第113話「満ちゆくもの」
【ゾンビ北海道襲撃!!!】
【米海軍艦隊離反!!?】
【またもや魔術によるゾンビ・テロか?】
諸々の見出しのみで埋め尽くされ、ネットニュースも臨時ニュースで延々と戦場や後方での動向を飛ばしている最中。
有線によるネットが生きている各地のシェルターからの救援要請は次々に道県の庁舎や米国のホワイトハウスや国務省の受付に殺到していた。
函館、札幌の周囲に分けて米国が首都機能を維持している昨今。
回線がダウンするという事も無かった。
余人が知る由も無い戦争の内実ではあったが、今一つだけはネットにおいて真実と見られており、多くの者達が感心を寄せている。
善導騎士団。
その力だけは本当であると。
『こんなのが本当に現実なの?』
『私達は夢を見ているんじゃないの?』
『今日はエイプリルフールじゃなかったか?』
『はは……善導騎士団、か』
巨大な爆撃音を聞きながら、シェルター内で震えている者達の一部は外部に据え付けられたシェルター用の埋め込み式の監視カメラの映像を次々に垂れ流していた。
先日まで笑い合っていた友人や上司や家族や恋人達。
ゾンビ達が人を襲っていた最初期の投稿は正しくホラー映画さながら。
だが、その絶望の夜を超えて明星の中。
人々はゾンビ達を駆逐していく車両と二輪とドローンと兵達を見た。
漆黒の機甲戦力とモスグリーン色の外套と装甲に灰色のスーツを着た男達。
そのトレンチコートにも似たものを着込む彼らが高速で移動し、ゾンビ達を駆逐していく様子は最初にゾンビ達が倒れて、その後を装甲戦力と歩兵達が駆け抜けていくという状況を、世界各地に知らしめた。
一切、立ち止まる事なく動き続ける者達が停止するのはシェルターに1人だけ兵隊、もしくはドローンが付くか、黒武が展開する時だけだ。
一応、外に音声を届ける外部スピーカーはシェルターに付属していた。
シェルター外の音を捉える集音マイクも完備されている。
故にシェルター内から彼らは聞いた。
『貴方達は?』
それに応える声は二つ。
―――陰陽自衛隊です。
―――善導騎士団です。
彼らは一律に人々へこう応えた。
今しばらく、ゾンビの制圧はお待ち頂ければ幸いです。
彼らは疑いもせずに制圧が終了するとの暗黙の言葉を持って人々に相対した。
その背中、そのドローンからもオペレーター達が話し掛けて来るに至り、シェルター内にあった死を覚悟する空気は幾分か薄らぎ。
緊張の糸が切れた者達の幾らかはフラリと己に与えられた寝台に倒れるようにして座り込む。
狭いネットカフェのような寝台付きの空間内。
彼らはようやく自分達の死の実感の果てに安心を少し得たのだ。
だが、それよりもネットで生存が深刻視された場所があった。
北方諸島域である。
全ての回線が切断され、また衛星通信系の機器も何ら反応せず。
一切、応答が無くなった本島と島々。
遠方からの観測も薄暗い霧に閉ざされてしまった世界。
ゾンビに呑まれたのだという意見が大半を占めていた。
諸島の300万からなるロシア人の安否もそうだが、現実的な話として300万のゾンビという巨大な脅威に関してネットでは米軍がいつ日本国内に暗黙の了解として持ち込んだ核による掃討を決行するかという話が飛び交っている。
「あ、ベルさん。前方に100人くらいの規模です」
「分かりました。少し迂回しましょう」
少年率いる北方諸島殴り込み隊。
黒武1両からなるベル、ヒューリ、フィクシー、クローディオ、ハルティーナ、カズマ、ルカ、悠音、明日輝の9人は戦線と離反艦隊の上空を不可視化したままの車両で飛び越え、終に本島内部へと着陸する事に成功していた。
彼らは今や米軍すらも容易には近付けない島の中に入り込んだのである。
戦線の方は全て八木や安治達に任せてある。
現在の彼らを指揮するのはフィクシーだ。
本来ならば、彼女は戦線中央辺りで現場指揮をするものと思っていたのだが、実戦勘を取り戻したかろうとガウェインが彼女をベル達に帯同させ、日本政府との調整も引き受けたのだ。
こうしてクローディオもまた戦線は元部下達に任せてユーラシアに向かう前のウォーミングアップだと彼らに帯同し、9人での鈍行となっていた。
