第109話「罪と王国」
スゥゥッと音を立てずにスプーンから軽やかに卵スープが啜られ、竹林内の緋祝邸内の居間で金髪の幼女が一人頷いていた。
「成程な。つまり、ワシは一度死んでから、その猫モドキ達に蘇生。いや? この場合は一部分を転生させられたのか」
「まぁ、妥当な結論にするとそうなります。というか、この子達の事は僕も分からない事が多いんです。何か凄い力は持ってるんだろうなぁ、くらいの事が分かってるだけで」
「マヲー♪」
「クヲー♪」
猫ズが少年の横で纏まって腹を見せて撫でさせている。
「ふぅむ(*|ω|*)……緊急時にワシがお主を助ける為に使い魔を産む際、あの二人の少女のリスクを背負って死んだと……何かワシも大人になって色々と疲れとったのかのぉ……」
遠い目となった幼女が肩を竦めつつ、スープをお代わりして優雅に口へ含む。
その所作一つ見ても極めて洗練されているのが分かるくらいにはリスティアの仕草はヒューリに通じるような優雅さが滲んでいた。
「で、お主らは魔術災害とやらの大規模転移で異世界に来た。ガリオスとやらの首都も同じように転移して、ワシはそこから発掘されたか、直接転移でこの世界の過去に飛ばされていた、と」
「はい。情報を総合するとそうなります」
「ワシは頚城と言っておったのか? 自分の事を」
「ええ」
「頚城か。魔術用語では無いな。確か御爺様が……ああ、そうそう。それはアレじゃな」
「アレ?」
「因果律系の術師の事じゃ」
「因果律って……そんな高度な魔術体系の術師がいるんですか?」
「ああ、済まん。そうではないのじゃ。それは魔術師で無くてもよい」
「魔術師で無くていい?」
「そうじゃ。御爺様の話では運命を引き寄せ、特定の領域に自身の願いを作用させる者達の総称と言っておった。やっている事は運命操作に近いらしいが、術師というよりは単純に因果律の糸……【
「どういう力を持ってるんですか?」
「ええと、魔力や能力云々は抜きで、何か特別な術式に使うとすっごい効力が跳ね上がるとか聞いたような? ま、座学はめんどいからテキトーに聞いてたのじゃ。そこは許せ」
「分かりました。重要な事が聞けて助かりました」
「まぁ、事情は分かったのじゃ。昨日寝て起きたと思ったら、すっかり違うところにいて魔力も無くて焦ったが、まさかなぁ。未来の異世界に飛ばされていたとは……しかも、ワシそのものが死んだ当人の一部の転生という事は魂のほぼ半分以上は无の海に還ったという事か。殆ど別人じゃな」
サラッと納得した様子になるリスティアを少年が思わずマジマジと見つめる。
「………その、大丈夫ですか? 無理してませんか?」
「ふふ、無理せなんだら、お主がワシの境遇を代わってくれるのかや?」
その言葉に少年が済みませんと俯いてしまう。
「済まぬ。八つ当たりだ。許せ……じゃが、ワシにも夢くらいはあったんじゃ。だが、それは不可能になった……途方に暮れるにしても、場所がいる。こんな見ず知らずのところで途方に暮れとっても良い事は無い。御爺様はいつも言っておった。今、自分の手にあるもので何とかしようとするのが人間だと」
「……アルヴィッツ中興の祖。女王の夫である大公閣下ですね?」
「そうじゃ。御爺様は魔王であった。あの時節にお婆様と出会い。祖国再興に手を貸す代わりに魔族の一部受け入れを密かに進めていたと言う話じゃ。大陸で魔族の血筋はかなりの禁忌じゃが、人に溶け込めば、生きては生けるからのう」
「それは僕の時代でもそんなに変わりませんでした。大陸中央は教会が殆ど牛耳ってから魔族系の人達も表立って政治に参画してましたけど」
「ほう? 中央はあの差別の中を更に進んだのか。それにしても教会が今の時代には幅を利かせとるのか。まさかエスノレアじゃなかろうな?」
「大陸中央の歴史はそんなに詳しくないですけど、あちらの教団は民主的に大人しめの教義になってから、そのまま国として維持されてます」
「左様か……アルヴィッツ王家は?」
「穏便に権力を政治現場に移譲してからは政治家や各界への影響力の高い地位に付いて名誉職に付きながら、今も元王族として慕われてたかと」
