子も無いし……」


 不思議そうな片世に少女は肩を竦めながら、痛滅者用のキメラティック・アームドを空間制御で虚空から取り出して、魔力吸収用の刻印弾を無限にシェルター都市経由で日本の陰陽自倉庫から転送しつつ、乱射して巨大な魔力塊を次々に吸収してチマチマと削り取っていく。


「神格の魂魄に対してFC及びシェルター都市で確認された魂魄の消却術式を限界まで増幅して打ち込んだだけだ。片世准尉」


 片世がポンと手を打つ。


「ああ、だから、そのまま動かなくなったのね。いつの間に復元してたの? アレ? でも、制御を離れた魔力は?」


「あの肉塊の魔力は特別な細胞からのものと魂魄からのものの2種類からが混合した代物。それを超える魂魄を消却した際に発生する更に莫大な魔力を連鎖して積層魔力化する術式と組み合わせ、内部で細胞を壁にして魔力生成時の爆圧を封じた」


「でも、あちらは自爆覚悟じゃなかった?」


「相手側からすれば、細胞を積層魔力化される際に力を緩めれば、一瞬で消し飛ぶ。しかし、同時に内部の魔力を全て自家消費出来ない積層魔力塊に変換されて威力は結界で封殺出来る程度に落ちざるを得ない」


「つまり、一斉起爆させなければ得られない威力が物凄く減った状態で起爆するしかないの?」


「だが、こちらの力量が分かれば、ソレでは意味が無いと本能で知っていたはず。なので最低1回から数回は魔力の積層化を止めようとして爆発を抑え込むと推定した」


「で? 抑え込むとどうなるの?」


「爆発を抑え込んだ瞬間に積層魔力化した部位が完全に不活性化。魔力と体積を削る。そして、取り込もうとした積層魔力化した部位の表層には撃ち込んだ術式が分裂して拡散している」


「なーるほど。内部から二重三重に罠が張ってあったと」


「再び、魂魄の消滅と積層魔力化を開始。それに抗おうとしてもダメージを負った内部の部位を少しずつ侵食されて部位毎に連鎖的な爆発が起る。術式の侵食部位を放棄して内部を固めても魂魄単位からの欠損を回復する為には魔力が必要だ」


「その魔力が足らないんだから、回復は困難になると」


「これが術式の前半部分だ」

「前半? 後半は?」


「攻撃を透過していたのは実際には透過していたのではなく。相手の魔力に術式を不活性状態で流し込んで再生時の魔力励起を待っている状態だったからだ。術式へ相手の巨大な魔力への一時的な破壊耐性や侵食耐性を付与するのにはどうしても現地での生の情報観測が必須だった」


「つまり、此処であの肉塊と周辺環境のリアルタイム情報を入力してたの?」


「そうだ……空間制御系の魔術の事象そのもので術式を保護した。先程、ミシェルと一緒に術式を練っていた時に頼んでいたものだ」


「二人で時間掛けてたのって意味あったのねぇ」


「相手の内部まで魔力の壁を素通りしたのはシエラの火砲に用いられた超高速の連続転移術式の超短時間超短距離版だ。アレで通常空間内での実存時間を減らして、環境からの干渉を防ぎ、更に術式を保護、退避させながら敵内部に浸透させる事が可能となった」