「ルカ。島内の様子はどうだ?」
「うん。今、ゴーレムからの映像を見てるけど、何処も彼処もゾンビだらけみたいだ」
「そうか。大丈夫か?」
「心配しなくても、此処に未練なんてないよ。施設じゃ親しい人もいなかったし、家族はそもそもボクを施設に捨ててから一度も会ってないし」
「わ、悪りぃ……」
「こっちこそ……ごめん」
港よりも少し奥に黒武は静かな様子で着地して、今は魔力転化で電力走行中。
周囲の道路にはゾンビがウロウロしていた為、彼らは芋畑が広がる一帯をゆっくりと政府庁舎があるはずの内陸に向けて道無き道を進み続けていた。
黒武の内部からもシエラ・ファウト号と同じように全天投影による情報収集が可能だ。
ついでにモニターで遠方からのドローンやゴーレムの魔術や電波での映像の受信も出来る。
今や霧に巻かれた世界ではあったが、それでも次々に入って来る情報は島内がゾンビだらけである事を如実に物語っていた。
「本島に此処の人達全員がゾンビになっちゃったの? ベル」
「分かりません。団地方面や庁舎方面、市街地方面に向かったドローンとゴーレムは後方群から確認する限り、いきなり墜落。恐らく何らかの結界。魔力の転換が妨害されてるんじゃないかと」
「それって……」
悠音の言葉に少年が頷く。
「ええ、魔術師がこの一件には絡んでいる、という事です。それが敵か味方かまでは分かりませんが、極めて慎重に事を進めなければなりません」
「ベルディクトさん。進む方向はこっちで合ってるんですか?」
「え? ええ、政府庁舎は内陸に置かれてるみたいですから。人がもしも立て籠もって抵抗を続けていた場合にも救援を急がなきゃなりません」
本島の開発はロシア政府が日本政府にあらゆる面で譲歩した末に十兆円近い資金で整備され、島内は今や殆どが港と芋畑と巨大団地とソレを繋ぐ連絡通路で占められている。
起伏の激しい場所だろうとまったく容赦せず芋、芋、芋。
芋畑が永遠に続くのではないかという程に芋、芋、芋。
芋畑の中に道路があると言っていいだろう場所はそろそろ9月という事でギッチリ芋の枯れ葉や枝で埋まっている。
単一作物の連作は本来、農業的には致命的なのだが、とにかく肥料を入れ、とにかく最新の知見を持って芋の収量を増加させる事に特化した田畑は問題なく生育していた。
「斥候に出たクローディオから連絡だ。繋ぐぞ」
女性陣の殆どが黒武のオペレート用の椅子に座って周辺の索敵を行っているドローンとゴーレムの監視情報を見ていた。
フィクシーが専属となったクローディオから送られてくる映像と音声が内部のスピーカーと魔術具で室内に投影される。
『こちらクローディオ。こっちはお手上げだ。こいつぁ、大陸式の古代
「どういう事だ?」
フィクシーの声にクローディオが霧の中で虚空にそっと石を投げる。
すると、瞬時に石が砂粒となってトサリと地面にそのまま慣性を無視して垂直に落ちた。
『物騒な結界だろ? しかも、クッソ巧妙に隠蔽してやがる。この霧もだが、恐らく概念系の結界や複数の方式の結界を多重展開してるな。設置系の術師の強みだ。殆ど工房化してるどころか……コレはもう異界化してるんじゃねぇか?』
「……魔術制御による空間創生結界やそれに類する領域操作……この世界にそのクラスの者がいるのか? 大魔術師でも骨が折れる作業量だが……」
『まぁ、いるんだろうよ。どんだけソレがヤバイのかはご存じでしょう? 大魔術師殿……』
話を振られて、フィクシーが肩を竦める。
『まぁ、己の領域に入って来た獲物なら2階梯か3階梯上も屠れる量の罠と術式を敷くだろうな』
『ゾッとする想像どうもありがとう。ぶっちゃけ、オレ単独だとここらが限界。つーか、明らかに距離や奥行きもおかしい。方向感覚も狂わせられてんな。特に市街地、団地、漁港とか。重要施設周辺がガッチリだ』
「不用意に近付かなくて良かったな。今のを見る限り、この世界の既存誘導兵器の類では突破不能。大規模揚陸などしようものなら阿鼻叫喚だったろう」
『ドローンやゴーレムが各地で動かなくなってんのも結界の仕業だ。突破するには総当たりするか。あるいは何か方法を考えんとダメだな』