「ま、世の常か。血筋と家が残っておるなら構わん。それにお主の連れていた子らもガリオス王家とやらの、御爺様の血筋じゃな」
「はい。ヒューリさん。ユーネリアさん。アステリアさんは間違いなく黒き水の継承者です」
「そこまで知っておるのならば、問題ないか。ワシも同じじゃ。ワシのいた時代も禁忌である事は変わらんが、表に出さねば、それで生きていけたんじゃが……この通りでな」
瞳が明らかに人間のものではなく。
また、隠されていた悠音と同じような尻尾や小さな翅の一部がヒラヒラと動かされる。
どうやら魔力に比例して大小伸び縮みさせられるらしいのだが、猫ズに吸われた魔力が微々たる量戻ったら大きさがちょっとだけ回復したのだ。
「バレたんですか?」
「うむ。魔術を使うと、どうしても発現が誤魔化せずに、な」
微妙に苦々しい顔でリスティアが頷く。
「それで死んだ事にして出奔を?」
「当時、騒がれてのう。一部の者達はアルヴィッツ王家の糾弾や内政的に反乱……というところまで行き掛けたんじゃ。ついでに奸臣共もワシをいっそ王家筋として何処かに売り払い気味に養子や嫁にやればと宣いおった」
「そうだったんですか……」
「大戦終了から数十年経っておった事も災いした。お婆様はワシが幼い時に亡くなって、ワシを護る盾となるべき者が無かった。お父様とお母様は政争とは無縁の方達で力も無くてな。巻き込めんかった。御爺様が一緒に死んだ事にして出奔し、何処かで王家をまた建てようというところまでは話してくれてたんじゃが……」
「上手くは行ったはずです。ガリオスの歴史はヒューリさんに聞きましたが、近年になるまで絶対王政で安定してましたし、反乱や内紛も殆ど無く。普通の王国だったらしいです。近代に入ってはアルヴィッツ王家の縁戚という事で早めに民主化して混乱も無かったと」
「ふむ。そこらはワシも与り知らぬところであるが、御爺様が上手くやったんじゃろう。ワシもそこそこに役立ったはずじゃしな」
リスティアが瞳を閉じて溜息を吐く。
「……僕にはその寂しさを埋め合わせてあげられるような力はありません。ですが、リスティさんがこの場所で生きていくのならお手伝い出来ます」
「ワシは自分をもっとサバサバした性格かと思っとったんじゃが、容易には切り替えられんらしい。その言葉はもう数日後に頼んでよいか?」
「はい。此処は緋祝邸と言って、ユーネリアさんとアステリアさんの自宅ですが、お部屋は余ってます。先程、滞在用の部屋を用意してくれるように言っておいたので、これからしばらくは此処に」
「分かった」
リスティアが素直に頷いた。
「まぁ、それはそれでいいんじゃが、ちょっとお主の事を聞いても良いか?」
「え? はい」
「お主、動く死体と見たが、腐敗しているわけでもなく……死んでいるだけ……そういう種族なのかや?」
「あはは、やっぱりバレちゃってますか?」
「うむ。だが、心配せんでもいいぞ。お主は人じゃ。御爺様も言っておった。人という区分は少なくとも共に歩める者の事を指すとな」
「ありがとうございます。僕は仰る通りの者です。僕を創ってくれた家族は僕をどんな風に創ったのかは詳しく伝えずに逝ってしまったので、そんなに自分でも詳しく分かるわけじゃないんですけど」
「済まぬ。哀しき事を聞いたな……我は昔からこうで……人の機微というのがちょっとな」
「いえ、気にしてません」
「そうか」
「はい」
二人が互いに笑みを浮かべる。
そうして、その様子を今の襖の隙間から見ているヒューリと御泊りの支度が終わった緋祝姉妹がジト目で見ていた。
『(うぅ、ベルさんがあんなに親しく分かり合った感じに!!)』
『(あ、リスティア様がベルを見て優しく目を細めたわ!!)』
『(で、でも、や、やっぱり、覗き見は良くないですよ!! 悠音もヒューリ姉さんも!!)』
『(何か良い雰囲気……やっぱり、ベルってぺったんこの子が好きなのかしら?)』
『(ち、違います!! 大きいのだってベルさんは好きですよ!!?)』
