第139話「出航」


 アイルランド・イギリス壊滅する、の報道はほぼ同時に全世界で駆け巡った。


 辛うじて政府は現存するも、その被害規模が大き過ぎてアイルランド北部は絶望視され、アイルランド南部は生き残りは僅かかと推測されていた。


 それから現在復興中の日本において1分で善導騎士団と陰陽自の緊急災害時派遣が決まったのは正しく彼らが独立権限を有していたからこそだろう。


 日本政府に通告した善導騎士団は即時、イギリスに向けての大規模支援を開始する為、陰陽自富士樹海基地の設備を稼働。


 転移用の誘導ビーコンの類が無い為、イギリスまで転移は届かないが、支援物資を送る方法はあると陰陽自研のトニー・スタリオン博士が招集された。


 幸いにして陰陽自に戻って来ていたシエラ・ファウスト号は大量の物資を満載してに飛び立とうとしていた寸前。


 少年はこの数日で日本各地で5割程新規建造物の基礎工事を終わらせていた。

 復興は順調であった為、陰陽自研に詰めて魔導機械術式関連の最終調整に入っており、運よく詰めていた。


 情報を集め、各所からの報告を待たずに彼が動き出した時、日本の復興はどうなるんだという意見が出ないわけでもなかったが、それよりも少年の後押しをする者が大量。


 そして、トニー・スタリオンが提唱したマスドライバー計画の一端を陰陽自はようやく見る事になった。


 富士樹海基地にアラートが鳴り響き。


 演習場の一角がまるで冗談のように割れたかと思えば、地下から滑走路らしき鋼の鉄橋が空に向けてせり上がっていく。


 地下基地機能の改造はコツコツ少年がやっており、基礎工事も施設機材も2割程は搬入済みで設置済みであった。


『ルカさんと片世さんは居残り組みです。カズマさんだけ来て下さい』


「了解!!」


 通信が入ったのは今すぐに動けて汎用性の高い能力を持つ者達だ。


 日本中の残存しているゾンビの駆逐に殆どの部隊は出払っていたが、後詰は存在しており、一定数の痛滅者、黒翔、黒武は数が揃っていた。


『悠音さんと明日輝さん。ヒューリさん。リスティアさん、ハルティーナさんはイギリスへの帯同をお願いします』


 呼ばれたカズマ以外の全員が痛滅者を使えるか。

 痛滅者に近い装備を使える人物ばかりだった。


『ラグさんとミシェルさんは居残り組みです』


 次々に東京本部から転移で陰陽自までやってきた彼らは総員が招集されるまで4分と掛からなかった。


 シエラ・ファウスト号が格納された半地下のドック内部で少年はすぐに全員を搭乗させ、トニーに管制指示を出して内部でのブリーフィングを始める。


 いつもの全員が使うソファーの置かれた一室。


 壁には静止衛星軌道上に未だ残っている米軍の衛星からの映像が届き。


 更に阿鼻叫喚の地球環境すら激変している状態が映し出されていた。


 地球の丸みが分かるような映像なのだ。

 なのに、その中で北アイルランドが削れている事が分かる。


 巨大な津波でイギリス西部が浸水し、余波で中部が削れているのが見えてしまう。


「これより僕達はイギリスの救援に向かいます。このシエラ・ファウスト号には弾道飛行してもらって、ぶっつけ本番で大気圏突入もします」


 何かいきなり大気圏突入とか言い出した少年に誰もが驚くのに疲れたのか。


 あるいはもう慣れたのか。

 ただ、静かにその言葉を聞く。


「それから、ええと……僕のポケットの拡張範囲は現在も拡大中なんですが、日本からASEAN付近までで、まだイギリス付近までは繋がってません。これを弾道飛行中に世界各地にビーコンをばら撒く方式で無理やりイギリスまで海底下のディミスリル・ネットワークを繋げます」


 何かサラッととんでもない事を言われたような気がした全員であったが、そんなのは今更ではあった為、流す事にした。


 八木や自衛官達は未だ海自から出向している扱いであったが、例外的な地位とやらにいる為、憲法停止下では殆ど自由に動けてしまう。


 なので少年は遠慮なく彼らも巻き込む。


「それで計算したところ。ディミスリルに魔力を込めてビーコン可して繋げる方式を取る場合、支援物資も満載しなければならない関係上、質量が足りません」


「どうするんですか?」


 ヒューリの問いに少年がブリーフィングルームに地図を計画を表示する。


「シエラ・ファウスト号本体の質量を使います。CIC及び九十九以外はすぐに代えが効くのでイギリス付近まで一部を投下しながら飛行を続け、到着と同時に分解。支援物資は直接動魔術で僕が着地させます」


「シエラを使っちゃうの? ベル」


 悠音の言葉に少年が頷いた。

 どんな道具も大量の人命には代えられないと。


「皆さんは乗り込む他部隊と合同で到着した瞬間に行動を開始し、アイルランドを中心にイギリス中部まで展開してMHペンダントを配って回るのが仕事です」


 少年が飛行ルートを壁の映像に映し出し、物資の輸送ルートを表示する。


「今回の非常事態で更に人類に時間が無くなりました。ハッキリ言って大ピンチで

 す。黙示録の四騎士が襲来したのか。あるいはその手下辺りが何か海獣や巨獣の類を生成したのかは分かりません」


 地図の上に敵の攻撃予想範囲が示され、誰もが数百km範囲の一撃に黙示録の四騎士が襲来した時の事を思い出す。


「が、現地では最大限の警戒を……痛滅者及び全黒武黒翔は最初から全ての能力を使えるようにコードを解凍しておきました」


 それだけで隊員達にも今の状況が人類消滅の瀬戸際と理解出来ただろう。


「ちなみに痛滅者に限っては先日から半数がオーバーホール中で半数が廃棄後に再生産中です。残っているのは無事だったリスティア機ともしもの時の為に優先して直したヒューリさん悠音さん明日輝さんの四機だけです」


 映像中にシエラ・ファウスト号に乗り入れられた普通よりも大型の黒武が映し出される。


「全員に【汎用魔導機械纏鎧ゼネラル・マシンナリー・コート】の着用を義務付けます。しばらくはイギリスでの活動になるでしょう。今回の一件に関しては前倒しが決まっていたセブン・オーダーズの括りで出動します」