「分かった。一端戻って来い」
『了解だ』
「ハルティーナ。停車だ」
『はい。フィクシー大隊長』
先頭車両のハルティーナの声と同時に今まで牛歩のようにノロノロ進んでいた黒武が芋畑の端で停止する。
「総員。集まれ。しばし、作戦会議だ」
内部にいた全員が車両中央の生活区に入る。
コンテナ状の黒武の後方車両はCPとしての機能のみならず、基本的に3つの区画に分かれて其々に能力を有している。
後方の戦闘医療区画。
中央の生活区画。
前方の物資保管区画。
これで最高15人までの兵隊を養う事が出来る優れものだ。
後方区画にはCPとして必要なオペレートシステム諸々と待機している黒翔などが最大6機輸送可能なスペースが置かれており、今現在は【黒翔】が3機と【痛滅者】が3機格納されていた。
そちらから中央に続く入り口を潜れば、寝床とトイレと浴室がミッチリと詰まった共同スペースが有り、すぐに起きられるよう寝台は二段ベッドの上のみが置かれていて、下にはデスクワーク用のスペースに機内の管制も行える共有デスクとコンソールが2台。
上の寝台は奇襲や緊急時には即座に足元を傾け、すぐ彼らが通路へ出られるようになっている。
狭いながらもユニットバスにシャワー付きなのは極めて女性陣には助かる話だろう。
根本的な話として生活区が狭いのは他の区画よりも更に内部装甲が厚いからだ。
戦闘区画を使用する時はそもそも敵の攻撃が直撃しないよう機動する前提なのでそこまで装甲も分厚くないのである。
機動性や展開性能的にも動きを機敏にしたいという面もあり、戦闘用の区画はハッチの開く速度も計算されている。
「さて……困った事になったが、今の状況を確認しよう」
集まった面々が壁から迫出すように展開された幻影魔術方式の虚空の地図を見る。
三次元式のソレは次々にゴーレム達の犠牲と共に島の地図へ実に様々な色のレイヤーと文字を連ねていく。
「現在地は本島南西部の此処。そして、本島全域で確認された結界の類を表示すると……」
実に34種類もの色彩が乱舞し、特に本島中央の行政区画や団地付近、主要な港湾機能がある地域は完全に入り乱れる色合いで変色していた。
フィクシーがそれだけで溜息を吐く。
周囲の者もベル以外は息を呑んだ。
あまりにも広大な領域で結界を連続展開し続けるというだけでも異常な出来事であったが、その結界の豊富さがあらゆる外界からの干渉をほぼ遮断している事を理解したからだ。
「揚陸可能な地点は全て押さえられている。我々が内陸の重要ではない場所に着地したのは正しい選択だっただろう。もしも、港や行政区画、団地などに直接落ちていれば、どうなっていたか」
チラリとフィクシーがベルを見やる。
それに頷きが返った。
「今のところ結界の出入口らしきものは確認されていません。相手はそもそもが少数で確認出来るような大きな入り口が存在しないか。もしくは単純に引き籠っているかの二択です」
そう言いながらも少年が新しいレイヤーを本島に被せる。
其処には大量の光点が明滅していた。
「これは?」
「先日、脱出しようとしていた方達を諫めた時にお渡しした対ゾンビ用の万能端末の位置です。これを見る限り、まだ所有者は人間のまま……更に幾つかの点は団地や行政区画で動いています。3時間毎の発信で詳細は分からないんですが……恐らくまだ生存者がいるはずです」
「ベルが対ゾンビの避難時に使えるように調整した魔術具だ。ゾンビが近付くとベルの僅かに込めた魔力が周囲からの死を感知して反応する。反応時にその反応源が移動すると網膜に反応の強度によってゾンビらしきものが移動中として相手の位置を大まかに知らせる」
フィクシーが対ゾンビ警戒用に試作されていたレーダー染みた能力を持つ魔術具の概要を説明していく。
「取り敢えず、まずは情報が必要です。結界領域外にいる反応が1つあるので、その地点に向かいましょう。情報を収集した後、行政中枢のある市街地への侵入を試みます」
「大丈夫なんですか?」
ヒューリがこれだけの結界はさすがにという顔でベルを見る。
「一応、色々と方策はあります。紅蓮の騎士や白滅の騎士などが結界を敷いたり、陣を構えたりした場合も想定して然るべきでしたから」