「そこまでして護った術式は何だったの?」

「癌というものは知っているか?」

「え? 病気の?」


「ああ、そうだ。神は無欠の肉体を持つが、実際には現実の生物的な細胞と巨大な魔力に依存して自身の健康、状態を保っている」


「ふむふむ」


「魔力の制御を行う魂魄に欠損が出た瞬間を狙い澄まして再生時の肉体の制御に割り込みを掛けるが無数に体内で発生したら、どうなると思う?」


「……思わず自分の意思の一部であるかのように騙されちゃう?」


「魂魄の欠損を補おうとして術式の中枢が取り込まれる。ソレが侵食され得るまでの短時間。魔力の制御を相手の意思に反して乗っ取る」


「相手に枷を嵌めたわけね」


「そうだ。魔力のリソースの使い方をデタラメに弄れる状態だ。固め切ったと思った箇所が不意にまた爆発、魔力と体積を失う。それが連鎖する。気付いた時には……」


「怖い事考えるわねぇ……」


「【偽証者達グリオーマ・オルガンズ】……対黙示録の四騎士用だ」


 さすがに片世も苦笑する。


 たぶん、自分に使っても恐らく効果が出るだろう魔術師の巧緻を垣間見たからだった。


「魂魄が次々に虫食い状になる。これを埋める術式中枢による同期中の個体への同士討ち命令と同化命令を実行。もはや混乱した欠片の中身はスカスカだ」


「後は制御が解ける前に相手の外部魔力を削り切ればお終い、と」


「そういう事だ」


 片世が魔術師の怖い話を聞いている合間にも次々に遠方から黒武や通常のディミスリル製火器のものと思われる大量の刻印砲弾が飛来。


 フィクシーの目下作業を手伝うのか。


 巨大な魔力壁を次々に超凝集されたディミスリルによって吸収、穴だらけにして崩していく。


 その中で化け物達も砲弾に砕かれていった。


 アイランド・クリーチャーとて二の轍を踏ませれば、倒せない事も無い。


 合間にもミシェルの方では海の中に巨大な青黒い海域が誕生していた。


 今や数百m規模まで縮んだ肉塊であったが、その海域からは次々に結界によって魔力が吸収されて海底に流れ込んでおり、後数分もせずに魔力の真空地帯になるだろう。


 残った細胞もドローンの張った結界で多重に流出を防いでおり、機龍と陸自の焼却装備で完全に蒸発させられるに違いない。


 片世と無限者を用いたとはいえ、二重三重の策を用いた結果は善導騎士団大勝利。


 と、CICのものならば、


 何故ならば、これはまだ序盤に過ぎない。

 結界を張っているとはいえ。

 それでも敵は本体ではなく欠片なのだ。


 それも数百kmから数千kmから数万km規模の敵の極一部という話は全員が理解している。


 もし、この瞬間に肉塊の本体が出てくれば、どうなるかは言うまでもない。


『高濃度の魔力反応を検知!! 皆さん!!? 即時、退避して下さい!!』


 虚空に少年の声が響くと同時にミシェルを背後に護るようにして片世とフィクシーが上空へと退避していく。


 途端、二つに分かれてもはや実存を保つのすら精一杯という形となっていた神の欠片達が瞬間的に爆発した。


 だが、爆風も爆発の瞬間も殆ど衝撃波が出る程度で爆破された欠片はどちらもその体積の全てを瞬間的に魔力へと変換されたせいか。


 肉片が飛び散る事もなく。


「本体か!?」


 フィクシーが剣を構え、ミシェルが背後で万全の結界を張る瞬間を待ち。


 片世だけが構えもせずにニィッと唇の端を少しだけ吊り上げた。


 魔力という魔力が転化され、その殆どが積層魔力や刻印砲弾によって不活性化したが、その欠片の爆発の後、水蒸気が濛々と上がる空間の中から何か悍ましい気配が蠢く。


【コゥ゜パカクパゴプァ゛タカ―――】


 肉を擦り合わせたような名状し難い声。


 本能的に近寄ってはならないと感じたのはその声を聴く片世以外のものに共通であった。


「!!」


 吹き伸びる触手が三人のいる虚空を穿ち貫いた。

 咄嗟に彼女達が回避したのは正しいと言える。


 彼らのいた場所が何か深く青黒い空間の歪みらしきものに呑まれて歪んで緑色を空間に混ぜたような……明らかに通常空間とは違うような色合いで汚染された。


 それは虚空に原色の絵の具を何度も塗ったようなヘドロ染みた着色。


 しかし、それだけではない。


 触手がブンブンと高速で周辺を乱舞し始めたと思うと空間が次々に塗り替えられ、白いミシェルの結界すらも塗り潰されていく。


 まるで、自分の色に染め上げているのか。

 あるいは領域を形作っているのか。


 初期対応として逃げながら最大火力を叩き込む事を即断即決したフィクシーの脳裏からの命令の下……次々に刻印砲弾が大量に南部シェルター都市から飛来する。


 魔力吸収のみならず、空間を歪めるものを大量だ。

 例え、相手が空間に干渉するとしても、ただでは済むまい。


 水蒸気の内部に砲弾が飛び込むと同時に濛々とした白いカーテンが吹き飛ぶ。


 内部に届いた砲弾は緑色の空間に入った瞬間に威力を減んじていたようだが、しっかりと標的に着弾し、空間を歪め、魔力を吸収し、相手を砕いていた。


 穴だらけになったのは蛸……のようにも見える何かだった。


 ただ、目標は小さい。

 精々が7m強。


 今まで巨大な相手を敵としてきた彼らにすれば、小兵と言える。


 が、それはあくまで見た目の話であった。


 穴だらけにされた蛸は未だに本能的に悍ましいと感じる奇声を漏らしながら、一心不乱に周囲の空間を絵の具のように汚す事に熱心であった。


「何をやっているのか知らないが象形を書いているのはマズイぞ!! 火力を集中!! 完成を防げ!! 機龍の全兵装を集約しろ!!」


 刻印砲弾はそれなりに強力だが、穴しか開けられていないという事実を鑑み。


 フィクシーが周囲にベルの空間制御で呼び出したキメラティック・アームドをフルオートで掃射した。


 それに追随したミシェルと片世だったが、コレではダメだろうなという言葉が彼女の頭を過った。


 次々に飛来する今まで機龍が用いた攻撃の数々が次々に相手へ着弾。


 数秒もせずに蛸のようなものは跡形もなく消滅した。

 だが、高速で塗りたくられていた領域の変色は止まらず。


 その象形の全体像を把握したフィクシーは何かが来る事に気付いてミシェルに周辺に対衝撃、対魔力、対熱量、耐圧、耐電、耐光、その他諸々の結界を最大規模で張れと指示。


 瞬時に8重の半透明の結界が周辺領域を封鎖した刹那。


 その穢された領域の形。


 何かの絵と思われるような深い深い深海を思わせる暗きヘドロのような緑色の奥底から―――いつの間にか半径400mはあるだろう巨大な大木のようなものが天を突くようにして結界の頂点部を破砕し、伸びていた。


 その瞬間がまるで見えなかった彼女達は本能的に理解する。


 今、目の前でこの世界に無いモノが出現した為に現実がソレを彼女達が認識出来る形まで落とし込んだのだと。


 つまり、この世界の内部に規定されていないものが現れたのだと。


 ―――【ビュボヴィ】


 巨大な大木のあちこちには吸盤が蠢いていた。

 乱杭歯のような吸盤。

 そう、ゾンビ達の口のような吸盤。

 ソレが奇妙な音を立てて啼いているのか。

 あるいは鳴っているのか。


 青黒い表皮の内部に見える仄かに臙脂色をした部位は脈動する心臓を思わせて律動し、チュウチュウと何かに吸い付きたそうにしている。


 ワシャワシャと乱杭歯を管弦楽のように打ち、見た者の精神を損耗させるだろう音色を奏でる様子は血の気が引くどころか狂気そのものだ。


『異相側からの次元の歪曲。いえ、破砕を確認しました!! 半径300m圏内から出て下さい!! 無限者の防御で貫通出来ない仕様なのはヒューリさんと悠音さん明日輝さんのだけです!!』


 ドッと天に昇って青黒い魔力が立ち昇っていく。


 結界を貫通しながらも全周に拡散するのではなく。


 触手の昇る空へと光の筋が伸びる。


 遠方から見れば、小さなものにも思えるが、実際には静止衛星軌道上からならば、月よりも果てまで伸びていくのが観測出来ただろう。


 光の速さで数秒等と言わず。


 正しく物理法則を塗り替えながら魔力の柱は宙へと光速を越えて至る。


『現在質量を―――超重力の発生に注意して下さい!! 本体の一部の顕現で総質量が月の340倍を超えました!!?』


 少年が言った傍から半径30km圏内に300G近い真下への重力が働く。


 その途端に三機の無限者が次々に巨大な光の柱。


 熱量と電気エネルギーを周囲に放射しながら逆に浮いて巨大な重力の歪曲内部で姿を正常に保つ最後の楔のように実存を保つ。


 彼らの無限者の主動力機関は星と無限者そのもののコアに使われているディミスリルの高重力源から発される重力そのものを消費して動いている。


 魔力電池は積層魔力化する技術の取得と同時にその補助機関として用いられているが、対象の超重力場の発生に伴って主機関【重力子消却炉グラビトロ・ゼロ】は稼働効率4000%を越えてオーバーロード寸前。


 だが、それでもそのエネルギーの全てを魔術方陣において自らの生存領域へと変換、更に重力消失による歪曲の是正によって九十九との通信を微弱ながらも確保していた。


『イギリス方面はヒューリさん達が護ってくれました!! シェルター都市の緊急防衛機構作動中!! 限界まで残り400秒!!』


 少年の声と同時に後方へと控えていた痛滅者が4機。


 無限者の後方へと付くようにして地表と海洋から飛び出してくる。


 無限者に乗り換えた悠音、明日輝、ヒューリのものを転用。


 更にリスティアはそのまま自機に搭乗していた。


「シュルティ・スパルナ!! 結界補強を開始します!!」


「こちらハルティーナ機。無限者との連携方陣敷設開始します」


「ベル!! こちらは六機態勢でいいのじゃな!!」


『はい!! 今、対策用のコマンドを展開しました!! 残り120秒間、結界で被害を食い止めて下さい!! 目標から触手による邀撃来ます!! 各自散開!!』


 柱から次々に太さ1m程の触手が次々に放射状に広がり、無限者と痛滅者を音速以上で追い掛け回し始める。


 超重力の檻の最中。

 痛滅者は無限者の重力消却領域。


 自身の周囲の重力をエネルギーに変換する場の内部で相互にエネルギーの交換を行いながら、並みの存在ならば入る瞬間に消し飛ぶだろうエネルギー量を突破してくる触手にキメラティック・アームドによる近接格闘戦を挑む。