 壁には七つの盾。


 いや、翼でもある【総合混成魔導兵装キメラティック・アームド】が虹色に輝いて丘に突き立つロゴが映し出された。


「僕らは人類が直面する七つの問題を解決する為の集団です」


 次々に問題が文面で流れていく。


 食糧問題。

 人口問題。

 防衛問題。

 社会問題。

 復興問題。

 資源問題。

 魔力問題。


「やる事は何も変わりません。ゾンビを退け、人々の命を救い、共に食事をして、前に進みましょう。トニーさん」


『こちらトニー・スタリオン!! 騎士ベルディクト!! 弾道計算は終了致しました!! いつでも行けます!!」


「では、スタートして下さい。このまま出ます」


『了解です!! では、御武運を!!』


 男の声が途切れると同時に全員が動き出す。

 痛滅者へ乗りにゆく者。

 CICへと駆けて行く者。


 乗り込み終わった後詰部隊の面々も物資用のコンテナを横に黒翔を収容した黒武へと乗り込んでいく。


 その姿は全員が新式の【汎用魔導機械纏鎧ゼネラル・マシンナリー・コート】姿であった。


 実働データが取れた後。


 陰陽自で急いで常人も扱えるように調整された先行量産品に次ぐ量産型の第一次ロットは既にロールアウトしていた。


 小型化されたMHペンダントを大量に積んだコンテナには他にも現地軍に供給する為の旧来のスーツと装甲のセットも大量に載せられている。


 カウントダウンが呆気なく告げられる最中。


 ドック内のレールに載せられたシエラ・ファウスト号が魔導と油圧のハイブリットな大質量移動用のターン・テーブルに載せられて回転。


 ドックが割れて地下へと沈んでいくのとは逆に上へと押し上げられ、レールが接続された。


 そして、時は来る。

 その巨大な船体が加速し始め、数秒で音速に到達。


 更に超音速域に入った瞬間、富士を背景に30°以上の傾斜で駆け昇っていく。


 その巨大な弾丸の軌道は北米方面へと向かった。


 ユーラシア方面から向かえば、黙示録の四騎士に撃墜される可能性がある。


 この事実に基いて空白地帯の北米を通るルートにしたのだ。

 加速は続く。


 莫大な魔力の塊であるシエラ・ファウスト号自体も今は運動エネルギーを出力しているのだ。


 空力など知った事ではない。


 物理法則が加速を人類に許さない法則ばかりとしても、魔導と科学の極限を追求する彼らの船はあらゆる障害を突破して加速し続ける。


 そうして、数分も延々と加速し続けた彼らがとある一点を超えた時、いつもよりも微妙に浮かび上がるような感覚になり、僅かな完全無重力体験をしたのも束の間、今度はまた急激なGが掛かり、シートなどに押し付けられる。


 その合間にも太平洋、西海岸、北米中部、東海岸、大西洋と横断しつつあったシエラ・ファウスト号の質量は外装が80%以上消失。


 内殻のバラストタンクまでも剥き出しになり、それも全てビーコン可して北米各地にバラバラに砕けながら降り注ぎ、大西洋のルート上にあるディミスリルをネットワーク化していく。


 それはさながら巨大な隕石が砕けながら流星を降らせているような光景であった。

 北米の二都市では空に彼らを見上げて、気付く者は気付いただろう。


 遥か東に今は向かって行った騎士達が今度は西へと向かっているのだろうと。


 そうして内殻に備えられたほぼ全ての機材が消えたソレは更に崩壊速度を増させながら骨格を剥き出しにして剥がれていく。


 だが、その内部に内臓されたコンテナも機材も熱や衝撃を受けてはいない。


 巨大な魔力を用いた防御方陣が全体を包み込んでいるからだ。


 こうしてCIC内部で方陣防御を編み続けた少年の成果として鯨と呼ばれた船は骨格だけになりながらもドーバー海峡にもほど近いスペイン北部の海域を通り抜けようとし、カンッと軽い音を立てて爆散した。


『……あの男の弔いよ。まぁ、直に滅んでおきなさいな。人類』


 紅蓮の騎士。


 嘗て、北米においてフィクシーを見逃した時のような余裕の声とは違う。


 冷徹に思える響きを伴う彼女がフランスの上空で片手を下げた。


 極東から発射された何かを撃墜した彼女はそれ以上は何も来ない様子なのを見てから中東方面へと飛び去っていく。


 そうして、その後の出来事は見逃された。


 空で未だに爆発して燃え上がりながら、残骸は予定地点とは少しズレた位置。


 アイルランド南部の海岸線に軌道を変更しながら巧に落ちていく。


 シエラ・ファウスト号だったものが大地に激突した時、完全に形を失った。


 焔が消え去った後。

 周囲に散らばるのは骨格だ。


 しかし、内部に入っていた黒武やコンテナの残骸は見えなかった。


 山林に落ちた爆心地で痛滅者が四機。

 むくりと起き上がる。


 その後方にはCICのコアブロックがあり、黒武が最後の最後に減速して衝撃を緩和しながらも煤けた様子で浮遊していた。


「あ、危なかったのじゃ……ふぅ。あっちの陸地からの一撃……大魔術師クラスの何かじゃな」


 痛滅者内部で汗を拭ったのはリスティアであった。


 一応、起動状態で外殻が無い時の攻撃に備えていた彼女が咄嗟に敵の攻撃に対して猛烈な爆発と煙を発生させて目晦ましとし、その内部で方陣防御と盾の混成防御陣を敷いたおかげで事無きを得たのである。


 まぁ、それでも船体内部の全てを隠す程の爆発であった為、CICにはダメージが入っており、内部の人員こそ無事であったが、至るところから煙が吹いていた。


「大丈夫ですか!! ベルさん」

「大丈夫!? ベル!!」

「大丈夫なんですか!? ベルディクトさん!!」


『ええと、皆さん。一応、海自の人達も心配してあげて下さい』


 その声に少女達の間で安堵し、胸を撫で下ろした様子となる。


 ちなみに当人達は肩を竦めて苦笑するだけであった。


 誰も年頃の少女達に想い人の安否以上に重要な事なんてないと理解していたのだ。


『はは、構わないよ。まぁ、少し肝が冷えたが、君達のおかげで無事だ。ちょっと身体を打ったくらいだろう。全員、身体に異常は!!』


『異常無しとご報告させて頂きます。一佐』


 八木が部下達からの声に頷く。


『よろしい。ただちに被害を目視で確認!! 報告せよ!!』


 それからすぐに九十九は無事だが、他のCICの機器の半数が故障するかダメージを受けて使用不能になっている旨が報告される。


『仕方ない。CICは此処に破棄する。九十九だけは持っていくぞ!!』


 その声と同時に全員が主導で艦長席を固定化しているハッチを手動の引いて横に回す方式のグリップで解放し、ガランと横に席が倒される。


 その下には1m四方の幾何学模様が奔ったブロック状の鈍色の物体が置かれていた。


 少年が動魔術でそれを持ち上げ、繋がれていたコードを総員で取り外す事1分弱。

 完全に剥き出しになったソレを虚空に伴って少年が指を弾く。


 するとCICの全面がガラガラと崩れた。


 すぐ傍には通常よりも巨大な黒武が後方のCPブロックの扉を開放しており、内部には入れられそうなのでそのまま収納して閉じられる。


「では、これより避難者の捜索を始めます。リスティさんとヒューリさんは黒武の半分を連れてイギリス中部へ。アイルランドはこちらで受け持ちます。特にリスティさんにはヒューリさんの体調を見て頂きたいのでよろしくお願いしますね」