「まぁ、そちらはベルに任せておけ。我々はまずこの情報源になりそうな誰かの下へ向かおう」
ベル以外の全員が頷く。
『帰って来たぞ~開けてくれ~』
「どうやら戻って来たようだな。では、東の沿岸部に向けて出発する」
クローディオを迎え入れた黒武はそうして結界の外にある唯一の反応へと向けて再び動き出したのだった。
*
―――北海道十勝北部中央戦線。
『な、何だぁあ!?』
『あ、ありゃぁ、島かッ!?』
『司令部より陰陽自衛隊シエラ・ファウスト号の戦域制圧機能を開放したとの事です!!』
『まさか!? アレなのか!?』
『一体ッ、本当に一体ッ?! どうなってるんだ!?』
『あいつらは―――島すら浮かべるってのか!?』
陸自機甲部隊は目前にゾンビ達の軍勢が後退していく合間にも進軍を続けていたが、その本来最も抵抗が厚いはずの地域には今や閑散とした空気が流れていた。
そのゾンビ達の支配領域の後方。
彼らが目指すべき地域には今や極大の異変が起こっている。
ゾンビ達が視認した先から後方に舞い戻り、彼らは上空を北部から移動してくるソレを見つめていた。
ソレは島としか思えない何かだった。
水蒸気を纏いながら確かに巨大な岩の塊にも見える煙る影が動いている。
だが、風が吹いた。
それと同時に内部が露わになる。
―――美しい世界だった。
氷塊。
巨大な島の如き、陸地の如き、大氷塊。
その内部には微かにシエラ・ファウスト号の船影が見える。
『氷の島。いや、装甲、なのか?』
嘗て、第二次大戦期。
何処かの日の沈まぬ帝国の軍人が発案したのは氷塊空母であった。
だが、空に氷を浮かべておくメリットなどがあるかと言われれば、当時発案した軍人とて首を傾げざるを得まい。
だが、その状況下にあるゾンビ達を指揮する者達は見ていた。
巨大な戦域で次々にゾンビ達が戦う事すらなくゆっくりと燃え上がり始めるのを。
戦域規模において恐らくあちらの世界ならば、日常的な魔術が発動したのを。
『司令部!! 司令部!! こちら偵察中隊!! ドローンからの映像を送る!!』
札幌に置かれた陸自の司令部はもはや恐慌状態一歩手前であった。
自分達が突き進む先にいる味方の空中戦艦。
そのように思えるだろうソレの真下で次々に自然発火現象にも思える状況が各地で発生し、樹木と都市をゆっくりと焼き始めていた。
その延焼はまるで火に舐められた紙のように次々とゾンビ達を丸焼けにして、小規模な米国コロニーの市街地を呑み込んでいく。
『一体、どうなっている!? シエラ・ファウスト号には誘導弾や大量破壊兵器は詰まれていないはずだろう!!?』
『シ、シエラ・ファウスト号からは一切、紫外線や熱量の類は感知されておりません!! 代わりに水蒸気が……』
『魔力、なのか?』
『か、火災旋風の発生を確認!! どうなってんだ!? 燃え広がる速度が速過ぎる?!』
『い、移動新路上のコロニーにある全シェルター周囲に善導騎士団、陰陽自衛隊の部隊展開を確認しました!! ど、どうやら資料にあった半透明の防御幕を、結界を展開している模様!!』
『市街地付近で散発的に重火器の暴発と思われる暴発音を確認!!』
『都市が―――炎に呑まれる』
陸自司令部の中。
望遠レンズを積んだドローンが各地で同様の状況に陥っている進路上の状況を教えていた。
だが、コロニー内の各地のシェルターは無事だ。
人員がまだ到着していない場所すらも、その施設直上に射出、設置された盾が熱量を防ぎ止める結界を展開していた。
そして、その炎の壁を突っ切って装甲戦力も兵達も次々に都市を駆け抜け、展開していく。
正しく世界最後の日に現れる聖書で謡われた
または炎を纏い顕れる神話の兵か。
ゴクリと。
誰もが、陸自も米陸軍も無く。
その光景を見た者は唾を呑み込んでいた。
『戦域制圧だと? これでは空襲と変わらんではないか!!』
そう呟いた指揮官達が多数。
だが、中央突破を命令された90式の部隊が10式を少数混ぜながらも前進している最中……後、もう少し……目と鼻の先というところで再びの異変が起こる。
巨大な氷塊から大量の雨らしきものが降り始めた。