『(ノ、ノーコメントです!!)』
そんな三姉妹達の様子を横目にしてからリスティアが苦笑する。
「ふ、随分と気が多いんじゃな。そちは……」
「あ、いえ、色々と複雑なんです。本当に色々……」
「まぁ、良い。お主とて騎士として団に報告する事があるじゃろう。ワシも魔力集めに疲れた。船を何とか動かして帰ろうとしたが、ワシの一部がある座標に飛ばすのがやっとじゃったし、あれだけ魔力を動かすとさすがになぁ」
ようやく疲れたと言えるようになったのか。
リスティアが僅かな汗を拭う。
未だにその姿は少年の外套姿だった。
「大丈夫ですか?」
「ワシ、身体弱いのじゃ。実は……熱量とか魔力とか無限湧き体質らしくてのう。あんまり興奮すると周囲のモノを燃やしたり、魔力を溢れさせて大惨事。御爺様が張ってくれた保護用の結界も無いし、意志の力で抑えるのも限界がある。危なそうならしばらく術式で眠らせておいてくれても良いぞ」
「そこは前に少しお聞きしました……」
「そうか」
「どうにかなるかもしれません」
「ほう? それは是非とも頼みたいのう」
「はい。では、コレを」
「ミスリルのペンダント?」
「いえ、この世界にあるディミスリルというもののインゴットです。しばらくはこれで魔力を適度に吸収しつつ、安定させましょう。後、こっちも」
ベルがM電池といつもカズマが使っている冷却用のペンダントを手渡す。
「おお? 触れただけで身体が冷えるのう。ぁ~~涼しいのじゃ。良いもの持っておるのう。これも異世界製かや?」
二つを首に掛けた少女がちょっと汗が引いた様子で一息吐く。
「いえ、僕が創ったんです。錬金術師もしてまして」
「多彩なのじゃな。そちは……」
「必要に駆られてのものですから」
「じゃが、これでしばらくは大丈夫そうじゃな。世話になる」
「もうお休みした方がいいですね。まだ、少し熱も高いですし」
少年がスッとリスティアの頬に手の甲で触れて、少女は思わず頬を少し染めて視線を泳がせた。
「それじゃあ、お部屋まで案内しますね」
自然に少年が立ち上がり、リスティアの手を引いて立たせ、その腰をやっぱりお姫様抱っこで空に浮かせた。
「~~~そち誰にでもそんなに優しいのかや?」
「あはは、誰にでも優しく出来たりしませんよ。親しい人や大切な人達、僕の仲間達にそうしたいとは思いますけど」
「そ、そうか……」
何処か戸惑った様子ながら、少しだけ恥ずかしそうにしながらも嬉しそうにはにかんで……キュッと少年の腕の袖が指先で摘ままれる。
「落としてはならぬぞ?」
それは何処か子供が親に縋るような声だった。
「はい。承知しました……リスティさん。お休みなさい」
「うむ……ぅむ……頼む」
緊張の糸が切れたのか。
その少年の声で少女はスゥスゥと寝息を立て始めた。
「マヲー」
「クヲー」
二匹が尻尾でガラッと今の襖を開ける。
すると、そこには微妙に半眼な三姉妹がいた。
「あ、えっと、お部屋は何処になりましたか? 明日輝さん」
「一番奥の襖の角部屋をご用意しました。そちらに運んであげて下さい。ベルディクトさん」
「は、はい」
ジト目な三姉妹に引き攣り気味の笑みを浮かべてから、少年がスゴスゴと退散していく。
「落ちましたね(断言)」
「落ちたわね(確信)」
「落ちたというか。自分から落とされたというか。優しさって時に罪ですよね……ベルディクトさんも罪作りというか……」
少年に優しくされて嬉しくない女性というのもそういないだろう。
それが分かるからこそ、彼女達はその優しさが嬉しいと同時に他の誰かに向けられる度、モヤモヤというかメラメラとした感情を感じずにはいられないのだった。
それが魔族の血を引く性なのかどうかすら、今の彼女達にはどうでも良い事なのかもしれず。
少年の他者への気遣いに心温まると同時にどうにか独り占めしたいというような気持ちもまた三者三様に湧き上がっていくのであった。
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