 無限者は現在重力のエネルギー化で処理能力が限界近くまで使われており、戦闘機動こそ可能だが、複雑な戦闘がシステム側で処理出来ない状態。


 防衛機構こそ働いていたが、主兵装が使用不能であった。

 重力の話だけではなく。


 対侵食能力用の魔術方陣も見えないがエネルギーの場に重ねられて全開にされている。


 この状況で神の本体の一部に突撃して戦おうとすれば、それは自殺と何ら変わらず。


 動ける痛滅者による防衛が必要であった。


「さすがにッ、やる!!」


 キメラティック・アームドの近接格闘用武装は刀剣。


 現在、彼らが用いているのは魔剣工房から納入された『化月』という刀だ。


 盾内部から伸びた刀身で次々に機動中の無限者に追随する場に突入してくる青黒い触手達が刃によって切り裂かれ、落下していく。


「シュルティ!! 5撃使い終わったら投棄せよ!! 侵食されるぞ!!」


「は、はい!!」


 リスティアがフィクシーを後ろに自身の刃を盾からパージして捨てる。


 その合間にも青黒く刀身が侵食されて触手化こそしていないが、何か奇妙な光沢を放つようになっていた。


 シュルティが何とか直線的にやってくる触手をバッサバッサと素人ながらも機体側からのサポートで切り払い。


 慌てて、刀身を投棄。


 格納されていた刃を再び展開して、背後のミシェルの無限者を庇う。


「う~~ん。この侵食度合は動けないわね~」


「ベル様がどうにかしてくれます。それまで回復と温存を」


「おっけー(*´ω`*)」


 片世を後ろにしてハルティーナが無限者の前で刃を振るいながら僅かなりとも疲弊している事を身抜いた陰陽自最大戦力に告げる。


「ミシェル。結界への魔力供給率は?!」


「相手の魔力を用いる封結陣、でしたか? アレの術式が功を奏しているようでまだ持ち堪えていますが、空間制御でも侵食を抑え切れていません!! 持って残り90秒です!!」


「十分だ!! 結界の術式限界に合わせて再度補強するぞ!! この侵食領域では機会がそう何度もあるわけがない。一発で決めるぞ!!」


「は、はい!!」


 フィクシーとミシェルが共に再び魔術を練る。

 周辺環境データを現地入力。


 ついでに無限者が生産するエネルギーを全て用いて結界を規定時間持たせる。


 その為の術式はちゃんと準備されている。

 侵食能力下でも確実に作動するよう対策は万全。


 それでも極短時間の事になるだろうが、此処で手札が無いという事態にはならず。


 六機が同時に結界周囲を時計回りに回避行動を行いながら未だ現実に露出しているだけで惑星が終わりそうな勢いの目標を遠巻きに時間を稼ぐ。


 そして、最後の痛滅者。

 四機目の元ヒューリア機は未だ姿を現さず。

 しかし、確かに少年は己の戦いに没頭していた。


『………』


 何も無い黒い空間で痛滅者は可動域こそ広いが基本的にそういうポーズを取る事はほぼ無いだろう。


 胡坐を掻いて、少年は目を閉じ、胸の前の虚空に両手で何か玉のようなものを持っているかのような形で固定していた。


 その内部にユラリと空白が凝る。


 やがて明確に白い球体のように集束したソレが彼の目の前にいつの間にかある白い壁。


 そう一面に白く無限に果ても見えない何かにゆっくりと片手で押し込まれた。


 瞳の端から零れる空白を空間に零し、涙とは違うのだろうソレがゆっくりと少年の目尻から顔を頭部を首から下を侵食し、まるで人体に沿って刻んだような方陣染みた何かとなって燃え上がるように線の上で空白を溢れ出せて揺らめく。