ほぼ瞬時に火災旋風がその残渣を洩れなく白煙すら上げられない程の水浸しの中で途絶えさせた。
しかし、異常はそれだけに留まらない。
雨に混じって、次々にコロニーの市街地周辺で連続して爆薬の音が連鎖していた。
米司令部では半ば呆然とした者達にブローが撃ち込まれるかのような調子で異変が報告され続ける。
『中央戦線の野戦司令部より周囲で次々に敵軍集団が謎の爆発に巻き込まれているとの事です』
『今度は何が起った!!?』
『ど、どうやら目視によると各地のZが市街地付近で次々に足元から吹き飛んでいると!!』
『地雷か!? まさか、いつの間に!? 陰陽自衛隊に問い合わせろ!?』
『―――陰陽自のHQより入電!! スマート地雷の大量投入により、ゾンビ集団の移動阻害と脚を潰したと!! 中央の機甲部隊への戦線突破と押し上げの要請が……予定通り部隊を前進させるようにと』
『クソゥ!! 全てあちらの思い通りか!? 構わん!! 敵の沈黙を確認した以上、予定通り機甲部隊で中央を突破する!! 市街地の街路の状況はどうか!!』
『大雨で水浸しになっていますが、火災旋風時の被害が建物の倒壊より先に収束した為、多少冠水している場所があるだけでどうにか渡れそうだと!!』
『では、シアトル・コロニーを突破し、敵後方へと浸透を開始する!! 10式と歩兵連隊に続け!! こちらの戦車部隊で側面防御に回る!!』
中央突破の最前線となったシアトル・コロニーの市街地は正しく戦禍が過ぎ去った後のように焼けた建造物と大量の重火器の暴発による弾痕によって完全に戦地の廃墟という様子になっていた。
街路樹は完全に焼け朽ち。
人々の家々はこんがり水浸し。
ゾンビの死骸があちこちに残りはしていたが、シェルターは無事。
人々は今正に天空に座す巨大な氷の戦艦に畏怖を以て口を閉ざした。
中には善導騎士団や陰陽自に食って掛かろうとする者達もいた。
だが、その罵詈雑言がネットに流されているにも関わらず。
彼らはケロリとこうマニュアル通り答えるに留まる。
『ご安心下さい。想い出以外の生活の保障は全て行わせて頂きます。1週間程、共同住宅に住まって頂く事になるかと思いますが、出来る限りにおいて元通り再建する事は我ら善導騎士団が―――』
『我ら陰陽自衛隊が―――』
『『―――確約致します』』
そして、こうも続けた。
『どうぞ、今回の件でゾンビ被害に合われ方はメール、電話、今後現地に置く事になっている被害対策本部や善導騎士団東京本部に具体的な住所年齢性別お名前を書いた上でご一報下さい。ただちに保障用の証書を発行致します』
次々に戦車が市街地を突破していく。
ゾンビ達はその30km圏内から駆逐されつつあった。
世界が煮え立つ中。
シェルターを盾にしていたゾンビ達がこれを機として更に後方へと下がっていく状況が確認された時、ようやく米陸軍と陸自の司令部は何者かがゾンビ達を指揮している事を確信。
また、その戦況が自分達へ大きく傾いた事を悟っていた。
後方への撤退。
つまりは敵が味方を温存した。
戦力の底が見えたのである。
背後にいる何者かがゾンビでの消耗戦を狙っていた事もまたハッキリとはしなくても意図として正しく理解された瞬間だった。
そして、そのゾンビ達の撤退という状況に氷の鎧を纏ったまま。
シエラ・ファウスト号は突き進む先を見定めようとしていた。
『1佐!! 戦域の大気湿度の還元終了しました』
『軌道上の各地での静電気増加によるゾンビの自然発火、火災旋風は事前演習通り、Z集団を焼き尽くしたようです。各地に投下したビーコンを展開。貫通させた上水道より湿度の補給を開始します』
その声とほぼ同時。
今まで炎に没していた街並みの最中。
上空から落とされたと思われる巨大な円筒形物体が道路に突き立ったまま、ガシャリと8面体の華のように中央から割れて、内部から展開された【
(Zが衣服を着ているならば、乾燥させておけば、動き回る時点で静電気で自然発火する、か。それが市街地ならば、建造物に燃え移って更に被害が拡大する)
シエラがやっているのが攻撃ですらない事は艦に最初から乗っている自衛官達にしても畏れるべきものだっただろう。
