間章「世の彼方に喚ぶもの」

 ―――??年前


 その世界をどう顕せば、表現に足りるものか。

 陰鬱な程に薄暗く。

 ひんやりと湿った石製の通路。

 暗き森を見下ろす城の上。


 吹き曝しの王の御座所は全ての壁が破壊され、空と一体化している。


 あるのは地面と欠けた粗末な石製の玉座のみ。


 風は冷たいという程ではないしても背筋を震わせるには十分で。


 雲間から射す陽光には色が付いていないかのように世界は灰色だ。


 嘗て大陸に名を轟かせた王は幾多。


 しかし、この数百年でとある出来事に付いて有名な王は1人しかいない。


 小さな山間の小国。

 王城は深い森の奥。


 乾き不気味に螺旋くれ、成長も止まっているかのような樹木。


 その一帯の先にある“死の山”と現地で呼ばれる場所へ建てた。


 彼は王としては凡庸であったとされる。


 だが、逸話においては他の王にも比類するものが幾つかあるだろう。


 彼は生まれながらにして蘇りの秘術を持つ死霊術師ネクロマンサーであったという。


 その手が触れた者は皆が皆……死から起き上がり、彼に礼を言った。


 大きな傷は彼の前には癒され、無くなった部位は生えてきた。


 そして、彼は幾多の死者達を蘇らせ、いつの間にか【|死命の王《》】と呼ばれるようになる。


 しかし、その功績を持ってしても、彼は決して富も領土も権力も望まず。


 ただ、己のいる森と山の城とその先に広がる城下を治め、凡庸に生きたという。


 彼の下を訪れる者達は多かったが、死者の蘇生には2つの条件が付いた。


 我が祖国を犯すべからず。


 そして、蘇りは彼が死ぬまでの命であり、彼が死んだ時には死者達の魂を己の配下として連れて行くというのである。


 これらを了承せよというのだ。

 だが、多くの者達はそれに同意した。


 生きている間の付き合いである愛しい人ともう一度会いたい。


 そんな者達は多かったのだ。


 結果として彼の国はそれなりに栄えたが、彼が死ぬと同時に衰退し、今は跡形も無い。


 彼の遺した城と領土は他国に接収されるかと思われたが、彼の国の領土とした範囲内に踏み込んだ多くの者達は正気を失うか、自殺してしまった為、書類上は領土として併合されたというだけの無味乾燥な紙一枚がその根拠とされた。


 それから何十年何百年。


 彼のいた国は今も薄暗い世界に崩れた城の跡を晒している。


「………やはり、か」


 初老の男が一人。

 空の玉座の前に立ち、欠けたソレを後ろへと倒した。


 石とは思えぬ程に呆気なく倒れたものの下には石製の棺が顔を覗かせている。


 ツルハシが床に突き立てられ、割られた先から露出した石棺。


 その蓋が何とか横に降ろされれば、内部には鎧が一つ切り。


 銘も使用者の名前も彫り込まれていない単なる鎧に過ぎなかったが、問題はそこの内側にあった。


 何かがこびり付いている。

 それは黒い石片のようでもあったが、


 よくよく見てみれば、ソレの端に骨らしい白い欠片が見える。


 つまり、それは―――。


「ぉおーい。アシェラート!!! こっちに来てくれぇ!!」


 石棺を開けた男の後方。

 下に続く階段から二人の男が慌てた様子で出てきた。

 片方は30代の男。

 もう片方は18くらいの青年。


 どちらも魔術師用の丈の長い白の生地に黒の刺繍を施したフード付きの法衣らしきものを着込んでいる。


 その背中には大きなリュックが背負われており、ツルハシとスコップが覘いていた。


「お義父さん!! どうしましたか!!」

「フェヴァル教授。どうかされましたか!!」


 やってきた二人が男の成果に驚いた顔をしていた。


「お義父さん……これは……まさか、この地の王の?」


「ああ、アシェラート……お前さんの言う通りだった。ほれ、これを見ろ」


 四十代の男。


 アシェラートと呼ばれた黒縁の眼鏡を掛けた真面目そうな男が石片を見て驚愕する。


「本当に残っていたのですか!?」

「ああ、そうらしい」


「死命の王の欠片……もし、これが本当に伝承の通りの代物だとすれば……」


「そうなるだろうな。これが【源型アーキタイプ・モールド】……概念域の先に積もった死の結晶……“終わりの土”だ」


「―――フェヴァル教授!! アシェラート准教!! おめでとうございます!!」


 青年がその世紀の大発見に祝福の言葉を送る。


「ああ、永かったな……ここまで随分と掛かってしまった。家に帰らなければ……」


 初老の男がそう息を吐く。


「あいつに逸早く見せたいですね。解析は彼女の担当ですから」


「そうだな。あのはこういうのが苦手の割りにはモノを見る目だけはあるからな」


「そうなんですか? あ、アシェラート准教の奥方のお話ですよね?」


「ああ、あいつは出不精でな」


 40代の男が頷く。


「ずっと、この石を待っているんだ。あの子と共に……」

「あの子?」


 青年が首を傾げる。


「実は流産していてね。家には墓所があるんだ。それで故郷から離れたがらなくてね……」


「し、失礼しました。事情も知らずに……」


「いや、構わない。こうして目的のモノは手に入った。このまま我々はガリオスの大学に寄ってからすぐ祖国に帰らせてもらうよ」


「え……」


 青年が思わず固まる。


「な、何を……まずは魔術大学に報告なのでは?」


「……この調査では何も見付からなかった。そういう事になるんだ。これから……」


「ど、どういう事ですか!? そんな、いきなり!?」


「君も知っているだろう? 七教会は決して倫理を超えた研究を許さない。我々は南部の帝国に居を構えていてね。一部の成果は渡すが、七教会の息が掛かった大学にコレを提出するつもりはないのだよ……悪いが……」