「うむ。同じ血筋じゃ。ワシが一番よく対処出来よう。何かあっても任せおけ!!」


「悠音さんと明日輝さんは南部をお願いします。黒武の残りの5分の4を置いていくので皆さんに情報を伝達しつつ、被害地域の観測を」


「分かったわ!!」

「はい。任せて下さい」


 姉妹達が頷いた。


「八木さん達もお二人と一緒にここで総指揮をお願いします」


「了解した。だが、北部にはその人数で大丈夫か?」


「着陸前の予備観測だけですが……北部は物理的に殆ど沈んでます。北部方面が未だ嵐に近いのは此処からでも分かりますよね?」


「ああ、確かに……あの暗雲の先は荒れているだろうな。この周囲まで山林が滅茶苦茶になっているのを見れば、あちらの被害は分かる……」


 今もパラパラと少年達のいる山林地帯には土と塩水が降っている。


 更に周囲には吹き飛んできたと思われる土砂で木々を圧し折られた地域や大量の建材の破片らしきものが散乱していた。


「大気層の不安定化のせいであちらは環境が激変してる可能性もあります。大部隊での移動はまた四騎士やそれに類する相手の攻撃の的にもなりかねません」


「分かった。気を付けてな」


「はい。では、総員行動開始。各地域の観測は痛滅者側から行います。それを元に緊急災害対応マニュアル通りにして下さい。第一目標は生存者の命です」


 少年の言葉と共に痛滅者が先行する形でリスティアとヒューリに追随するコンテナを上に積んだ黒武がホバーで西方へ高速で抜けていく。


 八木達を残して黒武4機を連れ立ち。

 少年が北部へと向かう。

 空から見る世界はグチャグチャの斑色であった。


 それもこれも北部周辺から大地と海水と山岳が混ぜられているからだ。


 まるで神話の巨人が泥んこ遊びをした庭。


 次々に見えて来る街並みは完全に爆風で破壊されて散乱し、山は土砂に崩され、降って来た無数の何かで人工物の殆どは圧し潰されていた。


 だが、北部に向かった面々が見たのはそれ以上のものだった。


 巨大な暗雲。


 それこそハリケーン染みた爆弾低気圧のような雲の塔が北部上空を覆っていたのだ。


 更に彼らが進んだ先。


 土砂と海水が半々くらいに交じり合うくらいの地域まで来ると風速40m近い風が吹き始めた。


 それには微量に魔力が乗っており、あらゆる物質が魔力で加速した凶器染みた威力となってしまっている。


「魔力はありますが、方陣防御は最小限にして地表を移動しましょう。索敵のレンジは最大にしておいてください」


 八木にベースとなる大きな方の黒武は任せてしまったので、今の少年は緊急時の為に陰陽自に駐在していた一般隷下部隊の黒武内でCPのオペレーターとなっていた。

 テキパキと働く者達が数か月前には一般人であった等と誰が信じるだろう。


 だが、もはや彼らは命の危機と実戦を経験した立派な兵だ。


 土砂と海水の斑な沼と化した地域を進む車両集団。


 しかし、その先には殆ど生命反応が無かった。


 北部付近に入る途中。


 全てのドローンを吐き出して、まだ生命反応がある地域での一般人の捜索とMHペンダントの配布を共に行ってはいたのだが、それにしてもある一定の地域からは完全に死の世界と化した大地しか広がっていなかった。


 鳥も魚も全てが生きられない世界。

 死んでいないのは微生物くらいなものだろう。


 暴風圏は激しさを増し、進む毎に風速は上がっていく。


 もはや彼らの黒武でなければ、一般車両なんて吹き飛んで巻き上げられているに違いない。


 それでも大揺れではあっても彼らの車両は進み続ける。

 時速150km以上の高速で向かった先。

 彼らは見えて来る爆心地の光景に息を呑んだ。


「な、何だ。一体コレは!?」


 思わず部隊の一人が恐慌を来しそうな精神を抑えて呟く。

 巨大な雲の中心部。

 光が頭上から降り注ぐ暗雲の壁の先。


 青黒く内部に薄緑色の輝きを星の如く蠢かせて色合いを変える1km単位の何かが大量に海……いや、元は陸地だったのだろう泥の巨大な海峡の最中に鎮座していた。


 それを直接見た少年はソレが生物の一部なのだと確信する。


 そう、正しく擬態したりするような海の生物の欠片なのだと。


「せ、生体反応有り!! 熱量、紫外線、ほ、放射線反応もあります!! 光波、じゅ、重力反応まで!? 騎士ベルディクト!! アレは通常の生物の破片じゃなさそうですよ!?」


「そんなの見りゃ解るよ!! クソッ!? あんな化け物が今度は相手なのか……」


 さすがの歴戦の戦士というにはまだ経験の足りない彼らにも、その巨大に過ぎる肉塊が超絶な危険物である事は理解出来ただろう。


「魔力反応もあるようですね。各隊は周辺環境の観測に気を配って下さい。それから地形データの解析を!!」


 後方の【九十九】は既にCP機能への再接続が完了している。


 そこにデータを次々に送った四両にはすぐに解析結果が送られてきた。


「九十九からのデータによれば、これは引き摺られた後だとの事です!!」


「引きずられた……やっぱり、巨大な生物の一部なんですね。あの肉の塊は……」


「そ、それから内臓されているデータとの検証結果として、この周囲がある種の結界として機能し始めている様子があると警告が……」


「その中心は?」


「はい。あの肉塊だと思われます。そもそも、この積乱雲自体があの肉体の天候制御の影響で発生しているのではないかと」


「なる程……周辺にビーコンをあるだけ投下して自己埋設モードで休眠。一部だけ観測に回して後退します。まだ、この状況じゃアレの排除は出来ません。各地の救助の進捗は?」


「は、はい。イギリス中部に先行して痛滅者両機が入った模様です。南部と共に観測状況を表示します」


 少年の見ている映像が切り替わると四つに割れた。


 地表は何処も彼処も酷い有様だった。街が爆圧で砕かれ、降って来た大量の海水や土砂で埋まったり、水没したりしているところも多い。


 だが、北部と違って生体反応が多い場所も未だ存在している様子で生体反応が微弱な場所から重点的に黒武からばら撒かれたドローンが持って来たMHペンダントを人々に配り始めていた。