(戦域の湿度を全てシエラ・ファウスト号の局所的な大気制御で自艦の周囲に氷の間接装甲として供給……コンクリート製の建物であっても、大都市圏が燃え上がれば、火災旋風で一気に焼却も可能。最後に鎮火用装備があれば、燃え過ぎも防ぐ、と)
少年が己の国で用いられている雨乞いや諸々の大気に関連する儀式術。
要は気象制御を知っていたのは魔術師の中でも地域で天候を制御する術師の役を何年か家で請け負っていた事があるから、らしかった。
八木が訊いた限り、その力は精々が村一つに降雨を齎したり、雲を吹き飛ばして日照量を上げる程度のものだったらしい。
だが、今の少年の手元にはシエラ・ファウスト号がある。
日本に来てあらゆる知識を吸収し続けていた少年は軍事における天候の重要性を知り、己もまた知っていた小さな村の天候を操る程度の儀式術をフィクシーと共に戦域レベルの広範囲に威力を及ぼす術へと改良。
周辺領域を魔力で蔽う結界を極々薄く広く展開。
ただ、全ての湿気を移動領域から奪い去って自機に回収するという……七教会執政下の国家でなら、適当な湿気取り用の魔術具として市販される術式の手法で彼らは小都市群を焼き尽くす事に成功していた。
最終的に莫大な魔力の塊であるシエラ・ファウスト号を儀式中核とする事で一隻当たり最大で50km圏内を数時間制御する程の代物として完成させたのである。
それは未だ大都市圏に屯するゾンビをその都市と共に一掃する最終手段。
人がいる日本でこそシェルターの防御の為に様々な手間を掛けて、規模も数kmと小規模であったが、大陸へと本格進行する際は各亡命政権の許可さえあれば、全てを灰燼にする手筈であった。
(そもそもの話として億人単位のゾンビをまともに相手していては武器弾薬が持たないのは分かる。だが、それにしてもこの手法は……後で大臣連中が渋い顔になっていそうだな)
陰陽師も善導騎士団も数十億は相手に出来ない。
だからこその手段ではあったが、それにしても明らかにちょっと遣り過ぎと日本人として思わなくもない八木であった。
だが、理解も出来るのだ。
ゾンビを残すような万が一が在ってはならない。
敵を一掃して安全に市民を退避させ、ついでに兵隊も傷付かないよう考慮するなら、武器を持ったゾンビを殲滅する方法としてコレ以上のものは無かった。
(ついでで空飛ぶ大きな的に氷の鎧も纏わせてみせる、か。特別な装甲ではなく。純粋な物量によって敵攻撃から艦を装甲を保護するとは……一生、頭が上がらないだろうな。我々は彼に……)
嘗て、大陸のゾンビ防衛線でも火責めは有効であると世界中で幾つものの街がゾンビ用の焼却場として使われた。
それを魔導の力を用いて大都市圏で再現する事が可能となった事は今の今まで日本という微温湯に辛い現実を忘れていた数多くの亡命政権下の者達にも思い出させるに違いない。
此処が嘗て己の国を己の国民と共に焼いた場所と同じ世界であるのだと。
(方陣と物体を間に置いて物理的な距離も開く。考え方は戦車の保護と同じ……何かを間に挟むって事だ。船体全てに威力を投射する大量破壊兵器の威力もこれで軽減出来るなら、これ以上安上がりな装甲も無いと……)
空爆を用いず。
動くゾンビを火種とする事で戦域の個体そのものを残らず焼却出来るのも利点だ。
普通の敵ならば、どうにもならぬ防御力と戦域への攻撃力を兼ね備えた今のシエラ・ファウスト号は気象制御機能を開放している限り、火力を使わず世界を焼き尽くす空飛ぶ浮沈要塞そのものであった。
(氷は薄皮のように何層にも別々に冷やして層とする事で一撃では割れ難く大気中の水分さえあれば、補給可能。まったく、我々は恐ろしいものを手にしたな)
八木が内心で力に溺れぬよう己を戒めながら前を向く。
『未知の魔術言語及び体系によるチャンネル間通信を確認しました!!』
『騎士ベルディクトの予想通り……戦線の大規模な動きにゾンビが対応出来なくなった事で背後の者が尻尾を出したな。敵位置の特定は!!』
『チャンネル間の空間観測によれば、魔力負荷係数が高く。戦域450km圏内と推測されます!!』
『3次元魔力波動レーダーの起動承認を!!』
『半径450kmに限定し、即時発信!!』