 装甲と外套。


 いつもの姿ながらも、少年が瞳を開ければ、もう彼の身体は衣服までもが、湧き上がる空白に揺らめいて白い血を水中で流しているかのようであった。


『概念域穿孔。概念域固定。概念域露出―――』


 少年が両手を目の前の白い地平に付いた。


「マヲ?」

「クヲ?」


 そんな少年の横に二匹の白猫と黒猫がいつの間にか立っている。


『今まで何処に?』


「マヲヲ~~♪」

「クヲヲ~~♪」


 秘密、と。

 二匹が言ったのは少年にも分かった。


 到底、少年の処理能力では賄えない巨大な力が今、目の前の地平に注がれ、死の中核が撃ち込まれたソレは内部から莫大な死の魔力を宿す代物となった。


『取り敢えず、手伝って下さい』


「マヲゥ~~!!」

「クヲックヲ!!」


 任せておけと二匹が一緒にその非力そうにしか見えない猫の手を地平に付いた。


 瞬間、世界が罅割れる。

 黒い世界がガラガラと崩れて消え失せていく。

 だが、現実へと帰還した少年は見る。


 地平の彼方から巨大な閃光が、青黒い魔力が無限のように押し迫って来るのを。


 少年は背後の空も視ず。


 未だ、落下している地平―――半径50kmの巨大な白い大怪球が下からの圧力に浮き上がりそうなのを理解しながらも総員に号令を掛ける。


「蓋をします!! 総員!! 結集!!! 押して下さい!!!」


 まったく、馬鹿げた光景だった。

 世界は馬鹿げた舞台そのものだった。

 突如として閃光を防ぐように現れたのは白い球体。

 世界を亡ぼす巨大隕石にも見えた。


 異相空間。


 この世界から少しズレた領域から空間を砕いて超高重力下の現実に迫出したソレは圧倒的な質量と数千万人規模の死から汲み上げられた魔力を帯びた要石。


 封印用の単純窮まる重しであった。


 自身で発生させていた超重力場と自身にも劣らぬ巨大な魔力塊と大陸規模の質量……それを感じ取った神の触手が嘶く。


【ビュヴォヲイ!!!?】


 少年は目標たる神。


 その一部―――恐らくは髪の毛の先くらいを……封じるつもりであった。


 無限者と痛滅者が超重力の消失。


 対侵食能力の低下と同時に短距離転移で即座に数百km上空。


 地球に激突中の白い隕石のようなソレの真後ろ。


 少年のいる一点へとマーカーを確認し、即座に空間を越えて跳ぶ。


「ベルさん!!」

「ベル!!」

「ベルディクトさん!!」

「やるぞ!! ベル!!」

「行くわよ~~(*´ω`*)」

「ザ・ブラックを解放します!!」

「ベル様!!」

「何処を撃つか指示しろ。ベル!!」

「結界強度50%を切りました!! 後、43秒!!」


 ヒューリ、悠音、明日輝、フィクシー、片世、シュルティ、ハルティーナ、クローディオ、ミシェル。


 9人の脳裏に即座に指示が下された。


 1手目。


 ヒューリの無限者による絶大な防御能力を用いての隕石落とし中の海域の完全な封じ込め。


 魔力を無制限に供給された防御方陣が自動で巨大化し、肥大化し、秒速数十km単位で海域とアイルランド北部を巻き込んで完全に隔離した。


 2手目。


 悠音の無限者が空間創生結界による敵侵食領域の封じ込めを決行。緑の夜を方陣内部にまで押し戻して周辺領域内を通常空間とも違う黄昏時で固定化した。


 3手目。


 明日輝による方陣防御、空間創生結界の精霊化による自動機能の付随。


 処理能力の限界を少しでも抑えて維持時間を持続させる。


 4手目。


 フィクシーによる各無限者、痛滅者の魔力リソース管理による適切な配分の遠隔操作。


 本職である大魔術師の面目躍如。


 大雑把な魔力の使い方をしている無限者や痛滅者の機能の最適化は彼女の脳裏による現地での演算処理を加える事で更なる破綻のリスクの低下を齎す。


 5手目。


 片世は何にも考えず地平を圧す圧す圧す―――背後の空を蹴って、圧す。


 膂力と魔力を用いて圧す。


 神との力比べという心躍るシチュエーションに満面の笑みで空間を歪ませる程の魔力をに作って下へと圧し続ける。


 6手目。


 シュルティのザ・ブラックによる巨大な運動エネルギーの出力が開始された。


 球体の半面の各地にロケット推進でも行っているかのように巨大な火柱が数万本単位で上がり、地表に向けて落下速を稼ぐ。


 核並みの出力が次々に使い潰されて彼らの周囲数十kmは巨大な炎の柱で囲まれた儀式場と化した。


 7手目。


 ハルティーナによる白い球体への拳による乱打。


 打撃によって魔力を得る彼女の魔力形質はそのまま球体を叩く事で球体への打撃に注ぐ魔力の上昇を意味する。


 高速で最速で最大火力で誰にも視認不能な程に姿をブレさせながらの痛滅者の臨界駆動。


 溢れ出す碧い魔力の迸りが、白き球体を罅割れさせることなく押し込み続ける。


 8手目。


 唯一、地表シェルター都市上空15km地点にいる男は黒武に乗ったまま。


 狙撃砲で今や先端を巨大な白い球体に押し付けて抉り砕こうと落下を阻止しようとする敵触手の先端に向けて数発の刻印弾を撃ち込んでいた。


 ソレは傷付ける為のものではない。


 7発の弾丸は数百km先へ空間を越えて跳び、其々先端部の一部に衝撃を与えて、態勢を僅かに崩させる為のものだ。


 それと同時に触手の先端が滑った。

 そう……摩擦を奪う塗料が弾けたのだ。


 ソレがツルリとタコ足の先端を滑らせて横に向かせた途端。


 上空から押し込まれた大質量が脚の横を押し込み。


 下から持ち上げようとする目標は自然と螺旋状に脚を球体に押し付けて何とか受け止めようとするが、ソレは明らかに砕く事を放棄した構えだ。


 その吸盤なら普通の球状物体ならば噛砕いて破壊出来たかもしれないが、普通ではない大質量が普通ではない魔力を用いて封印せんとしているのだ。


 破壊に最適な態勢を失った事は正しく致命的であった。


 巨大な大陸を擦り合わせたような破砕音と摩擦音は虚空に響く地震だ。


 爆発音でこそないが、爆音には違いなく。

 タコ足がゆっくりと沈み込んでいく。


 結界と領域に押し込められ、その最中を縫うように狙撃砲は次々に支点力点作用点を正確に見抜いて相手の態勢を一発ずつ的確な場所に当てて崩していった。


 各触手を支える部位を破壊されずとも、態勢を崩され続けては踏ん張る事が出来ない。


 元より1km無い太さだ。


 それが100km単位の魔術具に等しい球体を受け止めるとなれば、圧倒的な性能差が必要だが、その性能差は人類の叡智と魔術と科学の前に縮まっていた。


 速度や角度までも自在に変化させた弾丸は最適解の弾道を決して逸れない。


 相手に優位な領域の恩恵を受けた狙撃手の魔弾は正しく神にすら有効であった。


 9手目。


 ミシェルはただただ自らの最初期に敷いた結界を維持し、そこから得られた情報を各機に回している事で精一杯であった。


 結界魔術の自動化。


 悠音の空間創生結界とフィクシーによる魔力リソース管理のサポート。


 それを受けて尚、直接触れ合う結界からの情報は彼女の精神を砕く程の本流となって流れ込み。


 それを高速で処理するのは九十九とのネットワークが未だに生きていた事で初めて可能な事であった。


 侵食能力をダイレクトに受け止める結界から伝わってくる情報からジワジワと精神を削られ、汚染されつつあった彼女は自身の肉体がそのストレスにゆっくりと血を染み出させている事も厭わず……自らを機械の如く決して変わらぬ働きをする歯車として稼働し続ける。


