第102話「休日の使い方Ⅱ」


 先日の昼の事を反省したベル御一行様は今日はさすがに事件も起こらないだろうと統合温泉レジャー施設……要はスーパー銭湯に来ていた。


 中東の産油地帯からの燃料供給が消失して以降。

 日本においては燃料というのは全て電気で代替されるようになった。


 十数年前から普及し始めた商業用の核融合炉による核融合発電所はその始動にこそ高濃度のウランなどを用いているが、運転が始まれば、維持以外ではかなり低コストで莫大なエネルギーを算出し続ける人類の篝火だ。


 現在、全国の廃炉作業中の原子力発電所に隣接する形で創られた炉心から送られる莫大な電力は日本国内の総人口を養って今のところは安定している。


 電気料金が超格安になった為、設備を代替するのみで生き残った各種の熱を用いた産業は未だ活発。


『ぁ~~生き返るわねぇ~』


『此処ってすぐ其処にフードコーナーもあるんだよ。お母さん』


『あら、じゃあ、何か買って来ましょうか』

『うん!! お父さ~ん!!』


 温泉が出なくても大規模な温泉レジャー施設だって健在であった。


 温水や波が出るプールもあれば、露天風呂もある。


 おじさんおばさん家族連れが浴衣姿でウロウロする休日の総合温泉娯楽施設内は少女達がいても結界のおかげで目立つ事もなく。


 食事はコンビニで済ませたので彼らにはもうただ遊ぶ事しかやる事もない。


 ちなみに水着は安心安全な陰陽自研の関連企業からの試供品であって、健全路線な競泳用と普通の海パンであった。


 そうして、全員が男女共有の温泉にしばし浸っていた。


「ぅ~~やっぱりお風呂っていいですねぇ~~」


 思わず唸るのはヒューリであった。


 大陸の中央でこそ入浴文化はこの半世紀以上で広まったものの。


 それでも中々にして庶民の娯楽として普及させるには金がいる。


 共同浴場などの経営は国営である事が多く。


 ガリオスも未だ個人用のバスタブを持っているのは上流階級ばかり。


 大抵の国民は銭湯通いが通例であった。


「小さなものも良いが大きいものも良いな」


 フィクシーは満喫しているらしく。

 幸せそうに瞳を閉じて、腕を4つ伸ばしている。


「そうですね。訓練後の入浴などはいつでも心地良いものでした。こうして楽しく入るところがあるというのは初めてですが……凄く良いと思います」


 ハルティーナがほうっと吐息を零した。


 今現在、少女達が占有しているのは露天風呂風の屋内の風呂を見下ろす位置にある少し高めの位置に置かれた足先からバブルが弾ける風呂だった。


 周囲では子供も大人も楽し気に入浴するなり、温水プールで遊ぶなりしている。


「そう言えば、ベルさんとユーネリア、アステリアの姿が見えませんね」


「ん? ああ、此処でくらいは精霊化を解除してもいいだろうと新しい水着を取りに戻ったぞ」


 フィクシーの言葉にヒューリが大丈夫だろうかと思うものの。


 その思考もバブルとお湯の濁流の前に溶けた。


「そうですか。しばし、待ってましょう」


「熱くなったら水風呂もあるらしい。蒸し風呂にも挑戦だ」


「ああ、そう言えば、よく戦地では蒸し風呂を創って湖畔で洗ってたと父や祖父は言ってました」


「ああ、そう言えば、騎士の方は蒸し風呂の方が馴染み深いのかもしれませんね」


「ええ、ウチもバスタブはありましたが、父も祖父も専ら蒸し風呂と水風呂でしたし」


 ハルティーナとヒューリがお湯に心地良くなりながら、世間話に花を咲かせる。


 大陸の戦地では水が貴重という事もあり、入浴は元より、蒸し風呂ですら贅沢な話だった。


 だが、実際に身体を清めて衛生管理せねばならないのは何処も一緒だ。


 魔術で清潔を保てないような魔力量の者達も多かった為、乾燥地帯以外では大抵蒸し風呂が多用された。


 汗を流して少量の水で身体を拭くのである。

 特に高級将校などには愛浴する者が多く。

 騎士などでは伝統文化の一つとなっている。