 空には善導騎士団と陰陽自衛隊の救援部隊が来たという類の広報が響いており、上に手を振っている者も多数。


 使い方がドローンからの音声ガイドでレクチャーされた人々が重軽傷者に次々ソレを掛けては安全な場所へと運んでいく。


「南部に帰投します。幸いにしてディミスリル・ネットワークが後数時間で繋がると思うのでそれまでに南部を拠点にして非常用の物資生産に掛かります」


「了解しました。全機南部拠点へと帰還!!」


 少年の号令で全黒武が今まで来た道を取って返す。


 各地に未だ生き残っている北部に近しい地域の生存者を載せられるだけ載せる為、四方へと散らばりながらの鈍行であった。


 その合間にも少年が八木に繋ぐ。


「八木さん。物資の生産キットの展開は?」


『もう既に此岸樹の準備は終えている。医薬品用植物遺伝資源と芋の二択で良いか?』


「はい。薬品の精錬過程はもう僕にも可能になったので、そちらはこっちで受け持ちます」


「分かった」


「原材料の収穫用ドローンの展開で生産効率は劇的に上がるはずです。肥料用の農業資材は僕が一律に生産可能なので帰ったら本格的に稼働させます」


「了解した。では、用地を改めて確保しておく。後、イギリス政府に連絡が付いた。ロンドンからの救援は中部に向けるよう言っておいたが、良かったかな?」


「ええ、痛滅者と黒武がネットワークの一部ですから、この距離なら物資の転送も可能です。それよりも送った通り、アイルランド北部の壊滅に伴って厄介な事になったようです」


「ああ、確認している」


「帰還予定時刻は3時間後ですが、いつ敵の攻撃があるかも分かりません。生産拠点にシェルターを整備し終えた後は周囲の警備もお願いします。アレに何か動きがあれば、いつでも全力戦闘出来るよう態勢を整えておいて下さい」


 八木が頷き。

 次々に入って来る報告に指示を共に出していく。


 その合間にもアイルランド北部に近い近辺の生存者が四機の黒武で拾い集めるようにして南部の黒武のドローンによって導かれ、移動中の集団へと下ろされた。


 そうしている合間にも【九十九】と現地の観測情報から少年は肉塊の主に付いて幾らか推測し、同時におかしなことにも気付く。


 そう、本来ならば、イギリスが真っ二つになっていてもおかしくない。


 地殻が破壊されていてもおかしくない。

 それ程の大質量が降り注いだはずなのだ。


 なのに、実際には未だイギリスは大きな被害こそ被ったが消し飛んだりはしておらず、被害中心地であるアイルランド北部以外も微振動こそ観測しているが、これ以上の天変地異の兆しは見えていなかった。


 スコットランドも同様に被害こそ受けているが、壊滅的な被害と言ってもアイルラン北部と違って人命救助が可能であった。


(何かがあの巨大な肉片の主の力を減殺した? この国の魔術師の人が?)


 大西洋に面する海域で今、大異変が起きている事は各種の観測情報から分かってはいたが、具体的には何が起こっているのか未だ詳細は判明しておらず。


 海洋に出撃させた船型、潜水艦型のドローン群は海流の激化、海底地形の大規模変動による巨大な亀裂が大西洋のとある海域から海溝のように広がっている事を示していた。


 海の中も大量の死骸で一杯の有様。


 凡そ微生物や微小なプランクトン類の大きさでなければ、生き残れない環境であった。


 北部から小規模な救助を繰り返しつつ、各地を繋ぐ道路に人々を集めながら、彼らに南部で生産を開始した水、食料の供給を樹木から精錬した樹脂によるパッケージングで開始しながら、少年は夕暮れ時がやって来るまでに数百人単位の人々を部隊で回収し、あちこちを回り続ける事になったのだった。


 *


 イギリスの中心地であるロンドンは大戦前ならばスモッグの出る霧の都。


 現代でならば、世界金融の中心地の一つであった。

 EU加盟から脱退までの期間でもそれは変わらず。


 ただ、大量の国外からの難民移民の流入でそりゃそうなるだろうというだけの大量の移民問題が多発したが、大抵は人権問題だからと見逃された。


 それと同時に享受した単一巨大市場へのアクセスはそれなりの額を稼ぎ出したが、そもそも物造りが衰退、製造業が殆ど稼ぎ頭にならなかった時点で金融で食っていくという以外にはあまり恩恵は得られなかった。


 人と物とサーヴィスの移動による稼ぎは莫大であったが、逆に移動出来ない人や物やサーヴィスが安い海外の労働力によって衰退する事になったのだ。


 収支は釣り合っていた。


 金融で荒稼ぎし、国外から来た労働力への賃金が国外へと流出する。


 それだけの話である。


 国家は食べられても、その国家が国民に掛けねばならないリソースが激増した事はこの収支を更に不満の方へと傾けた。


 移民政策などは最たるものであり、国民の不満を本来緩和するか、あるいはある程度の要望として受け皿の機能を果たさねばならないところにEUの様々な人権や多種多様な条項の壁が立ちはだかり、人間を平等にする以上必然であるへ平等にリソースが掛かり過ぎた。


 結果として不満が爆発した人々は選挙でEUからの離脱を本当に出来るか分からないような状況で行ったわけだが、最終的にソレが生き残りで明暗を分けたのは皮肉な話だろう。


 ゾンビによる欧州失陥時。


 イギリスはEU各国からの難民の受け入れを自国の生存に特化し、極めて厳しい措置を取った。



 EU圏内の人々も移民難民と呼ばれる人々も数年で入れた者は精々が数千万人程度。


 それ以外は見殺しかと避難される程であった。


 だが、実際にそれでもかなり無茶をして受け入れた事は想像に難くない。


 伝統的な同盟国であるアメリカからの大量の避難民も受け入れたのだ。


 イギリスの国土に数年に及ぶとはいえ、一気に数千万規模の人々を受け入れて、食料を自活して養わねばならなかったのだから、事態は大変を通り越していた。


 無論のように集団農場が第二次大戦後のソ連かという具合にあらゆる農耕地帯各地に出現し、そこに押し込められた人々の不満は極めて大きかった。


 が、政府は飢えて死にたくなければ、真面目に農業をするしかない事を説得。


 また、アイルランド北部と統合する事になっていたアイルランドにもEU圏内の友好国以外からの移民難民を押し付ける形で地域内の治安維持政策を推進した。


 無論のように人権無視だと騒がれはしたのだが、時はゾンビ大流行時代。


 政府の権限が強化された後ではその声も黙殺される事になる。


 事実、そうしなければ、持たない状況だった事は欧州が潰れていく様を見れば明白極まりなく。


 アイルランド政府としてもイギリスの協力が無ければ、生存は不可能という事実を以て、その案に渋々ながらも乗ったのである。


 見返りが北アイルランドの統一であれば、納得の度合いは国民の間でも半々くらいであっただろう。


 結論として人々は人種のサラダボウルならぬ人種の闇鍋状態で一つの船に乗った。


 ロンドン各地にはが敷かれ、治安維持法などに近い強力な権限の執行機関として警察と軍隊は日常的に治安維持活動に当たっている。


 宗教関連も自由は無く。


 基本的に伝統的なキリスト教派以外の宗教は布教禁止。


 特にテロリスト御用達と揶揄されたイスラム系の宗教は世俗系は容認されたが、原理主義系の教義を持つ国家や個人は受け入れを拒否された為、消滅している。


 既に国内に滞在しているそういった原理主義系教義を信仰する人々にも家族などへの信仰の強制は禁止されており、他の宗教への改宗を容認しない世俗化されない宗教の大半はキリスト教系だろうが新興宗教であろうが全て当局に潰されて思想宗教弾圧よろしく投獄されて消え去った。