 そして、10手目。


 沈み込んでいく神の触手の一部を前にして少年は自らが励起した死の魔力の源たる空白を大怪球内部で安定化させておくのみを全力で行っていた。


 球体が神の肉体に砕かれない理由。

 それは単純だ。


 死である空白を入れ込んだ大質量体はソレ自体が死を相手に強要する魔術具に等しい。


 それを砕こうとしている神の触手そのものが実は片っ端から表層が死んでいる。


 だが、同時に再生している為に未だ拮抗しているのだ。


 だが、神が死する程の死という属性を巨大質量に与え続ける、維持し続けるというのはもはや大魔術師にすら数十人がいなければ不可能な大儀式術。


 ソレを1人で九十九と猫ズの力を借りて維持しているだけでキャパシティーはオーバー寸前。


『各無限者、痛滅者、ディミスリル・クリスタル・ブースト!!!』


 少年の声と共に最後の一踏ん張りとばかりに全機が一斉に自らのディミスリルに蓄えられた魔力を解放した。


『ワシが先頭で侵食を受け止める!!』


 リスティアが前に出て各員の作業を護る為、身を挺して侵食が強力な前方からの効果の波及を何とか遅らせた。


 その時間稼ぎで姿が崩れたのは少年の痛滅者だ。


 魔力供給率の関係で最も先に発動した力の恩恵を受けた少年が装甲までも魔力へと変換しながら、周囲の無限者と痛滅者にもソレを供給。


 次々に装甲と機構が砕けながら出力が飛躍的に引き上げられたディミスリル構造体が処理中枢以外を力へと変えて全てを怪球と同じ白へと溶け込ませていく。


 叫びはもはや誰の耳にも届かなかった。

 自らのやるべき事を全力でやり切る。


 それだけが彼らに出来る事で―――巨大な光の柱が地球へと巨大な白き巨星を落下させ、激震が欧州に奔った。


 無限者は背後に無限に光を放出する白い球体を抱え、白き搭乗者を神の如く照らし。


 痛滅者は崩れて尚、そのエネルギーを装甲の形に留めて自らのアイデンティティーたる使用者の痛みを亡ぼすべく全力で己の使用者を護る。


 巨大な空震。


 いや、衝撃波と大津波が大西洋に接する全ての地域へと殺到していく。


 地表から巻き上げられた莫大な土砂と海水が火山雷の如く発生した魔力転化の雷と重なり、全てを吹き飛ばす竜巻となって周囲を削り尽す。


 大気層の一部が吹き飛ぶ事は辛うじて免れた。


 が、それにしても世界は暗黒の雲に沈み。


 イギリスは原型を留めていたものの……2度目となる大津波と土砂の雨に全ての都市部が埋もれていた。


 ―――【Re:Start】


 生きているモノは何もないかと思われた。


 シェルター都市もまた土砂と津波に呑み込まれていた。


 屋外で戦闘していた英軍と陰陽自と善導騎士団の部隊も呑み込まれたに違いなかった。


 イギリスは滅亡した。


 そう、その光景を見る者は思ったかもしれない。


 1人。


 白銀の剣のような空飛ぶ船に乗った女だけがその終末を前にしてダメだったかと瞳を僅かに俯けようとし―――。


 しかし、気付く。

 世界に蒸気が溢れていた。


「これ……は……?」


 何処から立ち昇っているのか。


 海から昇っているにしては塩辛さも感じられない真水の蒸気。


「ッ―――」


 暗雲に包まれていたアイルランド北部空域から雲が引いていく。


 水蒸気や竜巻すらもまるで箒で吹き払われるかのように失せていく。


 だが、それよりも確かなのは遠く遠く。


 神が放った閃光よりも確かに上空へと煌めく粒子が昇っていく事だ。


 それは薄緑色をしていた。


 ソレがBFCが用いていたゾンビ用の籠手から出されるビーム染みたものに似ているというのは未だアシェンには知る由も無い事だが、一つだけは彼女にも分かった。


「お前はまだそこにいるのだな。ルル……」


 全てが海水と泥に沼れたイギリスを見下ろして。

 小さな呟きが零された。

 吹き抜ける蒸気に紛れて粒子が禍の中心域。


 遥か見上げる白き球体の頭上から立ち昇り、周辺領域をアイルランドとイギリス全土を呑み込んでいった。


 *


 シュルティ・スパルナは知っている。

 父と祖父が死んだ日。

 姉が辛そうな顔で戻って来た日。


 その後ろには棺桶が二つ台車に乗せられて引き摺られていた。


 きっと、最後に会わせたかったのだ。

 と、思うのは実際に本当のところなのだろう。


 しかし、その後の事も彼女は眠れないままに起きていたから、知っていた。


 始めての夜更かし。


 姉が泣き腫らした自分の瞳を優しく拭って寝かし付けてから少し。


 やはり、眠れなくて。

 彼女は姉が恋しくて。

 自分達の家の地下に向かった。


 そこは祖父と父と姉が近頃使い出す事を許された工房。


 そこに彼女はいるに違いないと。

 今日だけは傍にいて欲しいと。

 頼もうとした。


 けれど、きっと施錠する事すら考え付かなかったのだろう灯りの漏れる扉の先。


 彼女は見てしまった。

 家3軒分程はあろう大きな地下の最奥。

 幾つも本棚が四隅に置かれた空間の中央。


 三つの棺桶を前にして姉は泣きながら、その自分達の家の秘儀の中枢たる箱を片手に掲げて、何度も何度も詠唱していた。


『どうして、ですの!! これで合っているはず!! 合っているはずなのですわ!! 始祖はッ、これで願いを果たしたとッ!! だから、私達が生まれているッ!! なのに!! どうして!!?』


 姉は絶叫し、何度も崩れそうになる身体を推して、三つの棺桶の前で永遠に続くように呪文らしいものを唱え続けていた。


『何故なの……六割。何が六割なの……完成度が低い? 術式の精度が甘い? そんなわけ―――では足りないと言うの?!』


 世界はあまりにも残酷だった。

 姉は残酷な何かに押し潰されていた。


 だから、彼女は手を伸ばそうとして……でも、伸ばせなかった。


 姉の必死の形相が魔術師としての限界に打ち拉がれている様子が怖くて。


 いつも、優しくて優しくて甘やかし過ぎだと思うくらい自分に優しい姉が初めて見せた怒りとも絶望とも付かない表情が怖くて。


 自分も泣き出してしまったら、きっと迷惑になると思って。


 姉にこれ以上哀しい顔も辛い顔もさせたくなくて。


 彼女は扉を閉めた。

 音がしないよう。

 寝台に1人で戻った。

 けれど、彼女は思うのだ。


 最後に姉が呟いていた言葉を忘れてしまったのはきっと間違いなんじゃなかったかと。


『……そう、そうよ……それなら……欠片で足りないと言うのなら……わたくしが―――』


 思い出してはいけない。


 全てを想い出の中に埋葬しなければならない。


 姉は確かに言った。


『―――神を召喚すればいいのですわ』


 ドンッと彼女は衝撃に目を開ける。

 世界に吹き荒れる粒子の渦の最中。

 怪球の上で倒れ伏す仲間達を前にボロボロな装甲も無く。

 殆ど半裸に等しい状況で打ち身擦り傷捻挫打撲に塗れたまま。

 彼女は自分の使用していた箱の周囲に燐光が固まるのを見た。


「おね……え……ちゃん?」

「―――少し見ない間に立派になりましたわね」


 姉は優しく。

 姉は微笑んで。


 姉は、彼女の立派で美しくて目標たる姉は、箱を片手で空中に保持したまま。


 粒子を吹き払うように現れた全裸の姿のまま。

 愛おしそうに妹を労った。


「おねぇちゃ……」


 倒れ込む少女はしかし最後まで言葉を紡げず。


「でも、大丈夫。これでみんな助かりますわ」

「ぁ……おね……」

「ようやく、神が降臨したんですもの」

「え?」


 ルル・スパルナは箱を保持したまま。


 いつの間にか彼女の衣服の中にあったはずの一本で原水爆一発分程のエネルギーになると言われた燃料棒を残り1つ。


 片手で空間を越えて箱の内部に叩き込む。


「この数年、長かった。あの狂人が神を呼ぶのはまだ先と思っていたけれど、どうやら事は早まったのですわね。前後の記憶も飛んでいますわ。けど、やはり……やはり、わたくしの思っていた通り……精神制御で記憶はどうにか封印していましたけれど、これでようやく本来のわたくしに戻る事が出来る」