「まぁ、此処を出ても魔導でいつでも通信は出来る。好きに巡ればいい」


 フィクシーの言葉に2人も頷き。

 紺色の競泳用水着の面々は再びお湯の魔力に浸る。


 そうして二つに分かれたグループの明暗はそこで別れたのだった。


 ―――ロッカールーム出入口。


 元々の自分達の年齢用の水着に着替えた姉妹達は待っていた少年を左右から挟んで仲の良い兄妹のように再び大小様々な浴槽が待つパラダイスへ向かおうとしていた。


「えへへ~~ベル。見て見て!! カワイイでしょ!!」


「ど、どうでしょうか?」


 姉妹達の水着は精霊化している時とは違い。

 花柄の南国を思わせるカラフルな布地の水着だった。

 フリルも付いており、かなり華やかだ。


「か、可愛いと思いますよ」

「ウンウン。直でよろしい!!」

「ヒューリア姉さん達にもお披露目しちゃいます」


 姉妹に話を聞くところ。

 去年の冬に買ったものだとの事。


 次の夏が待ち遠しくてという事だったが、その後ろに透けて見えるのは共に行くはずだった人達に本当なら見せたかったという気持ちに外ならず。


「きっと、羨ましくて……今日買いに行っちゃうんじゃないでしょうか」


 そう返しながらも少年は姉妹達の精一杯の強がりを、水着を仕舞い込まなかった彼女達の勇気を褒めるよう頭を撫ぜた。


 そんなやり取りの最中。

 彼らが扉を潜った瞬間。

 ふと少年は周囲の音が消えたのを理解する。

 と言っても人が出す足音や波音。

 他にも笑い声や話し声が消えたというだけだ。


 二人に目配せして傍を離れないように静かに耳打ちしてから、そのまま温水プールのある区域まで向かうと。


 その先で何やら日本人のみならず。

 外国人も混じって数十人がお湯に浸かっていた。


 彼らの談笑している声は聞こえないが、少年を一斉に彼らが見る。


「行ってみましょう」


 テクテク歩いて行く少年の後ろに姉妹が続く。


 そして、すぐ傍まで来ると岩風呂に入っていた老若男女が少年を前にして首を傾げた。


「どちら様かな」


 風呂に入っていた日本人らしい50代。


 白髪が混じるオールバックを撫で付け、でっぷりとした腹を声で震わせた男は眼光だけ鋭く。


 少年に少し興味深げな視線で問い掛ける。


「善導騎士団の者です。今日は休日で此処に来たんですけど。どうやら迷い込んだらしくて」


「ああ、善導騎士団の……日本政府を通して色々と送られて来ている。いやぁ、まさか、こんなところで会おうとは……可愛らしいお嬢さん達だね。ガールフレンドかね?」


「いえ、新米の団員です」

「こ、こんにちわ」

「こんにちわ」


 二人が年上の集団に頭を下げる。


「まぁ、何て愛らしい。それに魔力も凄そうねぇ」


 40代の女性がそうニコニコとほほ笑む。


「いやぁ、別系統の魔力だと励起しなければ感じられないはずなのに僕らにも自然転化分だけで解るって言うんだから、相当だよ。羨ましい話だ」


「別世界からの来訪者って事だけど、君達クラスがゴロゴロしてるとすれば、僕らは随分とお粗末に見えるんだろうなぁ……」


「いえ、そんな事は……年月分の研鑽と精神的な柱はそう易々と手に入るものではありませんから。陰陽自に協力して下さってる魔術師の外郭団体の皆さんですね?」


 その少年の言葉に男の一人が頷く。


「ああ、今は丁度休日でね。日本に流れ着いた者同士、友好を深めてたんだよ」


「昔は敵になったり、味方になったり、利用し合ったり、騙し合ったり、殺し合ったりする仲だったんだが……人類がこの状況ではね……」


「左様。我々の血族が今やいがみ合うどころか。自衛隊で隊伍を組んどるからな」


「まぁ、随分と数が減ってねぇ。血族は優秀なのしか残ってない」


「この間の一件、あの魔力をブチ撒けられた時に5人に1人が化け物になったり、行動不能になったり、治療が必要な状況で……君達のところの魔術具。アレは良いものを貰ったよ。怪異化した同胞を元に戻したり、傷を治すのに重宝してる」