 それの良し悪しはともかく。


 そんな今の管理社会制度が浸透しつつあるイギリスでまともに缶詰以外を食べて文化的な生活がしたいのならば、その方法は1つであった。


 無論、軍か警察に入るのである。

 特に海軍では重要な食糧である海産資源の回復に伴い。

 漁船を船団で護る必要に駆られた。


 逸早くアメリカから蓄電池式の艦船の設計図を受け取った政府は英国海軍ロイヤル・ネイビーが喜びそうにもない小型の重武装な巡視艇クラスの船を大量生産しての海洋戦力増強を図った。


 その搭乗員として移民や難民達が大量に合法的な格好で動員された事は米国で貧しさから脱却するのに軍に入るテンプレな図式そのものだっただろう。


 こうして豊な漁場であるフランスとの海域ではそういった海軍に入った人々と海獣類との大激戦がこの数年繰り広げられたのである。


 巡洋艦や準巡洋艦クラスの船の大半は海獣類の大規模掃討作戦のみに絞って運用され、それ以外海軍の船は海獣からの海上警備行動が主業務となった。


 この人命と資源をすり減らしながらも、最も効率の良いデスマーチこそが人々の食卓に海産物の缶詰を届ける唯一の方法だったのだ。


 このような環境で更に数千万人分の飲料水も不足してはいたが、一緒に全て死滅するよりはマシと多くの不満は絶滅の二文字の前に押し留められた。


『し、死体が降って来たんです!? あの嵐は何なの!?』


『一体、何が起こってるんだ!? 政府の発表はまだか!?』


『軍の人に聞いてもダブリンと通信が取れないとしか教えてくれないんだけど!!?』


『報道はどうなってんだよ!? 報道管制が敷かれてんのか!?』


『何処も再放送しかしてねぇ!? そんなにANIMEが好きなら、HENTAIでも流してろよ!! クソッ!?』


『病院に中部から担ぎ込まれた人がいるって!? あっちで何かあったのか!?』


『お、夫のいるドックと連絡が取れないんです!? どなたかSNSでもいいので誰か教えて下さい!!』


 SNSの実名登録制度に情報管制はパニックの抑制の為、欧州の国が失陥し始めた最初期に入れられた制度だ。


 国営放送による第一報が流れる頃には軍の関係者からの情報が市井にも広まっており、巨大な災害が起きた事はフワッとだが、各地で共有されていた。


 ―――【市民の皆さん。落ち着いて行動して下さい。現在、政府が情報を確認中ですが、五分前の軍発表を報道致します】


『落ち着いてられるわけねぇだろ!?』


 ―――【現在、北アイルランドにて大規模な巨大災害が発生。本国中部にも被害が及んでおり、軍の救助救援部隊がエディンバラより直ちに出撃致しました】


 やっぱりか。


 遂にゾンビのせいでアイルランドが陥落したのか。


 という憶測が大量に人々の心情に蔓延するかと思えたが、更に新たな情報がキャスターの口から語られ始める。


『また、現時点ではゾンビの姿は確認されておらず。被害地域には友好国である日本からの救援部隊が既に到着しており、現地部隊と合同での緊急災害救助を開始しているとの事です』


 その言葉に多くが困惑するしかなかった。


 日本から英国まで何時間掛かると思っているのか。


 いや、そもそも何で本国の軍より早く日本の軍隊が到着して、災害現場で救助活動なんかしているのか。


 冗談を言われたのだと信じる方が容易かっただろう。


 だが、人々は此処であの存在達の事を思い出す。


 そう、無限にも思えるゾンビを駆逐し、終には戦場の都市伝説……いや、確かに存在すると軍も一応は認めているゾンビの親玉……黙示録の四騎士を撃破したという人々の話だ。


『善導騎士団と陰陽自衛隊か!!?』


 空間を越えて物資が送られてくるという話はSNSでだって話題になったのだ。


 半信半疑。


 日本に担がれてるんじゃないかと思った人々とて多かったし、実際に映像で見てもこれが本当に現実の出来事とは考えられない頑迷な方々も大勢だった。


 だが、今の現状は正しくソレであった。


 在り得ない巨大災害を前にして在り得ない人々が動き出した。


 その言葉は逆に現実味が薄いからこそ、人々の間で実しやかに真実味を帯びたのだ。


「………」


 そうして、人々が混乱の渦の最中に巻き込まれていく中。


 少女は大きな塔の前で何かが起こったのだと知りながら、姉の言葉に導かれるままに潜っていた。


 もうその瞬間には少女の目の前にあった中世の尖塔の面影は無く。


 入った刹那に広がっていたのは外見からはまったく見えないだろう巨大なホテルのラウンジのような場所であった。


 吹き抜けとなった階層は遥か高層建築のように果ても見えずに高く。


 金の刺繍と紅に塗られた壁と柱は何処かエキゾチックにも見える。


 中央の飴色をしたカウンターには無数に人が詰め寄っており、ホテルの従業員にしか見えない仕立ての良さそうな制服姿の人々が次々に寄って来る多種多様な人々。

 それこそ白人も黒人も黄色人種もヒスパニッシュもアラブ系も一緒くたに何やら拡声器片手に宥めている様子が伺えた。


 人込みはラウンジを埋め尽くしはしていなかったが、壁際の椅子とテーブルには何か全てを諦めたような表情で紅茶を嗜む人々が屯している。


 スーツを着ている者もあれば、燕尾服姿の者もあるし、パーカー姿の若者もいれば、浮浪者のように擦り切れたジーンズに襤褸を着込んだ老人もいた。


 しかし、一様に顔は暗い。


 いや、暗黒に覆われたように後は死を待つのみか、という表情でカウンター周囲の騒ぎにも興味無さげであった。


『ダブリンは!! ダブリンは本当に消滅したのか!?』


『エディンバラの部隊がもう出てるだろ!! さっさと映像出せよ!!』


『息子と娘がドックで働いてるのよ!! お願いだから、情報を公開して頂戴!!』


『政府は何してるんだ!? こっちにすらロクな情報が出回ってないぞ!!』


『アイルランド政府が機能停止してるって話は本当なの!!』


『あっちの友人が善導騎士団と陰陽自衛隊を見たって言ってるぞ!!?』


『何が起こったの!? 黙示録の四騎士の攻撃!?』


 人々に対して答えているのはマネージャーなのか。

 黒人の髭を蓄えた40代の男だった。


『ダブリン支部からの連絡がありません。あらゆる方法で通信を図りましたが返答がありません。また、ダブリンと通話していた一部の者から常人には見えない類の存在がと報告がありました』