『了解です!! レーダー起動!! 発信準備!! 魔力波動充填―――発信通常3秒、開始します!!』
獲物を逃さぬ鯨の如く。
全てを呑み尽す為に。
今、世界に初めて浮いた潜水艦の牙が剥かれ始めていた。
『………………………感有り!!』
CIC内に浮かぶ虚空に投影された北海道近辺の地図に赤い点が浮かんだ。
『これはZに呑まれた網走の市街地です!!!』
『進路、網走市街地へ!! 最大船速!! レーダーは次発信に備えよ!!』
だが、彼らが向かおうとした矢先だった。
『こ、高熱体反応!!? 紫外線、熱量を確認!! こちらに超高速で何かが網走市街から向かってきます!! て、敵の攻撃と思われます!!?』
『前方に防御方陣を展開!! 光、熱、運動エネルギーに重点して拡散式レンズ型で最大展開!!』
CICで八木が目を細め、即座に向かってくる何かに対して防御策を取る。
『展開5秒前!! 3、2、1、展開開始!!』
巨大な氷の鎧を纏う空飛ぶ鯨。
その船首を網走に向けた方角から巨大な光の筋が空を渡って突き進む。
もしもそれがレーザーの類ならば、そもそも空間を渡る最中に減衰する上で見えなかったのだろうが、生憎とソレは純粋熱量の塊だった。
20秒後。
超音速を超えて市街地から一直線に飛来したソレが氷塊の前面に接触した時。
シエラ・ファウスト号を轟音と衝撃が襲った。
『ぐぅ?! ひ、被害報告!!』
シートを掴んで揺さぶられた身体を立て直した八木が叫ぶ。
『方陣防御健在!! い、今の衝撃は方陣が殺し切れなかった衝撃だと思われます!! 全艦問題ありません!!』
『ぜ、前方を!! 方陣接触面に人型らしき影を確認!! ね、熱量観測ではす、推定15000℃を超えています!? 周囲に放射線を観測!! て、敵影の温度更に上昇中!! 艦周囲の間接装甲融けていきます!!』
巨大な島の如き船影の前面は今や半透明の方陣毎、灼熱していた。
そのあまりの熱量に方陣が明々とした色に染め上がり。
トロリと。
氷が次々に融け出している。
中心部には何か輝く人の形をした何かが今も方陣に阻まれていた。
まるで、光景だけならば、艦がその光る何かを圧し潰そうとしているようにも見えたが、ゆっくりと周囲の氷塊が溶け出していく様子は実は状況が逆である事を誰もに教える。
『敵の隠し玉か』
『光学観測機器に敵影!! 艦周囲の山間部から何かが飛び上がってきます!!』
それを映像で八木が見て、驚く。
まるで青銅のレリーフのような巨人。
それも色違いが複数。
赤、青、緑、黄色。
古の軍隊をそのまま石板に書き込んだものを3Dにしたら、こんな感じだろうという代物が大量に地表の山間部。
樹木の間から飛び出すようにして上空へと昇って来て、融け出した氷の雨を縫うようにして外殻である氷塊に取り付いて殴り始めた。
水、炎、打撃、光。
其々に攻撃方法は違えど。
氷塊を破壊しようと猛烈な速度で続行されている。
『これが背後にいる者達の本当の戦力……我々はこれを堪えねばならないか。間接装甲の厚さは残り何メートルだ!!』
『げ、現在、420m!! さ、最初の一撃でかなり削られました』
『緊急起動した方陣防御で爆発した水蒸気を全て上空へと逃がし切れたようです。下方部隊への損害は出ておりません』
『体積当たりへの冷却効率が上がりました。試算では今の現状維持が可能ならば1分で1m程溶けるのみで相手の攻撃を受け続ける事が出来るかと』
『温度が上昇し続ければ、4時間そこらもせずに融けるだろうな。では、敵も釣れた。ゆっくりと市街地から遠ざかるぞ。山岳部に進路を取れ。また、全制圧部隊に地域の制圧が引き継がれるまでは持ち場を離れるなと厳命せよ』
『よ、よろしいのですか?』
『今、敵の視線が部隊に向くのはそれこそ困るだろう。我々は囮だ。放射線の事もある。陸自と米陸軍には我々から迂回する形で進むようにと』
『分かりました』
ゆっくりと巨大な氷塊が近辺にある山岳部へと向かっていく。
それを後退と思う者もあっただろう。
だが、その動きを正確に把握していた者達は彼らが何をしていたのかを悟る。
『ゾンビを操る敵戦力を釣り出したのか。制圧部隊が動かないという事は織り込み済み……ならば、我々のやるべき事は……機甲部隊全速で突破するぞ!!』