「ホントホント。普通あのクラスの肉体の治癒は奇跡でも起きなきゃ不可能なもんだからなぁ」


「霊薬や万能薬の類ですら、ああまで再生させるのは不可能でしょう」


「今じゃ、必要な触媒一つ集めるのも日本国内じゃ無理なものが多くて、困ってたんだよ」


 何やら話したがりというか。


 とにかく聞いて欲しい的な言葉の濁流に姉妹達は目を泳がせ。


 少年は何処の魔術師も集まると苦労話になるのは変わらないんだな、と……嘗て両親や祖父が時折訪ねてきた友人達と愚痴を言い合っていた事を思い出した。


「こらこら諸君。若い子にあまり愚痴を聞かせちゃいかん」


 でっぷりとした男がそう全員にそこら辺にしておけと笑みながら諫める。


「済まなかったね。彼らも分かってはいるんだ。だが、どうにも利己的なのは術師の宿命でね」


「いえ、僕のお爺ちゃんも同じようなことを言ってましたから」


「はは、御見苦しいところを見せた。休日というのならば、大いに日本を愉しんで欲しい。此処の魔術的な風土、慣習は僕らのような余所者にも比較的寛容だからな」


「はい。今、満喫させて貰ってます」


「それは良かった。それで何だが、騎士ベルディクト」


 その言葉でようやく他の者達は目の前の少年が近頃の魔術業界に天変地異に等しき大変革を齎した人物なのだとようやく知る。


「安治君から聞かれていた一件。どうやらロシア系の術師が関わっているらしい。正確には北方諸島域を支配下に治める政治集団付きの魔術師が関わってるようだ」


「それは……」


「ああ、政治団体が指示したのか。それとも術師の単独犯かは分からないが、かなり大規模にやってるようだ。こちらで確認出来た限り、一般の諸島出自の密入国者が大量に使われてる形跡がある。操られているのか。それとも自分から協力しているのかまでは分からんがね」


「安治さんには?」


「昨日、メールした。その内に動きがあるだろう。ただ、何をするにも早くした方がいい。米国が動き始めていると部下から報告があった」


「米国が?」


「彼らは我々にも色々と恩を押し売りしようとするのが鼻に付く人々なのだが、結城陸将。今は陰陽将だったな。彼や村升事務次官のおかげで慎ましやかに生きていく上なら僕らは生活に困ってなくてね。大抵はいつもお断りしている」


「はぁ、大変ですね……」


「まぁ、本筋は此処からだが、彼らは大規模な戦力を運用しようとしているようだ。魔術的な力を応用した部隊だろうと部下達から報告があった」


「本当ですか?」


「ああ、君達がもしもゾンビ・テロの事件に首を突っ込む気ならば、気を付けたまえ。単に甘い顔をされるかもしれんがね。何よりも一枚噛ませろと言われるのが困りものだ」


「……ご忠告ありがとうございました」


 少年が頭を下げる。


「何、構わんよ。あの我々からすれば、奇跡の塊のような【黙示録の四騎士アルマゲスター】相手に4度勝ち星を納めた君達に期待したいと。それだけの話だ」


「勝ったというよりは勝たせて貰ったのような気もしますけど」


「ははは、謙遜だな。その勝たせて貰えなかった連中が此処にいる敗残者だ」


 誰もが肩を竦める。


 本来なら、その言葉に激昂して然るべきくらいに彼らとてプライドはある。


 だが、そのプライドはもはやこの極東にいる時点で塵に同じという程に砕かれてしまった後だ。


「アフリカ、欧州、東欧、中東、中央アジア、ユーラシア、北極、南極、魔術師は何処にもいたが、もう何処からも消え失せた……クレムリンとバチカン、ベルリンも墜ちた今、ロンドンと東京が二大拠点だが、それも関東圏の混乱が続けばどうなるものか……」