 ざわりと周辺に動揺が奔る。


『その後、破壊的な力でダブリンと一帯が吹き飛んだ事が沿岸の観測所にて確認されています。今現在、北アイルランドは巨大な低気圧の雲の中に隠されており、観測不能です』


 最悪の事態を誰もが想起した。

 そして、それは確かに現実味を帯びて語られ始める。


『中部にも多数の被害が及びましたが、その大半が巨大な津波と莫大な土砂の降雨のせいだと報告があります。その中には多数の建造物と人間と樹木が混じった状態であったと』


 その報告に騒がしくしていた人々も静まり返った。


『詳細は確認中です。ただ、此処に集まって来た情報を総合した場合、北アイルランドは既に消滅しているとしか考えられません』


 泣き声や嗚咽し始める人々を誰も止める様子はなく。


『しかし、地殻を削るような攻撃だったにしては地震が頻発している様子もない為、更に調査を継続中です。今回の事件発生時に莫大な魔力反応は検知されておらず、何らかの高次存在や巨大な物体による物理攻撃によって―――』


 人々が沈鬱になっていった。

 絶望に取り込まれて無表情になる者もいる。


 そうして、現実だけを告げ続けるマネージャーの言葉に数分もせず彼らは散っていった。


 扉から出ていく者。

 階段を上っていく者。

 直ぐ近くのエレベーターに入る者。


 そうして再び平穏を取り戻したかと思われたカウンターのマネージャーに……拡声器を下ろしてバックヤードに入ろうした男に彼女は声を掛ける。


「ちょっと、いいですか?」

「はい? 何でしょうか。お客様」


「此処が【正史塔タワー】のラウンジで間違いない、ですか?」


「はい。此処は確かにお客様の言った通り。【正史塔タワー】のラウンジとなります。何か御用でしょうか?」


 衆人達との応酬で疲れている様子も見せず。

 男がしっかりとした瞳で少女に向き直る。

 笑顔も忘れていない。

 それは完璧にお客様に対する従業員としての態度。

 彼はプロフェッショナルであった。


「……私のお姉ちゃんが此処に来るようにと言ったんです。自分の名前を出して、自分の部屋から荷物を取って……極東の彼らという人達に救援を請うようにって」


「お客様。差し支えなければ、お客様の姉君の名前をお聞かせ願えますか?」


「ルル。ルル・スパルナ」


「―――そうですか。姉君はあの地に残ったのですね」


「ッ、ど、どうして分かるんですか!?」


「二日前に御声を掛けさせて頂きました。その時は妹に久しぶりに会いに行くのだと急いでいたようでした。そして、姉君が此処に居らず、貴女1人でいるというのならば、それは……己の仕事を全うされた以外に考えられません」


「ッッ……」


 少女はスカートの端をギュッと握り締める。


「お客様。お名前を伺ってもよろしいですか? このような時に無粋なのは承知致しておりますが、此処に入る者は記名して頂くのルールなのです」


 男がそっと記名用の用紙を張ったボードを差し出す。


 それに少女は唇を噛み締めながらも震える手でペンを取り、己の名を書き記す。


「シュルティ・スパルナ様ですね」

「はい」


「これより姉君のお部屋を開放致します。姉君は今後100年間の滞在分の金額は支払っておりますので引き続き縁者であるシュルティ様にはお使い頂けます」


「お姉ちゃん……っ」


 少女が思わず姉の事を思って、今にも背後の扉に向かってしまいそうな足を震わせて固まる。


「ルル・スパルナ様。歴代の【蒸気律師スチーム・トーラー】の方々の中でも3本の指に入る方でした」


「姉の事を……知ってるんですか?」


「はい。数年前に父君と祖父君の後ろに付いて此処の扉を潜った時から……お二人が亡くなられてからはあの襲撃時の唯一の生き残りとして聴取の時から個人的に……」


「姉は……お姉ちゃんは……」


 今にも泣き出してしまいそうな少女を前に男は笑顔を崩さず。


「姉君はあの事件の後。戦闘が可能な術師として最前線に立っておられました。大量の海獣を海域から掃討し、時には巨大な敵とも戦った。多くの術師達が彼女に己の力と叡智を分け与え、希望として見ていた事は確かです」


 思わず顔を上げた少女にどうぞと男は小さな紙に包まれたキャンディーを手渡す。


「今でこそ偉大なる最後の術師として多くの方から尊ばれていますが、最初はそうでもありませんでした。彼女が生き残った事への非難や最後の戦える者となった事への嫉妬。それらを受けてもただ己の力で認めさせていったのです」


「お姉ちゃんが……」


「故郷の妹を飢えさせない為にも頑張るんだと仰っていました。この国を護れば、妹が生き延びられるんだからと」


「―――」


「……姉君が願ったのは貴女の生存です。それをどうか忘れずに頂ければ……」


「お姉ちゃん……私……」


 キュッと少女は胸元を握る。


「姉君の部屋は最上階の七号室です。エレベーターで上がって下されば、すぐに見つかります。角部屋ですので」


「あ、ありがとうございます!! お姉ちゃんの話を……こんなに忙しい時なのに……」


「いえ、出過ぎた事を、不躾な事を申しました。鍵はこちらです」


 少女の手に黄金の鍵が差し出される。


「我が国を護りし人が遺した貴女。貴女の前途にどうか栄光と黄金がありますように。それと……」


 少女の手にそっと小さなUSBメモリが握らされる。


「姉君の部屋でご覧下さい。誰に会えばいいのか。それでお解りになるでしょう」


「はい!!」


 少女が頭を下げてエレベーターですぐに上へと昇っていく。


 その様子を見送った男を前に背後のカウンターの者達が男を見ていた。


「何か?」

「甘いですね。支配人」


「いえいえ、これも健全な業務の内ですよ。未来ある少女の背を押しただけの事」


「……残念でしたね。ルル様は本当の逸材だったのに……」


「何が残念な事があるでしょうか。姉君の意志を継ぐ若芽は此処にある。出来る限りの後押しをするのがこの塔のカウンターを預かる者の役目なれば……」


 男がスッとバックヤードに入っていく。

 その背中にいつの間にか小さな黒猫のものになっていた。


「そう言えば、総支配人から数日後に大きなお客様が来るとの話を受けましたが、今回の一件に関係あるのでしょうか?」


 背後に付き従う三毛猫に黒猫は肩を竦める。


「さて、どうでしょうか。ただ、承った内容から察するに神代の方に近いとの話。機嫌を損ねぬように立ち振る舞う事です。それとお二人との話でしたのでロイヤル・スイートを開けておいて下さい」