「なに……え?……おね……えちゃん?」


 ルルが箱を直接手で握り締めた瞬間。

 彼女がいつもお気に入りと言っていた紅の私服。


 そう、初めてハルティーナがシュルティと会った時に来ていた衣服が燐光の中で編まれていく。


「そう、これこそ……やはり、動力源の純度と質量が足りなかったのですわ。でも、これで全部解決……これで世界を救える……ようやくお父様達を……」


 彼女は倒れ込む妹にそっと手を翳す。


 すると、シュルティの傷が見る見る治っていくと同時に彼女の口が意思に反して動かなくなった。


(え?)


「シュルティ……わたくしの妹……いえ、わたくしの愛し子……大丈夫ですわ。何も心配要りません。あなたはそこで見ていて? 【蒸気術師スチーム・トーラー】とは遥か原初の大陸より伝わりし、最後の希望を守り継ぐ者……全てが滅びて尚、滅びを亡ぼすモノ。来るべき日を迎える為に戦い続け、家を継ぎ続ける宿命を背負いし戦士……だから、これは正義なのよ」


 少女は見る。

 薄緑色の粒子が次々に世界へ降り注ぐ。

 イギリスにアイルランドに欧州の一部に降り注ぐ。


 その様子を遠隔地にありながら、彼女は姉の周囲に映し出された虚空の映像に見てしまう。


「―――都市がッ?!」


 そう、そうだ。


 都市が、今の今まで錆び付いていた都市が、ゆっくりと色合いを取り戻していった。


 それどころではない。

 何も無い路地。

 砕かれた都市の最中に人が現れる。


 人々が次々に粒子の凝集と共に現れて周囲を見回して混乱した様子となって驚きに目を見張って……駆け出していく。


「お姉ちゃん?」


「見て? シュルティ……わたくしの可愛い子……蘇りますわ。全て……蘇りますわ。文明が……蘇るの……お父様も御爺様もお母様も!!!」


 少女は姉の笑みが怖ろしかった。

 ああ、何故か。


 それはあの時、あの場所で、見てしまった笑みだから。


 最後に見てしまった顔だったから。


「ああ、でも、髪の毛の先の先ではイタリアとフランス、スペインまで限界のようですわね。まぁ、良いでしょう。これで人類は再び戦えるのですわ。これからは家族一緒に暮らしましょうね」


 言っている傍から彼女の背後に三つの棺桶が次々に粒子の凝集で現れる。


「どういう事なの? それは何? どうして神様の事……」


「聞いて。シュルティ……六割なのよ。ザ・ブラックは……どうやっても六割なの……それは本来使うべき必要な動力源が入っていないから。神の欠片じゃ不十分だったの」


「どういう……どう、いう……」


「だから、わたくしはずっと神を召喚する方法を考えていたのですわ。本体クラスの動力源ならば、きっとザ・ブラックは我々の始祖の時代に使われたという奇跡を体現出来るはずだから……」


「始祖?」


「インド神話群において最も重要な位置を占める神々。その最高神たるモノが持っていた力こそはわたくし達、スパルナ家の受け継ぎし、原初の大陸より齎された奇跡の箱」


「ザ・ブラック……」


「そう、そうよ。そして、その最たる能力は全能なのですわ」


「全能?」


「ええ、本当に全能なのよ。あらゆる事が可能なの。その動力源さえあったならば」


「………」


「だから、わたくしはあの日から探したのよ。神を召喚する方法を。そして……それをやろうとしている人物を見付けたの。BFCと繋がりがある人物達を辿ってようやく見付けたの。彼らは神を召喚する計画を立てていた」


「知ってたの? この神様が出て来る事」


「ええ、知っていたわ。大勢が死ぬことも分かっていたわ。私なら命掛けで戦えば、こうなる前に相手を倒せたかもしれないわ。でもね。それじゃ、全て救われないのよ」


「救われない?」


「神様の一部。欠片ではない。本体の一部。それがあれば……見て? ほら、あんな風に国が蘇るのよ? 無機物、有機物、生物、建造物、区別なんて無いの。全てこの箱は蘇らせる事が出来るのよ!!?」


 姉の狂気にも見える笑みに少女は気付いてしまう。

 それはきっと当人すら気付いていない事。


「そんな……そんなの……この神様のせいで沢山の人が……」


「大丈夫よ。全部、蘇るわ。蘇らせてみせるわ。まだ、この球体の下の神様から採取出来たのは極一部だけれど、国一つ蘇らせるのには十分なのよ。数百万人分の人々がほら見て? ちゃんと蘇っているでしょう? あのゾンビ共とは違うのよ。人類は再び戦えるの!! 私達、スパルナ家が人類を救って先頭に立って導くの!! もう家族の誰も欠けたりしないわ!!」


 妹を抱き締めた姉は心の底からの笑みで背後を見やる。


 棺桶がゆっくりと外れていく。

 そこから出て来た老人と中年男性。


 更に妙齢の女性が目を瞬かせてから……二人の娘達を見て、驚きながらも現在の状況を周囲を見て理解したらしく。


 涙を浮かべて抱き締めるやらしていた。


「遂に我がスパルナ家の悲願に到達したのだな。ルル……我が最高の末娘よ」


「はい。御爺様……スペイン、フランス、イタリアを蘇らせる事が出来ました。今、この状況に至るまでに傷付いたイギリスとアイルランドの民も後しばしの間に蘇るでしょう」


 老人が感慨深げに頷き。


「シュルティ。よく姉を支えた。お前も誇りなさい。これはお前とルルの成果だ。これより我が家は全ての者の先頭に立ち、共に戦わねばならない。姉と共に屍共を駆逐せねば」


 シュルティの頭を撫でた。


「シュルティ。よく頑張ったな。父さんは誇らしいぞ……ルルと共に我々がいない間の事、よく頑張った……決して平坦な道では無かっただろう。これからは家族で一緒にずっと暮らそう」