「そ、そんな!? 許される事じゃありませんよ!? そんな事が知れたら、教授会や大学!! いえ、七教会からも追及を受ける事に―――」


 青年の言葉は途中で止まる。


「そうはならないんだ。残念ながら君は不慮の事故で亡くなっている」


「な?!!」


 思わず青年が身構えた。


 しかし、二人の男はその相手に対してただ静かに見つめるのみ。


「わ、私はこ、殺されない!! 殺されないぞ!?」


 その恐怖に引き攣った顔に彼らは揃って首を横に振る。


「殺すまでもない。本当に君はよくやってくれた。君の助けがなければ、此処まで辿り着けなかっただろう。第三階層の罠に関しては……本当に感謝している。君が庇ってくれなければ、我々はどちらも死んでいただろう」


「―――ぁ?」


 青年が己の身体を見る。


 そう言えば、寒いと思って羽織っていたコートの下には薄らと血が染みていた。


「そう言えば、まだ我々の専門の系統を教えていなかったな」


 40代の男がスコップに見せ掛けられていた杖を手にした瞬間。


 ソレが姿を顕す。


 それは―――皺枯れた長い長い人類ではない何かの種族の腕だった。


「君はよく言っていたね。天涯孤独の身だと。君の功績と助力には本当に感謝している。だから、しっかりと埋葬させて貰おう。現地で死亡した場合、死体の仮埋葬は認められている範疇の権限だ。そして、此処は僕ら以外が入れば、七教会の超越者、聖女ですら正気を保つのは難しいだろう」


 細長い中指の先が地面を打った。


 すると黄色み掛った緑黄の輝きが周囲に奔り抜ける。


「ありがとう。君の献身は決して無駄にはしない……健やかに眠れ。善き青年よ……君の魂がこの世界のどの神に拾われるのか。あるいはこの宇宙の糧となるのか。それは知らないが……私達は君に心からの感謝を捧げたい」


「ぁ、ぁあ……わ、わた、私、私は……私はぁああああああああああああ?!!?」


 錯乱した青年が動き出すよりも先に周囲の石畳が彼を囲った。


「ぁ―――」


「魔力切れだ。此処は彼の【死命の王エクシトゥム・レクスの墓所。君がもしも彼に会ったならば、言っておいてくれ。人の未来と世界と個人的な理由の為に貴方の力を使わせて貰うと」


『……私は、私には……まだ……やりたい……やりたい事が……』


 カランと男の首から小さなカメオが落ちて、内部の小さな篆刻写真が飛び出る。


 そこには一人の黒髪の女性が儚げに微笑んでいた。


「残念だが、それはもう叶わない。蘇りを行える程の術師はこの世界にも少なく。我々は凡人……君を留めておけるのは数日が限界だった」


『そんな……待って、くれ……マテ、待て!! 私、わ、たし、には……ッ、果たさねば、果たさねば……ならない……約束が……』


「君の彼女には出来る限りの経済的な支援を約束する。そして、君の研究も必ず大学の者に引き継がせよう……彼女の不治の病を治すのにコレは使えないんだ」


 石片が彼の前に差し出される。


『どういう、コトだッ!?』


「あの病はそもそも病ではない……魔王が大戦において天を消去った反動……君にも分かり易く言えば、彼女は天命を失った。故に如何なる力を持ってしても消えた運命を元に戻す事は出来ない……そして、この欠片は今手に取って軽く解析してみたが……恐らく死者にしか効果が無い」


『そ、んな?!!』


「ガリオスの彼女には我々の方から君の遺品と財産、全てを渡しておく。後、どれほどの命なのかは知らないが……出来る限りの治療が出来る環境も用意させてもらうつもりだ」


『……私、が……わた……し……が………――――――』


「お休み。君が今一度彼女に出会える事を祈っているよ。元来た道を戻るのに一か月以上の徒歩でなければ、此処が目的地でなければ、君の遺体も持ち帰ってやりたかったが……我々二人では君を運んであの道を戻るのは不可能だ。此処まで連れて来るだけで精一杯だった……済まんな……」


 二つ目の石棺の箱が青年の瞳から光が失われると同時に閉められ、床に埋め込まれるようにして設置された。


 やがて、二人の男が去り。

 短くはない年月が流れた。

 幾度目かの季節が巡る後。

 二つ目の石棺に異変が起こる。


 コンコン。


 それは小さな音だった。

 しかし、それは一日一日経つに連れて音を増し。

 やがて、その石棺を揺るがす程にまでなり。

 その日、夜明けと同時に蓋は確かに破壊された。


 突き出た腕、その最中からは一言だけが僅かに聞こえている。


 ―――カエラネバ。


 次の朝を迎えるまでに二つ目の石棺は確かに開け放たれ。

 誰一人としてそれを知る者は無かった。

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