「了解しました」


「ああ、それから、御一人総支配人と会っている最中です。誰かお茶を入れて持って行って下さい。スコーンにはいつもの特性クリームを添えて」


 バックヤードの猫達はあちこちの部屋へと走り回って客達の要望に応えていた。

 人の姿に変わり、時に獣の姿で駆け抜け。


 それでも部屋の中に入るまで黒猫の瞳は少女の背中を見届けていたのだった。


 *


『ベルさん。被害地域全域でのドローン投下完了しました。現地軍に避難民を任せて、今は重傷者の救助を行ってますが、こちらは被害が多過ぎて圧倒的にマンパワーが足りません』


「分かりました。後2時間弱で日本側と繋がります。東京側のドローンを逐次そちらに」


『はい!! 引き続き災害救助に当たります!!』


 今もあちこちで痛滅者による災害救助が続いていた。

 今回、黒武に積み込んでいたのは救援物資のみならず。

 災害時に人々を救出する為のキットも入っていた。


 主にディミスリル化したチタン合金を主な材料とする代物だ。


 周辺領域を低重力にして超重量の建造物で埋まった人々を動かさずに助ける代物だ。


 瓦礫などに圧迫された状態でも内部に挿入して浮かせられるのだ。


 MHペンダント関連の魔術具もある。


 小型化に成功したドリル付きの弾丸のようなソレを肉体へ埋め込む装置まである。


 身体が破壊されて圧し潰されていても、再生を掛けながら、死滅した細胞などで血液が濁らないようにとの配慮であった。


 実際、高位魔族レベルの魔力を放出可能なリスティアとヒューリの二人によって中部で生き埋めになった人々は救出されていた。


 Dチタン合金製の網状の幕を数十枚単位で展開し、地域の生き埋めの人々の上にある建物へと被せ、浮かせることで救助は成功したのだ。


 更に弾丸型のMHペンダントで相手を再生しつつ、自力で逃げ出せる者を増やす事で大幅に生存者達の死亡率は下がっていた。


 アイルランド側に2人が投入されなかった理由は単純だ。


 地面の下まで生命反応が感知可能な魔力波動式のレーダーに北部では殆ど何も映っていなかったのである。


 大勢の人々は即死。


 生きている人々もいる事はいたが、より酷い環境に置かれたせいで生きている者と死んでいる者の明暗がハッキリと別れていた。


 つまり、生死の境を彷徨っている者は殆どいなかったのである。


 事件発生が朝の10時過ぎ。

 それから既に7時間が経っていた。


 拠点に帰って来た少年はさっそく食糧生産と医療品用の植物の栽培の為、大量の肥料を周辺地域から得た物資で生成。


 救助活動中も魔導を延伸して更地にしていたシェルター建設用の用地の端に此岸樹を大量に植えて、ドローンを用いて10分単位で食糧と植物を収穫していた。


 ドローンによって収穫された芋類は即座に少年の導線に入れられて土を落とされて、簡易に立てた倉庫内に放り込まれ、植物はポケット内で微細な薬効の抽出から加工まで殆どすぐに行われる。


 作っているのは基本的に抗炎症剤のようなものではなく。

 軽い精神安定作用のあるモノが主だ。


『ベル。中継機材はちゃんと作用しているようだな』

『はい。すみません。今の今まで応えられなくて』

『構わん。非常時だ。それで薬剤の調合は?』

『既に数万人分は終わってます』


『熱調理しても薬効は落ちないから、好きに使え。一食に瓶一本程度で効果は十分出るだろう』


『そう言えば、中毒の可能性が無い薬剤ってこっちじゃ凄く珍しいんでしたっけ?』


『まぁ、魔力関連の加工が無いと不可能な事だからな』


『こういう分野だと僕らの持ってるあっちの医療技術もまだ使い道がありそうですね』


『ああ、そうだな。日本政府の方で情報をイギリス政府に提供しているそうだ。本土からの救援は北部の嵐と海洋の濁流で船も航空機もダメだとの事でしばらくはそちらで頑張って欲しい』


『はい。分かりました』


 基本的に今少年が造っているのは人々の不安定な精神をケアするものであった。


 大陸からフィクシーが持ち込んでいた魔術触媒用の植物を使った薬は現代のものよりも効き目は良いが副作用が少ない。


 ウィルスや病原菌用の特効薬は陰陽自研や日本政府が既に用意しているモノがポケット経由で届く事になっている。


 アイルランド中部から徒歩で移動させている最後尾集団には既に食料や調理器具、樹脂によって造られた少年特性の簡易テントやらが渡され、ドローンに護衛されながら今は野営の準備が進められている。


 MHペンダントの数は現在同時進行で少年が周辺海域のディミスリルを使って増産中だが、小型化と同時に幾つかの能力に絞って効果を引き上げただけのみならず。


 生産性も上がるような手順を予め組んでいた為、一分で1000単位で生産可能だった事から、生存者達に掛ける分は救助からこっち足りていた。


(取り敢えず、現状維持可能な状況にまで持って来れた。後は時間経過で安定するまで何事も無ければ……)


 そう内心で少年が思いながらも予感のようなものを胸に感じていた。


 そんなに都合が良い事があるだろうかと。


(騎士団長アインバーツ・クランゼは言っていた。破滅を早めたのは僕達だと……これがその破滅だとすれば、これから更に……)