現地部隊が次々に開いた穴へと雪崩れ込む。
ゾンビ達の戦線は後方から既に穴だらけにされており、それに3時間の砲爆撃の休止を宣言していた米陸軍も陸自部隊の後方から追い掛けるようにして機甲戦力を注ぎ込み始めた。
中央戦線突破。
それは昼にはまだ早いかという時間帯。
しかし、その数時間で劇的に天秤は人類へと傾いた。
恐らく、ゾンビ達を捨て駒として油断したところに奇襲を掛けようとしていた敵戦力が殆ど巨大な氷塊に釣られたのだ。
ゾンビ達を自然発火させ、街を火の海にして焼き殺す。
正しく悪魔の所業とも言うべき力を前にして、このままでは自分達の戦力が擦り減らされて消えると悟った故の行動。
その危機感は正しいが、戦略的に見れば、軍への奇襲を放棄せざるを得なかったという事実を以て、見えざる手で戦域を動かす者達の戦いは陰陽自衛隊と善導騎士団に軍配が上がっただろう。
『スマート地雷と司令部は言っていたが、確かに爆発しているようであるものの……見えないな。また、あの鯨のように連中不可視化してやがるのか?』
次々に兵員輸送車が雪崩れ込む中央の周囲地域。
何処でも移動中のゾンビが見えざる何か。
不可視化の結界を張られた移動式の円盤型小型ドローン。
幾度も魔力を用いて敵の脚を吹き飛ばすスマート地雷によって大量に脚のみならず、下半身までも砕かれていた。
『HMCC01より各中隊各機へ!! 中央戦線の突破を確認!! これより第一機甲小隊は戦域内での遊撃機動より北部へと浸透する機甲戦力の側面支援に移る』
『MHCC20より各中隊各機へ!! 中央戦線の突破を確認!! これより第二機甲小隊は未制圧地域での
小規模なMZG……と言っても数千体から数百体の個体が10式MHCCに平地や平原、山林で次々に駆逐されていく。
マシンガンの弾薬が尽きたところで問題はない。
MBTは今やサイドスカートの機能を展開し、物体が車輪に巻き込まれないよう魔力式の結界を発動。
Z集団をブルドーザーのように轢き潰し、轢き殺し、轍の後に埋めて荒れ狂う獣の如く荒ぶっている。
『黒武040CPより各隷下中隊各員へ!! 網走への浸透を試みる!! 陸自及び米軍に制圧を譲渡した隊は速やかに同状態の黒武に搭乗せよ!! これより事前戦闘計画通り、北部、北方四島方面、更に追加目標の網走へと機動する!!』
『ドローン隊掌握下のCPは現状戦域で継続制圧に努めよ!! HQは現在戦闘状況下にあり、通信が妨害されている模様!! これより総指揮権は安治総隊長に!!』
各地で戦線からの情報に全てを映し出されていた。
馬鹿馬鹿しい程に芸術的な機動を止めずにゾンビ達を駆逐していく者達。
その力は正しく時は金なりという諺を体現する。
あらゆるZの反応が出遅れていた。
援軍に向かえば、途中で頓挫し、集団で立ち向かえば、瞬時に全滅し、シェルターを盾にしようとすれば、先回りしていた戦力から粉々に頭部を打ち砕かれる。
それはまるで既存の軍の速度ではなかった。
戦域の全てを把握する情報共有システム。
それの目であり、耳であり、手である兵士と総合機甲戦力。
そのあらゆる地形を苦としない総合踏破能力が平野も未開の山岳部も開けた市街地も関係なく。
全ての敵を的確に狩り出して、あらゆる領域から駆逐していく。
『安治より全隷下黒翔部隊に伝達。HQを囮とし、戦域制圧に努めよ。未確認敵生体は解析の結果、鉱物系の使い魔のようであるが、強度と柔軟性は通常弾頭では歯が立たないと推測される。確認された未確認敵生体に対しては
燃料など気にしない。
フルスロットル。
建造物の無い場所ならば、敵の砲弾も銃弾も効かない高速鉄壁の機甲戦力。
後には血の染みだけを残す何か達は既に中央戦線から回って来た自衛隊と米軍に仕事現場を開け渡すと颯爽とその場から次の現場へと走り去っていく。
昼頃、中央から更に奥へと突出した機甲部隊は制圧任務に回った黒翔の支援を受けて、ほぼ立ち止まる事なく多数のコロニーの市街地を制圧していった。
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