 男が何処かから取り出したのだろう火の付いた葉巻を咥えて一服する。


「だからこそ、君達には期待させて貰おう。利己的な一身上の都合とやらの為にね」


「覚えておきます」


「引き留めて済まなかった。屍を狩る者達よ……我々の力が必要な時は是非言ってくれ。相応の代価と引き換えに必ず我らは応えよう。君達が知らぬ間に勝ち取っている信頼は存外大きいのだよ。では、また……」


 男がフゥと煙を吐き出した途端。


 彼らの周囲が霧に包まれ、晴れると共にロッカールームの前に戻る。


 だが、その煙の奥。

 大量の紅い眼光を持つ何か。


 恐らくは会合を警護していたのだろう大量の百鬼夜行のような使い魔らしきモノ達が消えていくのを目の当たりにして少女達が驚く。


「ベル。あの人達って偉い人なの?」

「恐らく、そうなんじゃないかと」


「凄い数の使い魔でしたね。精霊さんも沢山いたようです」


「使い魔を連れて歩くのは術師の大家にとってはステータスの誇示みたいなものなんです」


「へぇ~~」


「普通の人なら今の光景だけでも失神したりするんですけど、やっぱりお二人もヒューリさんと同じ血筋なんですねぇ……」


 染み染み言われて明日輝は首を傾げる。


「それって感心して良いところなんでしょうか?」


「まぁ、これから先はかなりショッキングな光景ばかり目に入るでしょうし、善導騎士団の新人としては良い事なんじゃないかと」


 明日輝に少年が微妙な笑みを浮かべる。


「ッ、クシュ」

 悠音がくしゃみをして、少年が早く温まろうとすぐに温水プールの水中遊歩道を歩く。


 流れている水に浸かったまま上の方にある先程までフィクシー達がいたところを見るものの。


 その姿は既に無く。


 結局、彼女達を次に少年達が見つけたのはサウナでグデングデンになったところであった。


 *


「我々にまだ蒸し風呂は早かったようだな」


 スーパー銭湯を彼らが出たのは夕暮れ少し前。

 少年はフィクシーの要請で黒翔の後ろに2人乗り。


 首都高へと載った彼らは風を受けながら、東京をツーリングがてら本日のメインイベント。


 ツリー見学へと赴く。

 東京の二つあるシンボルタワーの一つ。

 その最も上へエレベーターで向かうのである。


 そこを選んだのは片世がいつもの(´∀`*)顔であそこは良いとこ、と太鼓判を押したからだ。


 東京土産を買って食事もしてくればいいとの話。


 勧められたので一度は行ってみようというのは人情であろう。


 駐車場に車両を止めた6名で展望台までのチケットを購入し、向かう様子は傍目からは和気藹々とした少し顔の火照った少女達の美しい東京観光、と見えたに違いない。


 実際、チケットを購入する為に訊ねた職員の20代の女性は少女達の顔ぶれに驚いていた。


 外国人を見慣れていても尚、少女達(と少年)は輝いて見えた。


 まぁ、いつも不可視化している彼女達の美貌も偶には見られた方が磨かれるのかもしれず。


 仲良し少女達の道中はそうして一人の女性の中で煌めく10代の象徴のように記憶された。


 それはともかく。


「うわぁ~~~」

「綺麗な夕日……」


 姉妹達が瞳を輝かせて、その夕暮れ時の絶景。


 黄金のように波打つ鱗雲に反射した金色の夕景に見入る。


 それは他の少女達も同じだ。

 左にフィクシー、右にヒューリ。

 そして、少年の後ろから見守るのはハルティーナ。

 彼女達が同じものを見て、同じように感動する。


 それは生きてきた世界の違いも超えて人が分かり合うだけの素養があるという事実なのかもしれないし、同年代の少女が誰だって持つ感性を戦いの場に身を置く彼女達も持っていたというだけの話かもしれない。