 避難民の第一陣が到達した山林地帯。

 人々はようやく付いたと息を吐いている。


 少年達が全員を避難させられていないのは各地の救助活動に殆どのマンパワーが割かれているからだ。


 指揮している八木と部下達以外が全員出払い最初期の一人でも命を救うという目標に邁進中。


 少しでも北部から離れさせる為に歩かせてはいたが、それも後数時間で終わる。


 そうなれば、黒武の一部の機能を開放し、周辺人員を数千人単位で方陣内部に囲い込み、そのまま空を飛んで帰還する事も可能になる。


 移動の本番は明日の朝。


 それまでに人々を護り切る事が出来れば、生存率は飛躍的に高まるだろう。


 現状、被害人口はアイルランドだけでも九十九の予測では三千数百万人以上。


 特に船を製造する乾ドックで働く為に大量の移民や難民がいたダブリン近辺が完全に消滅した事が響いていた。


 それでも未だ数百万の人々が存在し、移動が開始されている。


 第一陣だけでも南部の比較的近い場所からの分だけで30万人弱。


 彼らを受け入れるシェルターは陰陽自研で発案されたもので北米式ではあるが、生活環境が少し低い形で受け入れ人数を増やしたタイプだ。


 一基で数十万人を受け入れ可能な構造物は半地下埋設式の球体状。


 半径2500mのソレは少年の錬金技能と今までの経験。


 そして、芸術的とさえ言える少年だけで製造出来る研究者達の設計がなければ、到底建築不能な代物だろう都市型シェルターとでも言うべき代物だ。


 要塞建築の経験を生かし、高速でディミスリルと地下資源を精錬して加工。


 この数時間で立てたとは思えないだろう迷彩色の球体を前に人々はただただ呆然と見上げるのみであった。


『こ、此処、何処だよ。え? え?』

『こ、此処ってこんなの在ったか?』

『オレ達アイルランドにいる、んだよな?』


『こちら、陰陽自衛隊及び善導騎士団です。シェルター内の部屋割りは既に決められており、配布された番号の部屋にお入り下さい』


『もしかして、造った、のか? あの巨大な海洋要塞みたいにか!?』


『人類の科学を遥かに超えてやがる……』

『と、とにかく部屋だ!! 部屋に行くぞ!!』

『ママ!? スゴイよ!! こんなの見た事ないよ!!』

『そうね。でも、これなら……』

『ゾンビが出てない内に入ろうぜ!!』

『あ、ああ……そう、だな』


 上下水道の循環浄化設備。


 内部の電力を用いない魔力式の明かりや炊事場の物を温めたり、冷やす為のコンロや冷蔵設備。


 電子機器を極力用いずに住環境を少年だけで揃える為のシステムの大半は専門の開発者達の力作である。


 どんな皮膜をどう加工すれば、フィルターになるのか。


 魔力と術式と少年が可能な加工だけで造ろうとした時の最適解。


 それが立てられたシェルターだ。


 辿り着いた人々が内側で明るさを保ったエントランスや通路の奥まで群がるように入っていく。


『こんなに明るいなんて……どうやって電力を……』


『そ、それより先にもテレビとか置いてるぞ!! 何か入ってるかも!!』


『で、電話は!! 電話は無いの!! 家族に連絡したいの!!』


『こちら、陰陽自衛隊及び善導騎士団です。通信希望の方は明日よりイギリス本土に繋がるよう取り計らいますので辛抱願います。アイルランド国内での通信網は壊滅しており、人名でこちらから名簿を照会し、シェルターに入った時点で専用端末への番号を―――』


 少し狭いが単身者や家族単位で入れる部屋が大量。


 それが十数万室以上。


 集まる為のホールや各部屋のトイレや浴室。


 更に日本式便座はトイレットペーパーの紙の生産を省く目的で術式代替によって魔導によるウォシュレット機能完備である。


 防音も強度も完璧。


 室内の個室スペースは日本のカプセルホテルよりは広々としており、共同で使う通路の導線こそ3人が並んで歩ける程度なものの、その分でゆとりを持たせてある。


 情報共有用の術式を用いる端末や各種の生活必需品の機能を持つ魔力式の便利機能や道具はフィクシーが北米で開発を行っていたこちらの世界の技術の魔術化計画の産物だ。


 複雑な電子機器は使えなくても、それに準じるモノを魔術と魔力で補う。


 それは言う程に優しくない開発だったらしいが、北米の騎士達とロス、シスコの協力で完璧に仕上げられていた。


『トイレと浴室があるのか。さすがに同室の場合は共同だろうが……ありがたい』


『このトイレ……日本製のアレか?』


『こっちには端末があるぜ!! 個室スペース毎に置かれてるのか?!』


『何かプヨプヨしてんな。このベッド……』


『明かりちゃんと付くし、カーテンもあるのね。助かるわ……』


『端末見てみろよ!! 外の様子が色々見られるみたいだぜ!!』


 寝台にはあらゆる材木から生成出来るように手順を組まれた樹脂製の寝台が置かれ、明かりのオンオフやカーテンまでも造られていた。


 端末には使い魔の撮影した映像や現在の周辺状況を監視する魔術用の送受信装置が詰められたドローンからのリアルタイム映像を映し出す事も出来る為、閉塞感や外の事が分からずに不安になる事も低減出来るだろう。


 ゾンビ進入時に必要になる内部の自己完結した空調や水回り、隔壁の動作。


 今まで少年と仲間達が共に創り上げて来たものの集大成こそがソレであった。


 出来る限り、家具には周辺の木材を使って、今では閉鎖環境でも緑を感じられるようにと鉢植えまで置かれている。


 それも空気清浄機能がある陰陽自研特性のDNAを弄りまくりで魔導も使いまくりなHMPハイ・マシンナリー・プランツの観葉植物だ。


『あっちの共有スペースにテレビ置いてあるってよ!! イギリス本土の情報が出てるって!!』


『どっちだ!! 行こうぜ!! あっちはどうなってんだ今!? 大丈夫なのか!!』


『北部全域が全部消し飛んだってニュースになってるって!!』


『本当に……北部は無くなっちまったのか!?』


『嘘……嘘よ……ああ、神様……お母さん、お父さん……ッ』


『と、とにかく端末持ったら行くぞ!!』


 人々はきっと翌日には外に出て気付くだろう。

 自分達が知る国家に無い光景が此処にある事を。

 疲れ切った身体と心を休ませて初めて。


 こうして、その日の内に数十万の人々が次々に出来上がっていく巨大なシェルターの内部へと入り込んでいった。


 1棟1棟と3Dプリンター方式で出来上がる速度は闇夜の中では正しくベールに隠されたように解り辛い。


 しかし、世が明けるまでの12時間の合間。


 休む事なく作られ続けたシェルターはまるで最初から其処にあったかのような錯覚を覚える程、大量に出来上がった。


 明け方。


 中部から南部に掛けて緊急の救命活動に従事していた騎士団と陰陽自であるが、夜7時頃からは更に少年が日本から引き出したドローンを用いて、更に活動を拡大。


 避難民に混じっていた警察と軍の一部に装備を支給し、共に数万人規模の部隊を仮に編成して各地の救命活動に当たらせた。


 水、食料、野営の物資が数百万人の人々の間で完全充足したのは日本からの支援物資も込々で各地にドローン内臓の導線から吐き出す事が可能になった深夜12時前後の話。


『こっちにもペンダントをくれぇ!!』

『まだ、こっちにも埋もれてるヤツがいるんだ!!』


『ジャッキ持ってこい!! 早くペンダントを掛けてやらないと!!』


 人々は眠れぬ夜を過ごしながらも、こうして初期救助活動のおかげで何とか完全に凍えてしまう前に一息付ける状態となったのだった。


 それでも北部の家族を探そうとする者もいれば、未だに現実を受け入れられずに北部は大丈夫だと言い張る者もいた。


 しかし、ゾンビの脅威の可能性を考慮に入れても今は南部の沿岸地域に避難するのが先決であると説得されれば、納得せざるを得ず。


 人々の群れは明け方からまた合流しながら大河のように南部へと向かい。


 少年が数時間で舗装した30車線くらいありそうな巨大な幅の道を歩き出した。

 それすらコンクリートのような固いものではなく。


 道の下にゴムを敷き詰めた代物だと気付けば、多くの人々は思った事だろう。


 今、自分は嘗ていた世界の中にいないと。


 南部へのピストン輸送を始めた日本から転移で持って来た黒武の群れは次々に自動で彼らを数千人単位で運び始め、その明け方に空飛ぶ黒き戦車と巨大なコンテナの群れが展開する方陣は新時代の幕開け。


 その実感を人々に刷り込んだのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る