 父が彼女の肩に手を置き、その労を労った。


「ルル。ああ……ようやく辿り着いたのですね。貴方を産めた事は私にとって人生で最良の時でした。これからは皆で暮らしましょうね?」


「お母様!!」


 姉が初めて子供のように無垢な笑みで母に抱き着く様子を見て、彼女は思う。

 そう、思ってしまう。


 良かったと。

 そう、思ってしまった。


「それにしても貴方……その子はルルとの?」


「ああ、お前が死んでからルルとの間に儲けた子だ。名前はシュルティ」


「え?」


 何を言われたのか理解出来なかった。


 シュルティ・スパルナは目の前の、今自分を前にして微笑む優し気な紅い髪の女性の娘であるはずで父も祖父もそう言っていた。


 そう……言っていた。


「初めまして。シュルティ。その……どうかしたの? 顔色が……」


「お、お母さん?」


「ああ、お前。この子には伏せていてね。世間の事があるからとルルではなく。お前が母親という事になっていたんだよ。身体の成長も多少操作したから、年齢的に見えないだろうが……」


「あら、そうだったのね。じゃあ、御婆ちゃんになっちゃうのかしら? 私……ふふ、でも、何も心配要りませんからね。私にとっては貴女も我が子同然だもの。可愛いルルの娘なら、貴女もまた私の子には違いないのですから」


「どういう、事なの。お爺ちゃん。お父さん……」


「シュルティ。実は我が家は魔術師としての血統となってから色々とあって、遺伝的な欠陥を抱えているんだ」


 父の言葉に少女は茫然と見上げる。


「欠陥?」


「正常な子を産める確率が極めて低い。その上で他家からの魔術の強い人材を家に迎え入れ続けたせいか。自身と同等以上の血統的な資質が無ければ、子供が儲けられない」


「そ、そう、なの?」


「だから、我々スパルナ家は自身と同等以上の術師が適齢期までに見つからなかった場合は血族の親類か家族同士で子供を作るのだ。お前の母親は本当はルルなのだ。そして、ルルの母親でお前に母と言っていたアルテナは祖父の子としてルルを身籠った。私はアルテナと結婚したはいいが、私の方が力が強くて子供が出来ず。ルルとの間にお前を儲けたのだ」


「―――お姉ちゃんが私の……」


「そうですわ。シュルティ。ごめんなさいね。ずっと黙っていて……でも、余人には与り知れぬ魔術と秘奥を受け継ぐスパルナ家の系譜は世間からは異常と烙印を押されてしまう。ですから、これは貴女が成人した日に教えるつもりだったのですわ」


「そんな、私……私は……」


 姉に教えられた真実。

 世界を救わなかった姉。


 いや、救わなかったが、後から救えるから危機を見逃した姉。


 自分の母であるという姉。

 信じていた家の隠しごと。

 自分の出生。


「ぅ……」


 あまりの出来事に少女は口元を抑える。


「あらあら、大丈夫?」

「………ッ」


 背中を母と思っていた女性。

 アルテナ・スパルナから摩られながら、少女は思う。

 ああ、思ってしまう。

 嬉しい、と。

 だから、ポロポロと涙だって零れてしまう。

 人類を救う為だと故郷を見殺しにした。


 そうしなければ、全てを救えないからと見殺しにした。


 それは本当に自分が信じた姉の姿だろうか。

 それなのに押し寄せてくるのは幸せなことばかり。

 優しくて時に厳しいお父さん。


 厳めしい顔で魔術を教えながらも普段はにこやかなお爺ちゃん。


 いつも自分を導いてくれたお姉ちゃん。


 死んだと教えられた優しいと家族が教えてくれた通りのお母さん。


 彼女が……彼女が亡くした全てが其処にあった。


「さて、まずはこれからの事を―――」


 その時、彼らスパルナ家総員の背筋が凍った。


 ユラリと彼らの背後。

 蒸気に隠れていた。

 倒れ伏していた者が起き上がる。


「ルル。その方は……」


 言葉遣いこそ丁寧だが、ルーク・スパルナ……当代最強の呼び声も響いていた魔術師はその小さな少年……自らの全身から死の空白を立ち昇らせる少年を見て、祖父と伴侶を後ろに構えを取った。


「そちらは善導騎士団所属ベルディクト・バーン大使。我々の技術伝来の原初の大陸より来た方達ですわ。十五年ぶりの来訪者。あの頃からまた数年経っているのですわ」


 佇まいを僅かに正した男が英国紳士然とした背広姿で一礼する。


「大魔術師とお見受けする。ベルディクト・バーン殿。我らはスパルナ家。大英帝国より国家守護の任を与えられし者。貴方達の大陸から伝来した技術を引き継ぎし、旧き者でもある」


 だが、少年はその言葉に応えず。


 ゆっくりと顔を上げて、未だ膝を付いているシュルティに目を向けた。


「シュルティさん。話は……聞かせて貰いました。これからの事は色々と僕らで話し合わなければなりませんが、選んで下さい」


「―――ッ?!」


 顔を上げた少女は少年を見やる。


 今にも崩れ落ちそうな程にボロボロな身体だった。


 額からも全身からも血が流れている。


 だが、その瞳に凝る空白の内部に彼女は確かに意思を見た。


「僕は1人の人間としてまず善悪を抜きに命の価値を貶める事が良いとは思いません」


「ベルディクト、さん……」


 彼女はまるで喜びと空虚が同居する自分の胸に風が吹き抜けたような気がした。


「僕も死霊術師の端くれです。人間を蘇らせる事が悪いとは口が裂けても言えない。難しいけれど、出来ない事でも無いでしょう。貴女の受け継ぐ箱は確かに万能無限に至る素晴らしい魔術ではあります。でも……」


 少年は今も虚空に垂れ流され続ける蘇った人々を見やる。


「例え、万能無限の神だとて無かった事には出来ないんですよ。全部」


「―――ぁ」


 彼女は自分の中に吹き抜けた思いが一体何だったのかを理解する。


「人を蘇らせる。それも大量に。別に構いませんよ。でも、人々から命の価値を奪う事は明らかに頂けません」


 少年は告げる。

 死を観続ける者として。


「貴女の大切にしたい人々は安易に失われて良いものですか? 貴方の大切にしたかった人はそんなに簡単な方法で蘇らせられていいような人達なんですか?」


「私……私は……」


「その力は大陸でも禁忌に指定されるでしょう。それは人を蘇らせてはならないから、ではない」


「何の為、に?」


「人の命の尊さと儚さを決して貶めない為にこそ、その力は安易に使われるべきじゃありません。それこそ多くの人達に命が軽いものだと思わせちゃなりません。簡単に蘇る人間に価値を見出さなくなった時、人間は死から見放されるでしょう」


「死から、見放される?」


「嘗て……そう、嘗て大陸に死者の国がありました。人々を蘇らせる王が君臨した死者の国が本当にあったんです。人々は大切な人達に会いたくて王に嘆願しました。蘇らせてくれと。王はその願いに答えました。答え続けました。でも、決して蘇った人々は必ずしも幸せでは無かった」