 だが、何れにしても。


「ベルさん……綺麗ですね」

「はい。とても……」

「ふふ、休日か。悪くないな」


「お二人の休日でもあります。クローディオ大隊長もそう言われていました」

 ハルティーナの声にフィクシーがあいつの考えそうな事だと苦笑し。


「だが、お前にとっての休日でもあるはずだぞ。ハルティーナ」


「え?」


「クローディオさんなら、きっとそう思ってますよね。ええ」


 ヒューリが頷く。


 結局、休みを取らされたのは善導騎士団を先導する彼女達もであり、それを承知で団を切り盛りする男が今日は終日まで死ぬ程、会合と会議と決済をやってくれている。


 それを今更のように思い起こして彼女達の意見は一致する。


「帰りにお酒とおつまみでも買っていきましょう。一番上等なやつを」


 少年の声に誰もが頷いた。


 こうして、一通りツリー内部を見終わった彼らが食事処に向かおうとした時だった。


 その光景には似合わぬような銃声が数発。

 同時に天井に向けて放たれた。


『お客様に申し上げます。本日、現時点よりツリー全域が封鎖されました。端的に申し上げますとテロリストです。両手を上げて誘導に従って下さい』


 ―――!??


『現在、施設全域で20人の同志が同時に皆様方の誰かの頭部を照準しております。避難訓練と思って騒がず慌てず走らず。静かに人質になって頂ければ幸いです。ちなみに我々は死んだら起動する自爆ベストとツリーの爆破方法も併せて持っている事をお伝えしておきます』


 パンと再びの発砲音。


『今現在、警備員の排除が終了致しました。死体を確認したい野暮な方がいなければ、係員の誘導に従って下さい』


 フィクシーがチラリとベルを見る。


 ―――『周囲の状況は?』


 そう魔導による通信を行った時だった。


『オイ!! 誰だッ!! 今、通信をしたのはッ!! 出てこい!! 出て来なければ、これから幼い子供順に撃ち殺していく!! 意味は解るな!! 今、ッ!!』


 その言葉にフィクシーが驚き、しまったという内心こそ出さなかったが、すぐ周囲にやってくる顔も剥き出しでやってくる小銃とベストを着込んだ男達を前にマズイなとどうするか悩む。


 敵は明らかに魔術師技能を保有している。


 通信の内容が分からなくても、通信が行われた事はバレたのだ。


 それが短距離で声を出さない為に使った代物だろうと一施設内くらいには解ってしまう。


 単なるテロリストと思っていたフィクシーが明らかに自分の判断ミスだと自分から名乗りを上げようとして、その前に男達の前に少年が進み出ていた。


「頭で会話してたのは僕です。意味は解ってますよ。テロリストのオジサン」


 その言葉を告げた直後。


 男達が短距離用の無線機を取る前にツリー内に声が響く。


『ふん……言葉も震えないか。まぁ、いい。連れて来い!! 防火壁の閉鎖までに人質を全て集めておけ』


 少年が日本人ではない。


 恐らくはロシア人だろう金髪を刈り上げた40代の男に連れられて去っていく。

 その姿に少女達は反応出来なかった。


 いや、してはいけなかったのだ。


 男達が自分達を見る前に少年は一人だと信じさせる為に単独で名乗り出たのだから。


 そして、また彼女達には解っていた。

 今、ツリー内部の声を聴いている者がいる。


 もしも話し掛けたりすれば、その瞬間に仲間とバレてしまうのは確実だろう。


 不審な音を出さずに意思疎通する。

 これ程に難しい事も無いだろう。

 少年は少女達を振り返りもせず。

 男と共に通路の先へと消えていく。


 そうして、少女達は他の小銃片手の男達の誘導でエレベーターへと連れていかれ。


 逸早くフィクシーはヒューリと並んで掌に文字を書き合いながら、今後の予定を話し合うのだった。


 *


 少年が連れて行かれたのはスタッフオンリーの扉の先。


 従業員達が使う通路は今薄暗く。

 辺りには血の染みが所々に残っていた。

 それを引きずったと思われる跡。

 その先の扉が開かれ。


 少年は数人の従業員と警備員の死骸の山に座っている男を見た。


 シートを被せて座っていたのだ。

 ソレが死体だと分かって尚。

 相手は30代後半のロシア系の男。


 顎髭を生やしつつも短く刈り込んでおり、額には僅かに弾痕らしき痕。


 だが、それよりも目を引くのは男の冷徹な凍えそうな瞳と左足が無い事だろう。


「こんなガキがなぁ。何処の団体だ? EU系? ASEAN系? それとも土着の日本?」


「いえ、全て違います」


「……まぁ、いい。同じ術師の好みだ。命を盗るのは最後にしといてやろう」


 平然と言った男が煙草を咥えた。


 それと同時に死体の周囲にボウッと青黒い魔術方陣。


 大陸式の物に比べれば、極めて稚拙と言っていいだろう。


 術式の転写が浮かび上がる。


「日本語なんですね」

「何?」


「こんな事をするくらい日本人が嫌いなら、祖国の言葉を話すかと思ったので」


「はは、お前ぇ……よく気付くなぁ。ああ、そうだよ。じゃあ、何でオレが日本語を話しているのか解るかぁ?」


「……可能性は二つ。日本も祖国も関係ない程嫌いか、どうでもいいか。もしくはそもそも国の概念自体何とも思っていないか」


「大当たりだ。中々、鋭いじゃねぇか」

「要求を聞いてもいいですか?」

「ああん?」


「お金が目的じゃないなら、大それた要求がありそうだと思うのは気のせいでしょうか?」


「あっははははは!!! 坊主ぅ。そういうのは気付いても言わん方がいいぞ。真っ先に殺さなきゃならなくなっちまうじゃねぇか」


「殺しますか?」


 男が贄とした死体の上から立ち上がる。

 それで少年はようやく驚いた。

 稚拙な方陣とは比べ物にならない。


 男の脚が魔力の集積で一人手に出来上がり、しっかりと繋がっている様子だったのだ。


 その表面に掛かれた文字は見た事も無いものだったが、それでも義肢として集積した魔力を使う方式としては大陸標準に劣らない精度が出ていた。


「殺さねぇよ。オレは人生を愉しむ為にテロ屋をやってる。お前みたいな証人がいた方が面白ぇ。いやぁ、9年来だなぁ……お前みたいに切れるガキの術師と会うのは」


 男がニヤァッと笑んだ。


「じゃあ、その答え合わせとまずは行こうか。お前なら何をこの状況で要求する」


「……ロシア方面の話を絡めて考えても?」


「おう。こっちの人種から内容を攻めるのか。いいともいいとも」


 男がニヤニヤしながら周囲のテーブルの上に置いてあった大型の端末の前に向かって座り込み。


 何やらメールを何処かへと一斉に送った。


「……北方諸島の難民を受け入れろ、ですか?」

「ま、簡単過ぎるわな」

「本当に?」

「ああ、本当だとも」

「………」


 男がメールを送った後。


 その端末に懐から取り出した拳銃を向けて数発撃ち込み破壊した。


「今現在、本土のロシア亡命政権は北方の国に囲い込んだ自国民の惨状を見て見ぬフリだ。そして、今回の一件で国境警備が解放されれば、北海道に難民が雪崩れ込む事になるだろうな」


「そう、上手く行きますか?」


「上手く行く事は望んじゃぁいないんだよなぁ」


「?」


「まぁ、その内に解るさ。坊主ぅ~まずは正解の御褒美だ。ソレ食っとけ。ま、オレの食いかけだけどなぁ!!」


 まるで、通信の件で喋っていた時とは印象が違う豪快な笑い方。


 先程、人を何らかの魔術の生贄にしたとは思えぬような気の良さそうな笑み。


 狂気と捉える事は簡単だ。

 だが、男は恐らく狂気になど陥っていない。

 それが少年には解る。


 そう、男は人の死など何とも思っていないだけだ。


 別に人を殺してやりたいとか。

 あるいは単純に貶めてやりたいとか。

 そういう意図すら無い。


(この人……命に頓着してない?)