「どうして、ですか?」


「簡単です。蘇らせてと願った人々こそが彼らの価値を曇らせた。死んだって生き返るならば、自分の命を懸けて護る必要はない」


 それは心理だろう。

 よく言うではないか。

 失って初めてありがたみが分かる。

 ならば、逆も真理だ。

 手にしたからこそ価値は失われる。


「そういう人間が少なからず半数近くいたんですよ。己の命さえも軽くなってしまった人々がいたんです。命の価値の暴落です……無論、そういう人だけじゃなかったそうですけど」


 少年はスパルナ家の人々を見やる。


 その瞳に気圧されたのはシュルティ以外全員であった。


「シュルティさん。僕にはその方達が完全な本物なのかは分かりません。例え、本物だとしても、完全か不完全か分からなくても、それでも僕には彼らが愚かな魔術師にしか見えない」


 思わず反論しようとしたルルを父と祖父が止めた。


「奇跡とはです。そして、今起こった事は本来自分以外の誰かを犠牲にして起こすようなものであってはならない。慎重に多くの人達の意見と気持ちを聞くべき事柄なんですよ」


「………あぁ、そっか。私……」

「シュルティ?! 耳を傾けてはいけませんわ!!?」


「僕が善導騎士団に参加し、騎士として立とうと思ったのは僕を救ってくれた彼らが、僕を守ってくれた彼らが、自らを代償にしてでも、護りたいものがある。そうしたい人がいる。そう教えてくれたからなんです」


 少女は顔を上げる。


 傷だらけの騎士は今や剣を握り締めていた。


 いや、剣ではない。

 ソレは腕だ。

 己の千切れ飛んだ腕だ。


 神との最後の押し合いで仲間達を護る為に両腕を差し出した少年はその片方を最後の最後に神との魔力の押し合いの中心で吹き飛ばされていたのだ。


 ソレが少年のもう片方の手の中で輝きを発し、変容し、そのディミスリルの輝きを内部から露わにしながら練成され、一本の鍵のような刃が幾何学的に掛けた刃となった。


「スパルナ家。貴方達の死者蘇生へ至るまでの努力は認めましょう。この人類斜陽の時代に全てを蘇らせる方法としてザ・ブラックが有用なのも理解出来ます。1人では戦えもしないから、全てを救いたいからと神の召喚を阻止しなかった事も褒められた事じゃありませんが、ルルさんの立場上は納得も出来ます。ですが」


 少年はスゥッと剣をその一族に向けた。


「貴方達には欠片も品が無い。美しくない。卑しんですよ。典型的な自己陶酔型の自家中毒に陥った魔術大家そのものです。方法は選べなかったんじゃなくて、選ばなかった。犠牲は許容するしかなかったのではなくて、必要悪と思っていた。違いますか?」


「「「「………」」」」


「何より許せないのは自分の家族を前にして、涙を零す人に笑えと強要した事です!!!」


 ベルの怒りを前にして、その鋭い目付きを前にして、ようやくシュルティ・スパルナは自分が何に戸惑い、何に哀しみ、何に絶望したのかを知った。


 そして、本当に他者に優しいとはどういう事なのかを目の前の少年の怒りに見る。


「魔術の教養はあっても道徳の文字は知らないと見える。僕は魔術師の端くれとして、そんな同胞に絶望しますが、魔導師としてそんな人々に教えるのが使命でもあります」


「何を……」


 完全に戦闘態勢となったルーク・スパルナ、アルテナ・スパルナ。


 そして、祖父アディン・スパルナが目の前のを前にして何も知らぬまま。


 本当にただ一つも知らぬまま。

 最悪の手段として戦闘を選ぶ。

 目の前の小僧というには奇妙な死霊術師。

 胸に何かを嵌め込み。

 光を零すモノ。


 彼らは次々とシュルティのザ・ブラックから自身が嘗て使っていたザ・ブラックを生成して手にした。


 魔術師にとって侮辱されて最も苦しいのは自身の家や魔術そのものだ。


 それこそ自身の事など考慮の内には元より無い。


 それが生粋の魔術師とやらなのだ。


 目の前の相手はもはや度を越して彼らの逆鱗に触れていた。


「人の涙を簡単に踏み躙るヤツは踏み躙られる痛みの分からないヤツだって事です!!」


 それは嘗て大陸の魔導師に対して魔術師が言っていた言葉に違いなかった。


 大陸中央諸国の人間に地方諸国の人間が言っていた言葉に違いなかった。


 しかし、今この星の真上では真逆なのかもしれず。


 三人の魔術師は本当の意味でその日、その時、その場所であの死んだ日よりも更に深い失意の中で自分が相手にしたのが何かを理解するだろう。


 決着は一分も待たずに付いた。


 その合間の事をシュルティが誰かに言う事は無い。


 誰に伝える事も無い。

 でも、一つだけは確かだ。


 魔術師がもしも魔導師とやらに勝てるとしたら、それはきっと万能になるよりも難しい事だけは……。


「時代遅れの魔術師を新鋭の魔導師が打ち破るのはあの大陸ではよくある事」


 全てを解析し、全てを分析し、全てを理解し、全てに準備する。


 たったそれだけのを無限と積み上げて戦場に立つ。


 極めて徒労系に等しいだろう。


 心配性で我慢強い退屈を知らない人間だけがソレを持つ。


 魔術師の戦い方を千年進めても彼らが勝つ事は無いだろう。


 本当に準備をしてきた魔導師とやらを前にしては……。


「僕は【高位宗弟ハイライン】にも程遠いですが、多くの先達の末弟としてお相手しましょう」


 その日、シュルティ・スパルナの両親と祖父は魔術師としての技能も記憶も叡智も全て奪われて単なる一般人にクラスチェンジさせられる事になる。


魔導騎士ナイト・オブ・クラフト


 ベルディクト・バーンの怒りを前にして如何な全能の魔術具を従えた術者ですら、単なる魔術師では赤子にも劣るのだと彼女は知ったのである。


 残念な事に人類を救う叡智とやらであるザ・ブラックを解析し、一番興味を持ち、真面目に解析して、もしもの時の為に対策を立て、ちゃんと安全装置までも組み込んでおいた彼を前にしてと考えた相手が愚かなのは誰も知らないが間違いない事だったのである。


「敢て、人の気持ちの分からない魔術師あなたたちにこう告げましょう」


 北アイルランド神域戦。


 後にそう呼ばれる生存闘争は最後の最後。

 人間を倒して一端の終了を見る事となる。


「掛かって来い。相手になってやる」


 数分後、空気もロクに無い白き大地の天辺が半径3km程クレーターと化したが、それは余人には些細な変化に違いなかった。

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