「何だぁ? ソレじゃイヤか?」


 食い掛けのチョコバーだ。


 テーブルの上に放られたソレをチラリと見てから、お腹を触って少年が包みを剥がして齧る。


「おう。食っとけ食っとけ。これから長丁場だからな」


「……深夜には突入されるんじゃありません?」


「そんときゃそんときだ。だが、生憎とソレは無ぇな。十中八九」


「理由は?」


「それは第二問にしとこうか。ま、オレは此処を護ってるというヒントをやろう」


 男がおもむろにテーブルを少し動かし。


 ソファーもまた動かし、対面に壁掛けテレビを望む形にして、部屋の片隅に持ち込まれていたクーラーボックスから何やら大量にスナックとコーラのボトルを取り出した。


「オイ。コイツも食っていいぞ。しばらくは報道番組でも見ながら駄弁る時間だ」


「……解りました」


 男が少年をまったく警戒せず。


 ドカッと腰を下ろして大判のポップコーンの袋を几帳面に開いて、床に零れるのも構わず鷲掴みにして一口、更にコーラを紙コップに注いでからグビリと一気飲みする。


「ぁ゛~~~生きてるぅ~~~」

「何だかテロリストなのに寛いでますね」


 その言葉に男はテレビを付けてチャンネルを回して美人アナがいる局に固定してから、横の少年にニヤァッと笑う。


「何故、テロリストが寛いじゃいけない? 生憎と穴倉生活を送って米国の特殊部隊に震えながら生きてるわけじゃない」


「?」


「ああ、お前みたいな子供に言っても仕方ねぇか。テロリストにだって生活がある。人生がある。ついでに愉しむ権利と人権もな」


「……破天荒って言われません?」


「くく、オレから言わせれば、この人類絶滅寸前の世界で好き勝手せずに死ぬ方が怖いね」


「どうしてです?」


「テロリストにも幾つか種類がある。だが、オレは別に主義主張があるからテロ屋をやってるわけじゃない。ついでに神様とやらも信じてない。だが、職業だから淡々とやってるわけでもない」


「………」


「人間を何とも思っていない、という事を除けば、オレの技能なんぞは特殊部隊にも劣る技能と少し齧った術師の真似事だけだ」


「テロの何が面白いんですか?」


 純粋な少年の疑問に男もまた純粋に答える。


「劇場型犯罪やそれに類するテロリズムってのは人間ドラマなんだよ」


「人間ドラマ……」


 少年もこの日本に来てからテレビなどで色々と勉強したりはしている。


 だから、その単語が何を意味しているのかくらいは知っていた。


「さ、舞台の幕が上がる。演出家オレ、主演オレ、その他モブ達と一匹の子羊でお送りする、な」


 男が固定した番組にはテロップが流れる。


「ツリージャックか?!! だってよ!! 面白過ぎる?!! この国のテレビマンは馬鹿と阿保しかいねぇのか?!! ジャックじゃなきゃ、この状況は何だってんだよ。あはははは」


 上機嫌で男はポップコーンを頬張り。

 また別のスナックを開けて少年の前に置く。


「では、第一幕だ。まず、オレが預言しといてやろう。3時間以内に日本政府はオレ達に要求は何かと。後、狙撃ポイントで人間爆弾の壁を前にして現場の指揮官がクソ野郎と叫ぶ」


 少年はまるで燥ぐ子供のようにテレビを見る横のテロリストで出されたスナックを齧りつつ、少女達は上手くやっているだろうかとさっそくコーラ以外のボトルを開けて、ミルクティーをカップに注ぐのだった。

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